ターンオーバー











ACT 1








低く垂れ込めていた雲から、ついにアスファルトの上に黒いしみが降って来た

信号待ちをしていた交差点の人だかりがざわめき、空の機嫌を窺うように一斉に顔を空へと向ける

乾いたアスファルトの上に広がる黒いシミが、やがてその全てを侵食する
まるで打ち水をしたかのような・・・どこか懐かしい匂い


「・・・・雨か、ついてるような、ついてないような・・・」


たまたま付いていた雨避けのルーフ
そのオープンテラスの一画でテーブルに片肘を立て、ほお杖をつきつつ呟いた高城 海斗(たかじょうかいと)が、雨足の強くなった交差点を見つめている

その視線の先

降り出した雨と供に変わった信号に、スクランブル交差点を小走りの人波が雨を避けようと一斉に交錯する

その人波の中に、一人

信号待ちで停まっていた時から、空の機嫌を窺うこともなく
降り出した雨を気にする風でもなく

交錯する人波を、真っ直ぐに歩いてくる男がいた

武道か何かをたしなんでいる事を窺わせる、姿勢の良さ
服の上からでも分かる、しなやかそうな無駄のない体つき

後手に無造作に流した、少し長めの漆黒の髪
額から頬にまばらに落ちかかる髪が、シャープな顔の輪郭をより一層際立てせている
黒い薄手のコートのポケットに片手を突っ込み、もう片方の手で邪魔臭そうに雨で額に張り付いた前髪をかき上げた


精悍な、雄の魅力


男の容貌を一言で言い表わすとしたら、その言葉が一番相応しい

髪をかき上げて露わになったその瞳は、髪の色とは対照的に灰色で・・・意志の強さをうかがわせるキリリと釣り上がった太目の眉と相まって、獲物を狩る猟犬を連想させた

その瞳が一瞬僅かに見開かれ、次の瞬間フ・・ッと細められる

雨足の強まった事を全く意に介せず、歩調を変えることもなく

真っ直ぐに

その男が雨避けのルーフの下、オープンテラスに座る高城の元へ歩み寄った


「・・・・よ、待たせたな、高城」

「・・・・織田(おだ)、雨が降って来たって知ってるか?」


盛大なため息を吐きながら、高城が、天候にすら我が意を通すが如き男・・・織田 樹(おだいつき)をあきれた表情で上目使いに見上げる


「傘を持ってないっていう事なら知ってるが」


濡れないためのアイテムを持っていないのだから、どうにもならないだろう・・・?
そう言いたげに、織田が肩をすくめた
降り始めから結構大粒の雨だったらしく、織田の髪はしっとりと濡れ、黒いコートの肩にも濡れたシミがはっきりと見て取れる


「そのまんまの状態で本庁に戻ってみろ・・・水も滴るいい男、織田警視に女どもが我先にとこぞってタオルを差し出してくるぞ」


呆れ顔で更に言い募った高城に、織田が隣のイスに腰掛けながら、弾力のありそうな少し厚めの口元を軽く上げる


「お前と一緒なら、その数も倍増ってとこだな」

「・・・?一緒?何で俺がお前と一緒に本庁に行かなきゃならない?」


訝しげにそう言った高城が、ほお杖をついたまま、隣で意味ありげな薄笑いを浮かべた男を見つめ返す

織田は本庁・・・つまりは警視庁の刑事で、キャリア組の中でもトップをいく出世頭だ
対して高城は、警察庁の科学捜査研究所・・・通称・科捜研の所員

本庁に行く用事など、今日の高城にはない


「・・・・何で俺がお前をわざわざ呼び出したと思ってる?」


その精悍な顔に男臭い笑みを浮べた織田が、ズイ・・ッと身を乗り出して高城の顔を覗き込む

先ほど織田が”お前と一緒ならその数は倍増だな”と言ったとおり、この高城はきわめて端整な顔立ちをしており、年齢不詳の美青年だ
実際は織田と同じ29歳なのだが、まだ学生のようにさえ見える

