始発恋愛
ACT 1
朝一の始発電車に乗る奴なんて
一体何の仕事をしているんだろう・・?と思う
僕の場合はパン屋だから
だから
始発に乗って仕事に行く
普通の勤務時間の電車と違って
始発の電車は凄く、空いてる
空いているんだけど
乗ってくる連中は
ほとんどが顔見知りで
それぞれに指定席・・・って言うのがある
どの車両の、
どのシートの、
端っこ、真ん中、微妙に端より・・・
適当に
それぞれがプライベート空間を保って
指定席に座る
僕は微妙に端よりの席を指定席にしていた
新参者以外、それは犯してはいけない不文律で
同じ車両に乗り合わせるもの同士
話しかけることも
視線を合わせることもないけれど
それぞれが
それぞれの
存在を確かに認識していた
そんな不文律があるから
僕は
終点で降りる利点を活かし
いつも、自分の指定席で居眠りをしていた
寝入っている時もあれば
ただ単に
目を閉じているだけの時もある
あれは
完璧に寝入って居る時・・・の事だった
乗り込んで
早々に眠り込んだ僕は
ふと太股に感じた違和感に意識を引き戻された
シートとジーパン越しの太股の間で、何かが蠢いている
ハッと意識が戻ってみると
すぐ横に
いつもはないはずの人の気配
蠢いているものは
その隣に居る
見慣れない新参者のおっさんの、指先で
シートに手を付いている振りを装って
ゆっくり
ジワジワ・・・と
僕の太股の方へ指先をねじ込もうとしていた
それが分かった瞬間
僕は
情けないことに
身体が硬直して動けなくなっていた
相手が中年風なおっさんで
男で
そいつが自分の太股をまさぐっている・・!
その事実が信じられなかったのと
その状況に
どういう対処をしたらいいものか
さっぱり分からなかったからだ
顔は俯けたままで居たから
そのおっさんは
僕がまだ寝ているものだと思っているようで
どんどん
指先が太股の奥の方へと侵入してくる
しかも
ご丁寧に
指先は上を向いていて
確実に太股から尻の辺りを
揉み解すように刺激を与えてくる
僕は
ただもう気持ち悪くて
怖くて
どうする事も出来なくて
寝ている振りで
気が付いていない振りで
押し通す事しか頭に浮かばなかった
ビシュッ・・・!
電車が停まって扉の開く音がして
一瞬
おっさんの指先の動きが止まる
ここで起きて
席を移動すれば・・・!
そう思ったのに
身体が恐怖で硬直して
動く事が出来ない
自分の不甲斐なさに
泣きそうになっていたら
不意に
おっさんとは反対方向の俺の横に
誰かが
ドスンッ!!
と勢いよく座った
その振動と
その物音に
僕は呪縛が解けた様に
顔を上げた
すると
途端におっさんの指が引き抜かれた
僕は
ホッとしながら
その横に座りこんだ相手に視線を向けた
驚いたことに
そいつは浅くシートに腰かけ
膝の上に腕を乗せて
俺に痴漢行為を働いていたおっさんを
睨みつけていた
おっさんは
居たたまれなくなったかのように
腰を上げたかと思うと
そそくさと
隣の車両へ逃げていった
それを見届けたかと思うと
そいつはドスンッ!と
シートの背もたれに背中を預け
腕組みをして目を閉じて俯いてしまった
僕とは
視線を合わせないまま
だけど
その顔には見覚えがあった
こいつは
いつも、今、止まった
3番目の停車駅から乗ってくる奴で
その整った顔立ちと服装
微かに漂う香水の香り
乗ってくる駅から
ホストか何かで仕事帰りなのだろう・・・
そう思っていた
おまけに、指定席は・・・
ここじゃなくて
たしか・・・向かいのシートの端っこだったはず
なのに、どうして?
僕を
助けてくれたのか?
そんな事を考えつつも
あんまり不躾に見つめていて
目が合っても困ると思い
僕は早々に視線を戻し
目を閉じた
本当に助けてくれたのなら
お礼を言わなくては・・・
そう思ったけれど
お礼を言って、怪訝な顔をされたら・・・?
なにが?
と言われて、痴漢にあっていたから
なんて言えるわけがない
だいたい
さっきのおっさんの痴漢行為は
他の人から見えていなかったはずだ
だって
そのおっさんは
巧妙に自分のセカンドバックで手を隠して
周りから見えないようにしていたのだから
だけど
じゃあ
何でこいつはさっき
あのおっさんを睨んでいたんだ?
考えれば考えるほど
こいつが助けてくれた・・・
そう思えて仕方がなかった
どうしよう・・・
顔を俯かせたまま
チラ・・・
と、横に座っているそいつの横顔を盗み見る
今まであまり近くで見たことなんてなかったけど
こいつは
本当にタレント並の綺麗な顔立ちをしている
栗色の長めの前髪
これをかき上げる仕草なんて
たまらなくかっこいいんだろうな・・・
なんて、つい想像してしまいそうになる
組まれた足も凄く長くて
きっと僕より10センチは身長が高いはず
年齢も、僕より上っぽかった
その間にも電車は進み・・・
いつも終点の一つ手前で降りる
こいつの駅が近付いてきて
僕は段々と焦ってきていた
多分・・・いや、きっと・・・!
こいつは僕を助けてくれた・・・んだと思う
だけど、
こいつは目を閉じて俯いたままで
話かけようにも
きっかけがない
遂に電車がこいつの降りる駅で停まる
途端
そいつがパッと目を開けた
寝てたわけじゃない・・・みたいだった
ひょっとして
僕が気まずい思いをしないように
寝てる振りをしてくれていたのだろうか?
声をかけなくちゃ・・・!
そう思ったのだけど
チラ・・ッとだけ垣間見た
目を開けたそいつの横顔が
あんまりにも精悍で、男前で、綺麗な瞳で
気後れがして、声がでない
顔を上げることも出来ずに
自分の不甲斐なさに、唇を噛み締めた
だけど
「・・・・気をつけろよ」
そいつが立ち上がり際
確かに、そう、言った
「っえ!?」
弾かれたように顔を上げたときには
そいつはもう電車のドアを出る所で
目の前で
無情にもドアが、閉まる
思わず立ち上がって
そいつの後姿をドアのガラス越しに凝視すると
そいつが
振り返って
一瞬、目があった
僕はその一瞬に
その視線に
助けてもらったお礼の眼差しを込めた
すると
そいつが
確かに
笑った・・・!
ほんの一瞬の出来事
本当に伝わったのか
本当に笑ってくれたのか
確たる物は何もない
それでも
そうだったらいい・・・
きっと、そうであってほしい・・・!
終点までの短い時間
僕は
なぜか
ずっと、祈り続けていた