「七夜の星に手を伸ばせ」番外編
微・熱・少・年
「健一郎!」
じいちゃんの呼び声に振り向いた時
そこに居た、とんでもなく目立つ4人の容貌に、目が点になった
「・・・っへ?」
この時俺はまだ幼稚園児で、その年の頃何をしていたかなんて・・・はっきりいってよく覚えていやしない
だけど
この、浅倉4兄弟に初めて会った日の事だけは、今でも鮮明に覚えている
当時まだ小学生だった七星さんを筆頭に、麗さん、流さん、そして・・・昴
4人が並んで、一斉に俺に視線を注いできた
漆黒の髪に漆黒の双眸の七星さんは、すっきりと通った目鼻立ちに涼しい口元・・なのにどこか寂しげで憂いを含んだ雰囲気を併せ持っていて、幼稚園児の俺でさえ、ドキリとその独特の色気に心臓が跳ねた記憶がある
その隣に立っていた、目の覚めるような金髪、宝石のような青い瞳に透けるような白い肌・・の麗さんは、まるで天使のように尋常ではない美貌を誇っていて、まともに見つめる事さえ許されないような気にさせられた
そしてその2人とは対を為すかのような、よく日に焼けた小麦色の肌に赤みがかった茶色の髪と赤茶色の双眸の流さんも、野性的で目鼻立ちクッキリの端整な容貌、少し目つきが鋭かったけれど明るくて陽気な雰囲気を滲ませていた
それから
その3人の影に隠れるように、七星さんの手をしっかりと握り締めて俺をジ・・ッと凝視していた・・・昴
3人に比べて凄く小さくて、幼い感じの・・・超が付くほど可愛らしい、女の子・・!
そう、初めて見た時、何の疑いもなく・・俺は昴を女の子だと思い込んでいた
つぶらで吸い込まれそうなほどに大きな黒い瞳、柔らかそうで濡れ羽のような光沢を放つ髪、桜色にほんのり色づいた小さな形の良い唇・・・
はっきりって、俺の理想が服着て立ってる!と言っても過言じゃないほど、昴は俺好みの容貌をしていたのだ
おまけに声まで俺なんかより数段高い、いわゆるボーイソプラノの域
この道場に通うことになったといって、胴着に着替えるために更衣室に案内してみて初めて、昴が女の子じゃない・・!という事に気が付き、しばし茫然となった
「・・・・え?女の子じゃ・・なかったの?」
思わず昴の着替えている後姿を凝視しながら呟いた途端
「・・・悪かったね!」
もの凄く不機嫌そうな声音でそう言って、昴が俺を睨み返してきた
はっきり言って、男だと分かっても、その睨んだ表情さえ可愛い・・!とか思ってしまっていたわけで
今思えば、いわゆるそれが、俺にとっての初めての一目ぼれで、初恋!だったと言っていい
ムッとした顔つきのまま、さっさと一人で道場へ向かって行く昴に、慌てて「ちょ・・まてよ!」と、追いかけようとしたら
「あーあ、お前、いきなり地雷踏むんだもん。へそ曲げちゃったよ」
と、流さんが言った
「え!?地雷・・?」
「あいつ、あの容貌だろ?幼稚園でも一時期、女顔っていじめられてたからさー、さっきの言葉は昴にとって地雷なわけ」
「・・・うそ・・そうなの?」
「ほんとだよ。ここに通うってなった時、これで女の子だとか言わせなくしてやる・・!って、一番喜んでたの昴だしね」
金髪碧眼の麗さんがいきなり話しに加わってきて、俺はちょっとビックリした
だって、この人ほんとに綺麗でそんな気軽に喋れそうにないな・・・って思ってたから
「そういうわけだから、昴の相手、よろしくな。昴と同じ年だから、健一郎君が相手をすることになる・・ってさっき林先生が言ってたから」
そう言って、七星さんにも声をかけられて、もう一度心臓が跳ねた
この人・・・
なんなんだろう・・このドキドキするような感覚は・・・
確かに、麗さんの綺麗さとか流さんの野性的な容貌とかも、違う世界の人みたいでドキドキするんだけど、この七星さんの持ってる雰囲気は独特で・・・
歳に似合わない落ち着いた大人びた雰囲気のせいなのか、妙に心騒ぐ艶っぽさがあった
「あ・・・はい!こちらこそよろしくお願いします!」
俺はそんな3人の眼差しに曝されて・・・居たたまれなくなって逃げるように昴の後を追っていった
「お・・おい!一人でさっさと行くなよ!お前の相手は俺なんだからな!」
道場の隅っこで壁にもたれて大人の人達の練習を見ていた昴に、そう言って詰め寄ると、
「・・・お前・・・強い?」
上目遣いにいきなり、そう、聞いてきた
俺は幼稚園の中でも一番背が高かったから、多分、身長差は10センチくらいある
マジマジと見下ろした、そのムッとした顔も、やっぱり・・・俺好みだった
「んー・・・強いかどうかは分かんないけど、じいちゃんの話によると赤ちゃんの時から俺、道場に入り浸っていたらしいから・・・まぁ、それなりには・・・」
「・・・じゃ、今までお前の相手してたのって、誰?」
「え?あー・・・・あっ!あの人!今日から七星さんたちの相手をする小学6年生!小柄だけど、すげー強いんだぜ!」
道場内の片隅で、大人に混じって子供の集団が練習していて、その中でもその人は他の人より頭ひとつ分くらい小さかった
「・・・ちっちゃくても強くなれるって、ほんとなんだな?」
「・・・え?」
俺は思わず振り返って、昴を見据えた
何だって、そんなに強いって事にこだわるんだ?
