ヴォイス








ACT 15











・・・・・・カチャンッ


いつものように久我の家の玄関横に、高木が自転車を横付けた

いつもなら、そのドアを引き開けてくれる背中がなくて、ジ・・・ッとそのドアを高木が見つめている

玄関横にあった呼び鈴へと片手を伸ばした時、学生鞄と一緒に持っていた小さなコンビニの袋が、カシャ・・・と乾いた音をたてた

一つ、ため息を吐き出した高木が、思い切って呼び鈴を押す

しばらく待ってみたが、ドアに付いているインターホンは沈黙を守ったままだ


「・・・あ、そっか、久我ん家のお母さんっていつも仕事で忙しい・・・って言ってたっけ」


フ・・・ッと以前、久我が言っていた言葉を思い出した高木が、それ以上呼び鈴を押すことを、どうしよう・・・?と、思案する

風邪で寝込んでいるのなら、その久我をわざわざ起こすような事は避けたい

渡すのはプリントだけなのだから、郵便受けにでも入れておけばいい・・・そんな風に思った高木が鞄の中からプリントの束を取り出そうと、持っていたコンビニのビニール袋に目をやった


「・・・あ、これがあったんだっけ・・・」


見舞い用に・・・と思って買ってきたそれを見た瞬間、ハッとした様に高木がドアの方を振り返る

母親が仕事で居ないということは、久我は一人で寝ているということ
病気の時に一人・・・というのは、決して慣れる事ではないはずだ

一瞬、逡巡した高木が、再び呼び鈴を押した

すると


「・・・はい」


まさに寝起きです・・・と言う感じの低い声が、ドアホンから聞こえてきた


「え・・っ!?久我!?」


初めて聞く、その低い久我の声音に、思わず高木が聞き返す


「・・・え?た・・かぎ?」
「あ、うん、俺。藤井からプリント持ってってくれって言われて、それで・・・」

「・・・ポスト」
「え?」

「横に、ポスト・・あるだろ?」
「え・・・、あ!これ?」

「そん中に家の鍵、入ってるから。そこについてる鍵の番号は・・・」


そう言って、久我が告げた番号どおりにポストに付いていた鍵を開け、高木が中からドアの鍵を取り出した


「・・・あったぞ」
「んじゃ、それで入って。俺、2階の部屋にいるから」


そう言って、ドアホンがブチッと切れた
言われるままに鍵でドアを開けた高木が、見慣れた玄関を上がり、2階の久我の部屋へと慣れた足取りで上がっていく


「・・・入るぞ?」


ドアを律儀にノックした高木が部屋の中に入ると、久我が寝直すように布団の中でモゾモゾ・・と蠢いている

昨日、そのベッドで・・・!

と、あらぬことを思い出しかけた高木が、慌ててブンブンと頭を振って上がりかけた熱を冷ます

よく見ると、ドアホンと繋がっているらしき電話が壁に取り付けられていて、久我はさっきここから応対していたのだと容易に知れた

つまりそれは、これがいつもの事で、久我が休みの日はいつも一人で居るんだという事を物語っている

ギュ・・ッと鞄を持つ手に力を込めた高木が、頭から布団を被ってしまっている久我の方へと歩み寄った


「・・・大丈夫?久我?熱、高いのか?」
「・・・いや、熱は大したことねぇよ」


そう答えを返してきた久我の声は、やはり風邪のせいなのだろう・・低く掠れている
昨日の今日でこんなに変わるもんなのか!?と、思ってしまうほどの声の豹変振り・・・


「・・・え・・と、プリント、机の上においておけば良い?」
「・・・うん、テキトーにその辺おいといて。帰るときは鍵かけて、またポストに放り込んどいてくれれば・・いい・・っ」


