ACT 43
『ガキンッ・・!!』
まるで何か硬いもの同士がぶつかり合うような鈍い音が響き渡る。
飛び込んだ綜馬の頭上で、柳の振り下ろした龍刀が小さな亀の甲羅の上でぶつかり合い、その切っ先を尻尾である蛇に咥え込まれて止まっていた。
「・・・っ!?ゲンッ!?」
「っ!?お前は・・!?」
綜馬と柳の驚きの声が同時にこだまする。
切っ先を咥え込んでいた蛇・・ブンがその小さな体からは想像も出来ない力で柳の手から刀をもぎ取り、綜馬の足元に突き立てた。
「っ!でかした!」
突き立てられた龍刀をすかさず手に取った綜馬が、柳に向かって襲い掛かる。
「・・クッ!」
倒れ込みながら向けられた龍刀を、柳がとっさに気力を込めた手で受ける。
そのまま柳の上に馬乗りになり、渾身の気力を込めて睨み合っていた綜馬が、柳の紫色の瞳が微妙に揺らいでいる事に気が付いた。
「こ・・のっ!巽!!いい加減目ぇ覚ませ!みことを呼び戻すんはお前の役目や!柳なんかにみことを渡すな!守りたいもんに命かけんかい!!巽!!」
途端、柳が受けていた手の気力が消失する。
「なっ・・!?」渾身の力が込められていた龍刀が、遮るもののなくなった勢いそのままに柳の身体にのめり込む。
綜馬の握った龍刀が、深々と柳の右肩に突き刺さっていた!
「ックゥ・・!!」
「巽!!」
蒼白の表情になった綜馬が慌てて龍刀を抜き捨てた。
傷口から一気に溢れ出た鮮血が、シャツを真紅に染め上げていく。
「・・そ・・うま・・!」
顔をわずかに歪めたその口から巽の声が流れ出る。
「ッ巽!?巽やな!?すまん・・!お前を傷つける気は・・・!」
覗き込んだその瞳は、紫色から灰青色へと変わっていた。
「これくらいの傷、すぐに塞がる・・!そんな事より、咲耶姫を・・!」
綜馬の背後で二人の攻防を成す術もなく見つめていた咲耶の足元が、蠢き始めていた。
その一部が急速に膨れ上がったかと思うと、巨大な桜の木の根がまるで生き物のように跳ね上がり、咲耶の足に絡みつく。
「あ・・!」
思わず後ずさった咲耶の背後からも、新たな木の根が跳ね上がった。
頭上を覆っていた渦巻く暗雲のもと、柳によって開かれていた時空の扉がその扉を閉めるように急速に形を失っていく・・・。
「綜馬!早くその龍刀で私を殺しなさい!みことを連れ戻す術がなくなってしまう!」
足に絡んだ桜の根が、別たれたその半身である咲耶の身体を再び取り込もうと地中へ引きずり込む。
ハッとして振り向いた綜馬が、抜き捨てた龍刀を再び拾い上げ握り締めた。
「綜馬?!」
龍刀を握り締めた綜馬の背中に、巽がその真意を問う。
「・・・巽、悪いがオレは自分の守りたいもんを選ぶで?先の事なんて、どうなるか分からんからおもろいんや!運命付けられた軌道なんてあるほうが間違ってる・・!!」
叫んだ綜馬が脱兎のごとく駆け出して、咲耶目掛けて龍刀を振り上げた!
「綜馬!?やめ・・・っ!?」
既に血が止まり始めた傷を庇いながら半身を起こした巽が、綜馬の行動に言葉を失う。
咲耶に向かって振り降ろされた龍刀に、咲耶が身を強張らせた。
・・・が、
その切っ先は咲耶の足に絡まっていた桜の木の根を切り裂いていた・・!
「・・綜馬!?」
蠢いては跳ね上がって現れる木の根を、綜馬が次々と切り捨てる。
「やめて・・!やめなさい!綜馬!そんな事をしたら千年かけて作り上げられた結界が・・・!」
綜馬の切り捨てた木の根の一本一本に、この高野に集った僧侶達の命が宿っているといって過言ではない。
咲耶の存在を感じ取れる強い力の持ち主達は皆咲耶に魅入られ、自ら望んでその命を捧げて結界を作り上げる礎となっていった。
桜の子を人との間に成す事が最大の禁忌とされるのは、望まずとも人の心を・・その命をも奪う存在であるがため・・・。
「誰かの犠牲の上に成り立った結界なんかで何が守れるんや!?」
言い捨てた綜馬がその大元である結界の要・・咲耶の半身でもある巨大な桜の木に向かって走る。
「ゲンにブン!力を貸せ!咲耶を切ってもええんはオレだけや・・!!」
綜馬の手の中で龍刀であったものが形を変える。
一瞬形を失ったその刀を、綜馬が迷うことなく桜の木の根元に向かって振り抜いた!
