飼い犬
ACT 17
わけが分からなかった
どうして
みっちゃん先生が、目の前に居て
どうして
みっちゃん先生が、笑っているのか
「え・・・なん・・で?おれ・・・・」
言いかけて
一気に悪夢が甦る
代わる代わる訪れる・・・客
目の前で手渡される数枚の紙切れ
繰り返し擦り込まれる灼熱の元
際限なく与えられる快楽
目の前に浮かぶ・・・居るはずのない真柴
「っ、あ・・・・っ」
全身に震えが走って・・・それを押さえようと腕を動かして、感じた妙な違和感に視線が釘付けになる
自分の手首に巻かれた分厚いゴム製の紐・・みたいな物
それが
みっちゃん先生の白い手首と繋がっていた
「え・・これ・・・?」
「ああ、もう切っちゃっても大丈夫だね」
ふんわり・・と笑ってそう言ったみっちゃん先生が、反対側の手を伸ばしてベッドのマットレスの下の方を探っている
どこからか聞こえる・・・鳥のさえずり声
カーテン越しに差し込む長い日差し
時間・・・なんて感じない所に居た
田島の所に行ったあの日から、一体どれくらいの日にちが経ったんだろう?
ここは、どこなんだろう?
なんで、俺、ここにいるんだろう?
まだはっきりとしない頭で、そんな事を考えた
「はい、オッケイ。ああ・・やっぱ痣になっちゃってるね。仕方ないか・・・」
「え・・・?」
不意に手首に感じていた圧迫感が消えたと思ったら、みっちゃん先生がアーミーナイフで繋がっていたゴムを切り取った所だった
パチンッとナイフをしまったみっちゃん先生が、おもむろに立ち上がって窓のほうへ行くと、薄日の差すカーテンを一気に引き開ける
途端に眩しい光で部屋中が満たされて
一瞬、視界が真っ白になった
カチャン・・という音と供に窓が開かれたようで、爽やかな清々しい風と香る緑の匂いが鼻腔をくすぐる
目を眇めて見やった・・・窓
そこに佇んで、うーーん!とばかりに伸びをした、みっちゃん先生の・・・背中
「・・・えっ!?」
一瞬、目の錯覚かと思った
何となく・・・覚えてる
暴れる俺を抱きこんで、受け止めていた・・・自分のものじゃない温もり
受け止めるその温もりに、その身体に、散々爪先を食い込ませ、引っ掻いて、容赦なく傷つけた
それが夢じゃない証拠に、その、みっちゃん先生が着ているシャツがあちこち切り裂かれて、素肌が露出している
その、大きく露出した、あちこちミミズバレが走る・・・背中!
「・・・っ、す・・・げ、キレイ・・・」
思わず漏れた・・感嘆の言葉
その背にあったのは、背中一面に大きく羽を広げた・・・火の鳥
たしか・・・鳳凰とか言う名前の、鮮やかな真紅の羽を広げ、燃える様な紅い瞳でこちらを見据えた
鳳凰の刺青・・・!
「・・・ん?ああ、シャツ破れてたんだっけ・・・」
俺の視線と驚きで固まった表情を見て取ったようで
ふふ・・・と笑ったみっちゃん先生が、スル・・・ッと着ていたシャツを脱ぎ去った
露わになった鳳凰は、本当に、今にも飛び立つんじゃないか?と思えるほどに活き活きとして、みっちゃん先生の白い背中の中に棲んでいた
その刺青と供に、初めて知った、みっちゃん先生の引き締まって無駄な肉が一切ない・・・しなやかな肢体
真柴と比べても見劣りしない・・・なんてもんじゃない
どうして大型犬たちが、真柴よりみっちゃん先生に一目置いていたのか・・・これを見た後でなら、納得できる
だって
「・・・おどろいた?」
そう言って俺の顔を覗き込んできた、みっちゃん先生の栗色の双眸も、背筋をゾ・・ッと震撼させる何かを潜ませていた
本能的に感じる・・・危険信号
・・・・・・・・コノヒトヲ、オコラセチャ、イケナイ
真柴の時に感じたのと同じ・・・いや、それ以上の、もの
「・・・み・・・ちゃん先生・・・て・・・?」
かすれる声で、その栗色の双眸に誘導されるように、聞く
「俺?俺はね、祐介(ゆうすけ)さんの飼い犬。放し飼いのね」
ふふ・・・と誇らしげにみっちゃん先生が、笑う
その笑みを見た瞬間
俺は
祐介さんが誰なのか
放し飼いの飼い犬・・・がどういう意味なのか
なんとなく、分かった・・・気がした
それから、数日が過ぎた
俺が居た場所は、凄く空気の良い、どこかの山奥にある、別荘地で
祐介さんがいくつか持っている別荘の一つ・・・だと言われた
窓から見える景色は
どこまでも続く青い空と、森の木々
遠くに霞む、雪を頂いたままの山々
俺とみっちゃん先生以外、誰の気配もなくて
定期的にやってくるらしい、食料や生活物資を運んでくる車の音以外、人工的な物音さえしない
みっちゃん先生曰く
俺が田島の所に居たのは、ほんの一週間くらい
でも俺は、急性の薬物中毒症に陥っていたそうで
俺が見ていた、思い出しただけでゾッとする黒い甲殻虫とか、うじ虫とかの大群・・・
あれは、典型的な禁断症状・・・だったらしい
その禁断症状を克服して、あの、気持ち良い目覚めの日を迎えられるまで、約一ヶ月
みっちゃん先生は
無茶苦茶に暴れる俺を、なるべく傷痕が残らないようにゴム製の紐で繋ぎ、俺自身が自分の体を傷つけないように、クスリが抜けるまでその苦痛の吐け口になってくれて・・・
その身体には俺がつけた傷と、恐らくは昔の古傷なんだろう・・・たくさんの傷痕が刻み込まれていた
「ゴメンナサイ・・・」
そう言ったら
「何でジュン君が謝るの?俺は動物病院の院長さんだから、病気の動物を治すのが仕事なんだよ?」
そう言って、俺のブルーグレイの髪をポンポン・・・と撫で付けた
「で、動物の治療は終了。これから人間の治療に入るんだけど・・・ここから先は俺に出来ることはないんだ。何しろ俺は獣医だからね」
それは、つまり
傷つけた事を気にする必要はない・・・ってことと
みっちゃん先生にこれ以上迷惑を掛けたくなかったら、ちゃんと人間に戻れ・・・ってことで
何しろ俺は、この一月ちょっと、ほとんど食べる・・・という行為を忘れてしまっていたらしい
骨と皮ばかり・・・と言っても過言じゃないくらいに痩せ細ってしまっていた
ベッドから起き上がるのもやっと・・・で
クスリの後遺症なんだろう・・・頭もまだはっきり働かない
「・・・まずは元気になることが最優先。余計な事は考えない事!わかったね?」
有無を言わせぬみっちゃん先生の迫力に、コクコク・・・とただ頷き返す
本当は
一番先に聞きたい事があった
だけど
みっちゃん先生から注がれるその視線が、まだ問うことを禁じていて
俺もまた
問えるだけの勇気を、まだ、持ち合わせてはいなかった