ACT 2

 

十五夜の妖しく蒼い月の光が、白いリノリウムの床の上に・・・絡まる二つの影を浮かび上がらせている。

ほのかに香る消毒薬の匂いと半開きになった白い間仕切りカーテン。

そのカーテンの隙間から忍び込んだ蒼い月の光が、無造作に床の上に打ち捨てられた白衣をも蒼く照らし出す。

『・・・ぅ・・は・・あ、ああ・・・っ!』

それまで押し殺した吐息と、声を殺した嬌声のみだった組み敷かれた影が・・・耐え切れずに声を漏らした。

『・・・なぜ私を見ない・・?この瞳の色を見るのが嫌か?お前の大事な『巽』の灰青色の瞳ではないからな・・・』

絡まる二つの影のうち、上になっていた影が顔を上げ、くぐもった笑い声と共に蒼い光にその身をさらす。

月の光を浴び・・いっそう艶めかしさを増した白磁の肌。

その肌に緩やかにかかる闇よりも黒い漆黒の髪。

口の端に蒼い月の光より冴えた冷笑を湛えた紅色の薄い唇。

そして・・・一際強い輝きを放つ・・妖しい紫色の双眸。

妖艶な・・・見る者の心を奪い去るその容貌。

その紫色の瞳をまるで覆い隠すかのように・・組み敷かれた影の手が蒼い光の中に浮かび上がった。

『・・・その・・瞳の色さえ・・なければ・・・!』

『なければ・・・?』

伸ばされた手を指で絡め取り・・再び白いシーツの上に縫い止めた紫色の瞳が更に冴えた輝きを放って・・冷たく笑う。

『この忌まわしい色の瞳が・・つまりは私がいなければ・・お前たち『御影』の一族もまたその存在理由を失うことになるな・・・?お前たちの血に受け継がれる鳳と御影を繋ぐ『血の呪縛』・・。どうした・・?早く私を封じるがいい。そうしなければ・・お前の『巽』は眠ったままだぞ・・?』

『い・・われなくても・・っ』

悔しげな・・切なげな声と共に蒼い光の映し出す影が一つに重なり、声を殺した熱い吐息と軋むベッドの音だけが白いカーテンを微かに揺らす。

その様を・・・ただ妖しく輝く十五夜の月が・・見ていた。

『・・・・った・・つみ・・・ッ!』

蒼い光の中で一際大きく影が跳ねる。

それと同時に跳ねた影自身から蒼白い光が放たれて・・・もう一つの影がその輝きを吸収するかのごとく急速にその闇色を光に変えた・・。

途端に崩れ落ちるようにその妖艶な美貌がベッドの上に倒れ伏す。

吸収した輝きを・・その余韻のように白磁の肌から滲ませながら・・・。

『・・・巽・・?』

まだ快楽と気だるさとで熱を帯びた鳶色の瞳が・・不安げに倒れ伏した美貌を覗き込む。

その鳶色の瞳に映った『巽』の顔は、先ほどまでの身震いするほどの艶めかしさが立ち消えて・・・無邪気な・・・安らかな寝顔に変わっていた・・・。

『・・・おかえり・・巽・・・』

ホッとしたように安堵の色を浮かべた顔は・・・明るい栗色の髪に鳶色の瞳。

組み敷かれていた体を引きずるように起こし・・蒼い月の光と同じ色に染まったまま床の上に散らばる衣服を身につける。

月の光に反射してその位置を主張した細い銀縁の眼鏡を拾い上げ・・振り返った姿は・・・

医者としての威厳と権威を主張するシミ一つない白衣に身を包み、観世音菩薩に眼鏡をかけたような柔和な笑顔を湛えていた。

無邪気な寝顔のまま眠る巽の衣服を手馴れた手つきで整えて・・その寝顔にソッと顔を寄せる。

『・・・お前は・・僕が守るから・・。お前が鳳の血を認めなくても、古にかけられた『血の呪縛』は僕の中の御影の血の中で生き続けてる・・。お前は・・いつ・・それに気づいてくれる・・?』

