目覚まし時計

 

・・・・カチャン

・・・・チチチ・・ボッ

・・・・ジュウ・・ッ

・・・・コポコポコポ・・

 

微かに聞こえてくる、懐かしい音。

ずっと昔・・・こんな音を目覚まし時計代わりに目を覚ました記憶がある。

フワ・・ッと漂う香ばしいバターのこげる匂い。

鼻腔をくすぐるコーヒーのいい香り。

 

(・・ああ、なんや・・昔に返ったみたいやな・・・)

 

フ・・・ッと、ガキの頃の事を思い返して・・・満たされた気持ちになった。

久しく忘れていた感情。

もう二度とそんな風な気持ちになる事なんてないだろう・・そう、思い込んでいたのに。

何だかそのまま目を開けるのが惜しくて・・。

ずっと、満たされた気持ちのままで・・・夢なら・・覚めないで欲しい・・・

そう、思っていたら・・・

ザァ・・ッというカーテンが勢いよく引かれる音と共に、閉じたままの瞳の奥にまで差し込む眩しい・・光。

『・・・おい、起きろよ!智久!朝飯作ってやったぞ・・・?』

頭上から落とされたその言葉とその声に、夢じゃないと確信できて・・・更に満たされた気持ちになる。

こいつの・・孝明の声はいつもは少し生意気で、精一杯強がっていて・・それが逆に愛おしかったりする。

だけど・・・

その、ほんの少し弱腰な・・・気まずそうな声音に、昨夜の事を思い出して少しムッとした。

だから、その聞こえていた声を無視して寝たふりを決め込むことにする。

『智久・・・?おい・・狸じゃないのか?!絶対そうだ!せっかく作った飯が冷めるだろ・・!?』

普段はオオボケかましまくりの孝明は、妙な所で勘がいい。

そういう勘は、もっと違う所で発揮せんかい・・!と言ってやりたくなったけど、遠慮がちに肩を揺らす孝明の手の温もりに思わず笑いが込み上げて来た。

いつもなら、もっと乱暴に手加減なしに起こしにかかるくせに・・・よっぽど昨夜の事を気にしているんだろう事が伺えて、堪え切れずに笑いが漏れた。

『あ・・!やっぱ狸じゃねーか!なに笑って・・・って、うわっ!?』

薄目を開けた先にあった孝明のムッとした顔にのしかかるように、寝ていたソファーの上から身を乗り出して下にあったムートンラグの上に孝明もろとも転がり落ちた。

『・・・痛っ!こ・・の!何しやがる・・?!』

そんなに痛くもなかっただろうに・・孝明が非難めいた口調で俺の体を押しのけようとするから、俺は全体重を躊躇なく孝明の体の上に預けたまま微動だにしなかった。

『ちょ・・っ!智久!重いって!・・・どけ・・よ・・・!』

しばらくジタバタと俺の下でもがいていた孝明が、あきらめたように「はぁ・・・」というため息と共に脱力した。

昨夜、風呂にも入らずに寝込んでいたはずなのに・・・顔を埋めた首筋からはボディシャンプーの良い香りと、鼻先にかかる少し湿ったままの髪からもシャンプーの良い香りが立ち上っている。

