ACT 19(完)

 

次の日の朝、智久の家からいつもどおりに出勤した俺に、嶋さんは挨拶代わりにバシッ!と背中に一発、容赦のない一撃をくれた。

「し・・嶋さん!?」

ケホケホ・・・とむせながら振り返った俺に、嶋さんは更に額に一発、デコピンをくらわせてくれた。

「っ!いってーー!!」

思わず座り込んで額を押えた俺の顔を覗き込んだ嶋さんが、言った。

「おはよう!ええ顔になったやないか?山ちゃん!俺の休み持ってった分、バリバリ働いて俺に楽させてや!もう俺も年やねんから!!」

ニコニコと笑顔で言い放った嶋さんが、最後にガシガシ・・・と俺の頭を撫で付けて店の中へ入っていく。

俺は、どんな顔して挨拶しよう?と思案していた不安を一気に吹き飛ばされてしまっていた。

こういう風に相手の事をさりげなく気遣って、やすやすとそれをやってのけてしまう嶋さんには、本当に敵わない。

慌てて後を追いかけた俺は、

「まだまだ年じゃないって言ってたじゃないですか!」

と、笑って言い返すことが出来た。

それに。

額に受けたデコピンも、前の半分くらいの力加減で。その分『ようがんばったな!』という、嶋さんの無言の言葉をひしひしと感じていた。

智久から会社に連絡があった事はもう知れ渡っているらしく、店長もやれやれ・・・といった雰囲気だった。

俺が嶋さんからもらった休みは、風邪で体調不良のため・・・という事になっていて、俺が智久の所へ行った事は誰も知らなかったし、嶋さんも決してその事を話題にしたりもしなかった。

夕方になって、仕事の後の缶コーヒーで一服していた俺と嶋さんに、店長が声をかけてきた。

「おい!チキュウの奴、今日本社に呼び出しくらって百貨店の方へ移動する事になったらしいぞ!」

どうやら電話でその辺の話を詳しく聞きだしたらしい店長が、少し得意げに言う。

店長も決して悪い人じゃないんだけど、良いうわさにも悪い噂にも、とにかく首を突っ込みたがる性格なのだ。

嶋さんもあきれたように、

「相変わらずその手の話は情報が早いな。ま、百貨店のテナント店長ならチキュウの事もよう知ってるし、会社の方も今回の事は気の毒に思ったんやろな・・・ええ感じの移動やんか」

と、ため息をもらしつつ言った。

「あ、あの・・!工場長さんは?」

気になって仕方がなかったことを口にした俺に、店長がまた得意げに言った。

「そっちの方は辞職願いだして受理されたらしい。その女の子とも一緒になる・・・言うてたらしいから自分らでどうにかするだろ。自業自得だからな」

俺はホッと胸をなでおろした。

顔も名前も知らないけれど、俺に智久の事が好きなんだと自覚させてくれるきっかけをくれた存在だから、できれば幸せになって欲しいと思ったのだ。

どうやら四方丸く治まって、一気に関心が薄れたような気配が漂っている。

俺と嶋さんはこっそり視線を合わせて、笑いあった。

 

 

いつものように嶋さんと一緒に店を出た俺に、嶋さんが別れ際、急に振り向いて言った。

「百貨店の店長な、チキュウが入りたての頃からいろいろ気にかけてくれてた人やねん。せやから、心配ないで?」

「えっ!?」

内心、今度の上司は大丈夫なのかな?と、不安に思っていた心情を先読みされ、俺は心底驚いた。

その俺の顔つきに、

「山ちゃん、チキュウの事考えてる時だけ素直な反応すんなぁ・・・」

ニヤニヤ・・・と、からかうように言われた俺は、多分、耳まで真っ赤になっていたはずだ。

「ええこっちゃ!じゃ、また明日な!」

満足そうな笑みを浮かべてそう言うと、ヒラヒラと片手を振りながら人込みにまぎれて行く。

俺はハッと我に返って、

「ありがとうございますっ!」

と、その遠ざかる背中に精一杯の感謝の気持ちを込めて叫んでいた。

 

 