だいたい、今来たばっかで強いも何もないだろうに!
「・・・そこで突っ立ってても、強くはならねーと思うけど?」
「・・・っ」
一瞬で、昴の顔が真っ赤になった
・・・う、
・・・うわっ!
こいつ、やっぱ、超可愛い!超俺好み!!
嬉しくて、顔がにやけそうになるのを必死で抑えるのに苦労した
これから毎日昴の相手が出来るかと思うと、もうそれだけで、毎日の練習が楽しくて仕方なくなったんだっけ・・・
それから
毎日、昴はじいちゃんがビックリするくらい熱心に練習に励んだ
もともと運動神経は抜群だっただけに、呑み込みは早くて
あっという間に、俺と互角にやりあえるくらいに上達した
それからすぐに俺達は小学校に上がった
学校は違ったけれど、道場で毎日顔を合わせていたから
俺と昴は幼なじみで、自然と一番仲が良い、親友同士・・・になっていった
昴と一緒に通っていた七星さん達は、中学校に上がると同時に、部活とか、勉強とかで滅多に道場にも来なくなって、そのうちに昴一人で通ってくるようになった
それから・・・だ
俺が、昴を違う意味で意識するようになったのは
七星さん達が居た頃は、2人きり・・・になることもなくて
常に他の誰かが、ワンクッション置く感じで存在してた
その「他の誰か」の存在が、俺が昴を意識する事へのストッパーになっていたってことに気が付くのに、そう大した時間はかからなかった
俺がじいちゃんの手伝いで、一人で道場の後片付けや掃除をしてるって知ってた昴は、七星さん達が通ってこなくなると、俺の手伝いを一緒にしてくれるようになった
「一緒に帰る人も居ないし、どーせ、麗も流も部活で遅いしさ。手伝うよ」
そう、初めて言われた時は単純に昴と一緒に居られる時間が増える・・!って、そう思って嬉しかった
「マジ!?じゃ、雑巾がけよろしく!」
そう言って、嬉々として雑巾を手渡したら
「ただ掃除するんじゃつまんないだろ?競争しようぜ!競争!!」
意気込んで、そう言ってきた
「・・・また!?お前、競争するの好きだよなぁ・・・」
昴は何かにつけて競争・・っていうか、勝負を挑んでくる
稽古で組む時も、今日は○勝○敗・・・といった感じで、毎日勝ち負けにこだわっていた
結果は、今の所俺の方が優勢
昴は本当に毎日熱心に稽古して、今では相手を出来るのが俺とじいちゃんと、じいちゃんの一番弟子の若先生クラスの数人の大人の人達くらい
とっくに段位も取っていて、後は年齢さえ上がれば、すぐにでも免許皆伝しそうな勢いだった
かくいう俺も、ハイハイしていた頃から道場で転がっていたっていう奴だから、昴に負けるわけにはいかない
じいちゃんの孫・・・っていう自負もある
だから俺も必死に稽古した
昴が、強い奴を求めていたから
強い奴じゃなきゃ、振り向きもしない・・・って事を一番身近で、肌で感じていたから
「じゃ!ここからあっちの壁まで雑巾がけ競争な!」
「・・・ったく!しかたねーな。付き合ってやるよ!」
「なに言ってんだ!俺が、掃除に付き合ってやってんだろ!」
「あー・・はい、そうでした。では、付き合わせていただきます!」
「あ、この!言い方変えただけで、言ってること一緒だろ!」
「へえ?なんだ、結構賢いじゃん?」
「だーーっ!この・・!」
むきになった昴がおれに技をかけてきて、俺はそれをヒョイッとかわして逆に腕を取り、押さえ込んでやった
「っいってーーー!!こら!健一郎!本気で技、きめるなよ!」
「やーだね!きめてなきゃすぐに返してくるくせに!悔しかったら抜けてみろ!」
「っのーーー!これぐらい、すぐに抜けて・・・!」
昴が本気で抜け出そうとジタバタしたので、俺は更に昴の関節をきつく締め上げた
途端に
「っ痛!!」
いつもと違う、息を詰めたような声音
俺はハッとして、慌てて技を外した
「昴!?」
「・・・・っ、だ・・いじょうぶ・・・」
そう言った昴の顔色は、真っ青だった
「なに言ってんだ!ちょ・・・見せてみろ!」
肘と手首、2箇所で決めていたから、痛めたのなら肩からの筋も・・・!
