ある雨の夜の出来事

 




<後編>




朝方からずっと降り続く雨のせいで、五月の末にしては冷え込んだ部屋の中が、暖炉の火によって心地よい状態になっていた。

なんとなく・・少し離れた位置に向かい合わせに座った二人が、黙って暖炉の火を見つめている。

パチンッと、木がはじけた音を合図のように・・巽が重い口を開いた・・。

「・・もうすぐ・・オレの誕生日がくるんだ・・・」

「・・えっ!?そうなんですか?いつ?」

「六月一日・・・そして・・雅人さんの命日でもある日だ・・」

「・・あ・・っ!」

誕生日・・と聞いて、少しその日を知る事が出来る事を嬉しいと思ったみことだったが・・御影 雅人の死は、巽にとって耐え難い思い出でもあるはずで・・しかもそれが自分の誕生日だとは・・!巽の心中は察して余りある。

「そんな顔をするな・・。雅人さんの事は、もうオレの中で終わった事なんだ・・」

みことの・・巽以上に辛そうな表情に、巽が思わず自嘲気味な笑みを返す。

「・・・でも・・じゃあ・・何が・・・?」

「その日、オレは決まって熱を出すんだ・・。急な高熱と寒気で、体を動かす事さえままならなくなる。そして・・それと同時に能力も失う・・」

「え・・?能力・・ってそれじゃあ・・」

「そうだ・・結界を張る事も、自分の身を守る事さえ出来なくなる。だから・・この事を知っているのは、おばあ様と聖治だけだ。」

「聖治・・って、御影先生?」

「そう・・その日はいつも聖治と一緒に過ごす事にしている。」

「一緒に・・?何で・・!?」

一瞬、ムッとしたみことの語尾が・・少し責め口調になっている事に、本人も気づいていない。

「あいつは、オレの体の事をオレ以上に把握している人間だから・・もしオレが変な行動をしても、止められる唯一の人間なんだ・・」

「変な事って・・?」

言ってから、みことがハッとした様な顔つきに変わる。

さっきの・・別人のような巽・・ひょっとして・・!?と、思い当たったのだ。

・・でも、日付けがかわったとはいえ、今はまだ五月三十日のはずだ。

その、みことの表情の変化に目ざとく気づいた巽が・・聞く。

「・・やっぱり・・いたんだろう・・?あいつが」

「う・・・あ・・あの・・嘘つくつもりはなかったんです。ただ、巽さんにとって・・あまりいいことじゃあない気がして・・なんとなく・・」

「あいつは、オレの中にいるもう一人のオレ・・らしい。小さい頃からそいつの存在は感じていて・・だけどそいつを無意識のうちにずっと出て来れない様に封じ込めてた気がする。
それが・・発熱とともに時々記憶をなくす時があって、その間何をしていたのか全く覚えていない時もあれば、断片的に思い出せる事もあるんだ。
だから・・あの海蛇の水の中でお前に話しかけたのは、多分・・あいつ。そう思ったら、心底ゾッとしたよ。オレの知らない、オレ以上かもしれない能力を使いこなす奴の存在を・・。
いつか・・オレとあいつの立場が逆転して、今ここにいるオレは封じ込められて、オレは・・消えてしまうかもしれない・・そう思うと、不安で・・!」

「消えちゃったりしませんよ!言ったでしょ!?もし、巽さんがいなくなったら絶対探すって!見つけ出すまでずっと、永遠に探すって!あれ、本気ですよ!?こう見えて僕は結構ガンコなんです!例え・・いっぱい、いっぱい時間かかっちゃって、お互い姿かたちが変わってても、それでも・・見つけますから!だから・・そんな不安感じないで下さい!。あ、でも・・巽さんにとって迷惑だったら・・そう感じるんなら・・・!?」

身をのり出すようにして話していたみことの腕を捕った巽が、有無を言わせずその体を引き寄せた。

「っ巽さ・・!?」

「迷惑だなんて・・誰がそんなことを言うもんか・・!約束してくれ、絶対オレを見つけ出すって!オレが、消えてしまわないように・・!」

「約束します・・!絶対見つけます!・・だから・・・」

言葉を切ったみことに・・巽が少し不安げに問いかける。

「だから・・?」

「あの・・・おこがましいかも知れないんですけど、僕の事も忘れないでほしいんです・・。見つけたとき・・お前なんか知らない!って言われたら・・きっと、どうしていいかわかんなくなって、巽さんの事・・恨んじゃいそうだから・・・」

