野良猫









ACT 14(祐介)








一瞬で、肝が冷えた

暗がりの中で散々に打ち据えられる音が反響し、誰かが袋叩きにあっているのが容易に知れた

そこに居るのが本当に光紀なのか、分からなかった
でも
その光景が飛び込んでくると同時に無意識にその名を叫び、見張り役だった男を一発で沈ませて、街灯が点滅する通路の中へ飛び込んでいた

ハッとした様に一斉に俺の方へ顔を向けたそいつらが言葉を発する前に、一人目を通路の壁に向かって殴り飛ばしていた

そいつが居なくなったおかげで開けた視界の下、見覚えのある栗色の髪がピクッ・・と蠢くのが見えた

それを確めたら、後はもう、加減などしなかった

壁に叩き付けた奴の手から転がり落ちた鉄パイプを手にした瞬間から、俺の顔から表情が消え一言も言葉を発しなかった

昔、お前はいったん切れると感情がなくなって歯止めが利かない・・・と言われた記憶が甦る

その時の俺は、まさにそれだった

相手がどんなに泣き叫んで命乞いしようが、血だらけで無抵抗になろうが、関係なかった

ただ、相手が身動きしなくなるまで徹底的に叩き潰す

一度そうなってしまったら、自分でも止められなかった
止められたのはただ一人、涼(すず)だけだった
涼(すず)の呼ぶ、制止の意味合いのこもった俺の名前だけ・・・


「・・・っ、祐介!」


呼ばれたその名前に、ビクンッと身体が震え動きを止めた
続いてふわり・・と背後から腕が廻される


「もぅ・・いい、俺・・・大丈夫・・・だから・・・!」


震える声で告げられた言葉
微かに震えながらも緩やかに拘束してきた両腕
背中越しに感じる温かな体温

それが、不思議なくらい一瞬にして俺の中から感情を引き出した

眼下には血だらけになって呻き声を上げ、蠢いている物体

振り上げていた手を下ろし、血まみれになってボコボコに変形した鉄パイプをその物体の横に放り投げた

明滅する街灯の明かりが、壁から天井・・・辺り一面赤く染まった凄惨な色合いを映し出す
通路いっぱいに満ちた、金臭く生臭い血の匂い

蠢いているのは眼下に居たその物体だけで、他に動く気配は微塵も感じられなかった


「・・・光紀」


そう呼んで腰に廻されていた腕に触れた
途端に触れた腕がビクンと揺れた


「・・・大丈夫か?」


その言葉に込めた意味合いは、袋叩きにあったケガの事だけじゃない

今の俺を前にして、それでもこの腕を解かなくていいのか?という意味合いも込めた問い

その問いに答えを返すように、廻された両腕に力がこもった


「・・・ご・・めんなさい、俺、嬉しい・・・祐介さんが来てくれたのが、すごく、嬉しい・・・もう一度会えた事が・・・」


最後までその言葉を聞く余裕などなかった

廻されていた腕を掴んで光紀の体を腕の中に引き寄せ、血の滲んだ唇を塞いでいた

差し入れた舌先に感じる血の味に、光紀が『ウ・・・ッ、ツ・・・ッ』と痛みを訴えてくる
それでも、光紀は拒むどころか貪欲に俺に絡み付いてきた

血だらけの通路の中で抱き合う姿は、どんなにか異様だったろうと思う
肌蹴た光紀のシャツの中に忍び込ませた指先が、ヌルついた光紀自身の血に触れていなかったら、俺はそのままその場で光紀を犯していたかもしれない

そうしても構わない・・・と光紀の身体が訴えていたから

けれど流れ出る血に触れた途端、俺は我に返って光紀を引き剥がした

改めて見た光紀の全身は、散々に打ち据えられて痣だらけで、あちこち出血している
立っているのだってやっとだろう・・・と言う有様だった


「ゆ・・うすけ・・さ・・ん?」


引き剥がされた事に対する抗議の色合いをその栗色の瞳に滲ませて、光紀が俺を上目遣いに見つめてきた

その艶っぽさに、本気で我を忘れそうになって慌てて頭を振ってその衝動をやり過ごし、その体を横抱きに抱き上げた


「とりあえず、今はケガの手当ての方が先だ」

「ゆぅ・・っ!?俺、ほんとに大丈夫、自分で歩けるから・・・!」


いきなり抱き上げられた事に驚いたように、光紀が身をよじって俺の腕の中から逃れようとする
まあ、確かに光紀も立派な高校生の、しかも鍛え上げられた筋肉を潜めた美丈夫な男だ
決して軽いわけでもないし、横抱きに抱き上げられる・・・なんてことも通常では考えられない事だろう

