野良猫








ACT 31(光紀)







祐介が目覚めた日、夕方、家に帰らなければならない時間まで、俺は祐介が望んだとおりそれまでにあった事と言いたかったことを聞かせ続けた。

一条さんにたくさん助けてもらったこと。
父と母との関係の変化のこと。
祐介の事を心配し続けていたこと。

そして。

あんな目にあったのは、俺のせいでもあるけれど、半分は祐介にも責任がある…という事も。

姑息だと言われても、卑怯だと言われても否定する気なんてない。
責める事で祐介の中に、俺との事を忘れられない傷として刻んでおきたかった。
一生忘れない、忘れる事なんて許さない、祐介との繋がりを。

それから、あと2日ほどは一条さんの寺に養生も兼ねて居るという祐介の世話を、ちょうど週末だった事もあって買って出た。

その2日間が終われば、俺は学校に、祐介は会社に。
別々の世界に戻らなければならない。
一条さんもそれが分かっていたからだろう…その希望はすんなり叶えられた。

ただし、ここにいる間はスキンシップ過多は厳禁!という、厳命のもとで。
あの時、悪乗りしてやっこちゃんをけしかけた事を心底後悔したけれど、今更だ。

それでも看病という名目の元、祐介をベタベタに甘やかしながら、リョー君ややっこちゃんと共に過ごせる時間はとても居心地が良くて、至福の時間だった。

けれど、それもたったの2日。
あと数時間で別々の世界に戻らなくてはならない…そんな時だった。


「それ、なんですか?」


憮然とした表情の祐介とどこか楽しげな顔つきの一条さんが、間に置かれた一枚の紙を前にして睨み合っていた。


「デザイン画だ」


短く一言で一条さんに返され、その紙を覗き込んでみると、それは上下反転して絡み合う様に描かれた二羽の鳥の図…だった。


「へ…ぇ、キレイですね。誰が描いたんですか?」


そう聞くと、物凄く不機嫌そうな声音で祐介が答えを返してきた。


「一条だ。こいつ、見かけによらず手先だけは器用だからな」

「”だけ”ってなんだ?”だけ”って?ああ?お前はホントに一言余計なんだよ」

「一条さんが!?凄い…!でも、これがどうかしたんですか?」


確かにそれはスキンヘッドで見た目が仁王像…という一条さんが描いたとはとても思えない、繊細で緻密なデザインだった。
でも、なんだってその紙を間に挟んで睨み合わなければならないのか?今ひとつその理由が把握できない。


「…こいつの趣味は、刺青彫りなんだ」

「真柴、男の約束だろう。大人しく彫らせろ」

「…え!?」


思わず、絶句した。
刺青って、あの、背中とかにある、あれ!?


「…いつ約束した?」

「言っただろ、お前が怪我してここに運び込まれたら、思う存分背中に墨入れてやるからそう思え!って。」

「…一条、さてはお前、それを彫リたいがために、俺をここへ移動させてたな?」

「ふふん、どうとでも」

「…っ、あの!」


思わず二人の会話に割って入っていた。


「俺も」

「…は?」

「…え?」


一条さんと祐介が怪訝な表情で俺を振り返る。


「俺も、彫ってください。祐介さんと同じもの…!」

「な…!?」

「光紀!?」


俺は、そんなにおかしなことを言っただろうか?
驚く…というより驚愕の顔つきになった一条さんと祐介が、俺の顔を『冗談だろう?』と言わんばかりに見つめ返してくる。


「…おい、美少年、墨入れるってのがどういうことか分かって言ってるか?入れたら最後、一生消せない代物だぞ?」

「知ってます」


夜遊びしてる時に知り合った、腕や肩に刺青している連中から聞いたことがある。
入れたら最後、レーザー治療とかである程度は消せても、元通りにはならない。
痕が必ず残る。
だから入れるんなら、それ覚悟で腕の良い奴に入れてもらえよ…と。