俺は迷わず昴の着ていた胴着を肩から脱がせて、触れてみた
「・・・ここは?」
肩に手を掛けて、筋に沿って指先で少し圧迫する
「・・・っん、い・・っ痛!」
ビクンッと昴の肩が震える
「あ、ごめ・・・ん・・・」
言いかけて・・・思わず言葉を失った
昴の、
露わになった肩からうなじ、その背中、その肌の綺麗さに・・・目を奪われた
手を掛けたその肩の細さに、触れる肌の滑らかさに、金色に輝く産毛に・・・
この時、初めて、気が付いた
生唾を飲む・・・とはこのことだ
他に誰も居ない、二人きり・・・という状況は、その目の前の対象から視線を外すきっかけを、跳ねてしまった心臓を押さえる術を・・・失わせた
「ちょ・・・!痛いって!健一郎!」
そう、昴が叫んでいなかったら、俺はもう少しで昴を押し倒していただろう
知らず・・・強く掴んでしまっていた昴の腕を、俺は慌てて解き放った
「ご、ごめん!すぐに湿布薬もらってくるから・・・!」
カッ・・・と火が出る勢いで赤くなった顔を隠すように、慌てて立ち上がった俺は、急いでじいちゃんを呼びに行った
走ってるから・・・というだけじゃない、この、とんでもなく早く脈打つ心臓
さっき見た、昴の、痛みで少し潤んだ瞳・・・
痛みに息を詰めた時の、吐息・・・
ビクリと震えた細い肩・・・
思い出しただけで、身体がカ・・・ッと熱くなってくる
俺は、小さい頃から他のみんなより身体がデカかった分、成長も成熟度も早かったし、そういうことを教えてくれる大人達に事欠かない道場で育ってきた
だから
この時まだ小学6年だったけど、その身体が持て余す熱の意味も、もう、しっかりと理解できていた
自分が、昴に対して、欲情してるんだって事に
「えー?ほんとにいいってば!俺一人で帰れるし!」
そう言ってしり込みする昴から鞄を取り上げ、俺はさっさと駅に向かって歩き始めた
「だめだ!じいちゃんにも送ってこいって言われてるし。七星さんたちにも謝っとかなきゃいけないし」
あの後じいちゃんに診てもらった昴のケガは、幸いにも筋をちょっと痛めただけで、2〜3日湿布していれば大丈夫だと言うことだった
でも、俺のせいで怪我をさせたことに変わりはなく、じいちゃんにこっぴどく叱られた後、昴を送って、七星さん達に謝ってこいと言い渡されたのだ
「・・・ったく!俺が無理やり抜けようと暴れたせいだって、言ってるのに・・・!」
「昴は悪くない。俺のせいだ」
そうきっぱりと言い切ったら、昴がムッとした表情でこう言った
「っ!、なんで健一郎のせいなんだよ!先に仕掛けたのは俺だろ!?」
「それでもだ。俺がケガさせたことに変わりはない」
「だーーーーっ!何かムカつく!健一郎って絶対、俺の事ガキ扱いしてるだろ!?」
「・・・んなこと、ねーよ」
「嘘つけ!なんだよ!その微妙な”間”は!?」
そう言われても・・・
実際、昴と俺との身長差は15センチ以上あったし、相変わらず顔も性格も、その辺の女の子より断然可愛かったし
相変わらず・・・俺の理想が服着て歩いてる・・・って感じだったし
ガキ・・・っていうより、手放せない、守ってやりたい、いつも側に居たい・・・そういう庇護欲に近い
もちろん、そんな事言おうもんなら、昴の逆鱗に触れる事は百も承知だから、絶対、おくびにも出さないけど
「あっ!ほら、電車来たぞ!急げ!!」
「あ、このやろ!誤魔化すなーーっ!!」
上手い具合に見えてきた電車に、何とか答えをはぐらかして乗り込んだ
昴の家のある駅まで、約30分
ちょうどラッシュの時間が過ぎ、ポカンと空く時間帯だったようで、幸いにも席はガラガラだった
昴と二人並んで腰掛けて、目線がほぼ一緒になる
その俺に向かって、無遠慮に視線で全身を眺めつくした昴が、ポツリ・・・と言った
「・・・・いいよな、健一郎は。ガタイはいいし、背は高いし・・・やっぱ、小さいってのは損だよなぁ・・・」
はあぁぁぁ・・・・と、盛大にため息を吐いた昴が、座席のシートに深々ともたれかかる
「そんなことねーよ。俺ぐらいデカくなると小学生だって言っても信じてもらえねーし、目立つのかすぐ絡まれるし、なんだかんだといろんな事押し付けられるし・・・」
「あはは・・!押し付けられるのは健一郎の性格のせいだろ?お前、面倒見いいし、よく気がつくし、おまけに頭もいいし・・・!俺なんかと正反対!」
「・・・昴、お前・・まだそんな事言ってんのか?」
「・・・ほんとのことじゃん」
そう言って、昴がうなだれる
昴の兄さん達・・・七星さん、麗さん、流さんはそのとんでもなく目立つ容姿そのままに、運動も成績もそつなくこなし、文武両道に秀でていた
そんな兄達と違い、昴は運動神経だけはずば抜けて良かったが、成績・・・となると思わしくなかった
でも、その最たる原因は、上の兄達と比較対照して昴を評価する先生や周りの人間達にあるのだ
せっかく昴が頑張って良い成績をとっても、「あの兄弟の弟なんだから、当然だ」と、大して誉められもしない
そのくせ、悪い成績を取ると「こんなので、ほんとにあの兄弟の弟?」と、あからさまに失望したような言い方と態度を取られるのだ
もともとジッと座って勉強する・・・という事が苦手な昴だけに、がんばった所で評価してもらえず、少し悪かっただけであからさまに失望した・・・という視線に曝されれば、勉強意欲も消失する・・・というもの
昴だって、やれば出来るのだ
ただ・・・少しの努力と少しの時間、そして本人のやる気
それさえ認めてやれば
「・・・なんだ、また担任になんか言われたのか?どーりで今日はテンション高かったわけだ。あんなヤローの事なんて気にするなって、いつも言ってんだろ!?」
「・・・別に、気にしてねーよ」
・・・まったく!
