赤銅色の月の下










ACT 3










「・・・・・やっぱ、もう終わってるよな」

ようやくホテルを後にした七星が、腕時計を見つめる

時刻はもうじき日付が変わろうとしていた

ため息をつきつつ見上げた月は、遠く

赤銅色だった事が嘘のように、煌々と銀色の輝きがあたりを照らしている

一瞬、ホテルで見た男の事が過ぎり、銀色の月にホゥ・・ッと安堵のため息をついた七星が、クル・・ッときびすを返したかと思うと、たった今降りた電車の改札口に向かう

きっと

舵も家に帰ったのは遅いはず

今ならまだ、部屋に明かりがついているかもしれない

別に会いに行くわけじゃない

ただ

舵が、あの部屋に居る

それだけをこの目で見て、確認したかった





舵のマンションに着き、一番端のその部屋を見上げてみたが、明かりは付いていなかった

「・・・・・・・もう、寝たのかな?」

疑問を抱きつつ、気になって駐車場へ行ってみると、そこにあるはずの舵の車がない

「・・・っ、」

ジワジワ・・と競り上がってきた痛みに、七星がその胸に手を当てる



・・・・・誰かを家まで送って行ったのだろうか

・・・・・いつも七星が乗る助手席に、違う誰かを乗せて

・・・・・いつものように、そこに座る者に笑みを見せて

・・・・・だけど

・・・・・まだ帰って来ていないなんて

・・・・・ただ送ったにしては遅すぎないか



吐き気にも似た焦燥感が、胸に込み上げてくる

「・・・ッ、側に・・居るって言ったくせに・・・!」

舵から少し離れよう・・・そう思ったのは自分の方なのに

いつも誘いを断るのも、自分なのに

メールや電話も自分の方からかけないのに

でもそれは

舵がいつも近くに居てくれたから

いつも七星を見つめる視線を感じていたから

側に居ると言った舵の言葉を、信じていたから

なのに

今、そのどれもが七星の周りに見当たらない

どうしたらいいのかすら、分からない







気がつくと

舵の部屋のドアの前に寄りかかっていた

どうしてこんな所に居るのか、自分でもよく分からない

ただ

舵が帰ってくるのかどうか・・・それを確かめたかった




腕時計に目を落とすと、既に最終電車の時刻は過ぎていた

弟達には、パーティーの終わる時間次第では、そこのホテルに泊まって帰るから・・・

と、伝えてある

朝までここに居たって、心配する事はないだろう

待つことには慣れている

だけど慣れたからと言って、平気になるわけじゃない

いつもいつも、不安で押しつぶされそうになりながら、待つしか術がなくて

公演中の父が事故もなく無事に帰ってこれるのか

弟達が「ただいま」と言って帰ってきてくれるのか

ドンドン自分に自信がなくなって、ドンドン不安になっていく

当たり前に手の中に在ったものが、ある日突然、何の前触れもなく、消え去っていく

それが現実

知っているからこそ、自分の感情を抑えて、制御して、蓋をする

そんなくだらない技を幾つも身につけて、自分を保身してきた

だけど舵の前では、そんな感情の制御が出来なくなる時がある

欲望という名の本能が、感情という名の理性を失わせる

今まで自分を守ってきた鎧が、一枚一枚剥がされる不安

どこまで行っても際限のない、乾いた飢えに対する怖さ

自分が自分でなくなる事が怖くて

舵から距離を置こうとした

自分で望んでいたはずなのに、それを目の前に突きつけられると、こんなにも辛くて痛いものだとは知りもしないで

どこかで車の音がする度に、エレベーターの稼動音が聞こえる度に、七星の身体がビクン・・ッと期待に震える

舵が帰ってきてくれたのか・・・と

まだ、側に居てくれるのか・・・と

何度かエレベーターの階を表す表示に光りが灯る

でもそれは一番上であるこの階まで表示される事はなくて、階下で無情にその光を失くす

慣れない仕事で、神経と体力を使った疲労

現れない待ち人に、沈んでいく気持ち

込み上げてくる不安と、どこにもぶつけようのない苛立ち

ホテルでの接待で神経をすり減らしていた七星の身体が、グラ・・・と揺らぐ

・・・・・あ、ヤバイ・・かも

そう思った途端、七星の視界が徐々に暗くなっていく

ズルズル・・・とドアに背中を預けながら、七星の身体が沈み込んでいった










ーーーーー・・・昨日の午後にこちらに着きました。
         はい、ありがとうございました。


一瞬聞こえた声に、七星の意識がゆらゆらと戻ってくる

聞こえた声は、頭の中では日本語として変換されていたが・・流暢な英語だ

(・・・・あれ?俺、まだ父さんの所だったっけ・・・?)

夏休みの中盤に父・北斗の公演先に行っていた事を思い出しながら、七星がゆっくりと重い瞼を開けた

ぼんやりと見上げた天井は、旅行先のホテルの天井ではなく・・・七星が訝しげに眉根を寄せた

頭の芯に霞が掛かったみたいに、はっきりしない

指一本動かすのさえ面倒に思える、体の重さ

考える事を止めようとする意識

ふと泳いだ視線の先にあった、見覚えのあるローテーブル

その先にあった・・・見慣れた・・・顔!

