ACT 42
「柳に会うため・・!?なんでや?何のために!?」
再び咲耶の腕を取った綜馬の手を、咲耶が振り払う。
『もう・・私に触れないで下さい・・!あなたと居ると私は・・・!』
咲耶の体がほんのり桜色に染まっている。
異界から脱出する時、ずっと綜馬の腕の中に抱き抱えられていたせいで・・知らず綜馬の温もりをその身体に取り込んでしまっていた。
綜馬は咲耶にとって、例え別人ではあれ、ずっと、ずっと・・待ち続けた、もう二度と会えないはずの人と同じ魂を持つ人間。
その温もりもまた、ずっと待ち続け、望んでいたものと変わらぬ波動と優しさにみちていた・・・。
けれど温もりをその身体に取り込むということは、咲耶の心と体が人に近づくという事。
それはつまり人のみが持つ情・・恐れや恐怖心、嫉妬や独占欲をも咲耶の心に芽生えさせてしまう。
それではだめなのだ。
それでは空海の・・いや、真魚の願いも咲耶自身の願いも叶わぬものになってしまうのだから・・・。
「咲耶姫・・?あんた・・なにに怯えてるんや?」
困惑を隠せない綜馬が、再び咲耶の身体に手を伸ばした途端、
『バチッ!!』
と、その体に触れる寸前で何かに綜馬の手が弾き返された。
「っつ!?」
「聞こえなかったのか?咲耶は触れるなと言ったのだ・・・!」
聞き慣れているはずなのに、初めて聞くような気がする冷たい声音・・・。
ハッと顔を上げた綜馬の双眸に、妖艶な薄い笑みを浮かべた紫色の瞳の巽が映っていた。
気がつけば、咲耶の身体は丸い球体状の結界で覆われている。
「お・・まえ!お前が柳とかいう野郎か!?」
その、見るもの全てを魅了し屈服させる力を放つ柳の紫色の双眸を、綜馬が怯むことなく睨み返す。
「・・ふ。懐かしいな・・その恐れることをしない瞳の色。確かに、私との約束果たしたようだな・・真魚よ?」
一瞬目を細め、その冷たい声音とは裏腹の優しさに満ちた笑みを綜馬に向ける。
その笑みに・・綜馬の心が揺れる。
(な・・んや、こいつ?巽とは別人なはずやのに・・今の顔は、間違いなく巽やったで!?)
その動揺を押し殺すように、綜馬が警戒を込めた低い声音で言い返す。
「オレは真魚なんちゅう名前やないし、お前なんかと約束なんてしてへんわ!」
ククク・・と低く笑った柳が、再びもとの妖艶な表情になって綜馬を見据えた。
「確かにお前は真魚とは別人・・。だが、真魚が残した業はお前の運命となってその身に降りかかる。望まずとも、お前は私との約束を果たさねばならぬ。
そして・・咲耶、お前もまた真魚との約束を果たすのであろう?」
球体の中で、咲耶がハッとしたように顔を上げ、閉じたままの瞳で柳を見返す。
『・・・そうです。私は・・そのために今まで生きてきた。そのために、私はあなたに会わねばならなかった・・!』
「高野を核とした桜の結界・・その完成のために私が必要か?あの時からお前の望みは変わっていないと?」
『そうです!みことを呼び戻したいのでしょう!?それが出来るのは私だけです・・!』
咲耶と柳の会話に、綜馬が言い知れぬ嫌な予感を覚えていた。
このまま咲耶を柳に近づけてはならない・・!
咲耶を柳に会わせてはいけなかった・・!
「咲耶姫・・!!」
綜馬が咲耶を包む結界を破ろうと印を組む・・が、その体をビクとも動かす事ができなくなっていた。
『・・邪魔をしないで、綜馬。愛するものの居ない場所で一人生き続けるのは想像以上に辛いもの。この地を守るのが真魚の願い・・私はその願いを叶えたいのです・・』
そう言った咲耶が結界ごと浮き上がり、綜馬と柳から少し離れた場所に移動した。
『・・・柳、結界を解いて下さい。そして、私が桜の結界を完成させたら・・私を殺しなさい・・!』
「なんやて・・!?」
体の自由は奪われても、綜馬の声までは奪われていない。
綜馬の方を振り返った咲耶が、微笑みを浮かべた。
『綜馬・・どうか生きてください。生きてこの地を守って・・!いつか再び生まれかわって、ただの人間として出会えるように・・!』
その言葉と同時に柳が結界を解き放ち、咲耶の体が地に倒れ伏す。
咲耶の足が地に着いた途端、その足が木の根に変わり・・見る見るうちに幾重にも絡まった巨大な木の根となって地中深く食い込んでいく。
やがてその根は咲耶の身体を飲み込んで巨大な一本の桜の木へと成長し、幹の中心へと取り込んでいった。
「やめろ・・やめろっ!!そんなもんにするためにあんたを外へ連れ出したんやない!」
必死に叫ぶ綜馬に、柳がその桜の木に歩み寄りながら言い放つ。
「言っただろう?望まぬともお前は私との約束を果たさねばならぬと・・。そのためには桜の結界を完成させ、みことをこの地に呼び戻さねばならぬ。
