ACT 2

「お疲れさまー・・・」

そう言った時、すでに時計は夜の11時をまわっていた。

(・・・・うそだろー!朝の9時から夜の11時まで仕事して・・・明日は朝5時からだって!?信じらんねー!!)

ノロノロと更衣室で作業服から朝着てきたスーツに着替えて出て来た俺は、その更衣室を出たところにある階段に座り込んで・・・うなだれていた。

「・・・・・おい!」

突然呼びかけられて顔を上げた・・・その目の前に、何かがブンッと、飛んで来た。

思わずパシッと、手で掴んだそれは・・・あったかい缶コーヒーで。

それを投げたのは・・・あの、最低野郎だった!

製造用の白い作業服と白い山高帽から一転して、ジーンズにTシャツというラフな格好になったそいつは・・・あまり認めたくはなかったが、どこかの雑誌のモデルをしていると言っても通りそうなほど、一見爽やかな、かっこいい男前だった。

「・・・・ふぅん・・ええ反射神経しとるやん。明日からそんな堅苦しい服来てくんなよ!新人!」

「す、好きで着てきたわけじゃない!今朝は本社に挨拶があったから仕方なく・・・!って、そんなことより!危ないじゃないか!チ・・チキュウ・・さん!それに俺の名前は新人じゃない!山田 孝明だっ!!」

「・・・・・さんはいらへん。お互い同じ山田やし・・・同い年やしな・・・」

「っ!?お・・・同い年!?」

俺は思わず目を見張った。

目の前にいる嫌な野郎は、どー見ても年上っぽくて・・・それにその態度はどー見ても同い年の人間に対する物じゃない!

「それと・・・・言っとくが、俺の名前はチキュウやあらへん」

「・・・へ?で、でも!嶋さんや店長、他の皆も・・・・」

「嶋さんが付けたあだ名なんや。智恵の智に久しいと書いて智久(ともひさ)。山田 智久いうんがほんまの名前。それを嶋さんがおもろがってチキュウって呼ぶもんやから、皆真似してそう呼んでるだけや。中にはそれが本名や思てる奴もおるけどな・・・」

そいつは、ひどくつまらなそうな顔つきでそう言った。

「智・・久、チキュウ・・・なるほど!」

あまりにツボにはまったネーミングに、クスクス・・・と笑いが込み上げてきた。

「・・・・・笑えるだけの気力残っとんやったら、さっさと帰って寝ろや!遅刻なんてしやがったら、シバキまわすぞ!!」

俺が笑ったのが気に障ったのか・・・チキュウはプイッと反転して、従業員用出口に向かって歩いていく。

「・・・あっ!ご、ごめんっ!悪気は全然ない・・・」

言いかけた俺のいい訳を遮るように、

「もっと使えねー奴だと思とったけど、けっこー根性あるやんか!?孝明!」

そう振り向き様に口の端にニッ・・と、笑いを浮かべて言い放つと、ドアの向こうに消えて行ってしまった。

その様子は・・・悔しいが、本当に絵になっていて、思わず呆然とそのドアを見つめていると

「初日でチキュウに名前を呼ばれるとは・・・山ちゃん、あいつに気に入られたな!」

いつの間に後ろに来たのか・・・嶋さんが立っていた。

「え・・・!?気に入られた?俺が!?あの人に・・!?」

「そうやで。だってあいつ、気にいらへん奴は徹底して名前呼ばへんからな。俺の知ってる限りでも、とうとうあいつに名前を呼ばれる事無く、お前だの、新人だの、ど素人だの・・・そう呼ばれ続けてそのまま居なくなった奴・・・・・」

と、言いかけて両手を広げ・・・思い出すように指折り数えていき・・・・

「・・・・・あかん、10本の指で足らんくなっとるぜよ・・・」

と、ため息をついた。

「そ、そんなに!?で・・・でも、俺、気に入られたわけじゃないと思いますけど?今日だって、一日中睨まれるしドヤされるし・・・・」

「・・・・けど、山ちゃんそれについていっとたし。チキュウも最後までドヤしつけとったやろ?このくそ忙しい中でアカン思われたら、無視されて放っとかれんのがオチやで?あいつの場合。おかげで山ちゃん、今日一日時間経つのも忘れて仕事できたやろ?」

そう言って、2段上の階段から俺の顔を覗き込んだ嶋さんが、ニッと、意味ありげに笑った。

「た・・・確かに、あっという間の初日でしたけど・・・・」

「考えてみー?あんだけ忙しいキッチンの中で無視されて、ボケッとつっ立っとかなアカン事ほど辛くて長いもんはないで?あいつは口は悪いけど、その辺の事よー分かっとーから新人には厳しいんや。ま、そーゆーことで、明日も頑張りや!」

ニコニコと笑いながら言った嶋さんが、俺の頭をペシッとごつくて節くれだった分厚い手で叩くと、何の歌か分からない鼻歌を歌いながら・・・ドアを出て行った。

「・・・・なんか・・・すごいトコに来てしまった気が・・・する・・・」

と、呟きつつ・・・メラメラと負けず嫌いの根性が湧き上がり・・・

(ヤロー!チキュウの奴!!もう二度と新人とかって言わせねーぞ!絶対、孝明って名前で言わせてやる!!)