「・・・・っ、あ・・・!」

七星の瞳が一気に大きくなる

「お?目が覚めた?」

ちょうど電話を終え、携帯を閉じた舵が、ホッとした様な笑みを浮かべて七星を見た

一気に意識がなくなるまでの記憶が甦り、七星がガバッと勢いよく飛び起きる

途端

恐らくは疲労からくる軽い貧血だったのだろう・・・いきなり起き上がった拍子に視界が揺らいで七星の身体が再び沈みかける

「・・・っ」

「浅倉・・・!」

慌てたような声音と共に差し出された腕の中に、七星の身体が落ちる

「大丈夫・・・!?」

言いかけた舵の言葉を失わすほどに強く握り締められた、舵の腕を掴む七星の指先

「・・・・・・・・・・・・っんだよ」

「え?」

「な・・んで、あんた、居ないんだよ・・・!」

絞り出すような声で言った七星が、舵の胸に頭を押し付けて、その両腕を爪が食い込むほどの強さで握り締める

その痛みを甘んじて受けながら、舵が静かに問いかけた

「・・・浅倉こそ、何で今日来なかったの?あんなスーツ着てるし髪も上げてるし・・・一瞬誰だか分からなかった」

「「AROS」の事業立ち上げ・・・!俺が、立案したから・・・!」

軽く目を見開いた舵が、複雑そうな笑みを浮かべる

「そうか・・・おめでとう。凄いな、浅倉は・・・」

「っ、違う・・・っ!それは・・浅倉じゃない、華山の方・・・だ!」

「!?」

言い放った七星の言葉に、舵がハッと息を呑む

そういえば、いつもそうだった

七星が「AROS」の話をする時、まるで他人事のような素っ気無さがあった

まるで自分の事ではないかのような・・・

誰か、他の人の話をしているかのような・・・

そんな違和感があった

あれは

七星の中では、別なものなのだ

北斗がマジシャンとしての仮面を被り、演じるように

七星もまた、華山の後継者としての仮面を被り、その役を演じている

大人の男としてはまだ線の細い、この体で

まだ充分に成熟していない、その心で

その危うさと不安定さを訴える、舵の両腕に食い込んだ七星の爪先

まるで離れるのを恐れているかのように押し付けられた、七星の頭

ここに居るのは

まぎれもなく、まだ17歳で普通の高校生の、浅倉 七星・・・!

「あんたは・・どうなんだよ・・っ!?」

ギリ・・ッと、舵の両腕に食い込む爪先に更に力がこもる

ほんの一瞬、その痛みに耐えたシワを刻んだ舵が、押し付けられたまま上を向くことをしない七星の髪に顔を寄せる

ドアの前で意識をなくして座り込んでいた七星を見つけた時、そのいつもと全く違う大人な男の出で立ちに、どうしようもない焦燥感が湧き上がった

これからドンドン輝きを増し、上へと向かう七星

舵自身が願い、望む事であはあったが、いきなり突きつけられた現実は、冷水を浴びせられたかのような冷たさがあった

夏だというのにきっちりと上まで締め上げたネクタイ

まるで防護服のように一部の隙もなく着込まれた、スーツ

綺麗に整えられて上げられた前髪

七星を部屋の中に運んでから、募る焦燥感に突き動かされるままネクタイを解き襟元をくつろげ、スーツを剥ぎ取り、整えられていた前髪をいつものように下ろしていた

でも、そんな事をしなくても、気づいてさえいれば、七星は七星のままなのだ

仮面を取り替えるのに合わせて、様々な「鎧」ともいうべき抑制や理性や衣装を身に纏うのも、その中にある心を守るため

誰にも見せず、触れることも許さない、ガラスのように傷つき壊れやすい七星の心

気付いていたはずなのに

その強固な意志で、完璧に作り上げられたあまりに自然な擬態に、その素っ気無さに

いつの間にか翻弄されて、惑わされてしまっていた

七星の心を試すような・・・そんな無為な駆け引きを仕掛けてしまった

まだそんな行為には不慣れで、それをそのまま鵜呑みにしてしまうほど、純粋で傷つきやすい七星に

「・・・・ごめん。俺は浅倉の事を試したんだ。俺が側に居なくなったら、少しは会いたいとか・・・俺の事を考えてくれるかと」

「・・・っ!?」

ガバッと顔を上げた七星が、信じられないとばかりに舵を凝視する

「じゃ、メールも何も連絡入れなかったのは、ワザと・・・!?白石とも連絡取らないようにしたのも!?」

「あー・・・それは、ちょっと携帯の機種変更してて・・で、ちょっと一人で旅行とかにも行ってて、携帯の受け取りが遅くなったから・・・」

「機種・・変更・・・?旅行・・・?」

一気に体の力が抜けた七星が、茫然と舵を見つめる

「そ、海外でも繋がる携帯。浅倉がどこに行っても連絡取れるように・・・と思って。旅行は、久々に恩師からハガキが来てて、遊びがてら会いに・・・」

「・・・っけど、今日は!?何であんなに遅く・・・」

「あ、それは、撮った写真を白石の親戚だっていう隣町の写真屋まで持っていって、現像してもらってたんだ。浅倉に早く見せてやりたくて」

「・・・・・なん・・だよ、それ・・・・」

再び舵の胸に頭を押し付けて脱力し、握り締めていた腕を、七星がようやく解き放つ

うっ血したような爪痕が残された両腕で、舵がふわり・・とその七星の体を包み込んだ

「・・・で、もう一つ、試してる事があるんだけど・・・」

抱き込んだ七星のうなじに唇を寄せ、舵がゾクリとする艶めいた声音で、その耳元に囁いた




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