野良猫






ACT 19(光紀)









『…光紀、』


そう、祐介に呼ばれた気がした
その名の後に、何か続けるべき言葉を含ませた…そんな呼び声

続けられる言葉は分かっていた
聞きたくなんてなかったけど、聞かなきゃイケない言葉


”サヨウナラ”


聞いてしまったら、絶対に泣く
夢の中だから、思い切り泣いたって構わない…
そう思っていたのに

続けられるはずのその言葉は、聞こえてはこなくて
俺は泣く機会を失った










目が覚めた時、約束どおり祐介はもう居なかった

だけど


「…っえ?これ…?」


ノドモトに感じた違和感に指を伸ばすと、細いチェーンと硬質でヒンヤリとしたペンダントトップ

掲げ上げてみると、一目で高価だと分かる精巧なカットの施された、透き通るようなライトブルー
母親が宝石好きだった事もあり、小さい頃から宝石の類は見慣れている


「こ…れ、確かアクアマリン…それに、この香り…」


微かに、祐介がつけていた、あのいい香りが漂ってくる
どうやら石の土台が香りの元らしい


「…ゆう、すけ…さん!」


思わず胸元でそれを握りしめて、そこから漂うあの、不思議と心を落ち着かせてくれる香りを思う存分嗅いだ

確か、友人の弟に頼んで作ってもらったオリジナル…だとか言っていた
つまり、この香りを身につけているのは祐介だけ!ということ

この世で、たった一つの香り
祐介と、俺だけの…!

そう思った途端

もう会えないと思った事
温かな胸の中で聞く声はあれで最後だと思った事

あんなに悲しくて辛かった想いが急速に俺の中でその影を失っていき、代わって一筋の光が射した


…そうだ、もう二度と会えないわけじゃない
  まだ可能性はある
  祐介は真柴建設の社長でもあるんだから…!


一流企業のトップになんて、そう滅多に会えるもんじゃない
でも、俺は…議員の息子、大物官僚の孫…でもある

そのコネと七光りを使って何が悪い?
後援会と称しての資金集めのパーティーなんて、日常茶飯事だ
今まで誘われてもそんな所へ顔出しした事はなかったけど、望めばいつだって出入りできる

そこに祐介を呼べるだけの人間になればいい

堂々と、表の世界、表の顔で祐介に会いに行けばいい
真柴建設社長の祐介に、議員の息子として堂々と会えるだけの恥かしくない人間になって…!

今まで一度だってあの家に生まれて良かった…なんて思ったことがなかったのに
今日ほど自分の境遇に…両親に感謝した事はなかった

そのためにも、二度と夜の世界に足を踏み入れちゃいけない

もう、悲しい夢は見ない
これからの俺が見るのは、夢なんかじゃない、現実世界

胸元に感じる、俺の体温を吸って温かな温もりを放つ硬質な宝石と、香る祐介の香り

それが、これは夢なんかじゃないんだと…はっきりと教えてくれる

俺はその日を境に、夜毎徘徊し喧嘩相手とその場限りの遊び相手を探していた自分と、決別した









「みっちゃん!」


学校からの帰り道、横断歩道で信号待ちをしていたら、不意に大声でその名を呼ばれた


「え…?」


聞き間違いだろうと思った
だって、その名前で俺の事を呼ぶ奴なんて、誰も…
そう思って、変わった信号にその声を無視して歩き出した…直後

グイッ!

思い切り持っていた学生鞄を後に引かれた


「っ!?」

「聞こえなかったのかよ!?」


続けられたその言葉に振り向いて、引っ張られた鞄に視線を落とすと…


「っ!リョー君!?」


鞄をしっかりと掴んで、ムッとした顔つきで俺を見上げている…祐介の子供、リョー君が居た


「なんで来ない!?」

「え?」

「俺、ずっと待ってたんだぞ!」

「あ…、」


そうだった
初めて会った日、また来る…とそう言って、それからすぐに祐介との事があって会いに行けなかった
その後も、ほとぼりが冷めるまでは大人しくしていよう…と思ってあの寺にも行っていない

あの時のケガも、腕の切り傷もほぼ完治しかけていて、そろそろ抜糸に行かないとな…とは思っていたのだが…


「…うちが、ヤクザだから?」


鞄を掴んでいた手が不意に離れ、俯いたリョー君が押し殺した低い声音でそう言った


「え…?」

「みんな…そうなんだ、みんな、居なくなる…!あんな家なんてダイッキライだ!」


そう叫んだリョー君が、脱兎のごとくきびすを返して走り去っていく


「っ!ちょ、リョー君!?」


慌ててその後を追って駆け出した
本当なら、追うべきじゃない事は分かっていた
こんな街中、どこで誰が見ているとも限らない

おそらく、リョー君が真柴組トップの息子だって事は真柴組のシマ内であるこの辺では知れ渡っているはず
祐介との事があってまだ間もない…出来るならほとぼりが冷めるまで接触は避けたかった

だけど

あんな風に…ネコを失ってしまった時と同じ思いを味あわせてしまったのかと思うと、とてもじゃないけどそのままに…なんて出来なかった






人込みが交錯する繁華街の中を駈けていく小さな影は、思った以上にすばしっこくて、あっという間にその後姿を見失った


「…は、クソ…ッどっち行った?」


時刻はもう夕暮れ時で、小学生がうろつくような時間帯じゃない
なのに、この時間にリョー君が俺を見つけた…ってことは、ひょっとしたら俺の事を探しに来ていたのかも知れない