言いかけた久我が急に咳き込み始め、ベッドの中で体を丸めた


「っ!久我!?」


慌てて駆け寄った高木が、咳が止まるまで背中だろう・・と思われる付近を布団の上から上下に撫で擦る

咳が治まるまで、高木が手慣れた手つきで背中を擦り、久我が頭から引きかぶっていた布団を引き剥がした

横向きになったままの久我の額に手を伸ばした高木が、手を当てながら言い募る


「ほら、そんな風に布団被ってると息苦しいだろ!熱はホントにないみたいだな・・。喉は?渇いてない?水は?薬ちゃんと飲んでるか?」


高木にグイッと有無を言わせず上向かされた久我が、高木の本気で心配している瞳に覗きこまれ、フイ・・と視線を反らした


「・・・薬・・まだ飲んでない・・・」
「バカ、ちゃんと飲んどけ!薬は・・あ、これか。水は・・・下のキッチンだな!ちょっと待ってろ!」


もう何度も久我の家に来ている高木だけに、勝手知ったるなんとやら・・・で、バタバタ・・と一階まで駆け下りて水を持って帰ってくるまで、そう時間はかからなかった


「・・・ほらよ、どーせ久我のことだから朝から何も食べずに寝てたんだろ?薬飲む前に何か入れとかないと胃に悪いからな」


そう言って、ベッドの上で上半身を起こしていた久我に、高木が水と一緒に差し出したもの・・・


「これ・・・!?」
「途中のコンビニで寄って買ってきたんだ。ミカンの缶詰なんだけど・・・」


キッチンで目に付いた入れ物に移し変えてきたんだろう、大き目の白い陶器の深皿の中に、シロップの中で泳ぐ鮮やかなオレンジ色のミカン

高木から受け取ったそれを、ジ・・ッと見つめて微動だにしないでいる久我に、高木が不安げに問いかける


「・・・あ、ひょっとして、嫌い?だったら・・・」


苦笑いを浮べつつ久我が持っている深皿に、高木が手を伸ばしたが、その動きを制す様に久我の低い声が問いかけてきた


「・・・なんで?」
「へ?」

「なんで、ミカンの缶詰?普通モモ缶とかだろ?」
「あ・・やっぱ変?俺、小さい頃からミカンの缶詰が好きでさ。風邪引くとこればっか喰ってたんだ。
ほら、ミカンってビタミンC豊富だって言うし、このオレンジ色もさ、なんかこう、元気になれそうな気がしねぇ?」


高木がそう言った途端、久我がクックック・・・と肩を揺らして笑い始める


「・・・久我?」
「・・・お前って、小さい頃から全然変わってねーんだな、高木」

「わ、悪かったな!」
「ああ、ごめん。でもさ、お前なんかこういうの手慣れてる?」

「あー・・・俺、妹が居るんだけど、小さい頃からよく風邪引く奴でさ、その面倒見るのいつも俺だったから。多分、そのせいだろ」
「・・・ふぅん・・妹・・居るんだ」

「うん。あれ?言ってなかったっけ?」
「・・・お前の口から聞くのは初めて」

「・・・え?」


その久我の言い方に妙な引っ掛かりを感じたものの、美味しそうにミカンを食べ始めた久我の様子に、そんな違和感も忘れ去られていく


「・・・んだよ、そんな見てたら食いにくいだろ?」
「え?あ、いや・・美味そうだなと思って・・・」


実際、目にも眩しいオレンジ色は、高木の好物でもあるのだ
だが
年齢的にも上がり、見た目背が高くて寡黙な雰囲気があるせいで、自分から進んで買って食べるのもはばかられる

よく風邪を引く妹のために・・という大義名分で買ってきてはこっそり一緒に食べていたが、今はその妹とも離れ離れで、思えばこの3年弱、ほとんどそれを口にしていない・・・


「・・・ぷ、なに?食いたいの?だったら・・・!」


如何にも物欲しそうな目つきになった高木に吹き出しながら、久我がフォークに刺したミカンを差し出した・・・が、


「あ・・!でも、風邪がうつって・・」


一瞬、躊躇してその手を止めた久我に構わず、高木がその差し出されたミカンに食いついていた


「っ!おま・・っ!風邪がうつるって・・・!」
「え?良いよ。久我の風邪ならうつっても。それに、うつした方が早く治るって言うだろ?」


邪気もなくそう言った高木が、美味しそうにミカンを嚥下した

高木のその言葉に、久我の器を持つ手に力がこもって項垂れる
項垂れたまま、もういらない・・とばかりに差し出された器を、高木が机の上に置いた

その久我の様子に、高木が心配そうにその顔を覗き込んだ


「・・・?久我?大丈夫?どっか気持ち悪くなったのか?」


そう聞いた高木に、久我の低い声音が注がれる


「・・・でだよ?」

「え?」

「・・・っなんで!」

「・・・え!?」


項垂れたままだった久我の顔が不意に上がり、高木の肩を思い切り掴んだかと思うと、そのまま高木の身体を下敷きにして、覆い被さるようにベッドの下に転がり落ちた


「痛っ!!ちょ・・久我!?」


驚いて目を見張った高木の目の前に、悔しげに唇を噛み締め、怒りの色を滲ませた久我の顔があった




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