ある雨の夜の出来事
<前編>
もうじき梅雨がやって来る気配漂う、五月の末・・・。
「アー!もうっ!洗濯物かわかなーいっっ!」
朝方から梅雨の走りのようなシトシト雨が、ずっと降り続き…その日家事当番の桜杜 みことが、雨のかからない掃き出し窓のすぐ側にまで避難させた洗濯物をみつめている。
「何を騒いでる・・?乾燥機にかければいいだろう・・・?」
読みかけの本をパタンと閉じた鳳 巽が、みことの横に立って窓の外を眺める。
その巽を上目使いに見上げたみことが、不満げに言った。
「・・だって・・、乾燥機って好きじゃないんですよ。お日様にあたって乾かした方がいいでしょ?お日様の匂いがするし・・・」
「確かに・・な。」
みことの言葉に気乗りしない返事を返す巽に・・・みことが不安げな視線をちらっと投げる。
この所、ずっと巽は元気がない。
別に不機嫌だとか・・体調が悪いとか・・そんな風でもなく、ただ・・ため息とともにいつも繰り返される問いかけ・・・。
「・・・今日は何日だ・・?」
「・・五月二十九日です。これでもう五回目ですよ・・?最近そればっかり・・いったいどうしたんですか?」
みことの問いに・・・巽が再びため息を漏らす。
「・・・そんなに・・変か・・?」
「変ですってば!何日だ?ってそればっかり・・何かあるんですか?」
「・・・・・・・」
窓の外をジッと見つめたまま・・黙り込んでしまった巽に、みことが力無く小さなため息を漏らす。
「・・・乾燥機、かけてきます・・・。」
「み・・・!」
何か言いかけた巽を残して、みことが洗濯物をとりこみに外へ出て行った。
「・・・ったく!何でオレはこう意気地がないんだ・・・!」
拳を握り締めて低く呟いた巽が、再び深いため息をもらして、自分の部屋へ戻っていく。
その後姿をジッと見つめたみことが、両手に抱えた洗濯物にギュッと顔を押し付けて・・悲しそうに呟く・・。
「・・・そりゃあね・・他人に言いたくない事だってあるって分かってるけど・・だけど・・やっぱ・・しんどいよね・・・?」
その晩・・・
フッ・・と目を覚ましたみことが、まだ雨が降っているのかと・・部屋の窓から外を覗くと、霧雨のように降り続く雨の中、何かが庭の中に立っていた・・・。
「・・・えっ?誰・・?まさか・・泥棒?まさかね・・」
杉ジイの張った結界の中に、そんな侵入者は入って来れない筈だった。
「・・あ・・!あれって・・巽さん・・?うそ!何であんなとこに傘もささずに・・?」
街灯の明かりにうっすら浮かび上がって見えたのは・・間違いなく巽だった・・・。
驚いたみことが慌てて一階に駆け下りて、庭へと飛び出していく。
「巽さんっ!!どうしちゃったんですか?そんなとこにいたら濡れちゃいますよ・・!?」
巽の顔を覗き込んだみことの体が、一瞬ギクッと止まる。
その顔は・・確かに巽の物なはずなのに・・印象がまるで違っている。
「た・・たつみ・・さ・・!?」
思わず後ずさろうとしたみことの体を、不意に巽がギュッと抱き寄せた・・!
「・・えっ?た、たつみ・・・」
言いかけたみことの言葉を遮るように・・いつもと少し違う・・艶めいた声がみことの耳元でささやきかける。
「・・会いたかった・・お前に・・!みこと・・!」
「・・!?な、何いってんですか?巽さん・・?」
自分を一層きつく抱きしめる巽に・・みことが真っ赤になって呼びかける。
「巽さんっ!巽さんってば!寝ぼけないでください!僕は・・!」
「みこと・・!私が会いたかったのは・・お前だ・・」
「・・えっ!?」
(い・・今、「わたし」って言った?巽さんいつもオレって言ってるよね・・?)
いつもと違う雰囲気の巽・・いつもと違う言葉使い・・ここにいるこの巽は、みことの知っている巽ではない・・!
