櫻下異形奇譚 =それぞれの出会い編=
ACT 1
暗闇の帳が下りた無機質なビルの隙間を、
『バサバサバサ・・・ッ』
と一陣の黒い風が切り裂いた。
『前鬼!今だ!結界を張れ!!』
凛とした鋭い声が暗闇に蠢く不穏な影を追い詰める。
『承知っ!!』
先ほどの声に劣らず鋭い声が、黒い風・・と見えた一羽の大ガラスの口から流れ出た。
・・・刹那
大ガラスの姿が黒衣に身を包んだ青年の体に豹変し、一瞬にしてそのビルの谷間を覆う巨大な結界を張り巡らす。
途端に・・・
『・・・イス!!』
という言葉と共に、ビルの屋上から身を躍らせた黒い人影が、虚空に指先で見慣れぬ図形を描く。
その描かれた図形・・・というより、文字と見えたそれが、結界の中に閉じ込められて暴れまわっている無数の蛇のような物を覆いつくす。
『キ・・・・ィ・・・・ン・・・・ッ』
耳をつんざく金属音のような音色が響いたかと思うと・・・結界の中に居た物達が巨大な樹氷のごとく凍りつく。
『ティール!!』
続けざまに響いた声と共に描かれた文字が、その結界に向かって落ちていく黒い人影の手の中で、一本の光り輝く剣に変わる。
その剣の輝きに照らし出された黒い影・・・漆黒の髪に灰青色の瞳、一目見て異国の血をうかがわせる彫の深い常人離れした端整な顔立ち・・・の、青年が結界の中で氷の結晶と化して動きを止められた物達を切り裂いた。
巨大な樹氷のように見えていたそれが、剣によって粉々に弾け飛び・・・結界の中に崩れ落ちる。
そのまま地上に向かって落下する青年の下へ、もう一羽の大ガラスが巨大なカラスとなって現れ・・・その背に落ちてきた青年を受け止めた。
そのままグルッとビルの谷間を旋回し、背に乗っていた青年がフワッ・・と地上に降り立った・・・。
『パチパチパチ・・・・・』
どこからともなく聞こえてきた拍手に・・・青年が眉間にシワを寄せて振り返る。
『さすが鳳本家の次期当主・・・鳳 巽(おおとり たつみ)・・・。俺たち分家とはわけが違う・・・』
『・・・・空也(くうや)か・・・・』
『おや・・・名前を覚えていてくれたとは・・・分家みょうりに尽きますね・・・・』
クックッ・・と、口元だけで笑う鳳 空也もまた巽の顔立ちとどこか似た雰囲気が漂う端整な顔立ちをしている。
ただ・・・・その黒い瞳だけは底冷えのする邪気をはらみ、冷たく射るような視線で巽を眺めていた。
『ほう・・・しばらく日本から離れていると聞いて清清していたのに・・・もう戻ってきたのか?分家の雑魚が・・・!』
ビルの谷間に張られた結界の上に立ち、その結界を張った大ガラス・・・漆黒の髪に全身黒ずくめの青年・・・前鬼が、その青いサファイヤのような冴え冴えとした瞳を空也に向けて言い放つ。
『・・・前鬼か・・・相変わらず誰かさんに似て、口の聞き方を知らないようだな・・・?ただの式神ふぜいが・・・!』
ザワッ・・・と、空也の背後から黒いオーラのような物が湧き上がる。
二人の会話を無表情なまま聞き流していた巽が、クルッときびすを返しながら空也に言った。
『・・・とりあえず・・・分家から依頼のあった仕事は終わった・・・。後始末はお前たち警察の仕事だな・・?鳳 空也、特殊広域監理官殿・・・』
『・・・相変わらずだな・・巽。分家の人間など眼中にないか・・・!?言っておくが、お前が『朱雀』の力を封印し続ける限り、俺たち分家はお前を本家の次期当主として認めるわけにはいかない・・・!それだけは覚えておけ!』
『・・・・好きにしろ・・・俺には関係ない。俺は俺のやり方でやっているだけだ・・・』
空也に背を向け、感情のこもらない無機質な声で振り向きもせずにそう言うと・・・
『・・・前鬼!後鬼!帰るぞっ!』
凛とした声を響かせて・・・ビルの谷間の闇の中へ、溶け込むように姿を消した・・・。
『ちょ・・・っ!待て!!巽!!このでかい妖魔の残骸をなんとかしていけ・・・!』
『お前の式に食わせりゃいいだろう!?・・・ああ、これだけ無駄にでかいと・・食いきれないか?』
パシンッ・・!と、結界を解き放った前鬼の声と共に、結界で遮られていた巨大な妖魔の、氷と化した残骸が空也の眼前に振り注ぐ。
『雑魚じゃないって言いたいなら、これぐらい片付けてみな!』
前鬼が笑いを含んだ声で言い放ち、フイッ・・と姿をかき消した。
『・・・・っちっ!仕事ならきっちり最後までやっていけっていうんだよっ!!』
『・・・ごもっともですね・・・』
突然かけられた声に、空也が驚いて声のしたほうへ目を向ける。
そこに・・・先ほどの前鬼と瓜二つの全身黒尽くめの青年・・・ただ、輝く二つの双眸の色が前鬼と違って深淵の森のようなエメラルド・グリーンだ・・・。
『・・・っ後鬼か!?』
『依頼された仕事はきっちりやるのが本家の役目・・・確かそう言ってましたね?次期分家当主・・・鳳 空也さん・・・?』
前鬼と打って変わって・・・人好きのする笑みを浮かべた後鬼がニッコリと聞く。
『・・・それが鳳家の昔からのしきたりだからな・・・!』