消え入るような声で囁くみことに・・巽が力強く囁き返す。

「何をバカな事を・・!忘れたりなんかするものか・・お前は、オレにとって・・・」

一番大切な人だと・・そう言ってしまいたい巽だったが、これまで・・そう言った人間をことごとく失ってきた巽にとって、その言葉は・・決して言ってはならない言葉に等しい・・。

言ったとたん、まるでみことの体が砂の様に崩れ落ちてしまいそうで・・・呪縛のように言葉が出ない・・・。

それに・・もう一つ、言わなければならない事が残っている。

不意に言葉を切った巽に・・今度はみことが不安げにその顔を覗き込もうとするが、巽がそれを制するようにグッ・・と引き寄せていたみことの体を押し戻し、その肩に自分の頭を押し付けてうつむいたまま言った。

「・・もう・・一つ。もう一人の奴が出てきている間、オレはオレでなくなってしまう!あの、海蛇の水を封じた時のように・・!」

一つの体に二つの人格・・・その無理やり押さえ込んでいる不自然さが、発熱と能力の喪失を生じさせる。

その上、だんだんとその時間は長くなっていて・・海蛇の水を飲んで以来、巽が意識を失った時や、深い眠りについている時・・おぼろげに・・したはずのない行動の記憶の断片が残っているようになってきていたのだ・・。

巽の元気がなかったのは・・その不安があったからでもある。

みことの両腕を掴んでいた巽の両手に力がこもる。

「・・・オレは中途半端で、まともじゃない。いつか・・オレはお前を傷つけるかもしれない!それでも、一緒にいてくれるのか・・?」

巽の声が、今まで聴いたことがないくらい心細げで・・震えている。

自分の人格が入れ替わることよりも・・自分の手で、ひょっとしてみことを傷つけるかもしれない・・その事の方が何倍も巽には恐ろしかった。

また・・雅人のように、自分の知らない力の及ばない所で・・大事なものを失うのは、耐えられない。

それが分かっていたから・・誰も側におかなかった。

自分の方から何かを望んだり、願ったり・・決してしようとはしなかったのだ・・。

そのはずなのに・・なぜ、みことを側におくことを・・いてくれることを望んでしまったのか・・?

多分・・それは、みことがそれを願ってくれたからだ。

自分の事をいろいろ知っても・・それでも側にいさせてくれと言ってくれるみことが、そう言ってくれる間は一緒にいてもいいだろうか・・と、思わせてくれたから・・。

「あの・・こんな事言ったら、巽さん怒っちゃうかもしれないけど・・さっき会ったもう一人の巽さん・・僕、嫌いじゃないですよ?確かに、ちょっと怖い感じはしましたけど、悪い人じゃない・・っていう気がするんです。」

「あいつが・・!?」

顔を上げた巽の表情が・・やはり、怒っていた。

けれどそれは・・・巽自身気づいていないが、もう一人の自分に対する嫉妬・・だ。

無論・・今までそんな感情を持つことすら無かった巽にとって初めて味わう耐え難い感情で、それと同時に体の奥底から湧き上がってくる・・冷たい、氷のようなもう一人の自分・・。

「・・だ・・めだ・・!お・・まえは・・出てこさせない・・!!」

少しでも気を緩めたら・・体の奥底に引きずり込まれそうな感覚に、巽が思わず掴んでいたみことの両腕に力を込める。

「・・っつ!大丈夫ですってば、巽さん!僕、どっちが巽さんか・・一番大切な人がどっちか、ちゃんと分かってますから!それに、どっちも巽さんだから・・例え傷つけられてもぜんぜん平気です!だから、そんなにつらい顔しないで下さい・・」

そう言って、みことがふんわりと・・巽の体を抱きしめる。

「前に、約束しましたよね・・?冷たい物が湧き上がって来たら、あっためてあげますって。僕に出来るのは・・これくらいだから・・」

みことに抱きしめられた巽の体に・・みことの放つ暖かい春の陽だまりのような波動が注ぎ込まれていく・・。

「・・あ・・!?」

それと同時に、巽の中に湧き上がっていた冷たい物がスウ・・ッと、影を潜めていった。

「・・・すまない。オレが・・お前に対して怒るなんて筋違いもいいとこだ。オレは・・自分からいてくれとは言えない、臆病な人間だ・・。だから、お前が望んでくれるなら、オレも一緒にいていいんだと思えるんだ・・。」