いつもどおりに真っ直ぐ家に帰ってドアを開けた途端、俺は何だか妙な違和感に襲われて玄関で立ちすくんだ。

なにか・・・違う。

落ち着かない。

自分の家なのに、妙に寒々しい。

今までずっと、誰もいない真っ暗な部屋へ帰ってくるのが当たり前だった。

それは、その場所しか居場所がなかったから。

だから寂しいとか、人恋しいとか、そんな事考えないように、何にも感じないように・・・自分の心にまで嘘をついていたんだと、はっきり自覚した。

自覚したのは、帰りたいと思えるもう一つの居場所ができたから。

あったかくて、安心できて、触れていたいと思える物が、この部屋の中にはなかったから。

「・・・どうしろっていうんだ・・・!」

俺は部屋の中に入る事もできず、玄関に突っ立ったまま・・・そこに立ち尽くしている理由を探していた。

探して、探して・・・何度も否定したけど、結局、答えは一つしか見つからなかった。

「・・要は、俺が帰りたいのはここじゃないって事だよな・・・」

ハァ・・・ッと大きくため息が漏れた。

閉じたまぶたの裏に浮かんだのは、笑う智久の顔。

ギュッと胸が締め付けられるように苦しくなって、まだ記憶に新しい体の隅々まで触れていった智久の熱さが甦る。

カァ・・・ッと全身が熱くなって、借りたままの智久のシャツの襟に顔を埋めた。

微かに香るタバコの匂いと、智久の匂い。

それだけで、体の芯が焚き付けられた様に疼き始める。

「・・なに・・これ?なんか、淫乱みたいじゃん・・・」

自分の体の反応が信じられなくて、振り払うように頭を振ったけれど、そんなもので治まりがつく程度の物じゃなかった。

「ああっ!もう、知らねぇっ!!理由なんて、ないっ!!」

何だかんだと理屈をこねて自分の気持ちに蓋をするのをやめたら、体は勝手に動き出していた。

一気にマンションの階段を駆け下りて自転車に飛び乗ると、智久の居る海沿いのマンションに向かって、車のライトが絶え間なく流れる光の川を逆行するように走り出していた。

ほんとうにやりたい事とか、ほしい物とか、触れてみたい物とか、そんな物に理由なんてないのだ。

理由が見つからなければ見つからないほど、それは自分の心が本当に求めている物だから。

だから。

その気持ちを素直に認めればいい。

息が上がって心臓がはちきれそうになりながら飛び込んだ智久の部屋へと続くエレベーターの中で、俺はようやく息をついた。

自分の荒々しい息遣いしか聞こえない箱の中で、俺はその息苦しさ以外に新たに湧き上がるドキドキとした心音をはっきりと感じていた。

もし。

もしも。

智久が俺と同じく家に入れないでいたら。

そうしたら、俺は・・・素直に自分の気持ちを言える気がした。

まだ言えずにいる一言が。

無機質な音と振動が響き、恐る恐る足を踏み出して智久の部屋のポーチが見えた瞬間、

「遅いっ!!」

と、不機嫌な声がこだました。

俺は一瞬わが目を疑った。

ポーチの扉に背を預けた智久が、座り込んでタバコを吸っていた。

灰皿代わりに使われていたのだろう缶コーヒーの口から、吸殻があふれかけている。

いったい、いつからそこに居たのだろう?

「・・・ほんまに凍死すんな、ここ。お前やっぱ根性あるわ、孝明・・・」

俺は驚き過ぎて固まった足を、ようやく前に進めた。

「な・・んで?そんな・・とこに?」

まだ少し整わない息を何とか落ち着かせて、俺は智久を見下ろした。

「・・・お前が、居らへん」

まるで挑みかけるような鋭い目つきで俺を見上げて、そう、言った。

「・・・そ・・・っか」

俺は何だか可笑しくなって、自然と笑顔になって言った。

「な、今俺がお前に言って欲しい言葉・・・分かる?」

笑った俺を見つめた智久の目が、フッと細まる。

吸いかけていたタバコをギュッと缶の口に押し付けて消すと、フゥ・・・と、吐き出した煙と共に口元が少し上がった。

「おかえり、孝明」

涙が出そうになった。

「・・っ、ただいま」

こぼれそうになった涙を堪えて上を向いた俺の横でゆっくりと立ち上がった智久が、冷えた体を押し付けるようにギュッと俺を抱き寄せて、耳元で言った。

「俺が欲しい言葉は?」

言葉と共に耳たぶを甘噛みされて、全身に震えが走る。

「ばっ・・!やめろっ!ここ、外・・・だろっ!」

「ほな、ご希望通りに・・・!」

クッ・・・と喉で笑った智久が、さっきまでこの寒さの中座り込んでいたとは思えないほどの素早さで、俺をドアの中へ押し込めた。

閉じたドアに押し付けられて、間近に迫った智久が俺の顔をジッ・・と見つめている。

「な・・んだよ?」

「えらいスピードやったな・・・?」

意味ありげに口の端だけ上げて笑った智久の言葉に、俺は一気に真っ赤になった。

「み、見てたのか!?」

「ずっと、お前の事探しとった。不思議なくらい、どこかでお前が来るって信じこんどった。けど、もし・・来んかったら?ってそう思ったら、堪らんかった。な?なんでここに来たんや?」

どこか頼りなさげに不安げに聞く智久が、強引なくせに自分に自信がないのだと・・そう、告げていた。

「理由なんて、ない。ただ、家の中に入れなかった。あそこにはお前が居なかったから、だから・・・」

「だから?」

問いかける智久の顔が切なげで、祈るような目で俺を見つめる。

その気持ちは俺も同じだった。

そこに、居てくれたら。

そして、居てくれたから。

「だから、お前に俺をやるよ。お前が居る所が俺の居場所だって、はっきりわかったから。悔しいけど俺は、自分が思ってる以上に智久が好きみたいだ」

心で思っていただけで、智久に言ってなかった言葉。

智久の目がこの上なく安心したように安らいで、本当にその言葉を待っていたんだと思い知った。

「やっぱお前は俺が欲しいと思てるもん、くれる」

息が出来ないくらい力いっぱい抱きしめられて。

俺はもう一度、言葉を耳元に贈った。

 

「おかえり、智久・・!」

 

ーー 完 ーー

 

 

お気に召しましたら、パチッとお願い致します。


 

 

 

後書き

もともとの話とは随分違ってしまいました。

でも、骨の部分は変えてない・・・はず。(←おい)

こうやって画面で文を追うことを意識しながら書くのと、

原稿用紙に書くのとでは、随分違うな・・って言うのが実感です。

長い話にお付き合いくださった貴重な皆様方。

本当にありがとうございます。

未熟者ですが、これからもよろしくお願い致します。<m(__)m>

 

 

 

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