ACT 32

 

 

 

 

みことと共に店に入った美園が、カウンター横の小さなステージにみことを引っ張って行く

機材のセッティングやピアノの調律、ライトの点検など・・数人のスタッフが忙しそうに動き回っている

『み、美園さぁん・・・』

心細げな声で、みことが美園に呼びかける

『とりあえず、発声練習しましょ!はい、そこのマイクの前に立って!ピアノの音に合わせて同じ高さの音を出してね』

発声練習を始めた二人を眺める聖治に、巽が声を掛けた

『聖治、お前・・なんでみことと一緒にここへ来たんだ?』

『・・・ん?ちょうど巽の家に行ったら、空也がみこと君を捕まえててね。前鬼君、使っただろう?』

ゆっくりと巽の方へ向き直った聖治が、意味ありげに笑う

『なんだ・・・見てたのか』

『もうそろそろ来る頃だと思ってたんだろう?』

『まぁな・・初めに狙うならみことが一人の時だろうと思ってたし、俺が直接出て行ったら、あいつを余計に刺激しかねないしな・・・』

うんざりした表情で頬杖をついた巽が、軽くため息をもらした

『そりゃ正解だね。もっとも、巽が直接出て行って、空也の奴がお前に傷の一つでもつけてたら僕も黙って見てなかったよ』

『俺があいつにやられるわけないだろう!?』

少しムッとした顔つきで聖治を睨む巽を、聖治がクスクスと笑い飛ばす

『それは巽が一人の場合だろう?みこと君が居たら、絶対、巽は自分を盾にするからね・・僕の時みたいに』

巽がハッとしたように聖治を見返した

『・・・よく、そんな昔の事を覚えてるな。けど、その後お前、空也に何かしただろう?あれ以来、空也の奴お前に手を出さなくなったからな・・』

『・・・さあ・・ね。昔のことだからもう忘れたよ』

クッ・・と思い出したように不敵な笑みを浮かべた聖治が、さりげなく別の話題を振る

『でも、ちょっとビックリしたな。あの前鬼君が本気で空也に怒ってたぞ?前鬼君を本気にさせたり、巽の朱雀を目覚めさせたり・・たいしたもんだね、みこと君は・・』

しばらくジッと聖治の笑顔を見据えていた巽が、フッとあきらめ顔で肩を落とした

『お前に関して、俺は知らないことが多すぎる気がするんだけどな。それに、朱雀の事はみことのせいばかりじゃない・・お前の方が望んでいた事だろう?』

『・・おや、まさか僕のため・・なんて言うんじゃないだろうね?』

聖治がからかうような目つきで巽を見つめる

そんな聖治の視線を真っ直ぐに見つめ返した巽が、自分自身に言い聞かせるように言った

『誰のためでもない。自分が自分らしくなるためだ。自分の望むものを死ぬ事でしか手に入れられない・・そんな事にならないように・・!そう、雅人さんと父さんに教えられた気がする』

一瞬、目を閉じた巽が、膝の上で組んだ両手に力を込め、辛そうな顔つきになって聖治に言った

『聖治、お前は・・知ってたんだろう!?雅人さんと父さんの事・・。なんで俺に教えなかった!?』

その巽の言葉に、聖治が顔を伏せ、クックッ・・と低い笑い声をもらす

『知ってるもなにも・・父が・・あの男が全部教えて行ってくれたさ。自分が何をしたのか、知りたくもなかった事までね。それに巽、お前はあの男に関して僕が言った事、一つでも信じたか!?俺が教えたところでお前はそれを認めやしない。お前が自分から本当の事を知ろうとするまで・・その時まで待つ以外、僕に出来ることはなかったよ・・・』

巽が思わず顔を覆ってうなだれる

『・・そう・・か。気づかなかったのは・・知ろうとしなかったのは・・俺だけなんだな。すまない、聖治。そのせいで、ずっとお前を傷つけてた・・俺は、最低な男だ・・・』

そんな巽を聖治が不満そうに見据えて言った

『ずるいぞ・・巽・・!そんな風に謝られたら何も言えなくなるだろ・・!それに、僕が望んだのはそんな風に自分の事を最低だとか卑下するような巽じゃない。・・そうだな、望むものの一つがここにある・・か』

『何だ・・?』

訝しげな表情で顔を上げた巽の前に、いつもの笑顔を湛えた聖治の顔があった

『・・・あれ、弾いてくれ』

ツィ・・と聖治の指先がピアノを指差す

『・・ッ!?いや、でも・・もう何年も・・』

巽が目を丸くしながら口ごもる

『ずっと僕に気を使って弾いてなかったんだろう?巽にピアノを勧めたのはあの男だったからな・・。この際だから言っとくけど、僕はずっと巽のピアノが聞きたかったんだ。・・・知らなかっただろ?』

