天空の破片







ACT 8







ターコイズブルーに彩られた海を堪能しながらスピードボートに乗り、北斗とアルが目的のコテージに到着した。

小さな集落のように固まって連なるソネバギリ・ヴィラ・スィートから少し離れた位置に点在する、まさに海の上の一戸建てと言っていい七棟のコテージ。
ブルーラグーンの遠浅の海が広がる水上に独立して建てられた…ソネバギリ・クルーソーレジデンス。
究極のプライベートを約束してくれるそこは、隣のコテージとも適度な距離が保たれており、全くと言っていいほど気にならない造りになっていた。

ワンアイランド・ワンリゾートと言われる所以である本島のビーチからも切り離されており、コテージからの移動にはアルが運転していたスピードボートが使われる。
一棟ごとに専属のバトラーが付き、食糧や生活必需品の運搬、そのほか細々としたサービス全般を全てやってくれるので、孤立した海の上でも快適に過ごすことができる…まさに究極のリゾート。

スピードボートからデッキに移る直前、靴を脱ぎ捨てた北斗が玄関脇に置いてある大きなハリネズミの置物のツンツンした背中を一撫でして『ただいま』と、あいさつを交わす。
数年前に一度利用して以来、北斗の大のお気に入りになったここは、人工的なものはできるだけ使わないというポリシーから靴ははかずに素足で…というのが大前提。
チェックインする時に、脱いだ靴を入れる袋を手渡されるほどだ。

玄関ドアを開け放って中に入ると、ドアがある壁以外の三方が全て解放できるガラス戸で囲まれた広いリビング。
全てのガラス窓には分厚い布製のロールカーテンがついていて、下ろせば真っ暗に、上げれば煌めく楽園の青さに…と自由自在だ。
ガラス戸を全て開け放つと、その周囲には温かみのあるウッドデッキがあり、感じる解放感は、おそらく他のどのリゾートでも味わえない。
リビングの真中あたりにある板張りの床の一部もはめ込み式のガラスになっていて、青い海が足元でも楽しめる心憎い演出。
四人掛けの木製テーブルの上には、ウェルカムドリンクの冷えたシャンペン、山盛りのウェルカムフルーツが置いてあった。


「うわ、やった!ちょうど喉が渇いてたんだ」


思わず歓声を上げた北斗がポンッ!と軽快な音を響かせて、細長い二つのグラスに冷えた透明なシャンペンを注ぎ入れ、振り返りざまに一つをアルに差し出した。
既に時刻は夕刻の時間帯だったが、差し込む西日はまだまだ明るく…そんな日差しの中、ちょうどアルが後ろ手でひとくくりに戒めていた金色の髪を解いたところだった。

軽く頭が振られ、ふわり…と戒めを解かれた煌めく金糸が、周囲を満たす白色に近い日差しに溶ける。
一瞬閉じられた双眸のせいでその冷たく凍てつく視線が遮られ、さながらブロンズの彫刻の如く鼻梁の高い野性的で整った容貌が際立って、北斗の視線をくぎ付けにした。

たまたまアルが着ていた服がオフホワイトのシャツとパンツだったせいもあったのだろう…きらめく海に反射した日差しをバックに立つアルの姿は、まるで後光を身にまとった褐色の肌の天使のようだった。

