ACT 1
ずっと・・ずっと・・考えていた。
自分の本当にやりたいことはなんだろう・・?
特に何かをやってみたいとか・・・これだけは人に譲れないとか・・・今までそんな物、持った事、なかった。
『孝明!お前は・・・何のために大学まで行って勉強したんだ!?そんな事をさせるために大学へ行かせたんじゃないぞっ!!』
『そうよ、孝明・・考え直して・・!何もそんな仕事をわざわざ選ばなくても・・!他にもっと・・・・!!』
『だからっ!!何回言ったら分かってくれるのさ!?これは・・・俺が初めて・・・本当に、心からやりたいと思った仕事なんだよっ!誰になんて言われようと俺は行くよっ!?絶対、パン職人になるんだっっ!!』
『もういいっ!!勝手にしろ!本気でそんなもんになるって言うなら・・・・勘当だ!!もう、親でも子でもないっ!さっさと出て行けっ!!』
『言われなくても出て行くよっ!!もう二度と帰ってこないからなっ!!』
ーーーーーーそう・・・啖呵を切ったのは・・・ほんの2週間くらい前・・・。
それまで一度も親や周囲に反抗したことの無い俺が、いきなり周り中の反対を押し切って、
『パン職人になりたい!!』
そう言った時の親や友人達の驚いた顔が、今でもまざまざと目に浮かぶ。
人が本当に心動かされて・・・心からやりたいと思う事に、理由なんてあるんだろうか?
俺は皆に
『なぜ!?』
と、問われて・・・逆に戸惑った。
理由などない。
ただパンが好きで・・・パンを見ているだけで幸せな気持ちになった。
俺をそんな気持ちにさせるそのパンが作れたら・・・どんなにいいだろう・・・!
そう・・・思っただけなのだ・・・。
「君も運が悪いなぁ、こんなバタバタした時期に初仕事とは・・・。まあ、とりあえず頑張って!」
銀縁眼鏡をかけた細い眼が、同情するような色を見せる店長のなんとも薄情な言葉と共に、俺、山田 孝明は新入社員として初めてその仕事場”カフェ・ベーカリー・グリム”の、ベーカリー・キッチンの中に居た。
「が・・・頑張って・・・と、言われても・・・」
思わず口から弱弱しい本音が滑り出る。
だって、誰が見たってこの状況・・・
駅のどまん前に建つ、2階建ての白い建物
周りからも際立って目立つ店の入り口には、
”祝・開店3周年記念・イタリアン・パン・フェアー”
と、デカデカと巨大な立て看板が立てられ、店頭販売の売り子の放つ威勢のいい呼び声と共に、店内は客であふれ返っているのだ!!
言うまでもなく、ベーカリー・キッチンの中も殺気立った雰囲気の中、さっき俺に薄情な言葉を投げた店長の他、2人の男が黙々と仕事を続けているのであって・・・。
そこへいきなり、全く何も分からない状態の俺を一人残されても・・・何をどうしろというんだっ!?
と、いう状況なのだった。
困り果てて立ちつくす俺に、他2人の男のうちの一人が振り向いて言った。
「おはよーさん!おまんが噂の変わりだね新入社員やな?名前は?」
(お・・おまん・・って、高知弁!?この人、高知の人!?)
振り向いたその顔は、いかにも南国育ち・・・といった感じの、日によく焼けた人なつっこそうな笑顔に、妙に太い眉が印象的な・・・まるで漫画に出てくる某○○公園前派出所の主人公にそっくりな顔と体型をしている。
「え!?あ、はい!山田 孝明って言います!」
その、人をほっと安心させるような笑顔に、俺が内心ホッと胸をなでおろしていると・・・
「山田!?あれ・・?そーいやー誰か他にも山田って居たよな!?なー?チキュウ!?」
そう言って、そのすぐ横でパン生地をこねるミキサー・ボールを覗き込んでいる、背の高いもう一人の男の方を振返った。
「・・・嶋さん、いい加減俺の名前フルネームでちゃんと覚えてくれてもいーんちゃいますの!?山田って、俺の名字やないですか!」
一瞬だけ振返って俺の方を見た男の顔は・・・彫の深い顔立ちに鋭い目つき、ちょっと強面の男前な顔をしていた。
「あれ!?チキュウって、山田やったか!けど、それしゃーないって!!だっておまん山田っちゅう雰囲気とチャウからなー!」
わははははは・・と、太い眉を下げて、豪快に嶋さんと呼ばれたその人が笑い飛ばす。
(チ・・チキュウ・・!?変わった名前の人なんだな・・・・)
唖然としてその2人を見つめる俺の後ろで、ようやく思い出したように店長が言った。
「あーー・・・悪い悪い。まだ名前も何も言ってなかったな!俺はさっき言ったよな?西村だ。とりあえずここじゃあ、皆店長って呼ぶから、それが名前代わりかな。で、そこのげじげじ眉毛の方が高嶋 修。通称”嶋さん”。高知出身で時々高知弁がでるけど気にすんな。それと、そっちのグリムきっての男前が、山田 チキュウ。地元出身のバリバリの関西人。分からん事があったらそいつに聞くのが一番早い」
ーーーーそう。
ここは関西の超有名球団のお膝元・・・。
しかも・・・球場のすぐ近くのカフェ・ベーカリーなのだ!
「は・・はあ・・。あ、あの!高嶋さん、俺、何をしたらいいんでしょうか?」
3人とも騒々しい機械の音に負けない大声で喋りながらも、決して手は休めずに仕事をこなしている。
まさに、見とれてしまうような職人芸・・・!