「・・だ・・誰!?巽さんじゃ・・ないっ!!」
思いきり巽の体を突き飛ばしたみことの方が、はずみで自分の方が地面の上に転がった。
そのみことを、巽が悲しそうな瞳で見つめている・・。
「誰・・?誰なんですか・・?あなたは・・?」
巽・・ではないが・・でも・・間違いなくそこに立っているのは、巽・・だ。
それに、妖のたぐいでもない。
間違いなく、巽の気配なのだ。
「・・・相変わらず・・巽でないと、駄目なのか・・?」
「・・え・・?な、なんのこと・・?」
地面の上に転がったまま、巽を見上げるみことに・・巽が屈みこんでみことの顔を真っ直ぐに見つめる。
まじかに見たその顔は、やはり・・いつもの巽の顔ではない。
顔そのものの作りは確かに巽のものなのだが、どこか艶めかしくて・・見つめられると魅入られたように視線をそらせなくなる。
その上、その瞳の色が・・紫色に変わっている・・!
「た・・巽さ・・目の色が・・紫・・色・・?」
巽に捉えられた視線をそらすことが出来ないまま・・みことが銀水晶のような瞳を見開いている。
「・・この色は嫌いか・・?」
フッ・・と笑った巽が、さらに顔を寄せ・・みことの顔を上向かせる。
「・・き・・きらいじゃ・・ない・・です・・それに・・綺麗・・」
そのみことの答えに、巽が・・まるで宝物を包み込むように、みことの顔を両手でくるむ。
「・・同じだな・・あの時と同じ答えだ・・。千年前と同じ・・お前は私が初めて心の底からほしいと望んだ・・ただ一人の人間だ・・」
「・・あ・・あなたは・・誰・・なんですか・・?」
まるで金縛りになったように動かない体と、うまく回らない口を・・みことが必死になって動かして・・言葉をつむぐ。
「私は巽だ・・。お前の望んだお前の巽・・忘れるな・・みこと・・お前の願いと望みが私をこうさせた・・。もうじきあの男がお前を私の所へ招き寄せるだろう・・。私のかわした契約を見届けた者・・望まずともその結果を見届ける運命(さだめ)の者が・・」
「・・さだめの・・もの・・?」
「そうだ・・この世に偶然などありはしない。全ては必然・・出会うべくして人は出会い、別れる・・。人はその運命に逆らえはしない・・」
そう言った巽が、みことの額にキスを落とす。
そのキスに・・みことの記憶がかすかに蘇えってきた。
「あ・・!あの・・海蛇の・・水の中に・・いた・・巽さん・・!?」
その言葉に反応したように・・巽の体がビクンッと震える・・。
途端に顔を歪めた巽が、苦しげに胸を押さえた。
「ク・・ッ!まあいい・・私を押さえつける事などもう不可能だ・・それを身をもって知るがいい・・巽・・!」
低い・・苦しげな呟きとともに、巽の体が青白く光り輝き・・その輝きを失う。
みことの方へ倒れこんできた巽を・・突然金縛りから開放されたみことが受け止めた。
「巽さんっ!しっかりして!大丈夫ですか?」
みことの声に・・巽がうっすらと目を開ける・・。
「・・み・・こと・・?なんで・・?」
顔を上げ・・みことを見上げた巽は、いつもの巽に戻っていた。
「良かった・・!いつもの巽さんだ・・」
心底ホットしたように安堵のため息をついたみことに・・巽がハッとしたように問いかける。
「なんで・・オレはここにいる!?オレは・・お前に・・何をした・・?」
巽の切羽詰った、ただならぬ様子に・・みことが思わず口ごもる。
「・・な・・何にも・・何にもしてないですよ?ただ、こんな夜中にこんな所にいるから・・一体どうしたのかと思って。呼んだら、倒れこんできたから・・ちょっとビックリしただけで・・」
なんとなく・・みことはさっきの別人の様な巽の事を・・言えずにいた。
この間から様子のおかしい巽の態度が、恐らくはこの事とつながっているような・・そんな気がしたのだ。
「・・そ・・うか・・すまない。オレは・・お前に言わなきゃならない事があるんだ・・・」
