赤銅色の月の下









ACT 2










道路の向こうに見える、揺らいだ蜃気楼

照り付ける日の光と熱が、アスファルトの境界線を曖昧にする

夏休みに入って、もう20日・・・・

補習授業のあった10日間は、舵の姿を目の端で捉えていた

部活があるわけではないので、日々淡々と授業を受ける生徒と教師

絡み合うのは視線だけで

そこに触れ合う接点はない

補習授業最後の日に聞いた舵の声音

「白石!月食の日のことなんだけど・・・」

背中越しに聞いたその声に、振り返ることも出来なくて教室を後にした

あの、夏休み前日の放課後

舵は月食のある日にちを七星に告げなかった

来る気があるなら、いくらでも調べられる・・・

「誰?」ではなく「いつ?」と聞いた七星に対する、舵のせめてもの意地

それくらい、七星にだって分かっている

調べた月食の日にちは、七星にとって微妙な日にちだった・・・

その日は

後半の補習授業も終わった、本当に夏休み終盤

美月に「絶対来るように・・!」

と、言いつけられた七星立案による「AROS」絡みの事業発足パーティー

名目上の事業主は美月になっていて、サポートにはつくが、事実上その経営のほとんどを七星が仕切らなければならない、七星にとっても初めての経験

当日は美月の秘書の一人としてパーティーに参加し、その事業に関わる面々の顔や人となりを観察し

口が固く、本当に信頼のおけるトップにだけ、美月が七星を紹介することになっていた

流れ次第でいつ終わるのかすら見当がたたない・・・

よりにもよって、そんな日だ

おまけに

事業発足にあたり、その当面のスケジュールや展開方法・・・考えなければならない問題が山積みで

ついつい、返信が滞りがちだった舵からのメール

そのうちに、それまで煩雑に着ていたメールが少なくなり

電話に至っては、皆無

七星が北斗の公演見学も兼ねて海外に行って帰ってくると、その間使えなかった携帯のせいもあるのだろう・・・

舵からはメールすら来なくなっていた

そうなってしまったのも、七星側のせいではあったけれど、今までだって特別な用事があるとき以外、七星から連絡を入れたことはなかった

故に

非常に理不尽で我が儘で、身勝手だとは分かっていても

つい、どうして連絡をくれないのか・・・と、七星が携帯を見るたびにイライラと焦燥感を募らせてしまう

後期の補習授業が始まってみると

舵は、補習のない間に参加したという教師間の研修の代休と称して、後期補習は休みになっていた

おまけに白石が

「浅倉ー、舵の奴どこに行ってるか知らねー?あいつ、こないだっから携帯繋がらなくてさ、困ってるんだよ」

などと七星に聞いてくる

「繋がらない・・って?なんで?」

内心焦りつつ、平静を装って聞くと

「んー・・なんかさ、電源切っちゃってるか電波が届かない・・・って言われんだよ。どっかに携帯置き忘れてたりとかしてんのかな?」

「・・・・・帰省でもしてて、こっちの家に置き忘れたりとかしてるんじゃないのか?」

「それもありうるな・・・。ま、月食の前日には連絡入れるって言ってたから、それ待ってりゃいいか。・・・でも、意外だったな」

トン・・ッと机の上に手を置いて、白石が横から七星の顔を覗き込む

「なにが・・・?」

視線だけチラリと白石に向け、机の上に広げた参考書を、七星の長い指がめくる

「舵と浅倉って、もっと仲が良いのかと思ってたのに。舵が今どこに居るか、本当に知らないのか?」

七星が、思わず揺れた指先を握りこみ、動揺を押し殺した低い声でぶっきら棒に答えを返す

「・・・・知るかよ」

「・・・ふぅん。あ、そういえばさ、今度の皆既月食、結構な人数になりそうだぜ!世界史の山下に、英語の小西と伊藤に天文部の1年女子。俺思うにさ、小西と伊藤は絶対、舵狙いだぜ!あいつら今まで天体観測なんて興味なかったくせに来るんだから!」

英語教師で共にまだ若い伊藤と小西は、見た目も可愛らしくて男子生徒の間でも高ランクに位置付けられている

・・・・・ひょっとして、舵が誘ったのだろうか?