こいつは・・・また嘘ばっかり
思い切り傷つけられました・・・って顔つきなクセに
いつもいつも、昴はそんな自分の心に気付かない振りをする
あまりに出来すぎた兄達ゆえに、その兄達が原因で自分が傷ついてるなんて、相談する事すら出来なくて・・・
「・・・ばーか。俺にまで嘘つくなよ。俺達、親友だろ?」
「・・・あはは・・そーだな、うん・・・健一郎は俺の大事な親友だよ・・・。だから、お前も気にすんなよ?こんなの、ケガの内に入んないんだからさ」
そう言って、昴がコテン・・と俺の肩に頭を乗せてもたれかかってくる
「・・・す・・ばる?」
「・・・いつもわりーな。俺、何かあると稽古でしか発散できないから・・・お前に八つ当たりばっかして・・・」
「気にしてねーよ。その代わり、俺には嘘つくなよ?いくらでも愚痴っていいからな」
「・・・・ん、ありがと・・けんいち・・ろ・・・・」
「・・・?」
急に肩が重くなったと思ったら、昴の奴が俺にもたれてうたた寝し始めていた
思わず、マジマジと間近にその寝顔を凝視してしまう
長いまつ毛
すっきり通った鼻筋
少し・・半開きに開かれた、ふっくらと弾力のありそうな・・・桜色の唇
襟元から覗く鎖骨のラインも、腕も、指先も、男にしては本当に細くて小さくて・・・これで俺と互角にやりあえることが不思議なくらい
つい、手を伸ばして肩を抱き寄せてしまいたくなる衝動を、かろうじて押さえ込んだ
いつも昴に「親友だろ?」って言うのは、自分自身に対する牽制
そう言い聞かせていなければ、いつ、親友の域を超えてしまうか自信がなかったから
現に今だって
肩越しに伝わる昴の体温
耳元近くで聞こえる、規則正しい寝息
見下ろすすぐ側にある、その・・・ふっくらした桜色の唇から、視線を外すことが出来ないでいる
これが、電車の中でなかったら・・・
どこか別の場所で、2人きりの時だったら・・・
多分、俺は昴が寝ているのをいいことに、絶対、キスしてる
俺がそんな事を考えているなんて・・・昴が知ったら、どう思うだろう?
ただでさえ、女顔だってことだけで嫌がっているのだ
きっと・・・もう、こんな風に無防備に俺に身体を預ける事も、稽古の相手をすることも、悩みを相談したり、愚痴を言ってくれたりすることも・・・・
多分全て、失う・・・だろう
・・・・ガタンッ
電車が揺れて、ずり落ちそうになった昴が反射的に俺に擦り寄ってくる
このまま
ずっと、このまま
駅になんか着かなければ良いのに・・・!
そんな風に思って、伸ばしたくて伸ばせない・・・その指先をきつく握り締めていた
それからも俺は、ずっと昴の親友であり続けた
じいちゃんから、華山と林の家の関係を聞き、それを昴に確かめた・・・あの日まで
俺の父さんは、物心ついた頃から家に滅多に居なかった
でも、まあそれは、いわゆる、単身赴任って言うやつなんだろうな・・って、漠然と思って疑問にも思わず育ってきた
うちは代々武道家の家系で、当然ながら父さんも師範代の資格を持っている
だから、次に道場を継ぐのは父さんで、俺はもっとずっと年を取ってから継ぐことになるんだろうな・・・って、思ってた
だけど
明日が小学校の卒業式・・・っていう日の夜
俺はじいちゃんの部屋に呼び出された
床の間には、いつもその時期にあわせた掛け軸が掛けられていて、その日は満開のしだれ櫻が描かれた、俺が一番好きな掛け軸が掛かっていた
その前の上座に、着物姿で居ずまいを正して正座するじいちゃんは、本当に凛としていてかっこいい
だけど
今日のじいちゃんはいつものそんな雰囲気だけじゃなく、どこか・・・気圧されるような厳しさを滲ませていて、背筋に冷たい汗が浮かんだ
「・・・健一郎」
厳かな雰囲気さえ響かせてじいちゃんが俺の名前を呼び、その視線が俺を真っ直ぐに捕らえる
「・・・は・・はい!」
何だか・・・緊張して身体も声もガチガチに硬くなってた
「お前も明日で小学校を卒業だ。そろそろこの林の家の事も知っておかねばならん。次にこの道場を継ぐのは、お前なんだからな、健一郎」
「・・・えっ!?なんで!?父さんは!?」
「お前の父さんは、華山家の専属ボディーガードとして華山泰三氏に就いている。泰三氏の専属になった以上、もうこっちの道場へ戻ってくることはない」
「え・・・?華山って、あの有名な?え・・・父さんがそこの専属ボディーガード!?」
「本来なら、その役目は別の人物がやるはずだったんだが・・・話せば長い。順を追って話そう・・・・」
そう言って、じいちゃんが俺に話してくれた内容に、俺は本当にビックリした
まずなんと言っても驚いたのが、昴たち浅倉4兄弟が全員血が繋がっていないって事だった
あの有名なマジシャン「北斗」の子供だって事は知ってたけど、七星さん以外全員養子で、北斗と何の血の繋がりもなく・・・そして、七星さんが本当は華山家の正式な後継ぎなんだって事に驚きを隠せなかった
その上、その北斗の両親がこの道場の出身者で、華山家の専属ボディーガードをしていて殉職し、じいちゃんが北斗の親代わりになって面倒を見ていたこと
殉職した北斗の両親の代わりに、俺の父さんが専属のボディーガードになった事
就いた人物のランクによっては、一度専属になったら自分の家族との接触も最低限に留められ、父さんのように道場を継ぐことも、滅多に家に帰る事も出来なくなる・・という事
そして
林の家が、代々そうやって華山家に仕えて来た一族で、ここの門下生から次の専属ボディーガードを育てるか、もしくは一人っ子である俺自身が結婚し、子供を二人以上作ってどちらかに道場を継がせ、どちらかを華山家に仕えるように育てなければならない・・・と、言い渡された
「え!?俺の、子供を・・・!?」
「林の家の長男として生まれついた以上、それがお前に与えられた役目だ。ましてやお前は、たった一人の私の孫なんだから・・・お前以外誰にも出来ない大切な役目だ。これだけは忘れないでくれ」
・・・・そんなの
・・・・まだ・・・子供の俺に言わなくっても・・・!