つらそうに顔を歪めた巽に・・みことが慌てたように言った。
「そんな事より、早く家の中に入りましょう!こんなとこにいつまでもいたら風邪ひいちゃいますよ?」
シトシトと降り続く雨は・・いつの間にか二人の体をしっとりと濡らし、体もすっかり冷えきってしまっている。
暖炉に再び火を入れた二人が、替わりばんこにシャワーを使い・・後でシャワーを使った巽に、みことが使い終わったドライヤーを手渡しに行くと・・ちょうど巽が上着を羽織ろうとしているところだった。
「巽さん!ドライヤー・・・・!?」
バスルームへ続く洗面所のドアを開けたみことの目が、巽の右肩に釘付けになる。
「その・・傷・・!巽さん、もうすっかり治ったって・・・!?」
以前・・巽とみことが初めて出会った事件。
復活した鬼と対峙した時・・巽はその戦いの中で右肩を負傷した。
その傷はもうすっかり治ったと、そう巽は言っていたのに・・・その右肩には、クッキリと傷跡が残っている・・。
「・・見られたか。心配するな、ただの痕だ。もう痛くも痒くもないんだ・・。」
素早く肩を隠した巽が、気にするな・・と言わんばかりにみことの髪をフワッとなでつける。
「で・・でも、巽さんってどんな傷でもすぐ治っちゃう特殊体質だって・・」
そうなのだ・・巽はたいていの傷ならたちどころに治ってしまう特殊体質の持ち主なのだ。
「・・・オレにも良くわからない。でも、この傷跡のおかげで・・オレは自分が化け物なんかじゃなく、普通の人間なんだって思えて嬉しいくらいなんだ」
「そんな・・!化け物だなんて・・。ほんとの化け物は・・僕の方・・・」
桜の木の精霊を父にもつみことが、その・・アルビノ(先天性色素欠乏症)という外見も手伝って、化け物とののしられた事を思い出し・・視線を落とす・・。
「・・どうした・・?お前らしくもない。そんな事を言うなんて・・」
「・・ごめんなさい。でも・・もし、僕がここにいるのがつらかったら・・いつでも言って下さい。その傷だって・・僕とかかわったせいだし・・」
さっき会った別人の巽も・・みことが望み、願った事だと・・そう・・言っていた・・。
それが一体どういう事なのか・・みことにはまだ分からない・・。
けれど・・その傷といい、元気のない様子の巽といい・・全ては自分が巽の側にいるせいなんじゃないかと・・自分を責める気持ちが一気に噴出してきていた。
「何を言ってる!?オレは一度だってそんな事を思った事はないぞ!!」
思いもよらぬ事を言われた巽が、思わず声を荒げてしまう。
ビクッと体を震わせたみことが、とうとう堪え切れなくなって・・そのほほを涙が一粒つたい落ちた。
「みこと・・!?」
「ごめんなさい・・!言いたくない事や知られたくない事が誰にだってあるんだって、分かってるんです。だけど・・ぼくがここにいるせいで、その事で巽さんが悩んでるんなら、それなら・・・」
「ちがうっ!!そうじゃない・・!ちがうんだ!オレは、怖いんだ・・。お前が・・ここからいなくなるんじゃないかと・・その事を知って、オレを・・嫌いになるんじゃないかと・・そう思ったら不安で・・・」
「そんな!嫌いになるなんて・・そんな事、絶対ないですよ!約束します。僕がここにいていいなら・・ほんとに、そう思ってるんだったら、言って・・ほしいです・・。」
ゴシゴシと涙をぬぐい去ったみことが、おずおずと巽の服の袖口を引っ張って言った。
「あの・・暖炉・・ちゃんと火を起こしましたから、火のある前で聞きたいです・・。駄目ですか・・?」
なんとなく・・暖かい火の側の方が、巽も話し易いんじゃないかと・・そう、みことは思ったのだ。
「そうだな・・その方が落ち着いて話せそうな気がする・・。」
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