飼い犬








ACT 18










それから毎日、規則正しい人間らしい生活が始まった

キチンとご飯を食べ、キチンと眠る

ゆっくりと気力と体力が回復し、身体は元通りになっていく

反面

俺の心はどんどん臆病になっていって

みっちゃん先生に余計な事を問いかける事も
気になって仕方がないはずの・・・あの名前も

口出して言う事が出来なくなっていた

その名前を言った途端、
その名前を聞いた途端

きっと俺は平常心でいられなくなる

その名前を呼ぶことが、怖くてたまらない







立ち上がるのさえやっと・・・だった状態から歩けるようになると、みっちゃん先生から外へ出る許可が下りた

「でもまだ危なっかしいからね。付き添い人付き」

「え・・・付き添い・・人?」

ふふ・・・と意味深に笑ったみっちゃん先生の背後にあったドアが、ゆっくりと開かれる

「・・・初めまして。ジュン君・・・と呼んで良いのかな?」

精悍な顔に浮かぶ、妙に迫力のある笑顔
すごく、落ち着いた優しい声音
洗練された仕立ての良さそうなスーツを着た・・・結構年上っぽい男の人

初めて見る・・・人

だけど


・・・・・・・・よく・・・似てる


その、妙に迫力のある笑顔に
みっちゃん先生の、その人を見つめる眼差しに

それが誰だか・・・予想が付いた


「・・・・ゆう・・すけ・・さん・・・?」


確認するように、目の前に居たみっちゃん先生に聞く


「そ。俺の飼い主。あ、手を出しちゃだめだよ、ジュン君?そんな事したら俺が殺すから」


爽やかな笑顔でとんでもない台詞をサラリ・・と言って、みっちゃん先生が部屋を出て行く

出際に俺をチラリ・・と見据えたみっちゃん先生の視線が、とんでもなく鋭くて
今の台詞が冗談でもなんでもないことを、背筋を駆け上がった悪寒とともに肌で知った


「・・・やれやれ。相変わらずだな・・・光紀(みつき)は」


肩をそびやかしつつもどこか嬉しそうにそう言った祐介さんが、俺を外へと誘う

ようやくふらつかなくなった足取りで、その広い背中を追った

ここへ来て初めて直に触れる、土の感触、太陽の光
ちょと前まで当たり前だった物が、涙が出るほど嬉しかった


「・・・座ろうか?」


そう言って
爽やかな風が吹き抜ける見晴らしの良い木陰で、祐介さんが座る

少し距離を置いて座った俺を、祐介さんがジ・・・ッと見つめてきた


「・・・あ・・・の?」


居たたまれなくて・・・その視線の意味を問いかけた


「ずい分元気になって、安心したよ。田島の所から光紀が連れて来た時は、正直、もうだめかと思って肝が冷えた」

「え?みっちゃん先生・・・が!?」

「そう、全く無茶をする・・・あれと一緒になって二人だけで田島を潰してくるんだから」

「え・・・?」


祐介さんが、あえてその名前を言わずに淡々と話を続けたから、俺も平常心を保ったまま話を聞くことが出来た


「あれは昔から気性が激しくてね。いったん切れると光紀以外誰も止められない・・・だから光紀の所に調教も兼ねて通わせていたんだが・・・」


言いかけた祐介さんが、意味ありげに笑う


「・・・2年くらい前だったな。どうしてもほしい物が出来たから家を出たいと言ってきた。
一体なんだ?と調べたら、この世に二人と居ない珍しい毛並の堅気の男の子・・だと分かってね。大反対したんだよ。

ところが、堅気の子に手を出したら、その子がただじゃ済まない。だから家を出る・・の一点張りで聞かなくてね。
最もな意見ではあるんだが、そんな事をした所で意味がない・・ということをあれは分かっていなくてね。

勉強が大嫌いな奴だったから、出たいのなら光紀に習って獣医にでもなってみろ・・・!と言ってやったんだ。絶対無理だと思ったからね。ところが本当に大学に受かって、光紀の手伝いまでするようになった

正直驚いたよ。
今まで何に対しても執着した事なんてなかった奴が、本気なんだと分かってね」


俺は驚いて、ただ目を見開いて祐介さんを凝視していた

だって

じゃあ、

真柴は家を継ぐのが嫌で、獣医になる事を反対されてたんじゃなく
俺がほしくて、でもそれを反対されて・・・俺のために家を出たくて

だから


『・・・なるよ、獣医に。どんなに反対されてもね』


そう言ったあの言葉は、こういう意味、だったんだ

しかも、2年前・・・って
俺があの動物病院の近くを通って、今の学校に通うようになった頃だ

『・・・真柴のガキが先に目をつけてたんだよ』

そういった田島の言葉・・・あれは、本当の事だったんだ


「もっとも私も人の事はいえなくてね・・・光紀も元々は堅気の子だったんだ。その腕っぷしの良さと気性の激しさが気に入って、私が目をつけてた。それを君と同じく拉致られて薬漬けにされてね・・・。

だから今回、光紀があれを止めずに一緒になって無茶をした事を、私は責める事が出来ないし、こうして君の面倒を見たいという我が儘も聞かないわけにはいかなかった」


俺は、心底驚いた

みっちゃん先生が!?
昔、俺と同じ目に!?

だから・・・

だから俺がどんなに傷つけても、その痛みを受け入れてくれて・・・俺が目覚めた時

あんなに・・・優しく笑ってくれた


「・・・・そこで・・・だ」


不意にまじめな顔つきになった祐介さんが、俺を真っ直ぐに見据える


「涼介の気持ちは散々聞かされた。今度は潤也君、君の気持ちを聞かせてはもらえないかね?」

俺の、本当の名前と一緒に

初めて
祐介さんがその名前を言った


だけど
俺は、もう、動じることなく


その名前を
見据える祐介さんの瞳を


受け入れ


見つめ返す事が出来た




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