ターンオーバー









ACT 6







「兄さん!!」


不意に背後から響き渡ったその声に、高城が驚いたように振り返った


「っ!ナオ!?」


今にも搭乗口から飛行機に乗り込もうとしていた高城が、その直前で引き返す


「おま・・・どうして!?」

「どうして!?じゃないでしょ!何で嘘の日付なんて教えるの!?おかげでパトカー無断使用で始末書モノじゃない!」

「な・・っ!?使うな!こんな事に!!」

「なによ!いつ帰ってくるかもわかんないような出向勝手に受けて、その上見送りまでさせないなんて、どういうつもり!?」

「っ、それは・・・」


痛いところを突かれて、高城が言葉に詰まる
本音を言えば、妹に・・・ナオにだけは見送られたくなかったのだ

ナオは、織田と別れ別れになる
けれど、自分は・・・その織田と供に潜入捜査に携わる
織田の側に居ることになるのだ

そしてその事を、ナオは知らない

織田が危険な捜査を始めようとしようとしている事も

ナオが知っているのは、織田の研修先に高城の居るICPOも数日含まれている・・という虚偽の入り混じった当たり障りのないことだけ

恋人である織田の本当の状況を知らされることなく、ナオは先に旅立った織田を笑顔で見送ったのだ

それは、重い罪悪感になって高城を苛むには十分で・・・ナオに嘘の出発日付を教える結果になってしまっていた


「・・・ねぇ、本当は怒ってる?」

「・・・え?」


不意に心細げな表情になったナオが、俯き加減に上目遣いに高城に聞いた
その突然の態度豹変に、高城が訝しげに眉根を寄せた


「怒る?なにに?」

「・・・私が、織田さんと付き合ってること」

「っ、なに言ってるんだお前は!そんなわけないだろ!」


苦笑を浮かべて誤魔化しながら、思わず高城の背筋を冷たいものが駆け抜ける
この妹は昔からカンが良くて困りものだった

だからこそ
高城はこの出向に希望したのだ

二人の側に居て、ナオの幸せそうな顔を見続ける自信がなかった


いつか・・・ナオを憎んでしまいそうで
いつか・・・織田を恨んでしまいそうで


それを否定できない自分が、恐かった


「でも、まぁ・・・そう・・だな、怒ってるって言えば、怒ってるか。お前が織田との婚約延期を承知したりするから」

「え?」

「織田が帰ってきたら、首に紐でもつけて縛り付けておけ。二度と勝手にどこかへ行ってしまわないようにな!」

「・・・っ、」


目を見開いたナオが何か言いたげに唇を震わせたが、フワリと浮かんだ高城の笑みにその言葉を呑み込んだ


そう・・・必ず俺が織田を守るから

だから

もう・・・二度と織田を手放さないでくれ


高城が、紡いだ言葉と浮べた笑みの裏側に、そんな誓いと願いを込める

そして『じゃあな』と軽く手をあげて再び搭乗口に向かった高城を、ナオがその手を取って引き止めた


「兄さんは!?」

「・・・え?」

「帰ってくるんでしょうね!?」

「っ、」

「ちゃんと答えて!」


まるで責める様に、ナオが高城の瞳を見据えて言い募る
我が妹ながら本当に勘が良いな・・・と、密かに高城が嘆息する

ナオが感じている不安どおり、織田の任務を無事に遂行させたら・・・高城は今度こそ本当に織田の側を離れようと心に決めていた

二度と帰国することもないだろう・・・とも

織田を忘れるには、それ以外方法がない
最愛の妹を憎むような兄になど、なりたくはない

だから


「バカ、なに言ってるんだ?帰ってくるに決まってるだろ」


そんな気などサラサラない嘘が、笑みさえ浮べて口からこぼれ出る


「本当ね!?」

「ああ」

「じゃあ、保険を一つ掛けさせて」

「保険?」

「本当は、凄く大事なことを教えてあげようと思ってたんだけど、兄さんが帰ってくるまで教えてあげない」

「大事なこと・・・?」

「そう、凄く、大事なこと」

「なんだよ?それ?」

「知らなかったらきっと兄さん、一生後悔する。それくらい大事なこと。だから、絶対帰ってきて」


まるで高城の心情を知っているかのようなナオの言葉と、その何か言いたげな強い視線に、密かに握り締めた指先が冷たくなっていく



・・・・・・まさか、知られてる?