色白で細面、近くで見ると驚くほど長いまつ毛
絹糸のように柔らかそうな細い髪
その少し色素の薄い亜麻色の髪が、ふわふわとかすかな風になびいている


「・・・なんでって、何か依頼したい調べ物でもあったんじゃないのか?」


ほお杖を解き、眉根を寄せた高城が訝しげに問いかける
これは今までにも何度もあった事だ

本庁の織田と科捜研の高城

数年前に現場で出会って以来、織田の動物的カンとでも言うべき物で見つけだしてくる遺留物と、それを比類ない知識で分析する高城の鑑識学

この二人で組んで解決しなかったヤマはない・・・というまことしやかな噂まで囁かれるほどの名コンビで通っていた


「そうだな・・・確かに、依頼・・・ではあるかな」


フフン・・・と楽しげに笑った織田の表情
織田がこんな表情をするのは、たいてい、高城にとってありがたくない事を考えている時だ

高城もその端整で儚げな容貌に似合わず、毒舌と気の強さで知られているが、この織田はそれの更に上をいく

精悍で男気溢れる態度そのままに、わが道を行く・・・!性格
唯我独尊、独善主義・・・一匹狼な風評が付いて廻る
なのになぜか、織田には人望があり上からも下からも受けがいい

織田が若くして警視にまでなったのも、高城と供に上げた功績もあるが、なにより、その人望による所が大きい・・・と、高城は常々思っている

人を惹き付けて止まない何か・・・

生まれながらにそういう資質を持っている人種が、稀に居る
織田はその典型だ

うちの家系にはヴァイキングの血筋が流れてるんだと・・・と言っていた事を裏付ける、先祖帰りの灰色の瞳と彫りの深い顔立ち、恵まれた体格
特に、その灰色の瞳は、よく見ると青みがかっていて・・・見つめられると思わず見入ってしまうほど魅力的で・・・



・・・・・・ッたく!こいつは、人の気も知らないで・・・!



間近に顔を覗き込まれた高城が、心の中で舌打する

その引力のように惹き付けられる灰色の瞳から逃げるように、一瞬目を閉じたかと思うと、イスの背もたれにドン・・・ッと勢いよく身体を預けた


「・・・・だったら、もったいぶっていないでさっさと言え!」

「今日付けで部署変えになった」

「・・・・は?」


意外なその一言に、高城の閉じた瞳が思い切り見開かれる


「部署変え!?お前が!?どこに?!」


織田は刑事の花形、捜査第一課に属している
実績も人望も他の人間の追随を許さない

その、織田が?

目を丸くして本当に驚いた顔つきになった高城に、織田がフ・・・ッと悪ガキのような笑みを浮べる
それがまた、心憎いほどに織田には似合っていた


「警察庁刑事局・国際刑事課・・・だ」

「こくさい・・・・けいじ・・・か・・・?」


織田が言い放った言葉を、高城が理解出来ずに呟き返す


「簡単に分かりやすく言えば、ICPOへの出向だ」

「ICPO!?出向!?」


ようやく言葉の意味を理解した高城の声が跳ね上がる
幸いにも振り出した雨のせいで、周囲のテーブルには他の客は居ない
振りしきる雨の雨音と湿気た空気が、高城のその声の震えを目立たないものにした

唖然・・・とした顔つきになった高城に、更にイタズラを仕掛ける悪ガキのごとく織田の肉厚で男らしい口元がニヤリ・・・と上がる


「そういうわけだから、明後日には本部のあるリヨンに出発だ。よろしくな」

「っ、ちょ・・・待て!織田!なんでお前が・・・!?」


高城が焦ったように言い募る



実を言えば

ICPOとの科学捜査全般における共同研究と開発
及び、ICPO独自の次世代通信網の導入

その任を帯びた高城の方が、先に科捜研から出向する事が決まっていた

行ったら最後、いつ日本へ帰ってこられるか分からない・・・
そんな期限すら切られていない、まず、出向を希望する者など居ない役目

それを高城は自ら望んで立候補したのだ

この、

目の前に居る男から離れるために・・・!





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