『じゃ、あなたにお手間をかけさせる訳にはいかないですね・・・?』
瞳を細めて微笑んだ後鬼が、虚空に見慣れぬ文字を描き・・・
『・・・ウル!!』
と叫んで、その文字を描いた手を開く。
同時に後鬼の開いた手の平から、巨大な牡牛のごとき怪物が咆哮と共に出現し・・・散らばっていた氷付けの妖魔の残骸を一飲みにして、再び後鬼の手の平の中へ吸い込まれるように掻き消えた。
『・・・ルーン・・か・・・!』
まるで何事も無かったかのように、キレイさっぱり片付いたビルの谷間を驚愕の表情で見つめる空也に・・・後鬼が言う。
『・・・イスは『氷』または『停滞』、ティールは『戦いの神』、ウルは『野生の牡牛』の意味を持つルーン。あなた方陰陽師が使う九字や真言と似たようなもの・・・古き異国の神々が残した力・・・』
妖魔の残骸を取り込んで、更に輝きを増した後鬼の深緑色の瞳が不敵に笑って空也を射抜くように見返し・・・バサッ・・!と大ガラスに姿を変えると、闇の中へと溶け込んでいった・・・。
『異国の神々・・・客神(まれがみ)の力・・・か。よりにもよって・・・日本屈指の陰陽師の家系、鳳本家の次期当主がその力の使い手とはね・・。分家のお偉方に睨まれて当然だな・・・?巽・・・』
クッ・・・と喉で笑った空也が、先ほど出現した妖魔のせいでざわつく街の片隅を収束すべく、きびすを返した。
『バサバサバサ・・・・ッ』
一羽の大ガラスが、人通りの途絶えた公園のベンチに座っていた巽の肩に舞い降りた。
『・・・ご苦労だったな、後鬼・・・』
肩にとまった大ガラスの頭を巽がソッと撫で付ける。
『余計な事を!あの程度の事、あいつに押し付ければいいものを!!』
バサッと舞い降りたもう一羽の大ガラスが、巽の座るベンチの真上にあった桜の木の上で青年の姿をとって、言い募る。
途端に巽の前にヒョイッと飛び降りたカラスもまた、同じ姿の青年へと変貌し・・・言い返す。
『ま、仕事は仕事だから・・・ね!前鬼!そんなに怒ってるとお腹減るよ?後でさっきの妖魔の気、分けてあげようか・・・?」
まるで子供をあやす保護者のように、後鬼が前鬼に微笑みかける。
『・・・・お前のそういう言い方が気に入らないって言ってるだろう・・!』
拗ねた子供のようにムッとした表情になった前鬼に・・・後鬼の深緑の瞳が一層細まる。
『・・・・無駄に反感を買う必要もないし、第一、お腹減ってたんだよ・・・それじゃダメ・・・?』
『・・・・・ッ知るか!』
言い捨てた前鬼が、フイッと掻き消えた。
前鬼が消えた途端、巽がクッ・・・と、その口元にわずかな微笑を浮かべた・・・。
街燈に照らし出されたその笑みは、整いすぎて無表情だったその横顔に・・・初めて血の通った人間らしさを伺わせた。
『・・・変わらないな・・お前たちは。・・・無駄な反感か・・・それもそうだな。ありがとう・・・後鬼、ゆっくり休んで・・・・・っ!?』
不意に語尾を詰まらせた巽が、ギュッ・・と右手を握り締めていた。
『・・!?どうした!?巽!?』
慌てたように巽の右手を掴んだ後鬼が、無理やりに握りこんだ巽の手を開かせる。
一瞬、
二人の目に、手の平に浮かび上がった血・・・!?のような何かが見えた。
だが、それはほんの一瞬の出来事で・・・そして
『・・・今、何かの・・・花の匂い・・・しなかったか・・?後鬼?』
その手の平を食い入るように見つめた巽が、呆然と呟く。
『花?いや・・・僕には全然・・・・。それより、今の・・・なに?血・・・のようにも見えたけど・・・血にしては・・・薄い色だったかな・・・?痛むのか?』
『・・・・いや・・・痛み・・・というより、熱かった・・・。熱くて・・・何か・・・なんだ・・・?頭の中が・・・霞でもかかってるみたいに、はっきりしない・・・』
両手で頭を抱え込んだ巽の脳裏に・・・一瞬、満開の桜の花が浮かんだ・・・!
『・・・っ!?さ・・くら・・!?』
ハッと顔を上げた巽が、真上にあった、まだ芽吹いてさえいない枯れ木のような桜の枝を見上げた。
その枝を見つめた視線の先・・・・十五夜の満月を横切るように、何かが飛び退っていった。
『・・・っ!?後鬼!!』
思わず後鬼の腕を掴んだ巽が目を凝らしてその物体を追ったが・・・・まるで幻のようにそれは気配を消していた。
『巽・・・!?』
怪訝な表情で巽を見下ろす後鬼に・・・巽が一つ、ため息を落とす。
『・・・・なんでもない・・・。ここのところ、あてつけがましく依頼が多かったからな・・・。少し・・・疲れてるのかもしれない・・・』
『・・・・そう・・?巽がそう言うなら・・・。じゃ、とりあえず今日は僕が送るよ。異界を通るから・・・目は閉じててね・・・?』
『・・・ああ・・・頼む・・・』
後鬼の腕に寄りかかるようにして目を閉じた巽と後鬼の姿が・・・・一陣の風と共に、掻き消えていた・・・。
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ススム