月虹御伽草子(げっこうおとぎぞうし)

 




ACT 1




『ピンポーン・・』

控えめな呼び鈴の音が玄関先に響く。

「・・ん・・・?」

もぞもぞと・・布団の中で身じろぎした桜杜 みことが、眠たげに目を開けた。

「・・え・・?今・・何時・・?」

今のは確かに呼び鈴の音だった・・と思いながら枕元の時計を見ると、まだ朝の五時をまわったばかりのところだった・・。

「こんな時間に・・一体誰が・・?」

そっと布団を抜け出したみことが、部屋のドアを開けると・・二人分の階段を上がってくる音と、密やかな話し声が聞こえてきた。

「・・悪いな聖治、こんな朝早くに呼び出して・・」

「気にしなくていいよ・・どっちみちここへ来なきゃいけないんだし。こうなるだろうとも思ってたしね」

ハッとしたみことが、慌ててドアを音がならないように閉める。

(御影先生・・!なんで・・こんな朝早く・・?あっ!そ・・か、昨夜・・)

みことが昨夜巽に言われた事を思い出す。

『・・みこと・・悪いが明日は一日、オレは部屋から出ないつもりだ・・お前も部屋に近づかないでくれ。聖治が来てくれる事になってるから、心配はないと思う・・』

・・そう・・巽は言ったのだ・・。

今日は・・六月一日・・巽の誕生日の日。

全ての能力を失って、自分の中のもう一人の自分に取って代わられる可能性の最も高い日・・でもある。

「・・で?みこと君にはどう言ってあるんだい?」

「一応、部屋に近づくな・・とは言ってある」

「・・全く!相変わらず甘いな。そんなに見られたくないなら、どこかにみこと君を行かせておけばいいのに・・!」

「どこへ・・?あいつはここ以外行く所など・・」

「・・本当に?行きたいと思えばどこへだって行ける。お前がそうやって・・しばっているからじゃないのか?」

「・・!?オレは、何もそんなことは・・!」

「どうだかな?僕から言わせてもらえばあの子は、ただ親代わりになる人間を求めているだけで・・甘えているだけだ」

聞こえてきたのはそこまでで・・後はドアの閉まる音とともに声も閉ざされてしまった。

「・・・・甘えてる?僕、巽さんに・・甘えてるのかな・・?」

巽の側から離れたくない・・その気持ちに嘘はない。

けれど・・この家から出て、一人で生きていけと言われたら・・・それを不安に思わない・・と言えば嘘になる。

それに巽も、みことが望むなら居てほしい・・そう、言った・・。

でも・・それは裏を返せば、望まないなら出て行っていい・・。

そう・・言われたのと同じだ・・・。

「・・・わかんない!考えたくない・・・!」

再びベッドの布団の中に潜り込んだみことの脳裏から、聖治の言ったその一言が消え去る事はなかった・・。





「おはよう、後鬼・・」

ぶすっ・・とした表情を隠そうともせず、みことがキッチンにいた後鬼に声をかける。

今日が家事当番の後鬼が、いつもの・・深遠な森のような緑色の瞳を細めて笑い返す。

「おはよう、みこと。どうしたの・・?顔が怒ってるよ?」

「え・・っ!?お・・怒ってる・・?」

慌てて顔をパチパチと叩いたみことが、フルフルと顔を振る。

「・・まだ・・怒ってる・・・?」

上目ずかいに後鬼に聞くみことに、後鬼がクス・・っと忍び笑いをもらす。

「一年に一度の恒例行事だと思えばいいんだよ。毎年この日は僕たちも巽の部屋へ入れないんだから・・」

「えっ!?後鬼達も?」

「そう・・僕達の力の源は、あの指輪を持つ者の能力に比例するんだ・・。だから、巽の能力が消えると同時に僕達の力もまた・・落ちる」

「えっ・・じゃ、消えちゃうの!?」

「ん・・人の姿は保てないかな。ただ、巽に危険が迫ればそれなりの代償を支払ってでも・・守るつもりだけどね」

「それなりの・・代償・・て・・?」

「あの指輪がどんなものか・・知っている?」

「ううん・・ぜんぜん・・」

みことが力なく首を振る。

巽がいつも肌身離さず身につけている、銀色のロケット・・その中には、大振りな金色の指輪が一つ収められている。

巽の母親の形見だという・・その指輪は、かつて・・みことと巽が初めて会った事件の時、巽が指にはめ、その力を使った・・。

それがどんな力を秘めていて・・どんないわれを持ったものなのか?

