望郷海蛇奇譚 (ぼうきょうかだきたん)

 

ACT 1

 

 

「…君さえ生まれてこなければ、那月(なつき)が死ぬこともなかったんだ…!」

 ジワジワと首に当てられた指先に力がこもり、巽の意識が遠のいていく。

「…ど…うし…て?ま…さと…さん…?」

 涙で潤んでかすむ灰青色の瞳をあらん限りに見開いて、巽が自分の首を締め上げている男の顔を凝視する。

「…なんで、君が生き残ったんだ!?君が代わりに死ねばよかったのに!返せ…!那月を、返せっ!!

 憎しみに歪んだ男の顔に、一番信頼し、一番好きだったあの笑顔の面影は微塵も感じられない。
 ただあるのは、自分に向って注がれる暗く、冷たい氷のような殺意の眼差し。

(…そんな、イ…ヤ、ダ!まさと…さん!イ、ヤ、ダ…ッ!!

 そう思った瞬間、紅蓮の炎が男を包み込み、あたり一面火の海となった。
 何が起こったのか分からずに、巽はただ呆然とその炎に包まれた男の姿を凝視し続ける。
 その巽の耳に、フッとかすかに遠い声がこだました。

『…ありがとう…』

(え…!?

 そのかすかな声の正体を確かめようと思った途端、更にも増して勢いを強めた炎の渦が沸き上がる。
 白熱と化した炎の中で、人の形をなしていたはずの物が、首にあてられていた指先が、『ボロ…ッ!』と崩れ、巽の体の上に降りかかる。

(うそ…だ、雅人(まさと)さん…っ!?

 炎の海の中に巽も同じく身を置いているはずなのに、その体は熱さも感じず炎で焼かれる事もない。
 反面、炎に包まれた男の体は黒く焼け焦げて炎に巻かれ、ついには白い灰と化して崩れ落ちていく。

(俺の…力!?俺が雅人さんを、殺した…!?

 次の瞬間、人間であったはずの真っ白な灰となった塊が、巽の体の上に被さるように崩れ落ちる。
 落ちた途端、ザアァァ…ッと砂の雨のように降り注ぎ巽の体を覆いつくした…。



「……ッ!!

 ガバッと勢い良く起き上がった体が苦しげに胸を上下させ、流れ落ちる冷たい汗を拭う事も忘れて、首に残る威圧感に顔を歪めて手を当てる。
 薄暗い部屋の中で、分厚いカーテンからもれた淡い月の影が白磁のような白い首筋と細い長い指先を浮かび上がらせた。
 激しく上下する胸の動きに合わせて揺れ煌く、銀色のチェーンと銀色のロケット…。
 その銀色の輝きを、白く長い指がギュッと握りこむ。
 顔を伏せ差し込む月影の中に、まるでギリシャ彫刻を思わせる端整な横顔が浮かび上がり、その顔を苦々しく歪めて、低い、呻くような声が紡がれた。

「…また、あの夢か…!何度、俺に殺させれば気が済むんですか!?雅人さん…!!

 震える体を押さえ込むように再び深々と布団に包まった体が、胎児のように丸まった。
 次第に震えが止まり、ようやく規則正しい寝息を取り戻すと、頑なに強張っていた丸みが弛緩した。
 一生、消える事のない、最も信頼していた者に裏切られた大きな傷跡から目を背けるように…。

 

 

 

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