ACT 2
『コンコン・・』
ドアをノックする音に、聖治が振り向いて言った。
「誰?」
「あ・・あの、ご飯・・持って来ました」
聞こえてきたみことの声に、巽がハッと、顔を上げる。
どうするんだ・・?と、言わんばかりに視線を合わせた聖治に、巽が力なく首を振る。
聖治が細くドアを開け、スル・・ッとドアの外に出てドアを閉めた。
「ありがとう。僕が渡しておくよ」
いつもの・・あの、観音像の様な柔和な笑顔の聖治がにこやかに盆を受け取る。
「あの・・巽さんは・・?」
「大丈夫だよ。心配いらない」
「あの・・え・・と、おはよう・・だけでも言っちゃだめですか?」
すがるような目で問うみことに、聖治が冷たく言い放つ。
「巽が嫌だと言ってる・・。それでも?」
「う・・・そうですか・・。ごめんなさい・・」
シュン・・・とうなだれたみことが、とぼとぼと階段を降りて行った。
部屋の中に戻って、巽に盆を手渡す聖治に・・巽がため息をつきながら言う。
「何も・・あんな風な言い方しなくても」
「何だ?事実をそのまま伝えただけだぞ?嫌なら堂々と部屋を出ろ。もしくは、みこと君にどこかに行ってもらえばいいだろう?」
確かに・・みことにどこかに行ってもらうのが一番いいのだろうが、それではまるでみことを追い出すようで・・巽には出来ない。
かといって、そのままで部屋を出る勇気も・・なかった。
「・・・そうだな。お前のせいじゃない・・悪かった・・・」
盆に載せられた朝食に手もつけず、巽が再びベッドの中にもぐりこんだ。
同じ頃・・・
みこともまた、テーブルの上に並べられた一人きりの朝食セットを・・手もつけず眺めていた。
いつもなら・・そのみことの向かい側の席に巽が座って、たいてい新聞を広げて見入っている頃のはずだ・・・。
「・・・そういえば・・初めてだな。この家に来て、一人っきりの朝ご飯なんて・・」
同じ家の中にいるのに・・会うことも、声をかける事も出来ないなんて・・。
シ・・ンと、静まり返った家の中に、妙に時計の音だけがはっきりとこだまする・・。
一人っきりのご飯がこんなに味気ないものだったとは・・・
いつもならあんなに美味しいご飯も・・まるで喉を通らない・・。
「・・だめだ・・食べられそうもないや・・」
カタン・・と、箸をおいたみことが、手のつけられなかった皿を冷蔵庫にしまいこみ・・残っていた洗い物を洗っていると・・・
突然、電話の呼び出し音が鳴り響いた!
「わっ!?」
思わず手から滑らせそうになった鍋を、慌てて掴み直し・・ホッとため息をついた途端、電話の音が止まった。
カウンター越しに電話を見ると・・・切れたわけではなく、どうやら二階の部屋で電話を取ったらしかった。
「誰からだろ・・?」
気なったみことが、泡だらけの手を洗い流し電話に近づく・・・と、
『ポーポーポー・・・!』
と、内線呼び出しの音が聞こえてきた。
慌てて受話器を取ったみことの耳に、懐かしい声が届く・・!