朝っぱらからこんな良い匂いをかがされては・・・欲情するなという方が非常識・・・だと思うのだが・・・。

それでも何とか自制して・・・黙りこくったままでいたら・・・

『・・・あの・・さ、俺・・なんでベッドで寝てて、お前が・・ソファーで寝てたの・・?』

急にトーンダウンした孝明の声が、まるで叱られる寸前の子供のように俺の様子を伺っている。

いつもは絶対にこんな風に弱気な所など見せないくせに・・・俺がかたくなに不機嫌そうな態度を貫くと、本当に不安そうな表情と声音に変わる。

その時のその表情は、本当に可愛らしくて・・誰にも見せたくなくて、つい、抱き寄せてしまう。

すると・・・きっとこいつは自覚してないんだろうけど、本当に安心しきった表情になって・・泣きそうになった潤んだ目で俺を見上げてくる。

それがどんなに艶っぽくて、そそられる物なのか・・・こいつは全く気づいていない。

そういう意味で、孝明はあきれるほどオオボケで天然ものなのだ。

『・・・目ぇ、覚めへんなぁ・・・・』

顔を埋めたまま、その耳元に囁きかける。

『・・っ!覚めてるじゃねーか!ちゃんと・・・答えろよ・・・』

一瞬、強気になった声が、再び弱気な・・懇願するような色を帯びる。

『目ぇ覚ますお約束・・・あるやろ・・・?』

言ったついでに柔らかい耳たぶを甘噛みした。

途端にカッと孝明の体温が上がって、その体に震えが走る。

『ば・・っ!知るかよ・・!んなもん・・・っ!!』

怒ったような声でそう言って、覆いかぶさっていた俺の体を無理やり横に押しやった。

ゴロ・・と横向きになったまま俺は再び石のように固まったままでいた。

『・・・お・・まえ!ほんとに・・・ずるい・・・!』

しばらくの間、痛いほどの孝明の視線を感じていたけれど・・・とうとう観念したかのように、孝明が不機嫌そうにそう言った。

ふわ・・と、孝明の手が俺の寝乱れたままの髪を掻き揚げて・・その顔が俺の顔に近づいてくるのが気配で知れる。

ソッ・・とまるで壊れ物にでも触れるかのような、不器用なキス。

それでも、震えるその唇が・・この上なく愛おしい。

触れ合った唇が離れようとした瞬間、パッと見開いた目の前に、孝明の真っ赤になった怒ったような顔と今にも泣き出しそうな潤んだ瞳。

それを間近に見せられて・・それ以上の自制心はあいにくと持ち合わせていない。

『そんなんじゃ、半分ほども覚めへんぞ・・・?』

離れていこうとした孝明の後頭部に手を廻し、そのまま・・今度こそ本格的に組み敷いた。

組み敷かれた拍子に開いた歯列を割って入り込み、逃げ回る舌を絡み取って・・深く、探る。

『・・ん・・っ!んん・・・!』

一瞬突っ張ろうとした孝明の腕から、徐々に力が抜ける。

息継ぎの間すら与えずに・・・思うさま蹂躙し尽くしてから、ようやく唇を解放した。

『・・・っは・・あ・・っ!こ・・の・・!俺を・・窒息させる・・気か・・!?』

大きく肩で息をつき、恨めしそうな口調で言う孝明の目は、これ以上ないほど色っぽく潤んでいて・・・それでいて自覚が無いのだから性質が悪い。

『お前が悪いんやで・・?俺が帰ってくるの待っとく・・言うてたくせに・・ここで寝とったやろ!?』

恨めしそうにそう言うと・・・孝明は『う・・・!』と、言葉に詰まって、ただ俺を見上げてくる。

その・・とまどって、どうしたらいい・・?という表情が・・・!

守ってやりたい・・!という庇護欲と、めちゃくちゃにしてやりたい・・!という欲情を掻き立てる。

孝明は、ちょっと前から新人育成の担当になり・・・そいつにかかりきりで、俺の家にも寄り付かず毎日遅くまでそいつのためにノートをまとめたり、俺に教え方のアドヴァイスを電話で聞いてきたりしていた。

ただでさえ会えなくて不機嫌なのに・・・孝明からかかってくる電話はその新人の事ばかり。

挙句の果てが、昨夜の出来事。

一緒に住もう・・!と言っているのに、家が仕事場から遠いだの、会社にばれたらどうするんだ!だの・・・いろいろと理屈をこねて泊まりに来るのは合わせて取っている休みの前日からだけ。

不満タラタラの俺に、孝明は俺が帰るまで待ってるから・・と、約束していたのだ。

それなのに・・・!

いざ帰ってみたら、孝明はソファーの上に育成用のノートやらそいつ関連の資料を広げたまま・・・疲れきった顔つきで眠っていたのだ・・!