と、心の中で叫びつつ、チキュウが投げつけていった缶コーヒーを一気飲みした。

疲れた体に、甘い・・・暖かい缶コーヒーがやけに美味しくて・・・ちょっと、嬉しかった・・・。

 

 

次の日から朝5時出勤が始まり、初日に固く決意した俺は、決して絶対、遅刻なんてしなかった。

別に、チキュウにしばかれるのが怖いとか・・・そういうんじゃなくて、初めて自分の意思でやりたいと思った事だったし、職人・・・というプロ意識を掻き立てられる職業でもあったからだ。

だから、これを自分の仕事と決めて選んだ俺自身のプライドにかけて、今の自分に出来る最低限の事だけは守りたかった。

・・・・・が、

パン屋の仕事というものを、少し舐めてかかっていたと・・・日を追うごとに思い知ったのも事実だった。

「どーした!山ちゃん!?もう疲れたんか?早う両手丸めに慣れな、こんだけの量こなされへんで?」

嶋さんのからかうような陽気な声が降り注ぐ。

「・・・うっ、が、頑張りますっ!!」

一応、初日から右手と左手、両方使ってパン生地を丸める・・・というのをやってはいるのだが、どうしても、利き腕ではない左手が右手について行けない。

つい、左手の方に意識が集中してしまって、右手の方もスピードダウン・・・という状態が続いていた。

おかげで俺の目の前には、山のように切り分けられたパン生地が積まれてしまっている。

「や・・やばっ!!」

あせって必死に手を動かすその先に、スッ・・・と、いつの間にか2本の手が現れて、積まれていたパン生地をサクサクと丸めて片付けていく。

大きくて、少し色黒の長い指。

チキュウの神業のごとく素早く、でも決してパン生地を傷つけない様に、繊細に動く10本の指だった。

「あ・・・す、すいません・・・」

「謝ってる暇あったら、もっと早う手ぇ動かせ!」

「・・・・うっ!分かってます!!」

いい加減この口の悪さには慣れてきたものの・・・やはり、威圧的な雰囲気のチキュウに、つい、敬語を使ってしまう自分が情けない。

・・・・が、

チキュウが前に来て仕事をすると、なぜか俺のスピードも格段に上がる。

その動きにつられて・・・自然に俺の方もスピードアップするのだ。

と、不意に10本の動きが止まった。

「・・・・嶋さん、店長、客に捕まっとる。釜出しやってもらっていいですか?」

さっきから、パンを焼き上げるオーブンのタイマーがけたたましく鳴り響いている。

チキュウが2階あって、1階の売り場を見下ろす事の出来るキッチンのガラス越しに、売り場を見下ろしながら言った。

「・・・あぁ?アチャー・・・ありゃぁやっかいなのに捕まっとるな。あの爺さんに捕まると長いから・・・」

チキュウと同じく売り場を覗き込んだ嶋さんが、あきらめ顔でオーブンの前に立って、焼きあがったパンを取り出しにかかる。

「チキュウ!仕込みの方は?時間大丈夫か!?」

「大丈夫です。ミキサー止まるまで、後15分くらいあるし・・・」

「そうかー・・・したら、そっち頼むわー」

嶋さんのポジションにチキュウが立って、パン生地の分割を始めた。

・・・・が、そのスピードが、嶋さんの1、5倍くらい早い!!

(う・・・うそだろーっっ!何なんだよっ!こいつのこのスピード・・・!?)

まるで手加減なしで、山のように切り分けられた生地が積まれていく。

無常に鳴り響いていた、重さを測る天秤量りの規則正しく動く音が、止まった。

「・・・・えっ!?」

必死に両手を動かしながら顔を上げると・・・・

チキュウが腰に手を当てて、俺の手を見つめている。

「な、何・・!?」

「分からんか?俺を遊ばせる気ぃか?」

言われてハッと気がつけば・・・・

作業台の上には分割された生地が隙間なく積まれていて、分割作業したくても出来ない状態になっていた。

(・・・・く、くっそーーーーーっっ!!)