一瞬、そんな疑惑が駆け巡る

けれど

もしも知られていたのなら、こんな風にナオが帰って来い・・・などと言うはずがない


「・・・わかったよ。帰って来たらちゃんと教えろよ、後悔なんてしたくないからな。じゃ、元気でな!」


そう言って、高城が今度こそナオの手を離れ、搭乗する



・・・・・・後悔、というのなら、
     織田と出会ったあの時からずっとしてる



そんな苦々しい想いを抱きながら











フランスはリヨンにある国際刑事警察機構(International Criminal Police Organization)通称・ICPO本部

鋼鉄の柵と世界各国の国旗で彩られた厳つい建物の中心には、外観のイメージとは裏腹に吹き抜けのアトリウムが設けられ、様々な植物が配された憩いの場になっている

そのアトリウムを抜けた建物の奥に、高城が出向することになった事務総局があった

182の国・地域の警察機関が加盟するICPOにとって、迅速かつ確実な情報交換を行うための国際的な通信手段は活動の基盤として不可欠なものであり、独自の通信網の整備拡充に努めている

事務総局を中央局とするICPO通信網において、ICPO東京局は日本の国家局として機能するだけでなく、アジア地域の地域局としての役割も担っていた

昨今、ICPO専用通信網によるメッセージ交換システムの導入が開始され、電子メールがICPOの主要な通信手段となってきた

そこで、国際通信網の通信方式として操作性及び経済性に一層優れた技術を利用した次世代通信網(Interpol Grobal Communications System 24/7)の整備が始まった

この次世代通信網の構築により、画像等の大容量データの交換を十分なセキュリティを確保しつつ送受信することが可能となることから、電子メールサービスに加え、ブラウザによるデータベースサービス等も行われるようになった

ICPO東京局では、事務総局の整備方針の下、この新通信システム整備を推進しているのだ

その中でも特に、最近過激化しつつあるテロに対する情報と、麻薬の製造・密輸に関する国際的組織の情報・・・等を即時照会できるシステム整備の強化が求められていた

これが、高城に課せられた任務だった

だが、今回は既に錠剤型麻薬”エフ”に焦点を絞っての組織犯罪の摘発・・・という特命任務が付与されている

高城は、リヨン・ICPO本部事務総局で数日システムの扱い方とその構造を学ぶと、すぐにイギリスへと移動した

ICPOの内偵により”エフ”の製造に関わっている・・という疑いのあるファルマ・スニップ製薬という遺伝子研究と製薬を主軸にしている会社

その内部に既に潜入している織田と合流し、ICPOと日本との合同捜査を開始するためだ

その捜査に当たり、必要な通信機器とシステム、”エフ”の成分解析に必要な設備を設置されたのが、その会社にも近く機器が整い優秀な人員の確保も比較的容易なオックスフォード大学だった

ボストンバッグ一つ・・・という身軽さでオックスフォードに降り立った高城が、これから生活する事となる住宅街の中にあるフラットへと向かう

オックスフォードは、ロンドンの西90km、海抜60mほどの盆地に あり、西方に緩やかに広がるコッツウォルドの丘陵から流れ出た水をテームズ川が集めきった辺りにある

街全体が大学・・と言われるように、エリアごとに専門分野の研究施設が立ち並び街を構成している
その全てが中世時代の古風な建物ばかりで、一瞬、今が現代である事を忘れそうになるほどだ

高城にあてがわれたフラットは3階建てのこじんまりとした、しかし年代を感じさせる古風な建物だった
1階がパブになっている作りで、後で改装が加えられたのだろう・・・店の入り口とは別に上の部屋に続く奥まった階段が設置されていた

2階はそのパブの経営者でありフラットのオーナーの住居になっていて、そちらで先にオーナーに挨拶して鍵を受け取り、高城がフラットのある3階へと上がっていく

階段を上がると広めの通路があり、手前と奥と同じ作りのドアが二つ

どうやらもともとワンフロアだった場所を二つに仕切り、二部屋のフラットに改装したらしい

”301”と”302”と番号の刻まれたドアの内、奥まった方にあった”302”のドアに高城が鍵を差し入れる

部屋の内部は日本で言うところの2Kだったが、ゆったりとした造りで結構広い
入ってすぐに玄関ホールらしきちょっとしたスペースが設けられていて、奥の部屋に続くドアがある
そのドアを開けると小さなキッチンつきのリビングルームがあり、天窓からの光りで思ったより明るい
その横のドアの向こうに寝室とバスルームがあった

古いながらもしっかりとした造りで、内装もシンプルかつシックな木目調で統一されていて好感が持てた
ベッドやクローゼットなどの基本的な家具にカーテン等も付いていて、さし当たっての不便さも感じられない

リヨンでの連日に及ぶ詰め込み的な作業のせいで疲労しきった身体を、高城がベッドの上に沈ませた

少し硬めのベッドのスプリングが、却って心地良い・・・と全身を弛緩させた直後、部屋の壁際に作りつけられていたクローゼットの中から、ガタン・・ッという音が聞こえ、ハッとした高城が身構える間もなく、クローゼットの扉が内側から勢いよく開かれた


「よう・・・!」


ヌ・・ッと扉の中から現れたその顔、その声音・・・!


「ッ!織田・・・ッ!?」


身構えかけて両腕をベッドに付いたまま叫んだ高城が、驚きのあまり目を見開いて固まった




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