桜の子を手に入れるにはそれと同等の代価が必要。咲耶はここでみことと引き換えに命を落とすために、あの異界で一人生き続けてきたのだ。それが咲耶の願いでもあるのだからな」
その柳の言葉に綜馬が驚愕の表情を浮かべた。
「なにあほな事ぬかしとんねん!?ここで死ぬことが咲耶の願いやて!?そんな事あるわけ・・・」
『いいえ、本当です』
咲耶の声が綜馬の声を遮った。
「な・・!?」
『そうしなければみことはこの地に戻れない。この地を守る事が真魚の望みで私の願い・・私はようやく自由になれる・・・』
真魚は必ず生まれかわって咲耶の側に帰ると言った。
そして柳と交わした約束のためにこの地を守らねばならないとも。
だから咲耶も約束したのだ・・もう一度会えるまで待っていると・・決して自ら命を絶たないと。
真魚の願いと交わした約束が・・今ようやく果たされる。
そして咲耶の中にあった自由になりたいと・・半精霊などではなく、ただの人間として生まれかわりたいという・・その願いもまた同時に叶うことになるのだ。
「そんなんで・・そんなんでこっちに戻れても、みことが喜ぶわけないやないか!そんなやり方でみことを呼び戻したりしたらあかん・・!!」
叫んだ綜馬の目の前で、柳がその手に霊力で作り上げた一振りの輝く刀を出現させた。
「・・・ならば抗ってみよ!それが運命付けられた星の軌道、何人も逆らえはしない!」
柳が咲耶を取り込んだ桜の木の幹に手を当てる。
途端に柳の手がズブズブと幹の中へのめり込んでいき、取り込まれていた咲耶の身体が、まるで桜の木から引きずり出されるように遊離した。
「さ・・くや!?」
木の幹から現れた咲耶の姿を見た綜馬が息を呑む。
その白銀に輝いていた長い髪が・・!艶やかな黒曜石のごとく漆黒の輝きを放っていた!
閉じられたままだった大きな瞳がゆっくりと見開かれ、その髪と同じく漆黒色の瞳が綜馬の姿を映し出した。
「・・・そ・・う・・ま・・!」
動いた事のなかった咲耶の唇が、その名を刻み込むように紡ぎだす。
その声は、頭の中に響いていた声そのままに心地良い響きで綜馬の鼓膜を震わせた。
「咲耶・・!?その髪!その瞳の色・・!目も声も!?」
普通の人間と変わらぬその容姿、しっかりと自分の姿を映し出す大きな瞳とその声に・・綜馬が驚愕の表情を浮かべる。
その綜馬を見つめながら、咲耶が自分の足でふらつきながらも立ち上がった。
その顔も、垣間見える腕も指先も・・わずかに桜色に染まり、咲耶が自分の腕でその身体を抱きしめる。
「あたたかい・・。人としての身体はこんなにも温かいのですね・・・」
「人としての身体・・!?じゃぁ、今の咲耶は半精霊やなく、ほんまの人間・・!?」
呟いた綜馬のいうとおり、そこに居る咲耶は精霊としての力も能力も全て失った、ただのか弱き人間。
それが咲耶がかつて柳に願った願い。
桜の結界の要として地に根を下ろしてしまえば、咲耶は永遠にその地を守るものとして再び長い時間の中を生き続けなければならなくなる。
人の心を持ったまま、身体は桜へと変化して・・永遠に。
それが咲耶に担わされた二重の罪への業。
唯一、人としての心を失う事を許された方法・・それが自ら命を絶つのではなく、誰かのためにその命を落とすこと・・・。
柳の振り上げた刀が、見る見るうちに七色の輝きを放つ一匹の龍の形状をした龍刀へと変化した・・!
「・・・その身と命を購いに再び月虹龍を呼び戻す!この地を走る龍脈よ、わが声に答えて時空の扉を開け!」
柳の身体から青白い炎のような輝きが放たれたかと思うと、たちまちのうちに晴れ渡っていたはずの空に暗雲が立ち込める。
その暗雲が渦を巻き、稲光を走らせた。
龍の姿となった刀をかざした柳の下で、咲耶が膝を付きその紫色の瞳を見上げる。
「人として言い残す事があれば言っておけ・・!」
その言葉に、咲耶が一瞬目を伏せ・・綜馬の方を振り返って言った。
「綜馬・・あなたに会えて良かった。どうか幸せに・・!」
「っ!?」
咲耶の言葉と向けられた微笑に・・綜馬の全身から金色の光が揺らめき立つ。
その輝きと共に発せられた柳の呪縛を破ろうとする力に、紫色の瞳がスッと細まった。
「咲耶を孤独から救うには今しかないのだぞ?お前がこの場で咲耶の命を救っても、再び咲耶は桜の結界の中に取り込まれ、永遠に抜け出す事は叶わない・・それでも邪魔をするのか?」
一歩踏み出した綜馬の足が、柳のその言葉に動きを止めた。
「あきらめろ。見届けるがお前の運命・・!」
振り上げた龍刀を柳が咲耶目掛けて振り下ろす・・!
その瞬間、
「巽っ!!」
綜馬の血を吐くような叫び声がその名を呼んだ。
一瞬、ビクッと柳の身体が震え、綜馬の呪縛が緩む。
刹那、渾身の力で柳の呪縛を振り切った綜馬が、振り下ろされた刀と咲耶の間に飛び込んだ・・!