正義が正義として通らない、融通のきかない”見栄と虚飾で塗り固められた世界”…そこが天上とするならば、その世界を否定し自ら望んで堕天した、異色の堕天使…。

北斗の脳裏に、サンドラの胸元で今もなお輝き続ける幼いアルの天使そのものだった容姿とが重なって、そんな想いが過ぎる。


「…?どうした?」


差し出したグラスをそのままに自分の顔を凝視して固まっている北斗の様子に、アルが怪訝そうに問いかけ、差し出されたグラスごと北斗の指を取って引き寄せた。


「ぁ…いや、同じなんだな…と思って」

「同じ?何が?」

「天使は成長しても天使だってことだ」

「は…?」


ますます怪訝そうにアルが眉間にシワを刻む。
そんなアルにクス…と笑み返した北斗が、手にしていたグラスを指先ごと捕らわれたままのアルのグラスに寄せた。


「…笑って許すのはこれが最後だからな」


触れ合う直前で止めたグラスを見つめ、静かな笑みを湛えたまま北斗が不意にそんな言葉を吐く。


「…北斗?」

「もう二度と、何があっても、黙って俺の前から消えるな。この先お前に関して何を知ろうと俺はそれを受け入れる、絶対に。だから、もう…知られることを恐れるな」

「…っ!」


視線をグラスからアルのアイスブルーの双眸へ移した北斗が、言い募る
ハッと目を見開いたアルが、捕らえたままだった北斗の指先に力を込めた。


「…俺をあえてサンドラの下に行かせたのは、俺に選ぶ自由を与えたかったからだ。面と向かってお前からそれを告げられれば、俺は逃げだしたくても逃げ出せない…だからお前は、お前の手が届かない状況下でそれを俺に知らしめた。もしも俺が受け入れなかったら、俺はサンドラによって日本へ送り返され、お前は二度と俺の前に現れない…そんな所だったんじゃないのか?」

「……」


無言の応えを返したアルの口元に敵わないな…と言わんばかりの苦笑が浮かび、見開かれていたアイスブルーの瞳がゆっくりと細まっていく。
そんなアルの表情を見ていれば、北斗の予想通りだったことが容易に知れるというものだ。

かつて、『俺以外の奴のものになるのなら、救った命返してもらう』とまで言い切ったはずの男。
冷酷無比、非情、狙った獲物は絶対に逃さない蛇のような執念深さ、そんな言葉で語られる男。

けれど。

ただ一人の守りたい人を守るためならば。
守りたいその人がそれを望むというのなら。
そのためなら、自らその存在を消し去る事さえ厭わない。

それが、凍てつく眼差しの最奥に隠されたこの男の本質。
それが、全てを知り、それでもなお共に生きる事を選んだ理由。


「お前が救った命だ、ちゃんと最後まで見届けろ」


静かな笑みを湛えたままの北斗がそう言って、アルの細まった瞳を見上げて間近に見つめ合う。


「…お前がそれを望むなら」


恐らくは北斗以外誰も見たことがないだろう…見惚れるほど穏やかな笑みを浮かべたアルがそう言って、捉えていた北斗の指先を開放してグラスを取る。
カチンッと乾いた音を響かせてグラスをぶつけ合わせると『再会を祝して』と、互いに一息にシャンペンを飲み干した。


「…は、ようやく一息つけた、って感じ。アル、ディナーは?もう電話したのか?」

「ああ。ラヴィに任せておいたから、大丈夫だろう」

「今回もラヴィが付いてくれてるのか?良かった…!」


ラヴィとはコテージ付きの専用バトラーで、二十代半ばとまだ若いが細かなところまで気の付くスタッフだ。
一番最初にここを利用した時以来、ずっとこのラヴィが北斗達に付いてくれている。
数年来の付き合いから北斗とアルの趣味嗜好を熟知し、ヴィラ内で取る食事の手配はもちろんのこと、まるで北斗達の思考を読んでいるかのようなきめの細かいサービスを提供してくれる。

目を輝かせた北斗が、『じゃ、心おきなくゴロゴロできるな!』と言うが早いかグラスとシャンペンを持って、アルと共にリビング正面にあるフローティングデッキへと降り立った。

ヴィラから突き出した格好のデッキには、真っ白なパラソルの下、真っ白なリクライニング式のデイベッドが二つ並んで置かれていて、視界を遮るものが何もない見渡す限りのブルーラグーンとそれに続く青い空を存分に楽しむ事が出来る。
ちょうど夕刻に向かう時間帯だけに日差しも和らぎ、吹き抜ける涼やかな風を感じながら眺める幻想的な夕暮れ時の風景は、ため息が出るほど美しかった。