「望みます!僕なんかでいいんだったら、いくらでも・・!」

「・・お前以外の奴の望みを聞く気はない・・」

みことにとって、これ以上ない・・嬉しい、安心できる言葉をもらい、みことが特大の安堵のため息をもらす。

「よかった・・!安心したら眠くなっちゃいました・・もう、寝ましょう?巽さん!」

スッ・・と、巽の体を抱いていた両手をほどいたみことが、立ち上がろうとすると・・再び巽に腕を捕られて引き寄せられる。

「え・・っ!?あの・・?巽・・さん?」

「・・ここの方が暖かい・・。その・・今日は一人になりたくないんだ・・」

思いきり照れた表情で・・そっぽを向いて言う巽に、みことが一瞬信じられない・・!というように目を見開き・・クスクスと笑いながら言った。

「じゃあ、ひざまくら!して下さい!そうしてくれたら、いてあげます。」

「・・・分かった・・。」

おもむろに立ち上がった巽が、ソファーの上に座りなおし・・ポンポンと膝の上をたたく。

本当にしてくれるとは思っていなかったみことが、ビックリ顔で巽を見つめていった。

「あ・・あの・・ほんとに・・?」

「何だ・・?お前が言い出したんだぞ・・?」

「え・・あの・・でも・・やっぱり・・・」

放っておいたら逃げ出しかねないみことの様子に・・巽がそうはさせじとばかりにみことの腕を掴んで、無理やり自分の膝の上にその頭を乗せてしまう。

「言っておいて逃げるのは卑怯だろう・・?」

少し意地悪い笑みを浮かべた巽の顔に・・その顔を真下から見上げたみことが、不満そうに呟く。

「・・やっぱり・・さっき言った事、怒ってる。自分で筋違いだとかいっておいて・・」

「言い出したのはそっちだろう・・?それに、この方がお前の寝顔がよく見える・・」

「た・・巽さんはよくても僕はぜんぜん・・・」

「・・いやなのか?」

再び意地の悪い笑みを浮かべた巽が、ジッとみことの顔を見下ろす。 その・・みことの心を見透かすような巽の瞳に・・みことが思わず視線をそらして小さく呟いた。

「イ・・イヤじゃないけど、この状態だと眠れないじゃないですか・・!」

クスクスと笑った巽が、片手をみことの顔に当て・・その視界をふさぐ。

「これで眠れないか・・?」

「・・・ん・・そうしてくれたら・・あんまり緊張しなくてすみます・・」

「何で緊張するんだ・・?」

「いや・・だって・・巽さん、本当に綺麗だから・・。僕なんかがこんな風にひざまくらしてもらっていいのかなって・・。」

「・・・本当に綺麗なのは・・お前のほうだよ・・」

「え・・?」

「なんでもない・・もう、寝ろ・・」

それっきりしゃべらなくなった巽の膝の体温を心地よく感じながら、いつしかみことは規則正しい寝息を立て始めていた。

その寝息を確認した巽が、そっと当てていた手を外す。

初めて会ったときと変わらない・・安心しきった安らかな寝顔は、巽をホッとさせてくれる・・。

あさってにせまった誕生日の日・・巽は部屋から一歩も出まいと心に決めていた。

みことにも・・部屋に近づかないよう言うつもりだった。

後は聖治に来てもらって、もし人格が入れ替わっても・・絶対に部屋から外へ出さないように、なんとかしてもらうしかない。

フワッと、みことの髪をなでつけた巽が・・その柔らかい銀色の髪にソッと口付ける。

「お前の・・闇を照らしてくれる輝き以上に綺麗なものなど、この世に存在しない。いつまでも・・オレの前にお前がいてくれるなら、それだけで十分だ・・」

ソファーの背もたれと肘掛にもたれた巽もまた・・・いつの間にか寝入ってしまった。

その・・数時間後、フッと目を開けた巽の瞳が・・紫色に変わっていた。

みことの寝顔を愛おしげに見つめたその巽が・・パチンッと、指を鳴らす。

途端にまだ火の残っていた暖炉の火が、ジュッ・・!という音とともに掻き消えた。

「・・ふん!火など側にあると、出てこれにくくなる・・!みこと・・どちらが大事な巽か分かっていると言ったな?だが、人の心ほど移ろいやすいものはない・・嫉妬と妬み・・人の幸せを快く思わない者・・そういった人間が絡むと、人の心など操るは簡単なこと!それを巽とお前に教えてやろう・・。私から巽への、誕生日プレゼントだ・・。」

クク・・ッと不敵に笑った紫色の目が・・妖しく輝いていた。






ある雨の夜の出来事   完

 

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後書き

この話の直後から、次の章が始まります

お付き合いくださった方々、本当にありがとうございます。









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