「みことか!?オレやオレ!元気しとったか?」
「え・・!?ひょ、ひょっとして・・綜馬・・さん!?」
みことの声が思わず跳ね上がる。
辻 綜馬・・巽と始めてあった事件の時、巽とともに組んで仕事をしていた青年。
高野山金剛峰寺・時期大僧正候補ナンバー・1とも噂される・・密教系僧侶の実力者だ。
あの事件の時、巽とみことが一緒に暮らせるように影ながら助力もしてくれていた。
みことにとっては、頼れる兄のような存在なのだ。
「ひっさしぶりやなー!ちょーどこっちに仕事で来てな、時間あったから寄ってったろー思て来てんけど・・なんやしらんが、杉ジイの結界が強力になり過ぎとって入られへんねん。おまけに巽の奴がお前を連れ出して遊んでやってくれ・・言いよるし。なんかあったんか?」
綜馬からの電話を取った巽は、こんな時に・・!と、ばかりに電話を切ろうとした。
・・が、みことの唯一の、巽も気心のしれた知り合い・・である事を思い出し、この際、綜馬にみことを連れ出してもらおう・・と思いついたのだ。
「巽さんが・・?そっか、そうだよね・・ここに僕がいるより、その方が巽さんも気が楽かも・・・。あ・・でも、綜馬さんはいいんですか?お仕事なんじゃ・・?」
「・・いや、オレは別にぜんぜんかまへん・・。けど、な?ちーと悪いが・・もう一回巽と替われるか?」
「・・?あ・・はい、ちょっと待って下さい・・」
再び二階の巽に電話を回すと・・しばらくして電話は切れ、それと同時に二階から誰かの足音が降りてきた。
みことのいる居間に入って来たのは、聖治だった。
「み・・かげ先生!?」
「・・まったく!僕は君と巽の伝令役じゃないんだけどね・・?それで?行くの?行くんだったら、泊りがけになるよ?綜馬君いわく、遊んでくれって言うならしばらく君を借りたいそうだから・・・」
「僕を・・?借りる・・?」
「そうらしいよ・・ああ、着替えは最小限でいいって」
「・・・巽さんは・・なんて・・?」
「・・なんでそこに巽が出てくるんだい?行くかどうか決めるのは君だよ?」
そういうところが甘えているのだと・・聖治の視線が告げている。
「・・分かりました。僕がここにいても出来る事はなにもないし・・行ってきます。行く準備・・してきます・・」
本当は、行きたくなどないみことだったが・・巽の側に聖治がいて、それを巽が望んでいる状態・・を目の当たりにし続けるのは、想像以上につらい事だった。
脱兎のごとく自分の部屋へ駆け込んだみことが、着替えを押し込んだバックを持って部屋から出ると・・巽の部屋の前で足を止めた。
「行ってきます・・」
そう・・小さく呟いて、唇を噛み締めたみことが階段を一気に駆け下りて、玄関を飛び出して行った・・・。
「綜馬さん!」
蔦の絡まる、開け放たれた格子扉の外側に・・綜馬の姿があった。
「おうっ!みこと!元気そうやなー!」
以前と少しも変わらない・・屈託のない満面の笑顔がみことを迎える。
「綜馬さんも元気そうで、嬉しいです!」
綜馬に駆け寄ったみことが、門の所を出た途端・・まるで何かに覆われていたかのような感覚を感じて、振り返る。
「・・な?いつもと比べ物にならんくらい強うなっとるやろ?杉ジイの結界・・」
「すご・・い!なに、これ・・?」
その・・古い欧風様式の建物を、すっぽり覆いつくすようにいつも張られている杉ジイの結界が、普段の何倍も強められていた。
「ちょっと、見とってみい・・」
ス・・ッと手を伸ばした綜馬が、その結界の壁に触れる。
途端に・・バチッ!!という音とともに白い閃光がほとばしった!
「つっ・・!」
顔を微妙に歪めた綜馬が、触れていた手を見つめる。
まるで湯気でも立ち上るように、綜馬の手からシュウ・・と、白い煙が立ち昇っている。
「だ・・大丈夫ですか?」
「・・ああ、大丈夫や。せやけど、一体何事や?こないに結界強めなあかん理由・・只事やないで?」
「・・・あ・・あの、それは・・ちょっと・・・」
みことが綜馬の視線から逃げるように顔をうつむける。
巽の力が失われる・・という事は、巽にとって最大の弱点といえる。
その事は、例え綜馬であっても・・いや、同じ能力者でもある綜馬だからこそ・・決して言ってはならない。
「・・なるほどな。言ったらあかん事・・か。ま、その理由しっとるみことをオレんとこへ来させた・・それぐらいの信頼はあるわけや」
綜馬がフウ・・ッと、ため息とも苦笑いともとれる吐息をはく。
「・・?僕を来させた信頼って?」
「アホやな・・オレが悪い奴やったら、みことを痛めつけてでもその理由、聞き出しとるで?」
「あ・・・!」
ただならない理由・・もし、敵対する者であったなら、当然何としてでもそれを知ろうとするはずである。