だけど、こうでもしていないと不安だった
手を離してしまったら、また、どこかへ一人で行ってしまうんじゃないかと・・・


「・・・いいから、大人しくしていなさい」


まるで子供に言い聞かせる親のような台詞・・・もっとましな言葉は出ないのか・・・と、自分であきれたが、それ以外思いつかなかったのだから仕方ない

でも、そう言ったら不意に光紀が大人しくなった
返って来る返事はなかったけれど、抱き上げた腕の中で俺に体を預けて弛緩した光紀の様子に、ホッとした

血だらけの半地下通路を出ると、すぐに黒塗りの車が俺達の背後にぴったりと付いた


「社長・・・!」


車の窓が開き、中から顔を出した伊藤が鋭く俺を呼んだ


「っ、・・・木戸(きど)が呼んだのか?」

「はい、詳しい事は中で・・・!乗ってください」


いくら深夜で人通りのない道だとは言え、光紀はケガでボロボロだったし、俺も返り血で着ていたコートのあちこちが汚れている・・・誰かに見られたら通報されかねない

伊藤に促されるまま、光紀と供に車の中に乗り込んだ

木戸というのは光紀がよく顔を出していたバーのバーテンだ
昔、揉め事に巻き込まれていたのを助けてやった事があり、それ以来情報屋として付き合いがある

塚田が光紀の出没しそうな所を張っていたように、俺も顔見知りや情報屋に塚田の連中に動きがあったらすぐ知らせてくれるように頼んでおいた

光紀がホテルを出て行ったことを教えてくれたのは、ホテルのフロント係だ

部屋に行ったはずの光紀がすぐに降りてきて、しかもただならぬ様子でホテルを出て行ったのを不審に思い、部屋に居る俺に内線電話で確認の電話をかけて来てくれたのだ

その電話を受けて急いで部屋を出てみたら、ドアのすぐ側にカードキーと金が入っているらしき封筒が置かれていた


俺の事を忘れたくない・・・と一条に言ったくせに・・!
ドアの前まで来たくせに、どうして・・!?


どうしても、その理由を確めたかった

まだ間に合うかもしれない・・・!
そう思ったら勝手に身体が動いて、光紀の後を追ってホテルを飛び出していた

繁華街の方へ歩いて行った・・・とフロント係が言っていたのを思い出し、自然俺の足は光紀がよく顔を出していた店のある方角へと向かっていた

その途中で掛かってきた、木戸からの電話

塚田の連中が光紀を見つけて、何もせずにおくはずがない
この辺で人通りがなくて、物音も大して気にならない場所・・・といえば、さっきの線路下の半地下通路しかなかった

そんな経緯があって、俺は今、光紀を抱きこんだまま伊藤の運転する車に乗っている


「・・・後はこちらで後始末しておきますが、よろしいですか?」

「・・・いや、ほうっておけ」

「え?しかし、」

「塚田が処理するだろ」

「っ!?全員やったんじゃないんですか!?」

「今頃見張り役だった奴が塚田に連絡入れてるだろうよ・・・」

「いったい誰が、あなたを止め・・・」


言いかけた言葉を、俺が抱き込んでいる光紀をバックミラー越しに見た伊藤が呑み込んだ


「・・・どちらへ行けば良いですか?」

「Wホテルの裏口に・・・」

「分かりました。塚田の動きはこちらで張っておきます。一条さんを呼びましょうか?」


大丈夫・・・とは言っていたが、やはり相当堪えているのだろう、ぐったりと俺の胸の中に沈みこんでいる光紀の様子を心配するように、伊藤が聞いてきた

この伊藤は組の仕切りを任せているだけに腕は立つし、頭も切れる
非情な一面では俺と双璧を張ると言われているが、反面、若い者の面倒見の良さはピカイチだった


「いや、状態を見て俺が連絡を入れる」

「分かりました」


そんな会話を終わらせホテル裏口に着いてみると、あのフロント係がそうなる事を見越していた様に待っていて、当然のように人目を避けて部屋までスムーズに誘導してくれる

臨機応変に先読みし、顧客の要望に応じるこの用意周到さは、さすがに一流ホテル・・・!といったところだろうか


「それでは、お召し物も以前と同じく朝にはご用意してお届けいたしますので」


こちらが切り出す必要もなくそう言い放ったフロント係が、にこやかな笑みと供に一礼を返してドアを閉じた
恐れ入る・・・とはこういうことを言うのだろう

胸元のネームプレートに書いてあった”Takano”と言う名前とその顔を、記憶に刻んでおいた

腕の中の光紀を見ると、安心したのか・・・寝入っている
出来れば起こしたくはなかったが、光紀は泥汚れと血のりで全身汚れまくってたし、俺も返り血を浴びていた


「・・・とりあえず、この血と汚れをどうにかしないとな・・・」


俺は光紀を抱きかかえたままバスルームへと向かった




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