その疲れた色を滲ませて・・・でも、幸せそうに無邪気な顔で眠る孝明を起こすのはあまりに忍びなくて・・・。

無茶な姿勢で眠っている孝明の体を起こさないようにソッと抱き上げて、ベッドに運んでやったのだ。

その寝顔を間近に見ながら同じベッドで眠るなど・・・俺にとっては拷問に等しくて・・・。

だから仕方なく、俺はソファーで眠る事にした。

広げてあった本やノートを乱暴にひとまとめにして、部屋の片隅の・・・目に入らない所に押し込んで。

『・・ご・・めん・・。起きてるつもりだったんだけど・・知らない間に寝ちゃってたみたいで・・・でも、何で俺だけベッドに寝かせてお前はソファーで寝てるんだよ?一緒に寝ればいいだろうに・・・!』

人の気などまるで知らない孝明が、そんな事を言って俺の中のめちゃくちゃにしてやりたい方の欲望を掻き立てる。

『お前な・・・!寝言でまでその新人の名前呼んだんやぞ・・!!そんな奴と一緒に寝て、俺がただで済ますはずないやろ・・!!それとも・・そっちの方がお望みやったか・・?』

『・・え・・!?俺・・そんな寝ごと言った・・の?でも・・そんなの、そういう意味で言ったわけじゃないんだし・・・っ!?』

俺の目の中にその欲望の色を見て取ったのだろう孝明が、息を呑んで俺を見上げ・・・慌てたように腕を突っ張って俺の下から逃げ出そうともがく。

俺は、そんな孝明の両腕をやすやすとひとまとめにして押さえつけ、キスの間にすっかりボタンを外しておいたシャツをはだけてその突起をなぶった。

『・・っふ・・あ・・!』

ビクンと小さく跳ねた体から力がが抜けて・・代わりに舌先で転がしていた突起の先端が固く立ち上がって熱を帯びる。

『・・やっ・・!こ・・んなとこで・・っ・・すん・・なっ・・!』

明るい朝日の光がサンサンと降り注ぐリビングの床の上で・・コーヒーの香ばしい香りが漂う、この上なく平穏な日常の雰囲気の部屋の中で見る・・既にしっとりと濡れた孝明の瞳は、そんな言葉で止められるほど柔な代物ではない。

『・・も、無理・・。悪いのは、お前・・・やし・・・!』

『そ・・んなこと・・やっ!ちょ・・・待て・・・って・・・!』

言っている間に素早く足の指を使ってジーパンと下着をずり降ろし、もう既に立ち上がりかけていた物を性急に、明確に意図を持って追い上げる。

『やっ・・ば・・かっ!・・・ぁぁああああっ!!』

急激な追い上げと一気に引き出された強すぎる快感に、孝明の表情に苦痛が浮かぶ。

けれど、苦痛を伴いながらも達したその表情は・・・一種恍惚とした感情を映し出していて、より一層艶めかしくてそそられる表情だ。

その、放たれた精でゆっくりと後ろの入り口に指を滑り込ませる。

性急に果てさせられて、弛緩していた綺麗な背中が、ビクンと強張る。

『・・んんっ・・つぅっ・・!』

『・・わるい・・マジでもちそうに・・ない・・・!』

自分でも驚くくらい切羽詰った懇願する声音が流れ出た。

考えてみれば・・昨夜から一晩中、例え孝明に全然その気がないと分かってはいても・・嫉妬で荒れ狂う感情を持て余し、その上同じ家の中に入るのに別々に寝ている苛立ちに・・耐えかねていたのだ。