眼鏡の奥のいつも笑っている瞳が・・一瞬、切なげな悲しい影を落とす。

閉じられたままの・・巽のまぶたの上に触れるだけの軽いキスを落とし・・そのすぐ横でイスに座ったまま顔を伏せ、気を失うかのように・・深い眠りに落ちていった・・。

 

 

 

パタパタパタ・・・と、軽やかに走り去る足音と、カチャカチャと乾いた音をたてる金属のぶつかり合う音。

漂う消毒液の匂いと、顔に当たる暖かな日の光・・・。

閉じていても奥まで届いてくるその光の強さに、巽がゆっくりと瞳を開く。

その瞳の色は・・・漆黒の髪とは裏腹の・・灰青色の異国の色。

耳元に聞こえる微かな寝息に視線を向けると・・・そのすぐ側に、日の光に照らされて輝く栗色の髪の持ち主・・が居た。

『・・・聖・・治・・?』

その微かな呟きに・・・栗色の髪がピクッと揺れる。

ゆっくりと起き上がったその顔には、『仏の聖治』と異名をとる・・いつもの揺るぎない笑顔を湛えて眼鏡の奥で笑う、細められた目があった。

『おはよう。いつみても綺麗な色だね。その瞳の色・・。で、どう?体調は・・?霊力の使いすぎで消耗した分、もう回復してる・・?』

『・・・ああ、大丈夫みたいだ・・。悪いな・・ぶっ倒れるたびに呼び出して・・・』

蒼い月の光の中で聞いた声とは明らかに違う、艶めかしさも色気も全くない、ぶっきら棒で抑揚の無い声が言う。

『気にするなって言ってるだろう?この僕の姿が巽にはどう見えてるのかね?』

クスクス・・と笑った聖治が立ち上がり、おどけたように両手を広げる。

消毒液の匂いが一瞬強まって・・白衣の裾がひるがえる。

『・・・医者・・だな。どう見ても・・・』

聖治の白衣と周りにある間仕切りの白いカーテンと、横になっている白いベッドに改めて巽が視線をめぐらせる。

その視線を遮るように巽の顔を覗き込んだ聖治が、医者の顔つきになって言った。

『主治医として一言、言っておく。いくら分家の依頼だからといってそれを全部お前がこなす必要はないんだ。激しい霊力の消耗は時として命の危険にかかわる。適当に受け流すくらいの要領の良さを身につけろ・・!』

『・・・分かってる・・。けど、そのためにお前が居てくれるんだろう・・?』

聖治を見上げる巽の顔に、フワッと笑顔が浮かぶ。

滅多に見せない・・聖治だけに見せる全幅の信頼を寄せる笑顔・・だ。

その・・笑顔に、聖治がフッ・・と視線をそらし・・・きびすを返した。

『・・そう思うんなら、いい加減鳳の血を認めたらどうだ?鳳本家の血に寄り付いた『朱雀』は例え封じていてもお前の中に居るんだからな・・・!』

その言葉に、巽の顔が一気に強張る。

『・・それは・・無理だって・・お前が一番知って・・・』

病室の引き戸に手をかけた聖治が、背を向けたまま押し殺したような声音で言った。

『いつまで・・あいつの影を引きずってるつもりだ?あいつは・・あの男は、お前を殺そうとして・・お前はそれに抵抗した。ただの正当防衛だろう!?いい加減・・忘れたらどうなんだ・・!?』

『聖治・・・っ!』

ガバッと体を起こした巽が聖治を呼び止める。

『体調が戻ったんなら、いつ帰ってもいいよ。手続きはこっちでやっておくから好きなときに帰れ・・・』

その呼び声を無視した聖治が、振り向きもせずに病室を出て行った。

『・・何・・言ってる・・!?あの人は・・お前の・・父親だろ・・・っ!』

うなだれた巽が・・唇を噛み締めていた・・。

 

 

 

 

