ACT 33(完)
夕方近くになって、ようやくみことが帰ってきた
帰ってくるなり、家中を探し回って2階で寝ていた巽の部屋にバタバタと入り込む
『巽さんっ!!何で先に帰っちゃうんですか!?一人で心細かったのに!!』
バ・・ッと布団をめくり上げて、怒った顔つきで巽を睨みつけている
別に眠っていたわけでもない巽が、それに負けない不機嫌な顔でみことを見上げた
『おばあ様が居ただろう!?それに・・もう子供じゃないっていつも言ってるのはお前じゃないか!だったら、一人でちゃんとやれ!!』
かなりムッとした調子で、冷たく言い返す
『・・・なに・・怒ってるんです・・?』
みことが低い、怒りを抑えたような口調で言葉を続ける
『巽さん、ピアノ弾き終わった直後からずっと怒ってる・・!今だって・・巽さんの方が子供みたいじゃないですか!!』
『なっ・・!?俺のどこが子供だって!?』
ガバッと起き上がった巽が、立ちすくんでいるみことを睨むように見据える
『だって・・そうでしょう!?帰る時だって一言声かけてくれればいいのに・・!黙ってさっさと帰っちゃうし、帰ってきたらきたでそんな風に・・なんか怒ったまんまじゃないですか!』
図星の指摘に、一瞬言葉に詰まった巽がそれをごまかす様に強い口調で言い返す
『お前の方こそ何で今、ここに居るんだ!?今夜のレセプションで歌うんだろうが!さっさと行ってこい!!』
その言葉に、みことがグ・・ッと唇を噛み締めた
『・・・歌え・・なかった・・んです』
『・・は?』
『歌えなかったから、帰ってきたんです!いけなかったですか!?』
『どういう・・ことだ?』
わけが分からず険しい表情なままの巽から視線をそらし、みことが自分の握り締めて白くなった拳を見つめて言った
『・・・あの店で、誰に対して歌えばいいんです・・?どんな思いでどんな歌を・・!?』
みことが美園に「人前で歌ったことがない」と言ったのは本当だ
そして、「歌で人に誉められたことなどない」と言った事も
みことが歌を歌うのは、半精霊であるが故に聞こえてくる樹木の精霊や動物たちに歌って欲しいと言われるからだった
精霊たちや鳥たちに歌をせがまれてとか・・何かを救いたいとか・・自然に湧き上がってくる思いがみことを歌わせ、心を癒す波動を作り出すのだ
そんな思いも、沸き上がる何かもないのに、みことが歌など歌えるはずがなかった
『だって・・お前、歌ってたじゃないか・・今まで聞いた事がないくらい心に響く歌を・・!だからあんなに大勢の人がお前を・・・』
言ってしまってから、巽がその先に言おうとした言葉を呑み込む
そう・・巽はそんな歌を自分以外の人間の前で歌い、その歌を賞賛されて真っ赤になっているみことに・・・怒りを覚えていたのかと、この時初めて気が付いたのだ
『あれは・・!嬉しくて、ビックリしたから・・巽さんが僕の歌に気が付いてくれてて、ピアノを弾いてくれたから・・だから、その気持ちを伝えたくて・・・なのに・・・!』
ちょっとでも気を緩めたら泣き出してしまいそうな自分を、みことが息を詰めて堪えている
巽に感謝の気持ちと嬉しくて仕方なかった気持ちが伝えたくて歌ったはずなのに・・なぜか巽は怒ったように店を出て行ってしまった
それがどんなにショックな事だったか・・・
店を出て行く巽のムッとした横顔を見た瞬間から、みことは歌うどころか声すら出難くなっていた
それでも美園の顔を潰さないよう、必死に「仕事」をこなそうとしたのだ
でも結局努力は無駄に終わり、みことは自分の不甲斐なさと「仕事」だからと割り切れなかった自分の子供っぽさに怒りを覚え、今またその気持ちを巽にぶつけてしまってる
それがどんなに稚拙で幼い感情だと分かっていても、みこと自身、その感情をとめることが出来なかった
『・・・なんで・・怒ってるんですか・・・?』
『俺は別に怒ってなんか・・・』
苛立った気持ちの原因に気がついた巽が、きまり悪げに視線を落とす
『僕が・・昨日あんな事で怒ったから・・ですか?』
つい、心に引っかかっていた事がみことの口からこぼれ出る
引っかかっていたのは巽も同じだ
『それはこっちが聞きたいくらいだ!なんで、お前・・あんな風に怒ったりしたんだ!?』
その言葉は、裏を返せば巽が本当にキスしたことを気にしていない・・・ということ
みことはとうとう堪えきれなくなって下を向き、涙をポロポロ・・と流していた
『・・・だって、僕は巽さんにちゃんと覚えてて欲しかったんです・・。例え仕方なくそうなっちゃったとしても・・初めての・・好きな人とのキスになる・・から・・・』
『・・・え?今・・なん・・て・・・?』