形をなくしたその刀が大きく広がり、振り切ると同時に桜の木全体を金色の光が包み込む。
その刹那、浮き上がった小さな亀がみるみるうちに山全体を覆いつくかと思われるほどに巨大化し、真の「玄武」の姿となったかと思うと、その金色に包まれた桜の木を食いちぎるように呑み込んでしまった。
『・・その命奪ったものがその先をも担うが理(ことわり)。ゆめゆめ忘れるな・・・』
玄武の重厚な声がそう言い残し、ゴウッと竜巻のような風と共に柳が呼び寄せていた暗雲もろともその姿を消し去っていった。
食いちぎられて地中に残された桜の木の根が、集約されるべき要を失い、それぞれの桜の木の元へと戻っていく。
咲耶の・・ひいては高野の意志のもと、築き上げられた守るべき大きな目的から解放され・・それぞれの桜が守るべきものを守るために・・・。
その木の根が戻っていく微かな振動を、巽が地に付いた手の平から感じていた。
その振動が・・
ただの振動ではなく、何か・・一定のリズムを持っていることに、気が付いた。
「・・・っ?これ?!まさか・・・!?」
段々と遠ざかっていくその振動を、巽が目を閉じて必死に追いかける。
それは・・・
みことが、母・千波から受け継いだ「鎮魂歌」の旋律と同じリズム。
まるで桜の木の根がその旋律をハミングするかのように、振動していたのだ。
どうしてその旋律を桜の木の根・・ひいては桜の木の精霊たちが知っているのか?
綜馬が以前、「千波」という名を「高野の隠し巫女」という話を聞きかじった時に聞いた事があると言っていた。
それがもし、みことの母、千波の事なのだとしたら・・高野からもたらされていたという鬼を封じていた桜の木を通し、全ての桜がその歌を聞いていた事になる。
そして、今その歌を唯一千波と同じ・・いや、それ以上の波動を発して歌う事が出来るのはみことだけ・・・。
「・・・そう・・か!高野の桜の結界とはそういうことか・・・!」
半精霊である咲耶の人としての半身を使ってみことを呼び戻すということは、その代償として失ったその咲耶の人としての役割をもみことが担えることになる。
精霊としての半身が結界の礎を形作りれば、後はそこに「意志」が加わる事によってその結界は発動する・・・。
その「意思」がみことの歌う「鎮魂歌」ならば、当然桜の木を通してこの地の隅々まで浄化の力が行き渡る事になるのだ。
だから・・・咲耶はみことを呼び戻すためにその人としての半身を犠牲にしなければならなかった。
時空を渡る事の出来る「月虹龍」を唯一呼び戻せる力のある、柳によって・・!
そして・・それは結果として「見届ける者」として運命付けられた綜馬が、咲耶を殺した柳に・・ひいては巽に対してぬぐい去れない憎しみを抱く事になっていたはず・・。
高野が柳に敵対するべき理由と必然性・・・更には綜馬が咲耶を殺した柳である巽を・・殺したいと思うほどの感情を抱かせていたに違いなかった。
そうまでして用意周到に準備を整えた高野山開祖・空海・・真魚。
なぜそこまでしてそんな事をしなければならなかったのか?
巽がほぼ傷口が塞がり、鈍い痛みを訴える傷口に手を当てた。
その傷口と同じ場所に、鬼が交わしたという契約を代わって受けた証・・鬼によって食いちぎられた傷跡が「印」として刻まれている。
「・・交わされた契約・・か。そのためにこれだけの準備を!?いったいどんな内容だというんだ!?」
憤りを隠せず真紅に染まったシャツを握り締めた巽の足元から、その憤りを象徴するかのようにザァッと風が湧き起こる。
その瞬間・・!
確かに巽の耳元を、みことの歌声が掠めていった・・!
「みことっ!?」
ハッとして追ったその歌声が、湧き上った風にのって遙か遠くへ消え去っていった。