『・・・ああ、知らなかった・・』

心底驚いたようにピアノを見つめた巽の耳に、みことの悲痛な声が響く

『む、無理ですってば!美園さん!!いきなりアカペラなんて・・!!』

『しょーがないでしょ!?それに、みこと君ちゃんと音とれてるし。頑張んなさいっ!!』

『そんなぁ・・・!』

ガックリと肩を落とすみことを見た巽が、静かに立ち上がる

『・・言っとくけど、ちゃんと弾くのは12年ぶりだ。指、動かないぞ?あんまり期待するなよ・・』

『分かってるよ。でも、これからはちゃんと練習しろ!いつでも僕が聞けるようにね!』

聖治が命令口調で言い放ちながら、早く行けとばかりにヒラヒラと片手を振る

『相変わらず、いい性格してるよ・・お前は・・!』

肩をすくめた巽が、ピアノに向かう

『・・・え?巽・・さん?』

みことがピアノの前に座った巽を凝視する

『あーら・・?まぁ・・そちらのお二人さんもけっこう和解してるじゃない・・!』

美園も目を丸くして巽を見つめていた

巽の弾くピアノの音が静かに流れ始める

その、メロディに、みことが驚愕の表情を浮かべた

それは、みことが毎朝口癖のように歌っていた『翼を下さい』のメロディだった・・!

(うそっ!巽さん、聞いてたんだ!?)

みことの顔が羞恥で真っ赤に染まる

12年ぶりとはとても思えない・・その確かな安定した音色と、巽が知っていてくれたという嬉しさに・・みことの顔に満面の笑顔が浮かび、自然と歌が流れ出る

その歌声に、美園や聖治、そしてレセプションの準備に追われていたスタッフまでもが、仕事を忘れて聞き入っている

歌い終わったみことが、ハァ・・ッと安堵のため息をつくと同時に、パチパチとどこからともなく拍手が送られ、みことの周りに人垣が出来上がっていた

『君、いくつ?凄いじゃない!』

『ねえ、ねえ、どっかで歌ってたの!?』

口々に賞賛の言葉を並べながら、店の関係者が集まってくる

みことはユデダコのように真っ赤になって、しどろもどろになりながらも、質問に答えていた

そんなみことを見つめる巽の顔がムッとした様な表情になり、やがて・・どこか寂しげな顔つきに変わる

『・・・どーかした?』

美園が意味ありげに微笑んで、巽の顔を覗き込む

『・・・別に』

一転して無表情になった巽が、スッと立ち上がり出口へ向かって歩き出す

巽の腕を掴んだ美園がグイッとその身体を引き止めて、その顔を正面に見据えていった

『二度と置いて行かれるのが嫌なら、自分から追いかけなさい!そうしないと・・いつまでたってもあなたは、置いて行かれるだけの存在でしかないわ・・!』

『・・ッ!!』

ハッとしたように灰青色の瞳を見開いた巽が、その美園の手を振り切るようにして再び出口へ向かう

ドアを開けて出て行く巽の耳に、美園のどこか楽しげな声が届く

『その不安と焦りはどこから来るのか・・よーく考えなさい・・!』

その声を無視して出て行く巽を追うようにその後に続いて店を出た聖治が、階段の下から巽に声を掛けた

『もう帰るのか?送っていくよ?』

『・・・いい。一人で帰る』

階段を登る足を止めることなく、巽が低い・・苛立った声音で答える

『それにしても凄いね。みこと君って、あんなに歌がうまいんだ。そのうちスカウトとかされたらどうするんだろうね?』

巽の苛立った声音など気にする風でもなく、聖治がにこやかに話しかける

『・・・そんな事、みことが自分で決める事だろ!?何で俺に聞くんだ!?』

思いきり不機嫌な、一層苛立った声音で答えつつ巽が階段を登りきる

『ふーーん?じゃ、何でお前はそんなにイライラしてるんだ?』

『してないっ・・!!』

背中を向けたまま聖治の声に答えた巽が、足早に人込みの中へ消えていく

その後姿を見送りながら、聖治がため息をついた

『・・・そーゆー態度を見せ付けられるこっちの身にもなれっての!ま、それをあの巽に期待出来るくらいなら、僕もここまでひねくれずに済んだろうにね・・・』

聖治の視界から消えた巽は、ムッとした表情のまま苛立つ自分の心を持て余していた

(・・・なんだって俺はこんなにイライラしてるんだ!?だいたい・・あばあ様が余計な事をするから・・!!)

そう思った途端、巽の足が止まる

ーーーー「その不安と焦りがどこから来るのか・・よーく考えなさい・・!」

美園の言葉が頭の中でこだまする

(このイライラが不安と焦りだって!?それがどこから来てるかだって・・!?)

再び歩き出した巽の足が、だんだんと早くなっていく

自分で自分の気持ちが分からないまま・・

巽の顔に今までにない、困惑と焦りの色が浮かんでいた

 

 

 

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