とでもいうべき速さでパンを作り、焼き上げているのだ。
「俺は嶋さんでええって。したら、こっち来て、このパン生地分割手伝ってんか?ええ・・・・と・・・よし!決めた!!おまんのあだ名は”山ちゃん”や!ほら、山ちゃん!その生地こーやって、軽ーく丸めて、そっちの箱の中に入れてってや!」
(や・・山ちゃん・・・!?)
いきなりあだ名を付けられて・・・喜んでいいのか悲しんでいいのか分からないまま、とりあえず俺はキッチンの中央付近に据えつけられた白い作業台の前に立った。
台の上には、今にも下にずり落ちそうなほど巨大な白いパン生地が乗っていて、その生地を嶋さんがテキパキと切り分けて・・・横長の台の上の空いている場所へ無造作に投げ下ろしていく。
俺は言われた通り、その切り分けられた生地を軽く丸めて、プラスチック製の四角い箱の中へ並べていった。
「おまん、可愛らしい顔してるから山ちゃんでええやろ?呼び易いしな。・・・それにしても、」
と、嶋さんは作業を中断して、俺の全身をシゲシゲと眺めて言った。
「・・・・・えらいホッそい腰やなぁ・・・ウエスト何センチや!?」
「・・・え!?あ・・・え・・・と、60センチくらい・・・・」
正直に答えてから、俺は小さく溜息をつき、
(そりゃ・・言われるよな・・・・)
と、心の中で呟いた。
こういうキッチン内での作業服は、たいてい白い前掛けをつけるのだけれど・・・それをぴっちり腰に巻くと・・・ただでさえ細い体が余計に細く見えてしまうのだ・・・。
「60センチ!?おまん・・・それ、そこらへんの女より細いやないか・・!身長と体重は!?」
「168センチの・・45キロ・・・です・・・」
「それは・・・また・・エライ細っこいな!色も白いし・・。ああ、でも結構ええ手つきしとるで?山ちゃん。大学出の変わりだねやっちゅうから、ほとんど期待してなかったんやけど・・・それやったら、すぐできるようになるで?」
”可愛らしい顔”というのにちょっとムッとしつつ・・・
(ま・・・昔から完璧に母親似だって言われてたし・・今更か・・・)
ハァ・・・・ッと、深いため息が漏れたものの、やはり人間誉められると嬉しいもので・・・一気に緊張がほぐれていった。
「ほ、本当ですか!?あ、でも、変わりだね・・・って?」
「ええ大学出とんのに、営業やら経理やらの方へ行かんと、こんな日の目見いへんキッツイだけの製造の現場に入る奴なんて・・・おまんが初めてやったから、変わりだねやって言うとってん」
「そうなんですか・・・!?」
・・・・そういえば、人事部長も『物好きだね・・・?』とか何とかいってたよーな・・・。
「喋るのはええけど、手も動かせっ!!新人っっ!!」
いきなりヌッと作業台の反対側に現れた・・・チキュウとか言う変な名前の奴が、怒声を含んだ声で俺を一喝する。
「す、すみません!」
ハッと、見上げたその男の顔は、俺より10センチくらい高い位置にあって・・・確かに店長が”グリムきっての男前”と言っただけの事はある、ちょっと野性的な精悍な顔立ちをしている。
けど、その人を完璧に見下すような目つきはあまりに冷たく、うかつに声などかけたくないタイプだ。
「嶋さんも最初から甘やかしてどうすんですか!?お前も調子に乗ってんじゃねーぞ!!このくそ忙しい時に、新人の相手なんてイチイチしてらんねーからな!自分で見て、自分で考えて動けよ!大学出てんだからそんぐらいの頭あんだろ!?」
・・・・・人間、合う、合わない・・・というのは第一印象でピンとくるもので。
こいつは・・どう考えても・・・・!
(最低だっっ!なんて・・・やな奴!!絶対、ぜーったい、こいつとは、合わねーー!!!)
あからさまにムッとした表情に気づかれないように下を向いた俺の横で、嶋さんが俺を気遣うように言ってくれた。
「そないな身も蓋もない言い方したらあかんで?チキュウ!見てみー!へこんでしもたやないか。山ちゃんも気にせんときな。こいつの口の悪さは天下一品やから・・・」
そう言ってくれた嶋さんの言葉が耳から抜けていくほど・・・俺の目は、その目の前で動く、最低でやな奴の手さばきに釘付けになっていた・・・!
山のように積まれていた分割された生地の山が、次々と丸められ、箱の中へ納められていく・・・!
そのスピードと手さばきは・・・見とれてしまうほどの職人技だった!!
「・・・・・すっげぇ・・・!!」
思わずもれた感嘆の言葉に対して・・・そいつは・・・・!
「・・・遅すぎなんやっ!せっかく俺が仕込んだ生地、だいなしにされちゃかなわんわっ!」
と、俺にしか聞こえないほどの声で言ったのだ!
キッ・・・と、上目遣いに睨みつけた俺の目を、ギロッと凶悪な目つきで睨み返して、更に言った。
「ガンつけてる暇あんねやったら、手ぇ動かせっ!!新人っ!!」
この一言に・・・俺は完璧に切れた!!
と、言うか、ヤケクソになった・・・と、言った方が正解かもしれない。
とりあえず、その最低野郎の手さばきを、出来る限り真似・・
(これは・・・屈辱的に嫌だったが、店長よりも嶋さんよりも、この最低野郎の方が数段上手く、早かったのだから仕方がない)
必死に言われるとおりの仕事をこなし・・・ズタボロに疲れきって、初日の初仕事を終えたのだった・・・。
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ススム