みことは・・そんな事すら知らない自分に気づき、愕然とした。

「・・・僕・・やっぱ巽さんに甘えてるのかな?」

うつむいて・・すっかり落ち込んでしまったみことの様子に、後鬼がクシャッ・・とその頭をなでる。

「そんなに落ち込むことじゃないよ・・。みことが聞いても、きっと巽は教えてくれないと思うしね」

「え・・?なんで・・?」

「んー・・・、いろいろ・・あるんだよ。ただ、僕の口から言えるのは、あの指輪は力を使うたびに指輪その物にその持ち主が魅入られていく。力を使うたび代償としてその力に見合った何かを失いながらね・・。そして、最終的には持ち主の命を奪ってしまうんだよ」

「そんな・・!じゃあ、巽さんも!?」

「・・いや、巽は大丈夫。常に指輪の力を封印してるし、巽自身・・願いを持たないようにしているから・・」

「あ・・っ!!」

みことがハッとする。

だから・・巽は願いを持てない臆病者だと、言ったのだ。

「じゃ・・じゃあ、あの時・・鬼だったあの人の魂を救った時、あの時の代償は何を支払ったの・・?」

「・・もう、見ただろう?巽のあの肩の傷を・・。あれがその代償だよ。あの鬼は何かを契約していて、それを果たせないままでいた。契約は交わした本人がそれを実行するか、交わした相手がそれを破棄しない限り、永遠にその者の魂を縛り続ける・・。その魂を開放するには、誰かが代わってその契約を請け負わなければならない。あの傷はその契約を代わって請け負った証の刻印・・その契約を実行しない限り、消えることはない」

「・・!?や、なに・・それ?じゃ・・一生消えないの?あの状態のまま?僕のせいで・・!?」

ドンッ・・と、みことがキッチンの壁に背中をぶつける。

巽の肩に残っていた傷は、治った痕とはいえ・・かなり、めだっていた。

「どうしよう・・後鬼、僕・・どうしたらいいの?」

真っ青になって、空を見つめたままのみことの両脇に手をついた後鬼が、みことの顔を真近に捉えて言った。

「・・巽には、君に絶対言うな!と言われていた。だけど、あえて君に言ったんだ。なぜだと思う・・?」

真近にある後鬼の顔が、いつになく険しい・・。

「なぜ・・て?それに・・後鬼?式神って、主の命令に背けないんじゃ・・ないの・・?」

通常・・この世界で言うところの式神は、主の命令には絶対服従で・・背けばその身はたちどころに消し飛ぶと、そう巽に言われた事がある・・。

「・・・僕達は、厳密に言うと巽の式神じゃあないんだよ・・。普通、指輪の持ち主とは契約を結ぶんだけど、巽はそれをしなかった。だから・・僕達は自分の意思で巽を守っている。君に言ったのも、巽を守るためだ」

「巽さんを守る・・?」

「そう。あの傷を自分のせいだと・・そう思うなら、巽の側から離れるな!みこと、君は巽に必要な人間だ」

「・・・必要?僕が・・?本当に・・そう、なのかな・・?」

後鬼の怖いくらい真剣な緑色の瞳から視線をそらしたみことの顔を、グイッと、後鬼が上向かせた。

「なぜ、人間はそうも自分を疑う?なぜ・・そうも気持ちが揺らぐのだ?あれほど側にいたいと・・そう言っていたのに、その一度口に出した言葉を、なぜ覆そうとする?」

後鬼のこの問いに・・みことが声を詰まらせる。

「ぼ・・僕だって・・側にいたい!だけど・・そのせいで・・巽さんが傷ついたり、悩んだり・・あんな苦しい思いをするんなら、それなら・・!」

そう言った途端、後鬼がみことの左手を掴みあげる。

「な・・なに・・?」

痛いほど握り締められた手を、後鬼が自分の口元に近づけた・・が、

「そいつの担当はオレだぞ!後鬼!」

鋭い声とともに現れた・・もう一人の式神のかたわれ、冴え冴えとした青い瞳の前鬼が後鬼の手を止める。

「前鬼・・!わかったよ・・」

クスッと笑った後鬼が、掴んでいたみことの手を前鬼に手渡す。

「ぜ・・前鬼!?な・・何なの?いったい・・?」

驚くみことを尻目に、前鬼がいきなり捉えていたみことの手の小指に歯をたてた・・!!