巽の側にいる・・という事は、必然的に巽の秘密を知る事をも意味する。
前に・・聖治が言った『自分の身ぐらい自分で守れるようにならなければ、巽の側にいる資格はない!』・・・その言葉の意味を、改めてみことが思い知っていた。
「・・・ほんとに、僕は・・甘えてる・・・」
唇を噛み締めて、シュン・・とうなだれたみことに、綜馬が大きなため息をついた。
「・・なあ、オレのした事・・大きなお世話やったか?」
「え・・?」
顔を上げたみことの前に、綜馬の申し訳なさそうな顔があった。
「オレは・・お前と巽やったら、うまい事いくんやないか・・そう思て、一緒に住むように仕向けたんや・・。けど、今のみことの顔見とったら・・・」
「そ、そんな事ないです!!僕、すっごく感謝してるんです!綜馬さんに一度ちゃんとお礼いっとかなきゃいけないと思ってたんです!本当にあの時はありがとうございました!」
みことが慌ててペコッと、頭を下げる。
みことと巽が一緒に住むように仕向けたのは、綜馬だった。
二人が始めて会った事件の時、おそらくは素直に自分の気持ちを言い出せないであろう事を見越した綜馬が、巽が素直になれるように・・手紙で一言はっぱをかけたのだ。
その綜馬の思惑どうり、二人は一緒に住むことになった・・。
以来、綜馬は二人の事をずっと気にかけていて・・ようやく様子を見に来れたと思ったら、みことのこの元気のない有様に、自分の勘も鈍ったか・・と、落胆の色が隠せないのも当然だろう。
「ちょ、ちょっと待ってーな!礼を言われるような事やない!・・せやし、そうおもっとんやったら何でそんな顔しとんねん?」
「・・・巽さんの側にいられることは、凄く嬉しいんです。ただ・・僕なんかが側にいていいのかな・・?って。僕は、巽さんに甘えてるだけなんじゃないのかな・・?って、そう思ったら・・」
みことの顔が再び悲しそうにくもる。
「・・あのアホッ!!やっぱそうか!さっき電話で脅しかけといて正解やな!」
「え・・?脅し・・って?」
綜馬が巽がいるであろう・・カーテンのひかれた二階の出窓を仰ぎ見る。
「今、巽の側に御影がおんねやろ?甘えてるだのなんだの言うたんも御影や・・。違うか?」
「な・・んで・・?綜馬さん?」
「オレが一番心配しとった事やからや・・。巽の側に御影がおんのは、オレはあんまりええ事やない・・おもうてる。みことが側におったら、少しは御影の奴も離れるやろ!おもてんけどな。ま、そんくらいでこっちの思う通りになるような奴やったら苦労せえへんか・・・」
再び深いため息をついた綜馬が、不意に顔を上げ、ニヤッと意味ありげな笑みをみことに向ける。
「・・な?さっきオレ、電話でなんて言ったと思う?」
「へ・・?さ、さあ・・全然わかんない・・です・・」
ふふん・・!とばかりに得意げな表情になった綜馬の目が笑っている。
「あのな、みことを遊びに連れて行く代わりに・・送ってはやれへん。返してほしかったら、迎えに来い!!そう、言うたった」
「え!?ええっ!?そ、そんな事言ったんですか!?そ、それで巽さんは!?」
くくく・・と、さも楽しげに綜馬が笑う。
「あいつな・・一瞬、言葉につまりよってな、何処へ連れて行く気だ?言いよるから、教えたらへん!本気で連れ戻す気ぃがあんねやったら見つけられるやろ!言うたったんや!」
みことが唖然とした表情で、不安げに言った。
「・・・あの、それで・・なんて?」
「・・くく!あいつな、めった聞いた事ない真剣な声で、明日中には迎えに行く!言いよった。せやから、そう簡単には返さへんで・・!て、言うといたんや。あいつのあないな真剣な声、初めて聞いたで?愛されてんなー、みこと?」
ポンッと、真っ赤になったみことが綜馬にくってかかる。
「な・・な・・なに言ってんですか!?綜馬さん!!」
「わははは・・!今さら照れんなみこと!一番最初に泣きつかれて巽に抱きついて寝てもうた、ラブラブなとこ見てんねんで?何はずかしがっとるんや?」
「あ、あ、あれは・・!不、不可抗力で・・!!だ、抱きついたわけじゃ・・・!」
耳の先まで真っ赤になったみことに、綜馬がクシャクシャ・・ッとその柔らかい銀色の髪をかき回す。
「お前に落ち込んだ顔なんか似合わへん!巽かて、きっとそう思ってるはずや・・・」
「!?綜馬さん・・・!」
ハッとした表情になったみことの頭をポンポン・・と、軽く叩いた綜馬が笑って言った。
「さ、分かったら行くで?後で巽が悔しがるくらい、おもろいとこ行こか!」
「・・は、はい!」
綜馬の・・胸が苦しくなるくらいの優しい心使いに、みことが精一杯答えるように満面の笑みを返した。