『御影・・っ!』

病室を出た聖治が、朝の気ぜわしい病棟を抜け・・病院内の自室へと向かっていた時、耳慣れた呼び声に呼び止められた。

『・・鳳・・空也・・か・・』

チラッと声の主を一瞥し・・・一瞬、聖治の眉間に深いシワが走る。

くわえタバコのまま歩み寄ってきた空也が、挑発的な視線を投げる。

『・・巽の奴はもう回復したのか?してるんなら、ちょっと厄介な依頼があるんだがな・・?』

振り返った聖治の顔には、もう、いつもの柔和な笑顔が張り付いていた。

『ここ・・禁煙なんですよ?仮にも警察官なら、マナーぐらい守って欲しいもんですね?』

『・・・話をはぐらかすな。巽はどこだと聞いている』

『その件でしたら主治医として許可は出せませんね。まだ充分に回復していませんから・・』

笑顔のままにこやかに言い返す聖治に・・空也が意味ありげな笑みを浮かべて問い返した。

『・・・噂なんだがな・・・たまに・・本家の人間が人が変わったみたいに異常な能力と力を発揮する事があるってのは本当か?昨日・・一瞬だけだったけど、お前が来る直前に見た巽の表情・・あれは・・なんだ?あれは巽じゃあなかった・・』

『単なる根も葉もない噂ですね。あなたが見たって言うのも・・どうだか・・?もっとも・・本家の人間の潜在能力はあなた方分家の物とは比較にならないほど強大です。僕からしたら・・ただのやっかみとしか聞こえませんけど・・?』

『・・相変わらず・・口のへらねぇ奴だな・・お前は・・・』

『あなたほどじゃないですよ・・?』

ニコニコと・・空也の凄みを利かせた視線を受け流し・・聖治が軽く空也をあしらう。

一瞬、聖治に詰め寄った空也が・・けれど思い直したように言葉を続けた。

『・・・なあ、御影の当主さん・・御影と鳳本家を繋ぐ血の呪縛・・ってのを聞いた事があるか?』

『さあ?聞いた事ありませんね。なんです?それ?』

顔色一つ変えず、変わらぬ笑顔で聞き返す聖治に・・チッ・・と舌打ちした空也が短くなったタバコを手の中に握りこんで・・次の瞬間、バチッと炎をあげて灰と化す。

『・・・まあ、いい。なかなか興味をそそられる噂なんでね・・聞いてみただけだ』

くるっときびすを返した空也の背に、聖治が一転して抑揚のない・・冷たい声音を投げつけた。

『・・監理官に昇進してあちこちに鳳の名を売りたいのは分かりますが・・限度ってもんを知って置いてください・・。言っておきますが鳳に関する医療行為は全て御影が請け負ってる・・・僕だって人間です・・たまには医療ミスってのを起こす事も忘れないで下さいね・・・?』

『・・・っ!?』

そのゾッとする声音に・・思わず振り返った空也の目には・・相変わらずな笑顔をたたえた聖治が映る。

『・・・どういう意味だ・・・?』

聞き返した空也の前で・・聖治がゆっくりと眼鏡を外す。

『・・・言ったとおりの意味ですよ・・?』

眼鏡の下から現れた・・心底冷たい・・射る様な視線が空也の体を凍りつかせた。

目を見開いて聖治を見つめる空也に・・聖治がゆっくりと歩み寄る。

『・・・あなただってケガをする・・。その時に治療をするのは僕ですよ・・?ああ、でもご心配なく・・』

言葉を切った聖治の指先が・・スッ・・と空也の首筋をなでる。

『・・これでもちゃんとした医者ですから・・どこを傷つけたら動けなくなるとか・・死ぬとか・・その辺の事はしっかり頭に入っていますので・・・』

クッ・・と喉で笑った聖治の冷たい目だけが笑っていない。

スッと眼鏡をかけなおした聖治が、元のにこやかな笑顔をたたえて空也の前で手を振ると・・廊下の角に姿を消した。

その姿が見えなくなった途端、金縛りが解けたように空也が壁に背中をぶつける。

『・・・な・・んだ?あれが御影か・・!?』

背筋を駆け上がる冷たい感触と、聖治がなでていった首筋に残された感触が・・・体の自由を奪う。

『・・・は・・っ!ますます興味が沸いてきたぞ・・・御影・・聖治・・!』

乾いた笑みを貼り付けた空也が・・・そのまま病院を出て行った。

 

 

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