多分、そんな心の声そのままの顔つきになっていたんだろう・・・じいちゃんが続けてこう言った
「健一郎、お前は知っておく必要がある。・・・・違うか?」
その言葉と、俺を見据えるじいちゃんの静かな眼差し・・・
じいちゃんは
じいちゃんは・・・俺が昴に対して抱いてる思いを知ってる
だから
だから・・・だ
「・・・・はい、わかりました」
そう言って頭を下げる以外、俺に出来ることなんて・・・なかった
次の日
卒業式には母さんと、父さんの代わりにじいちゃんが来てくれてた
俺が卒業生代表で卒辞を読んで、母さんは凄く喜んでくれた
それを見て、俺が一番に思ったのは
昴には、今日、誰か・・・来てくれてるんだろうか?って事
養父の北斗は海外で公演中のはずだし、七星さんたちも学校のはずだ
誰も・・・来てないはず
家に帰っても、きっと、誰も待ってない・・・?
そう思ったら、いても立っても居られなくなった
だけど・・・じいちゃんの手前、そんな事言うわけにもいかなくて・・・
式が終わって家に帰るとすぐに、クラスのお別れ会があるから・・・って嘘をついて、昴の家に向かった
その途中、桜坂の下で、俺の学校より少し遅く卒業式が終わったらしき、桜ヶ丘小学校の親子連れの集団に出くわした
ひょっとしたら、昴はまだ学校かもしれない
そう思って、その集団の流れに逆らって桜坂を駆け上っていった
正門の前まで来た時、ふと坂の上を見上げたら、中学の正門の前付近を見覚えのある2人組が歩いていた
「・・・あ、昴!と・・・七星・・・さん?」
2人で仲良く腕を組んで坂を上がっていくその後姿は、間違いなく昴と七星さんだった
その後姿に、ズキンッと心臓が痛くなった
きっと、七星さんは高校の授業を抜け出して、昴の卒業式を見に来てたんだ
そして、今、その七星さんを昴が送っていっているところ・・・
いつものように、仲良く腕なんか組んで・・・垣間見える昴の横顔が、とても嬉しそうに七星さんに笑いかけている
いつもそうだ・・・道場の行き帰り、稽古の小休憩の時、昴は七星さんにくっ付いて離れなかった
昨日、じいちゃんからあんな話を聞くまでは、別にベタベタとくっ付いてても・・・ただ単に兄弟仲が良いんだなぁ・・・って言う風にしか思わなかったのに
それなのに
昴と七星さんが何の血の繋がりもない、一つ屋根の下で暮らす赤の他人だって事を知った途端、そんな風に思えなくなっている自分が居た
俺は、2人に声を掛けることも出来なくて・・・気付かれないように、ソッと後を付いて行った
高校の正門の前で、七星さんが少し屈んで昴の頭を撫で付けていたら・・・
昴が自分の額を指差して、何か言い募った
すると、七星さんが笑いながら昴の前髪をかき上げて、その額に・・・キス、した
そして今度は、昴が七星さんの首に手を廻して、その両頬にキスをし返した
外国の映画なんかでは、挨拶代わりによくやってる
昴は、厳密に言えば帰国子女だし、きっと、浅倉家では日常茶飯事のことなんだろう・・・って頭の中で、そう自分に言い聞かせた
だけど
それを目の当たりにした瞬間、一瞬、息が出来なかった
ほんとの兄弟じゃないんなら
赤の他人なんだったら
どうして・・・俺は昴にとっての七星さんみたいな立場になれないんだろう
今だって、一人で勝手に昴の心配をしてこんな所まで来て、結局、俺なんて必要ないんだ・・・って思い知らされてる
俺一人が、勝手に・・・・!
居たたまれなくなって、隠れていた桜の木の影から飛び出した・・・途端
「・・・あれ!?健一郎!?うそ!なんで?」
聞こえた昴の声に、思わず足が止まった
坂の上から降りてきた昴が、俺に気がついて駆け寄って来ていた
「・・・っ!あ・・・いや、その・・お前・・・一人なんじゃないか・・・って思って」
「えっ!?なに!?俺の事心配して来てくれたの!?うわー!さっすが健一郎!でも大丈夫だよ。七星がちゃんと見に来てくれたし!」
今まで見た事がないくらい、昴が嬉しそうに笑って、そう言った
「・・・っ、そぅ・・だよな。あ・・・じゃ、俺、帰るわ」
そう言って、俺はきびすを返した
何となく・・・もうそれ以上ご機嫌な昴の笑顔も、楽しそうな声も、見たくも聞きたくもなかったから
なのに
「え!?なんで?せっかく来たんだ、家に寄っていけよ!」
そう言って、昴が俺の腕を掴んで引き止めた
「・・っ、いいよ!どーせすぐに七星さんも帰ってくるんだろ!?」
「え・・・?」
振り向いた時にあった、昴の怪訝そうな顔
なんでそんな事聞くんだ・・?っていう、その顔つきに、無性に腹が立ってきた
こいつには
絶対、俺の気持ちなんて理解できない
俺の事を、ただの友達としてしか見てない・・・きっと、この先も、ずっと・・・!