いったん、そんな風に勘繰り始めると・・もう止まらない

連絡をくれなくなったのは、もう、自分の事などどうでも良くなってしまったからなのか?

今どこに居るのか分からないのも、他の誰かと一緒に旅行か何かに出かけているからなのか?

七星の胸が、募る焦燥感で満ちていく

黙りこくったまま何のリアクションもない七星に、白石が怪訝そうに眉根を寄せた

「浅倉・・・?月食、お前ももちろん来るんだよな?」

「・・・・・・多分、無理」

「え・・っ!?なんで?」

「どうしても抜けられない用事があるんだ」

「それ、浅倉じゃなきゃダメな用事なのか?他の奴じゃ・・・」

食い下がる白石に、七星が顔を挙げて横に振り、「無理なんだ」と告げる

「一応部長なのに悪いな。文化祭用のパネル写真、よろしくな」

「あ・・・うん。それは任せといて。でもさ・・・もし早くに用事が終わったら、ちょっとでもいいから顔出せよな。待ってるから」

次の授業の開始を告げるチャイムの音に、「いいな、絶対だぞ!」と念を押しながら白石が自分の席に戻って行った

もしも・・・

舵が白石のように強引に誘ってくれたら

なんとか美月に頼んで、早く終われるように頼み込むのに・・・

そんな七星の考えを打ち砕くように

現実は、甘くはなかった








皆既月食当日・・・

結局舵からは何の連絡もなく

白石から「絶対来いよ!」というメールが来ていただけだった

やりきれない焦燥感と、上手く呼吸できない、息苦しさ

そんな思いを抱えながら美月と顔を合わせた途端

「・・・・やる気がないなら来る必要ないわよ?帰る?」

「・・・っ!」

いきなりの先制カウンターパンチ

「っ、すみません。帰りません」

そう言った七星に、美月がグイッと顔を寄せる

「「申し訳ありません。やらせて下さい」よ!身だしなみは・・・髪もちゃんと上げてるわね。スーツの仕立てもいいし、ネクタイの柄も、問題なし。よし、合格ライン。顔はもとから問題なしだし・・・後は笑顔ね!」

好き勝手に七星の全身を眺め回して、言いたいことを言い切った美月がソッと七星の頬に手を添えた

「上に立つものはね、笑えない時でも笑わなきゃいけない。自分の感情より全体の総意を優先させなきゃいけない。相手より有利に立ちたかったら、感情をコントロールしなさい。・・・・出来ないなら、今、辞めなさい」

言葉は手厳しいけれど、添えられた指先から伝わる優しさと温かさは、美月そのものだ

一瞬目を閉じて、七星が美月が言った言葉の意味を、正確に脳裏に刻み込む

「申し訳ありません。やらせて下さい・・!」

目を開いた瞬間から、まるで別人のように変わる表情、その瞳に宿る意志の強さ

高校生の浅倉七星から事業家の華山七星に

その、もう一人の自分である仮面を被る迅速さと、違和感の全くない、自然な擬態

父・北斗から譲り受けた天性の資質が、開花する瞬間だ

「・・・・いい顔ね。行くわよ」

ふふ・・と笑った美月もまた、いつもとは全く違う戦闘モード全開の顔つきに切り替えて、パーティー会場であるホテルの広間へと向かって行った

美月の秘書として、各関連の代表者に挨拶に廻る間も、その場で飛び交う質問や要望・・・

それらを美月に代わって説明したり、要望の内容を書きとめたり・・・と、人あたりの良い笑みで相手を魅了しながら、極力存在感を抑えること・・・という美月の難しい注文を、七星は精力的にこなしていった