あまりの悔しさに頭に血を上らせながら、ガムシャラに生地を丸めていると・・・パッと、手粉の白い粉が俺の手に降りかかった。

「・・・・っ!?」

再び顔を上げると、チキュウがまだジッ・・・と、俺の手を見つめていた。

「・・・・・白いな」

「・・・は?」

「ひょっとして、粉より白いんやないかと思たんやけど・・・やっぱ粉の方が白かったな・・・その手」

言われて、カッ・・!と頭に血が上った。

「わ、悪かったな!もともと日に焼けない体質なんだよっ!白くて悪いか!?」

「・・・誰もそんなこと言ってないやろ?ただ単に、キレイだと思ってな。女でもなかなか居ねーぞ?そんだけ色白くてキレイな指した手・・・」

た、確かに・・!

ピアニストのような指だとか・・・マニキュアでもしてあげたくなるような指だとか・・付き合った女の子に何度か言われた事がある。

が・・・・!!

こいつに言われると・・・それはまるで仕事が出来ないダメな手だと烙印を押されたようで、無性に腹が立った。

「好きでこんな手になったわけじゃない!生まれつきなんだからしょーがないだろっ!?」

「卑屈な奴やな。人がせっかく誉めたったのに・・・・」

チキュウがあきれたような顔で、俺の顔を見返している。

「ほ・・・誉める!?誉め言葉になってないだろ!それ!!」

「だから卑屈やと言ってるやろー。人が誉めたら、素直に喜べ!!アホッ!!」

「あ・・アホッ・・・って・・・!!」

関西人は軽い気持ちで『アホ』という言葉を使うけど・・・田舎者の俺にとってその言葉は、結構、かなり、グサッっとくるものなのだ!

「アホッ!!手ぇ止まっとる!!さっさとやれ!!」

「うっ・・・・・!!!」

グサグサと、続けざまに傷つく言葉を投げられながら・・・その反動のように乱暴に両手をフル回転させる。

・・・・と、突然、チキュウがガシッ!!と、俺の手首を掴んで持ちあげた。

「っ!?な、なんだよっ!?」

「そーやないってっ!使うのはここと、こっちの手の付け根のへんや!あと、分割した生地のキレイな表面が多いトコが上に来るように丸めんかいっ!そないに無駄な力込めてギチギチ丸めとったら時間食うし、生地が痛んでまうやろ!?どアホッ!!」

「えっ!?あ・・・っ!は、はいっっ!」

「人の動きはよう見とけ!見て覚えな、誰も教えてくれへんで!!」

そう言って、唐突に掴んでいた俺の手を離し、目の前のパン生地を丸めていく。

確かに・・・よく見ると、チキュウは素早く生地のキレイな面を見つけては、それが表面に来るように・・・最小限の力と労力で生地を丸めている。

(あ・・・っ!!だから、あんなに早いのか!!)

チキュウのその手の動きに、ようやくコツを飲み込んだ俺は、格段にさっきより早く丸められるようになっていた。

それに・・・丸めながら気がついたのだが

チキュウの分割した生地は、嶋さんのと違って・・・丸め易いように、キチンとキレイな面が大きくとってある方が上を向いている。

(こ・・・これってやっぱ、意識的にこうしてくれてるんだよな?俺が丸め易いように・・・・)

何だかちょっと悔しくて、言い訳がましい言葉が滑り出ていた。

「け・・けどっ!チキュウって、手、デカイから・・早くて当然だよな?」

「・・・・はぁ!?自分を知らん奴だな、お前は・・・!」

再びあきれたような顔で作業をストップしたチキュウが、やおら俺の手を掴んで開かせ、自分の手と重ねる。

「・・・・え!?」

「よー見てみいっ!ほとんど変わらんやろーが!手の指の長さだけは・・・!!」

「あ・・・あれ!?ほんと・・・だ!」

チキュウの手は骨太で、ガッシリしているので大きく見えるが・・・指の長さだけで言えば、ほぼ同じ・・・だったのだ!!

「・・・・と言う事は、俺と同じスピードにお前がなれへんのは、己の努力不足・・・と、そう自分で認めたようなもんやな?え!?孝明!?」

勝ち誇ったような目つきで・・からかうように言うチキュウに、一瞬にして頭に血が上った俺は、バシッと、その重ねた手をたたき返して言った。

「み、見てろ!!そ、そのうちにな・・・!!!」

その先に言葉を続けたかったのだけど・・・目の前の、自信たっぷり余裕綽々のチキュウの表情に気圧されて、俺はその言葉を飲み込んだしまっていた。

「そのうち・・・?まー、期待せんと見せてもらおか?」

フフンッと、鼻先で軽く笑ったチキュウに再びメラメラと闘争心が掻き立てられた。

(・・・や・・やっぱり、やな奴だ・・!!こいつっ!!)

 

 

 

 

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