「・・・離せよっ!」
苛立った声で叫んで、掴まれた昴の手を乱暴に振り解こうとした
だけど、俺のいきなりのその態度豹変に、昴も訳が分からないまま機嫌を損ねたらしく・・・絶妙な返し方で、俺が振り払おうとしていたその手を、振り払わせてはくれなかった
「ちょ・・待てよ!なんなんだ、いきなり!?なに怒ってんだよ!?」
「・・・っお前に言ったって、わかんねー事だよ!」
「なんだよ、それ!?言ってみなきゃわかんねーだろ!」
言い募りながら、尚も振り解こうとした昴の手を、俺はなかなか振り解けないでいた
それが一層、俺の中の苛立ちを煽っていく
「この・・っ離せって言ってんだろ!!」
「いやだ!!言うまで絶対、離さねー!!」
「っ!?・・・・ああ、そうかよっ!!」
意地でも手を離しそうにない昴に、俺の中で何かが切れた・・・気がした
それまで振り解こうとしていた昴の腕を逆に捻り上げて、さっきまで隠れていた桜の木に、その小柄な身体を押し付けた
「・・ッ痛!このヤロ・・なにす・・・」
「お前っ!さっき七星さんと何してた!?」
昴の抗議の声を遮って、昴の顔を間近に見下ろして言い募った
「へ・・!?七星・・・と?」
何の事だ?と言いたげだった昴が、「ひょっとして・・・?」という風にこう言った
「・・・え?さっき、高校の門の前でしてた・・・?」
「・・・っ!そ・・ぅだよ!」
「見てたのか!?あ、あんなの、ただのおめでとう・・と、ありがとう・・って言う、挨拶と一緒じゃねーか!・・・っつーか、なんでそんな事・・・?」
焦ったように言う昴の顔が、薄っすらと朱に染まっている
「・・・ただの、おめでとう・・・だ?ふぅ・・ん・・・?」
だったらなんで顔を赤くしてるんだよ?
本当に、ただの挨拶だって言うんなら、俺に言われてそんなに焦るはずがないじゃないか・・!
更に剣呑な目つきになった俺を、昴が訳が分からない・・!という風に眉根を寄せて見上げてくる
そういう表情が、充分男を誘ってる・・・って言うことさえ、こいつは全然分かってない
「・・・じゃ、俺がしても別に良いわけだよな?」
そう言ったら、途端に昴の表情が強張った
「は?!何・・言ってんだ?健一郎?ああいうのは普通、家族同士とかでするもんだろ?」
「・・・じゃ、何で七星さんとするんだよ?お前とは何の血の繋がりもない、ただの赤の他人じゃないか!」
「え!?なんで・・・?けんいち・・・」
「じいちゃんに聞いた!お前達の事、全部・・・!七星さんと華山の事も!」
驚いて目を見開いた昴に、俺はどうしても確かめておきたかった事を、吐き出した
「お前・・・そんな事、麗さんや流さんともするのかよ!?七星さんだけじゃねーのか!?」
「・・・・っ!」
絶句した昴が、その推察が正しかった事を裏付けている
やっぱり・・・思ったとおりだ
昴にとって、七星さんは、家族だとか兄弟だとか、そんな事関係なく、特別な存在なのだ
俺なんかが入り込む余地がないくらいに・・・!
「・・・何が、家族だよ・・・何が、兄弟だよ・・・。嘘ばっかつきやがって・・・!俺には嘘つくなって、俺にだけは嘘つかないって・・・、そう、言ったくせに!」
言って、初めて気がついた
そうだ・・・俺は、昴の口から直接それを聞きたかったんだ
ずっと、親友をやってきたのに・・・
そう思ってたのは、俺だけだったなんて・・・!
「仕方ないだろ!七星を守るためなんだから!俺は、七星のために強くなりたかったんだ。俺が、七星を守るんだから・・・!」
「な・・・っ!?」
この言葉に、俺は完璧に、打ちのめされた
今まで俺は、昴のために・・・と思って一緒に強くなった
俺が、どんどん強くなっていく昴を、守ってやるために・・・!
そう思っていたのに、昴は最初からずっと、七星さんの事しか考えていなかったんだ
あんなに強くなる事や勝負にこだわったのも、全部・・・!