「光紀、お前、自分の家がどういう家か忘れたわけじゃないだろう?そんなもの誰かに見られたら、遊びで入れました…じゃすまされない」

「俺、遊びとか、そんな軽い気持ちで入れて欲しいわけじゃありません。それに、誰かに見られるようなドジも踏みませんから…!」

「ダメだ」


その一言で終わらせようとする祐介に、俺は正座し直して姿勢を正すと、深々と頭を垂れた。


「お願いします。祐介さんと離れてても繋がってるんだって言う、何かが欲しいんです。一生消えない、誰にも奪えないようなもの…!」

「…っ!俺がそんなに信用できないのか!?」

「違…っそうじゃなく…!」


望みもしない言い争いになりかけた時、一条さんが俺の腕を引き上げるようにして、不意に立ち上がった。


「真柴、お前はちょっと待ってろ。こいつは俺が説得してくるから」


そう言って、俺の腕を掴んだまま診療所のあるほうへ、有無を言わさず引っ張っていった。


「い、一条さん…!」

「なんだよ、うるせぇな。あのまま言い合いしたって、あのバカがそんなこと許すわけねぇだろ」

「っ、でも…!」


バンッ!と診療所のドアを開け放ち、俺の身体をベッドの上へ放り投げた一条さんが、命令口調で言い放った。


「服、脱いでみろ」

「え?!」

「いいから、脱げ!」

「一条さん!?」


警戒した様な態度を取ると、一条さんのコメカミに薄っすらと青筋が浮かぶのが見て取れた。


「臭い芝居する気なら、付き合ってやらねぇでもないが?」

「…すみません」


怒りを滲ませたその声音に、俺はため息をついて素直に謝った。
その態度を見ていれば、一条さんにバレバレなのは明白だ。


「…背中、見せてみろ」

「…はい」


少し憂鬱な気分になりながらも、俺は一条さんに背中を向け、ゆっくりと着ていたシャツのボタンを外し肩から落とした。


「…っ!おかしいとは思ってたんだ。いくら真柴が病み上がり状態とはいえ、こっちに泊まる事だって出来たんだからな」

「…正直言うと、怖いです。これを祐介さんに見られるのは…」


一瞬息を呑んだ一条さんの雰囲気から、やっぱり他人が見ても気持ちのいいもんじゃないよな…と納得する。

俺の背中には、塚田達に鞭打たれた時の傷が色素沈着して消えずに残っていた。
傷痕が化膿した部分などは、ケロイド状の皮膚の引き攣れを伴って…。

一条さんにスキンシップ過多厳禁!と言い渡されて、心の底では少しホッとしていた。
祐介とセックスしたい…という願望はあっても、やはり、身体に直にあの時の記憶が刻み込まれていては、以前のように自分から求めることなんて出来そうにもなかった。

それに、第一、こんな醜い身体を祐介が抱く気になるのか…拒絶される可能性だってある。
それを考えると、辛かった。

だから、刺青の話を聞いた時、ここぞとばかりに飛びついた。

刺青だったら、傷痕を誤魔化すことが出来る。
それに何より、祐介と同じ物を身体に刻む事が出来る。
死んで、身体が焼かれて灰になるまで、消える事がない繋がり。
これ以上の理想があるだろうか?


「…傷痕を整形手術で消すのは嫌…ってか?」


嘆息したように言った一条さんの言葉に、苦笑が洩れた。
この人、やっぱり俺の性格をキッチリ把握してる。


「散々親と医者に勧められましたけど…表面の傷を消して、あれは無かった事でした…なんて、そんなこと有り得ないでしょう?」

「…負けるみたいで嫌…か」

「というより、戒めですかね…バカで世間知らずだった自分への」


自分がやってしまった事は消せはしない。
全て自分に、周囲に跳ね返ってくる。

分かっていても、人間は忘れる動物だから。
だから、これは消すわけにはいかない。

『お前らしいよ』という一条さんの言葉を聞きながら、晒した背中を再びシャツで覆い隠していると、


「…もうじき夏休みだったな?予定は?」


盛大な溜め息と共に、そんな言葉が降って来た。


「え?いえ…特には。予備校の夏期講習くらいで…」

「そうか…じゃあ、空いてる日と夕方は都合がつくな?」

「は…い?」

「刺青は一気に入れると身体に負担が大きい。ましてや背中となれば広範囲だ。風呂もシャワー程度になるし、痛みも有る。少しずつ体調見ながら入れていくのがベストなんだ」

「え、じゃあ…!?」

「とりあえず、真柴には内緒にしとくか。あのバカ、妙に頑固なとこあるからな」

「ありがとうございます!」


嬉々として礼を言ったら、一条さんの口元が不敵にニヤリ…と上がった。


「…いいねぇ。その肌ならいい色に染まりそうだ。傷痕を逆に活かせる図案に変えて…腕がなるな、ゾクゾクする。俺の最高傑作に仕上げてやるから期待しときな」

「っ!」


獲物を見つけた猟犬のように活き活きと輝く一条さんの双眸に…思わず、選択を誤ったか?と、背筋に冷たい汗が伝っていた。






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