初めてあった時も今と同じこの辺じゃ有名な私立高校の制服を着ていたから、どこの学校かぐらい分かったはずだから

そんな考えが浮かんだら、見失ったくらいであきらめる気持ちにはならなかった

一瞬、あの寺か?とも思ったが、見失った先はその寺とは逆方向だった
普段あまり来たことのない商店街の中を、リョー君の姿を求めて歩いていたら、再びグイッ!と鞄を引っ張られた


「え!?」


驚いて振り返ると、そこに居たのは、寺で見かけた…口のきけない女の子、やっこちゃん…!
薬局のロゴ入りの袋を提げている所を見ると、一条さんに頼まれての買い出しか何かだったのだろう

合わさった視線で、やっこちゃんが『どうしたの?』と問いかけてくる
どうやら、さっきから俺がリョー君を探してうろついていたのを見ていたらしい


「ちょうど良かった!リョー君を探してるんだけど、どこか居そうな場所知らないかな?」


そう聞いたら小さく『知っている』と、頷き返してきた


「連れて行ってくれる?」


そう言って伸ばした俺の指先を、小さな手がギュッと握り返してきた

案内された先は、商店街の裏側にある大きな川の堤防で、その下の河川敷に向かって伸びる土手の途中に、背を丸めて座り込んでいる小さな後姿があった

見つけたその後姿に、思わずやっこちゃんと小さく微笑み返し、一緒に近付いて行った

夕暮れ時の鮮やかな茜雲から覗く大きな太陽が、辺り一面をオレンジ色に染め上げている


「約束破って悪かったな」


すぐ後に立って、真上からリョー君の顔を覗き込むようにして言うと、弾かれたように俯いていた顔が上向いた


「っ!?みっちゃん!?なんで…」


言いかけたリョー君が、俺のすぐ側に居たやっこちゃんの存在に気がついて…すぐさま状況が呑み込めたような顔つきに変わると、フンッとばかりにソッポを向いた


「…家はキライか?」


問いかけながら、やっこちゃんと一緒にすぐ横に座り込むと、チラリ…とリョー君が視線を泳がせてこちらの様子を窺ってくる


「…キライ。学校でも誰も俺に喋りかけてこないし、近寄っても来ない。友達なんて居やしないし、先生なんか腫れ物を触るみたいにバカ丁寧だ」

「そうか、俺とは正反対だな」

「…え?」

「俺も家がキライだけど、学校じゃへつらった笑顔の奴らがひっきりなしに喋りかけてくるし、集まってくる。そんな友達面した奴には事欠かない。先生に至っては何とか俺の機嫌を取ろうと、こっそりテスト問題を教えてくれたりする」

「え?」

「ヘドが出る」


吐き棄てるようにそう言うと、リョー君が少し驚いたような表情で俺を見上げてきた


「なに…それ?じゃあ、みっちゃんも友達居ないの?」

「…居るよ」

「何だ、じゃぁ…」

「お前」


落胆を含んだ声が言い終る前に、俺は指先をリョー君の目の前に突き立てた


「え、」

「一緒にネコみたいな犬を捜せっていったのはお前だろ?友達にしてくれたんじゃなかったのか?」

「っ!お、俺ん家ヤクザだぞ?」

「知ってるよ。だからなに?」


そう言ったら、リョ−君の顔に満面の笑みが浮かんだ
どこか…祐介の笑みに似たその笑顔に、無意識に指先が首元に伸びてシャツの上から硬質な石の存在を確めてしまう

その不自然な動きに、リョー君とやっこちゃんまでもがジ…ッとそこに視線を注いできた


「みっちゃん、それ、なに?」


リョー君に問われて、俺はシャツの中からアクアマリンを掲げて見せた


「ネックレス?」

「俺にとっては、首輪…かな」

「首輪!?」

「うん、そう…飼い主にしたい人がくれた、首輪」

「飼い主?みっちゃん、人間だろ?」

「人間も動物だよ?リョー君」

「そりゃそうだけど…じゃ、その飼い主にしたい人… って?」

「今は…遠い所に居る。でも、いつか、ちゃんと追いついて、もう一度名前を呼んで欲しい人…かな」

「…大事な人?」

「凄く」


そう言って、掲げ上げていた石をゆっくりと胸元にしまいこんだ
一瞬冷えたその石が、すぐに体温を吸って新たに柔かな香りを醸し出す

ふわり…と吹いた風がその香りをリョー君の元にも運んだようで、クンッと鼻を鳴らしたリョー君の表情が、『あれ?』と言う顔つきに変わった


「…みっちゃん、この匂い…」


言いかけたリョー君の背後から、どう見ても風体の良くない男が2人、こっちに向かって歩いてきているのが見えた

俺はとっさにリョー君とやっこちゃんの腕を掴んで無理やり立ち上がらせ、反対方向に向かって歩き出そう…としたのだが、


「まあ、そう急ぐなよ…」
「っ!」


もう既に反対側からも男が一人、歩み寄ってきていた




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