「・・・だったら、出来なくしてやるよ・・!」
「え?、むっ・・ぅ!?」
俺は昴の身体を思い切り押さえつけて、その唇を奪ってやった
ずっと
ずっと・・・触れたくて仕方なかったその唇を
「・・っ・・・・っっ・・・・・っめろ!」
「っ!・・ッ痛!!」
抵抗し続けていた昴が、俺の唇に歯を立てて、噛み付いてきた
「・・・な・・んだよ?これ?なんで・・・こんなこと・・・!?」
まだ信じられない・・・ただの悪ふざけだろ・・・?とでも言いたげな昴の表情
悪いけど
そんな期待は二度と抱かせてやらない
「なんで・・?そんなの決まってるだろ?俺はお前が好きなんだよ。初めて会った時からずっと、俺はお前をそういう対象としてしか見てなかったよ」
「・・・う・・・そ・・・だろ」
「なに?まだ自覚できねーの?だったら・・・・」
俺は唇の端から流れた血のりを腕でぬぐい去り、もう一度昴の唖然とした顔に、自分の顔を近づけた
「・・・っや、やめろっ!!健一郎!!」
目の前に飛んできた昴の拳を、俺は難なく片手で受け止めた
「・・・言っておくぞ。俺は、お前の事が好きだし、絶対、お前に負けたりしない。俺は、絶対、お前より強くなる」
「な・・・!?」
「お前が七星さんを守りたいって言うんなら、俺に勝たなきゃ無理だ。華山を守るのは林の家の役目だからな。俺が認めなきゃ、お前は七星さんを守る立場には、絶対、なれない!」
「そ・・・そんなの、関係ない!!」
「あるんだよ、昴。お前だって分かってるだろ?誰が何と言おうと七星さんは、華山の正式な後継者・・・なんだから」
そうだ
昴は、知ってたはずだ
だからあんなに俺に対して勝負を挑んできた
「・・・んで・・なんで、そんな風な言い方するんだよ!?まるで・・・俺が健一郎を利用してたみたいな言い方じゃないか!」
「・・・してたんだろ?」
「っ!?してねえよ!!俺にとって健一郎は、ほんとに一番大事な親友なんだ!俺・・俺、お前以外に悩み事とか相談できる奴、居ないし、本音で喋れる奴も、居ないんだからな!!」
吸い込まれそうに大きな黒い瞳を潤ませながら言う昴の真剣な表情に、嘘は微塵も感じられない
キスする前だったら、「一番大事な親友」という言葉に、きっと、俺は素直に喜んだだろう
だけど今はもう、その言葉は、俺に痛みしか与えない
「・・・俺は、もう、お前の親友に戻る気はない。俺はお前が好きだから・・・お前が俺の事を友達としてしか見なくても、好きだって言う気持ちに変わりはないから・・!」
「っ、そんな・・だけど俺は、お前を親友としてしか見れない・・・!」
「分かってるって言ってんだろ!そんな事!」
「じゃあ、俺にどうしろっていういうんだよ!?」
昴の拳を目の前で握り締めたまま、火花が出そうな勢いで睨みあった
答えの出しようがない事なんだって、お互いに分かってる
それでも
それでも、必要なのだ・・・お互いに
「・・・クソッ!」
俺は掴んでいた昴の拳を解き放って、きびすを返した
「けんいち・・ろ・・・」
まるで置き去りにされた子供のような不安げな声が、俺を呼び止めようとする
こいつの性質の悪いところは、自覚なしに俺を煽るくせに、それでも親友としての域を固辞するところだ
だから、絶対、振り向いてなんてやらない
「俺は、お前にキスした事、絶対に後悔なんてしてないからな・・・!」
そう、捨て台詞を吐いてやったら
「っ!?お、俺だって、噛みついた事、謝る気ないからな・・・!」
そう、言い返してきた
こっちも謝ってもらおうだなんて思っていない
たとえ、どうにもならなくったって
俺は昴を手放す気も、あきらめる気も・・・サラサラなかったんだから
その日以来
昴は道場に来なくなった
絶対、俺へのあてつけだ・・・!
そう思ったけど、俺には確信があった
あの昴が、いつまでも我慢できるわけがない
あいつは・・・基本的に身体を動かしていないとダメな奴なのだ
それに、何かあったって、周りに相談できる奴なんか居ない
そうなるように、俺が仕向けてきた
今までずっと、ダテに昴の親友をやってきたわけじゃない
昴の性格、気性、癖・・・・全部知ってる
今の俺には、手に取るように昴の行動が読めるといって過言じゃない
例え何ヶ月掛かったとしても、昴は、必ずこの道場へ戻ってくる
そんな確固たる確信が、俺にはあった
だから
俺はいつもと全く変わらぬ態度で、昴の帰ってくるのを、待ち続ける事が出来た
そして
あの日
昴は、やっぱり、ここへ帰ってきた
いかにも七星さんに付いて、仕方なく・・・といった面持ちで
俺が声を掛けても、視線を合わせようともしない
練習も、直に身体を触れ合う事の少ない、木刀を指定してきた
「そんなに、嫌かよ?」
思わずそんな言葉が口をついて出たけれど、その反面、その強がりがいつまでも持つもんか・・・!そう、思ってた
だって
珍しく七星さんが稽古に来た上に、滅多に稽古の相手をしないじいちゃんが、その相手をしているのだ
それはつまり、七星さんが何かに悩んでいるか、煮詰まっている時・・・ってこと
七星さんがそんな状態だって事は、昴自身にも影響が出てるはずで、そしてそれを相談できる相手を求めてる・・・ってことだから
その相手は、俺しか居ない
そして俺は、そう言い切れるだけの努力を、払ってきたのだ
案の定
七星さんは悩んでいた・・・しかも、好きな人の事で・・・!
おまけに、あの七星さんが、昴の事を置き去りにしてその人の所へ向かったのだ
これは・・・本物だ
あの・・昴を溺愛していた七星さんが・・・!