「・・・・・はぁ」

さすがに慣れない長丁場は、いかに若い体力があるとはいえ、精神的疲労はかなりのものだ

思わず漏れたため息に、美月が振り返る

「・・あっ、すみませ・・・」

「さすがに疲れたでしょ?ちょっと休憩してらっしゃい。ロビーでコーヒー飲むくらいは許可してあげる」

ふふ・・・といつもの笑みを浮かべた美月が、トンッと七星の背中を押す

「っ、・・はい。ありがとうございます」

美月の心遣いをありがたく受け取った七星が、軽く会釈を返して広間を出てロビーに向かう

便利な立地に立つ一流ホテルだっただけに、ロビーでくつろぐ客層も概してレベルが高い

静かなクラッシックが流れる中、外の景色が一望できるガラス張りのカフェへと七星の足が向く

ビルとビルの隙間から、僅かに垣間見える夜空

それを求めて七星の目が彷徨っていると、不意にギクリとその視線が釘付けになって止まった

カフェの一番奥にあった、目立たない席

恐らくは、そこからが一番夜空が望める場所

そこに、夜だというのにサングラス姿の男が座っていた

少し長めの栗色の髪、上質そうなイタリアブランドのスマートなスーツ

夜空を見上げるように少し顔を上向け、腰の位置の異様に高い長い足をゆったりと組んでいる

なぜ、その男に視線が釘付けになったのか

一言で言うなら・・・既視感

どこかで、この男を見たことが・・・ある

いや、正確には「この男」というのとも違う

「この男」の放つ「雰囲気」・・・という方が近いかもしれない

「・・・なんだ?この感じ・・・?」

思わず凝視してしまった七星の視線に、男が気がついたらしく・・・サングラス越しでもはっきりと分かるほど、七星を見返してきた

しまった・・・!と、慌てて視線を反らそうとしたが時すでに遅く

男が、クイッと顎で七星を呼んだ

最初に不躾な視線で見つめてしまったのは、七星のほう

正直に謝ろうと、その男の前に立った

「・・・・俺に何か用か?」

低く、落ち着いた、張りのあるバリトン

遠目だったのと、サングラスのせいでよく分からなかったが、年齢的には七星よりかなり上のようだ

「すみません・・あなたをどこかで見た事があるような気がして・・・でも、違ったみたいです。お気を悪くさせてしまって申し訳ありませんでした」

丁寧に謝罪した七星に、男がその口元を僅かに上げ、意外な返事を返す

「ああ・・・、月食のせいだ」

「え・・・?」

男が再び夜空に視線を戻し、つられて七星もその暗い夜空に浮かんだ赤銅色の月を見上げた

月全体が本影に入リ、皆既月食となった月は、皆既日食とは違い暗闇に呑まれるわけではない

月全体が鈍い赤銅色へと代わり、闇に抗う

「月食は、人が犯した罪悪を代わって病んでくれているんだそうだ・・・昔、そう言った奴がいた」

「え?」

意味が分からず問い返した七星の前で、ゆっくりと男が立ち上がる

「・・・お前が見たのは、そういう俺だ」

呟くように言って、月の姿が見える範囲から、男が、出た

途端

「っ!?」

七星がガタ・・ンッと、後ずさる

サングラス越しに僅かに垣間見えた、底光りのする獣のような瞳

薄い口元に浮かぶ酷薄な笑み

月の効力が無くなると同時に、男の体から湧き上がった、ゾッとする氷のような気配

「な・・・・」

人一倍、人の発する気配には敏感な七星なのに

こんなに近くに居るのに、この男は、自ら動くまでその気配を微塵も感じさせなかった

側に居るだけで感じる、突き刺さる様な冷気に、七星の全身に震えが走る

「・・・病んだ月など見ないことだ」

通り過ぎ様にそう言って、男が立ち去っていった

『ガタン・・ッ』

七星が男が座っていたのとは反対側の椅子に崩れるように座り込み、その身体を両腕で抱え込んだ

「・・・い・・まの感じ・・・!あいつ・・アルと同じ・・・!いや、あいつより、もっと性質が悪い・・・!」

夏なのに・・・!

体の芯から湧き上がってくる、震え

だが、それより何より、七星を凍りつかせたもの

アルと同じだと気がついた時、脳裏を駆け抜けたもう一人の・・・最初に感じた雰囲気と似た物を持つ人間・・・!

「・・・嘘だろ?ただの・・・思い違いだ・・・!」

吐き捨てるように言って深呼吸した七星が、たった今起きたことを無かった事にするかのように、早足で広間の方へ戻って行った




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