普段はあまりリラックスした姿を見せないアルだが、完全孤立したプライバシーの保てるここに来た時だけは、北斗と一緒にデッキのベッドでゴロンと横になり、のんびりと何もしない時間…というものを楽しんでいる。
そんなアルのリラックスした穏やかな横顔が見られる事も、北斗が数年来ここを愛用している理由の一つだ。

やがて日が落ちてくると同時に間接照明が灯り始め、海の中に浮かぶヴィラを幻想的に照らし出した。


「…北斗、」


うとうと…としていた北斗の頬にそっと触れた温かな指先とその名を呼んだ声音に、ゆっくりと北斗の意識が浮上する。


「食事の時間だ、ラヴィが待ってる」

「ん…、」


まだ半分夢心地で返事を返した北斗の瞳がゆっくりと開かれ、目の前にあったアイスブルーの双眸を見つめ返すと、頬に触れるアルの指先に自分の指を重ねた。


「…夢じゃないな?」


フ…と目を細めた北斗が重ねた指を確認するように撫でながら言い、アルが『夢?』と問い返した。


「お前とはしばらく夢の中でしか会えなかったからな…」

「ふ…夢か、俺には無縁な代物だな」


自嘲気味な笑いと共に返された返事に、ハッと眠気を吹き飛ばされた北斗が目を見開いた。


「そ…ぅか、お前…っ、」


言いかけた北斗の言葉が、重なって来たアルの薄い唇によって掻き消される。
久し振りに感じたその温もりと忍び込んできた舌先を味わいながら、北斗が言わせてはもらえなかった言葉を心の中で問いかけた。


『…一体何日寝ていない?』


理由はどうあれ七星達に危害が及ぶかもしれない…という事を北斗に黙っていた事実。
そして自分の居ないところで自分の過去を全て北斗が知ることになる…という現実。

ある意味どちらも北斗にとっては裏切りに近い。
北斗がそれでも自分と共に生きる事を選んでくれるのか?
アルにしてみれば、その可能性は限りなく低いものだったろう。
その不安を抱えながら七星達を守り抜き、サンドラからの依頼をもこなす…それをやり遂げるためには如何に屈強な精神力を有するアルといえど、相当な重圧だったろう。

ただでさえ仕事中は横になって寝るなどしない男だ…一体何日眠らずに今、こうしてここに居るのか。

いつもは北斗の方が低く感じるはずの触れ合う体温が、わずかにアルの方が低く感じられるのも気のせいなんかではないのだろう。
北斗がアルの顔を包み込むように両頬に指を添え、名残惜しげにキスを解いた。


「…少し冷たいぞ、アル」

「…そうか?なら…!」


どこか楽しげな笑みがアルの口元に浮かんだ…と北斗が思う間もなく感じた浮遊感。


「え…!?」


ふわっと体が浮き上がったかと思った次の瞬間、北斗の身体はアルによって抱き上げられて部屋へと続く階段を上っていた。


「ちょ…っ、ア、アル!降ろせ、ラヴィが見てる!!」


浮遊した瞬間、視界の隅で捕らえた部屋の中で、給仕をすべく待っているのだろうラヴィとばっちりと目が合い、微笑み返されてしまった北斗がアルに抱え上げられた腕の中、真っ赤になって身をよじる。


「こうしていると温かくていいんだがな?」

「だ、だからって…!ああ、もう、好きにしろ!!」


もがいたところでビクともしないアルの腕の力強さに、抵抗しても無駄だと悟った北斗が呆れたように言い募り、真っ赤になってしまった顔を隠すようにアルの首筋に額を押し付ける。
押し付けた額の熱さが、少し冷たいアルの体温に吸われて行く気さえして、北斗が腕の中で嘆息した。


「…アル、あったかいか?」

「…あぁ」

「そうか、なら…いい」


そう言って、北斗が目を閉じてアルの首筋に腕を回す。
そんな二人の姿が、すっかりの日の落ちた闇色の帳の中、足元からの淡い照明に照らされて、さながら一枚の絵のようにラヴィの瞳に映っていた。







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