俺もビックリしたけど、昴は放心するくらいショックを受けていた
俺を相手に、七星さんの思い人である先生を、知りもしないくせに言いたい放題言い始めたから、俺は七星さん側に立って、反論してやった
どうやったって、届かないんだ・・・って事を
俺の、昴に対する想いと同じなんだって事を、訴えながら
結局昴は、納得しないまま一人で家に帰って行った
その後
浅倉家で何があったのか・・・俺はよく知らない
でも、それからしばらくたったある日の夕方
学校から帰って、家の門を入ろうとした瞬間
「・・・よ!」
と、そこで待ち構えていた昴に呼び止められた
「っ!?す・・ばる!?」
「・・・っんだよ?その鳩が豆鉄砲食らったような顔は!」
「あ・・・ったりまえだろ!」
昴があんまり当たり前のようにそこに居たので、俺は驚くよりもムッとした
本当は
俺の方が昴に会いに行きたかった
七星さんの事があってから、昴と七星さんの関係がどうなったのか・・・凄く、気になっていたのだ
きっと昴は傷ついたはずで
きっと・・・あの電車の中みたいに安心して寄りかかられる何かに、すがりたいんじゃないかって・・・
昴の隣に居てやれないことを、後悔・・・してたから
「・・・心配・・・してた?」
二・・・ッと笑った昴が、上目遣いに俺の表情を伺う
「・・っ、だ・・れが・・!」
その表情に、そんな俺の心情を見透かされた気がして、更にムッとした
「なーーーんだ、違うのか。じゃ、俺、帰るわ」
「はぃっ!?」
俺は思わず目を剥いて昴を凝視した
「お・・まえな!じゃあ、一体何しに来たんだよ!?」
「だって、一応、迷惑かけたし。年寄り並に心配性な健一郎の事だから、心配しすぎてハゲたら困ると思ってさ」
「な・・・っ!誰が年寄りでハゲるって!?」
「んだよ?耳までボケたのか?誰もそんな事言ってねーって!」
「言ってるのと一緒だろ!俺がどれだけ・・・・」
心配したと・・・と言いかけて、慌てて口をつぐんだ
「・・・んだよ?どれだけ・・・なに?」
そう言って、昴の奴が期待と不安の入り混じった顔つきで、俺を見上げる
ああ、もう!ほんとにこいつは・・・!
意識してやってるんなら、ほんとに性悪だ
そういう風に人を煽って、それでも親友のままで居ろってか!?
「・・・・・ってたよ!」
「・・・・聞こえない、健一郎」
「・・・っの野郎!心配してたって言ってんだろ!!」
不機嫌マックスで言い募ってやったのに・・・!
「・・・そっか。ありがと・・・心配かけて、ごめん」
不意にそんな風に素直に言って、ペコリ・・・と俺に頭を下げてくる
この、この、この・・・!!
そういう不意に見せる素直さが、たまらなく可愛いって言ってんだよ!!
ほんとに、たまには自覚しやがれっ!!
本気で抱き寄せてしまいたかったけど、さすがにこんな人目のある門の前じゃ、できっこない
こいつ・・・それを計算に入れての行動か!?って、一瞬、勘ぐった
でも
「・・・んだよ・・・せっかく素直に謝ってやってんのに・・・何怒ってんだよ?」
すがる様な、不安な顔つきで俺を見て言う昴に・・・そんな計算高いこと出来るはずがないのだ
・・・まったく
こんな奴に惚れた自分が恨めしいとさえ、思う
「・・・ばーか。怒ってねーよ。それよか、早く稽古しようぜ!お前長いことサボってたもんな!コテンパンに伸してやるから覚悟しろ!!」
そう言ってやったら
「いいのか!?」
途端に目を輝かせて、いつもの生き生きとした昴になった
なんだ、やっぱ、我慢してたんじゃねーか
そう思って、笑いが込み上げてきた
「っ!?あ、なに笑ってんだよ!?健一郎!!」
「だって・・・!とっとと帰ってくりゃいいものを・・・!」
「う、うるせぇっ!お、俺だってな・・・心の準備ってもんが・・・」
言いかけた昴が、ハッとした様に口を噤む
「・・・・へぇ・・・?何の準備だって・・・?」
「し、知るか!聞き流せ!バカ健一郎!!」
一瞬にして真っ赤になった昴が、逃げるように道場に駆け込んでいく
「あっ!このやろ、俺にだけ無理やり言わせておいて・・・卑怯だぞ!昴!」
「人聞き悪いぞ!俺は聞こえないって言っただけじゃん!」
「こいつ・・!言わせておけば・・・!」
追いかけっこをしつつ駆け込んだ道場には、まだ誰も居なくて・・・俺は壁際に昴を追い詰めて、ようやく掴まえた
「・・・で!?何の心の準備だって!?」
昴の両肩脇の壁に手をついて、昴を見下ろす
「・・・ったく!耳年増だな、健一郎は!」
「・・・お前な、俺達同い年だって知ってるか!?」
相変わらず口の減らない奴・・・と、思っていたら
「・・・・ここ!」
不意に昴が額の髪をかき上げて、俺を上目遣いに意味ありげに見上げてくる
「・・・・え?」
「とりあえず、ここならいいよ・・!って言ってんの!」
「へ・・・?」
一瞬、意味が分からなくて、目を瞬いた
「う・・わ、信じらんねー!超鈍感!!もう知らねぇ!!」
真っ赤になって言い募った昴に・・・俺はようやくその真意を知った
「マジ・・・?」
「聞くな!このバカ!!お前なんて、七星の代わり・・・・っ!」
昴の気が変わらないうちに、俺は素早くその露わになった額にキスを落とした
「・・・お返しは?」
「は!?」
「だって、七星さんの代わりなんだろ?」
「・・・・っ、・・・・ったく!」
あきれたように言った昴が、俺の首筋に手を回す
初めて昴から触れたその体温と、俺の体温
いつもより少し高くて
微熱みたいに、いつまでも引かなかった
終わり
お気に召しましたら、パチッとお願い致します。
=終=