巽が自分の耳が信じられず、思わずみことに聞き返す
『も、いいです・・・。どうせ巽さんにとっては、どーでもいい、忘れたい事・・なんだから』
クルッと背を向けたみことが、ドアに向かおうとして・・・
いきなり巽に腕を掴まれて、そのまま後ろ向きに倒れこむように巽の胸の中に抱きとめられてしまった
『た、巽さ・・・!?』
みことの驚きの声を掻き消すように、巽がその耳元で言った
『ちゃんと言え・・!さっき言った事・・もう一回、ちゃんと・・・!』
いきなり強い力で引き寄せられたみことは、驚きのあまり涙が止まり、心臓が飛び出しそうなほどの鼓動を感じながら、震える声で言った
『・・・僕は・・巽さんの事が好き・・なんです。だから・・・忘れて欲しくなかった・・!』
そのみことの言葉に、巽のみことを抱く腕に更に力がこもる
『・・・本気で・・言ってるのか?』
『も、もう!こんなこと、冗談なんかで言うはずないでしょう!!ど、どれだけ僕が悩んだと・・・!』
『じゃあ、まさか・・一日中何も食べなかったのは、そうなった事が嫌でしょうがなかったからじゃなく・・?』
『ち、違いますよ!!全然逆です!僕はこんなに悩んでるのに、巽さんは全然こんな事には慣れっこで、気にもかけてないんだろうな・・って、そう思ったら胸が苦しくて・・・』
『・・・俺は・・ッ!』
叫んだ巽がみことの肩にギュッと額を押し付けて言った
『俺は・・お前があの水の中に引きずり込まれた時、何もしてやれなかった・・!お前を守ってやると、この家に来る時に言っておきながら、守るどころか・・助ける事さえ出来なかった・・!だから、どうしても俺自身の手でケリをつけたかった。そのせいでお前がどう思うかなんて考えもせずにあの方法を選んだんだ。
お前の様子がおかしいと気がついた時、自分の事しか考えていなかったんだと思い知った。自分の身勝手さが心底嫌になったんだ・・・!だから、忘れろと言った。こんな俺のせいでお前が傷つくのが、許せなかったんだ・・・!
俺は・・そんな自分勝手で身勝手な奴だぞ!それでも・・・?!』押し付けられた巽の体が小さく震えている
みことは自分を抱く巽の腕に、ソッと手を当てた
『それが聞けて、すごく、嬉しいです。だって、巽さんは僕の事を思って忘れろって言ってくれたんだって分かったから。それに、僕も自分勝手で身勝手だから・・絶対、忘れません。これでお相子ですよね?』
そう言って巽の方を振り向こうとするみことを、巽が制した
『それなら・・もう少し、このまま俺の話を聞いてくれ・・・』
『え・・?』
戸惑いながらも頷いたみことの首筋に、巽が顔を埋める
『・・・あの”水”の中で貝の中に”水”と海蛇を封じたのは、俺であって俺じゃないもの・・そんな気がしてならないんだ。俺の中に蒼くて冷たい何かが居る・・。そう思うと不安で、正直、一人になるのが怖かった。なのに、お前は一人で先に進んでいく気がして・・俺の事なんて置いて、どうせどこかへ行ってしまうんだと・・無性に腹が立った。
みんなに賛辞されるお前を素直に喜んでやれない自分が嫌で、そんな自分を認めたくなくて・・お前に八つ当たりしていたんだ・・』今まで聞いた事がないほど心細げな巽の声に、みことの胸が締め付けられるように苦しくなった
あの貝を見た時から、巽の様子が変だったことには気がついていた
けれど、まさかこんな風にたった一人で不安な気持ちを抱えているとは思ってもいなかったし、店を出て行ったあの時の横顔にそんな思いが隠されていたなんて・・・!
自分の方こそ、巽の気持ちを考えていなかったと・・みことが今更ながらに思い知っていた
『・・・ごめんなさい、巽さん。僕、ほんとに自分の事しか考えていなかった・・・』
『ば・・ッ!謝るな・・っ!悪いのは俺の方なんだから・・・!』
『でもっ・・・!』
巽の腕の中で身じろぐみことを、巽が更に大きく、ゆったりと抱きすくめる
『・・・もう少し、このままで居てくれ。お前、あったかいから・・こうしていると、俺の中の蒼くて冷たい、あの得体の知れないものを忘れていられるから・・・』
そう言った巽の腕の中で、みことがくすぐったそうにクスクス笑う
『・・・なにが、おかしい・・?』
巽が少し不安げな口調でたずねる
『・・・だって、僕なんかより巽さんの方がもっとあったかいのに。あのね、知ってました?巽さんと一緒にご飯食べたり、テレビ見たり・・側に居るだけで、くっ付いていなくても凄くあったかくなるんですよ?あの”水”の中で巽さんに頭撫でてもらっただけで怖くて不安な気持ちもなくなっちゃったし。だから、巽さんの中に居るものなんて気にすることないです!