「いたっっ!!な、なにす・・!?」

前鬼の口元を見たみことが絶句する。

傷つけた小指から流れ出た血を・・前鬼が口にくわえ、その血をすすっている。

「・・・フンッ!見かけによらず、美味い血だな・・」

「なっ・・・!?」

本当に・・まだすすり足らなさそうな前鬼の様子に、みことが慌てて手を引き戻す。

噛まれた小指の先は、すでに血が止まり・・代わりに小さなアザのようなものが浮き出ている。

「な・・に・・?この・・アザみたいなの?」

「刻印だ・・」

「刻印・・?なんの?」

「オレから逃げられない為の・・。どこにいてもお前の居場所がすぐ分かるように・・」

「えっ?な・・なんで?」

「お前が・・バカだからだ・・!」

吐き捨てるようにそう言い放ち、前鬼の姿がかき消すように消えてしまった。

「な・・何なの!?バカッて・・?痛かったんだぞ!」

もうすでにいない前鬼に向かって、みことが悔しげに叫ぶ。

「ま、とりあえず・・これでみことは、前鬼から逃げられないよ?妖魔は一度覚えた血の味を忘れる事はない・・。みことが死ぬまで追っていける」

「だ・・だから、何でそんな事を・・?」

再びクスッ・・と、小さく笑った後鬼がからかうように言った。

「・・言ったろう?みことがバカだから・・さ。」

「こ・・後鬼まで!そ、そりゃ、僕はバカだけど・・そんな風に言わなくったって・・!」

「そういう意味じゃないんだよ。ただ・・みことは、僕達が見てきた人間達の中でも、稀にみる純真さを持ち合わせた人間だから・・。人間が時として起こす僕達には理解不能な考えと行動・・それを言っているんだ」

「理解不能な考えと行動・・?」

「他人のために自分の命を捧げるなど・・とうてい理解しがたい!という事だよ」

「・・う、またそれを言う・・。自分の命をもっと大事に扱えって事でしょ?」

「・・僕達妖魔にとっては、人の命など・・ただのエネルギー補給の源でしかないからね。食うか食われるか、倒されるか倒すか・・そのどちらかなんだよ」

「・・後鬼も・・前鬼も、そう・・なの?」

人の姿をとって、一緒に暮らすこの式神達は・・みことからすれば、人間と同じ・・なのだ。

あからさまにそう言われても、なかなか納得がいかない・・。

「・・いつも言ってるだろう?よく覚えておけと・・。妖魔にとって最高の獲物は、純真な心の魂だ・・若く、美しい者ほど狙われる・・。そして、力の強い者にも惹きつけられる。その魂を食らってその力を得ようとするために・・・もしくは、その力の一部となって共に生きようとするために。だから・・悪いけど、ご飯の後片付けは自分でやってくれる?そろそろ僕達も力が落ちた時のための準備をしておかないとね」

みことの問いをはぐらかし・・後鬼が二人分の食事を盆に載せ運んで行く。

「あ・・!それ、巽さん達の?僕が持って行く!」

後鬼の前に立ちはだかって、挑む様に後鬼を見つめるみことに・・後鬼がため息をついて、盆を手渡しながら言った。

「行っても・・巽は会ってくれないよ?」

「うん・・分かってる・・。でも、何かしてあげたいのに何も出来ないから、せめて・・これくらい・・・」

寂しげな笑みを残して二階へ上がって行くみことに・・・後鬼が小さく嘆息した。

「・・だから、バカだと言うんだよ。今、巽の側にいるのが誰なのか・・よく考えもしないでそういう事をする。自分から傷つきに行く様なものなのにね」

妖魔らしからぬ・・いたいたしげな視線を残して、後鬼が掻き消えた・・。



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