やりたい盛りの高校生並に精神レベルが落ち込んでいると言って過言じゃない。

一瞬、罪悪感が駆け抜けた俺の心中を見透かしたかのように・・・孝明が俺の首に手を廻し、抱きついてきた。

『・・いい・・よ。悪いのは・・俺の方だし・・。明るい所で見る智久の顔・・・もの凄く・・色っぽい・・ぞ・・?』

真っ赤になりながら、徐々に増やされる指の感触に耐えながら・・・必死に抑制をかけている俺のタガを一気に外しかねない表情で囁いてくる。

『あ・・ほ・・っ!そんな顔して・・そんな事・・言うな・・ッ』

今まで求めても、求めても足らなくて・・・乾ききっていた心の中が、ゆっくりと・・・何かで満たされていく。

本当は明るい部屋でこんな風に一方的に抱かれる事など、孝明にとってみれば悶死したいくらい恥ずかしい事なはずなのだ。

それを・・・性急な俺を責めもせず、受け入れてくれている孝明の優しさに・・・涙が出そうになった。

渦巻く欲情を必死に押さえ、ゆっくりと孝明の中に入り込む。

久しぶりでかなり辛いはずのその行為を、孝明が必死に受け入れようとしてくれているのが伝わってくる。

その苦痛を耐えて肩に食い込む爪の痛みさえ、愛おしく感じてしまって・・・

どうしようもなくて・・・唇ごと食い尽くすかのような深いキスを何度も交し合う。

ようやく慣れたらしき体を自分の方から押し付けて・・・

『・・・も・・へいき・・めちゃくちゃにして・・いい・・から・・・!』

囁き落とされたその言葉に、俺だけが悶々と孝明を求めていたわけじゃなく、孝明もちゃんと俺を求めていた事を思い知らされて、抑制のタガが一気に外れた。

お互いに目の前が真っ白になるほどの激しい情交の後、今まで感じた事のない充足感と満ち足りた思いに包まれて、ソファーに体を預けて孝明の体を抱きしめていた。

その俺の背中にゆっくりと回された孝明の腕が・・・包まれているのは俺の方だ・・・と実感させられる。

言葉に出来ないほどの愛しさと幸せな気分に包まれて・・・孝明の髪をすいていたら、孝明が思い出したようにこう言った。

『・・・あ・・っ!朝ご飯、せっかく作ったのに!智久のせいで冷めちゃったじゃないか・・!』

『ん・・・?ええやん。冷めてても食えるやろ・・?それより・・・』

俺はゆっくりと抱いていた腕をほどいて孝明の顔を正面に捉えた。

『・・・これからお前が俺の目覚ましな?ちゃんと目ぇ覚めるようなキス・・せな起きへんで・・・?』

『・・ハァ!?なに勝手なこと・・!?』

目を丸くして抗議してきた孝明のほほを両手で包んでジッと見つめ返す。

それだけで・・・見る見るうちに孝明の顔が真っ赤に変わって、熱を帯び、慌てて視線をそらそうとする。

『・・・いや・・か?俺は・・孝明の顔を見るために目を開けたいんや・・・』

ありったけの思いを込めて、孝明の視線を無理やり合わす。

『・・っ!?な・・に、恥ずかしいことを臆面もなく・・・!』

これ以上ない・・というほど真っ赤になった孝明の目から視線をそらさずに、真っ直ぐに見つめて答えを求める。

『・・・わ・・わかった・・・よ。お、起こせばいいんだろ?!起こせば・・・!!』

半ばやけくそのように言い放った孝明が、嬉しくて笑った俺の顔をグイッと引き寄せた。

『言っとくけどな・・!俺だって、お前の顔を見るために目を覚ましたいんだからな・・!』

早口にそう言って、そっぽを向こうとしたその顔を俺は逃がさないとばかりに引き寄せた。

『・・・ッムウ・・・んっ・・・!』

一気に深く唇を合わせたまま、再び床の上に押し倒す。

『・・ん・・んんっ・・!ムゥゥ・・・!!』

さっきやり尽くしたはずの体に再び火がともっていく感触を感じながら、唇を解放し、その目を覗き込む。

俺と同じく種火がついたような潤んだ瞳が俺を見上げてきて・・・

『・・・俺、目覚まし時計の選択、早まった・・かな・・?』

小さなため息と共にそんな呟きを落としつつも、その目が笑いをたたえて俺を捉える。

『あほぅ・・・!』

目を細めた俺の首筋に・・・伸びやかな腕が伸びてくる。

これ以上ないほど満たされた気分で起こしてくれる、この世でたった一つの・・・

俺だけの目覚まし時計。

 

終わり

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