もし、気になるんだったら、いつでも言ってください!僕で良かったら、くっ付いててあげますから!!』その言葉に一瞬ゆるんだ巽の腕の中で、みことが身体をクルッと反転させて巽の顔を正面に捉えた
『あのね、覚えてます!?あの時・・朱雀の炎で頑張れたら、一つだけワガママ聞いてくれるって言いましたよね!?』
急に振り向いたみことに、巽が照れて視線をそらしながら頷いた
『ほんとーに、なんでもワガママ聞いてくれるんですよね!?』
嬉々とした表情に、有無を言わせぬ雰囲気で迫るみことに、巽が思わず息を呑む
『・・そう、だったな・・。約束は守るよ。何だ・・?』
どう転んでも、もの凄い無理難題をぶつけられそうで・・不安な顔つきになった巽に、みことが急に改まった表情を向けた
『・・・じゃ、言います!これから先、何があっても巽さんの側に居させてください!自分の身ぐらい自分で守れるようになりますから・・だから、僕の手の届かない所へ行っちゃわないで下さい!もし、行っちゃったら・・探しますから!絶対、見つけるまで探し続けますから・・!だから、側に居させてください!お願いします!!』
『みこと・・!?』
巽が言葉を失って絶句する
まさか・・そんなワガママだとは夢にも思っていなかったし、むしろそれは、巽自身がみことに望むワガママだったのだから・・!
『巽・・さん?』
固まったまま返事のない巽に、恐る恐るみことが呼びかける
不意にうつむいた巽が、小さく呟いた
『・・・ダメだ』
『えっ!?』
悲鳴に近い叫び声を上げて、みことが巽に食って掛かった
『どうして!?だって巽さん、なんでもワガママ聞いてくれるって言ったじゃないですか!!巽さんの嘘つ・・・ふが!?』
最後まで言わせずに、巽がみことの口を塞ぐ
『そうじゃない・・!今お前が言った事は、俺がお前に言おうと思っていたことだから・・だから、お前のワガママとしては聞けない。それは俺のワガママだ・・・!』
真面目な顔ではっきりと言い切る巽を、ビックリした表情で見返したみことが、自分の口を塞ぐ巽の手を押し戻して言った
『ほ、ほんとに!?本当に・・巽さん、そう思ってくれてるんですか!?僕と同じ事・・?!』
信じられない・・!といった顔つきで巽を見つめるみことに、巽がはっきりと頷いた
『・・・ア!それじゃ、まだ僕のワガママ、残ってますよね!?そうですよね!?』
突然何かを思いついたように、嬉しそうに無邪気な笑顔を見せたみことに、思わず巽の顔が強張った
『・・・そ、そうだ・・な。まだ、何かあるのか?』
あからさまに不安そうな表情になった巽に、みことが少し上目遣いになって言った
『今度のは簡単ですって!あのね、ちょっとの間だけ・・目、閉じててもらえます?』
『目・・!?なんで?』
何だかもの凄く嫌な予感を感じた巽が、警戒するようにみことを軽く睨んでいる
『あーーーーー、もうっ!!これは僕のワガママなんですよ!!何でも聞くって言ったじゃないですかっ!目、閉じるくらい出来ないんですか!?』
かんしゃくを起こした小さな子供のような口振りで、みことが強引に手を伸ばして無理やり巽の目を覆った
『約束でしょ!?ちょっとの間だけですから・・・ね?お願いします・・』
ソッと手を離したみことの指先の下で、観念したように巽が目を閉じる
そのみことの指先がソッと巽の頬を包み・・・
ほんの一瞬、みことの唇が巽の唇と重なった
その感触に驚いた巽が、弾かれたように灰青色の瞳を見開くと
耳まで真っ赤になったみことの顔が、パッとうろたえたように視線を彷徨わせて離れていった
『ピアノ、弾いてくれたお礼です・・!あの、ピアノ弾いてる巽さん、すっごくかっこよかったです!え・・と、もっと巽さんの事が大好きになりました!!』
そう言い放つと、たちまちピョンッとベッドの上から飛び降りて、バタバタとドアの方へ逃げるように走り去る
そのドアを出る直前、みことが振り向きざまに叫んだ
『ほんっとーーに、脳みそ沸くほど悩んだんですからね!!巽さんも悩んでください!!これが僕のワガママですッ!!』
ニッと、悪戯っ子のような照れ笑いを残して、逃げるように部屋を出て行った
呆然とそれを見送っていた巽の顔が、ジワジワと赤くなり、どうしていいか分からない・・怒ったような、笑ったような顔つきに変わっていく
『・・・やられたな。確かに・・これ以上ないほどのワガママだ・・!』
ほんわかと暖かいものが広がって、巽の心の奥底に火が灯ったように体の中から暖められていく
それは、みことと同じ、暖かい春の陽だまりようなぬくもりであった・・・
望郷海蛇奇談 完
お気に召しましたら、パチッとお願い致します。
後書き
よ、ようやく完結・・致しました。
途中何だかこ難しい話にも陥りつつ、ここまでお付き合いくださった皆様
ほんとうにありがとうございます。
心からお礼申し上げます。
次は『開かずの間』という、この話の直後のお話で、杉ジイと巽の出会いの話になります。
まだまだ先の長い話なのですが、どうかよろしくお願い致します。
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