ACT 41
同じ頃、宿坊を出た巽が一人、人があまり出入りしない山の中へ分け入っていた。
木洩れ日の射す暖かな場所に立った巽が、そこにある風や木や水や光・・その全ての存在を確かめるように意識を広げる。
それぞれの土地に、それぞれのものに、その地を守っている存在が居る。
そしてその力を使う方法も術者によって様々だ。
呪や護符を使うもの。
契約により従わせるもの。
一時的にその力を借りるもの。
ここは巽が母と共に過ごした土地とは違う。
故に母親から伝えられた召喚術もまた、この土地にはいない別の存在の力を使う方法だといえた。
だが。
土地や場所に捕らわれず全てを巡る存在も居る。
それが「水」「風」「火」「土」の4大元素といわれる存在だ。
問題は、その力はどこにでも居るが、捉えどころがなくて扱いにくい・・という点にある。
「前鬼!後鬼!」
巽が虚空に向かってその名を呼ぶ。
途端に全身黒尽くめの二人の青年が巽の前に現れた。
いつものようににこやかな笑みを湛えた緑色の瞳の前鬼がいつも以上に楽しげで、いつも不機嫌そうな青い瞳の前鬼が、いつも以上の不機嫌さを露わにして立ちすくんでいる。
「さすが霊峰高野山だけあるね。周り中がピリピリして敵愾心むき出し・・!」
「・・・気に入らないな。一匹じゃあ何も出来ないくせに寄り集まると威圧しやがって・・!」
前鬼と後鬼もこの土地には存在しない、客神(まれがみ)の力を根源とする妖魔だ。
この地を守るために作られたこの高野にあっては、排除すべき異質な存在としてしか映らない。
「少し我慢しろ。こちらから仕掛けなければ手出しはしてこないだろう。それより、みことをこちらの世界に連れ戻す方法・・何かないか?」
巽の問いかけに、後鬼がチラ・・ッと前鬼を盗み見た。
「・・・なくもないんじゃない?」
意味ありげな後鬼の視線と問いかけに、巽も前鬼を見据えた。
「なんだ?何かあったのか?」
巽の鋭い視線に、前鬼がチッと舌打ちして後鬼を睨み返しなが言った。
「・・・あいつに印を付けておいたんだ」
「印だと!?」
顔色を変えて前鬼に詰め寄った巽を、後鬼がその腕を掴んで引き止めた。
「前鬼のせいじゃない。みことが放っておけばどこかへ行ってしまいそうだったからだ」
後鬼の挑戦的な瞳に、巽がハッとする。
「まさか・・みことに言ったのか?この肩の傷の事・・!?」
「言ったよ。でも知ったからこそ、みことは巽の元から離れるわけにはいかなくなった筈だ」
「後鬼・・!」
巽が堪らず後鬼の腕を振り払う。
それが一番巽が恐れていた事だった。
決してみことのせいであの傷を受けたわけじゃない。
だが消えないその傷を見れば、みことが呵責に苛まれる事は見に見えている。
そんな事でみことの自由を縛ったりしたくなかった。
側に居たいと言ってくれたみことだから・・できればみこと自身の意志でどこかへ行く事も側に居る事も、自由に選んで欲しかったのだ。
だから・・巽自身の口からは決してみことを縛り付けるような言葉を言わなかった。
それなのに・・!
怒りの眼差しを隠しもしない巽に、前鬼がその怒りを静めるに充分な冷たい声音で言った。
「いつかは誰かの口からみことは知る事になる。だったら、俺たちの口から知らされたほうがまだましじゃないのか?だいたい、巽はやる事が甘すぎる。
呪で縛り支配下に置かなければ望みどおりになどなるものか!それを承知で俺たちとも契約を交わしていないのだろう?」
そうなのだ。
巽は前鬼・後鬼と主従の契約を結んではいない。
今、前鬼と後鬼が巽の側にいて、その命令に従っているのは・・ただ単に巽が指環を保持し、封印をかけているからだ。
だからその指輪がもし誰か別の人間の手に渡り、巽を殺せと命じられたなら・・何の躊躇もなくそれを実行するだろう。
それが分かっていて、巽はあえて契約を結ばなかったのだ。
それは幼い頃、父に言った言葉・・・
『・・鬼と友達になりたい・・!』この一言に集約されているといっていい。
父母と死に別れてから、巽に友達と呼べる人間は綜馬と聖治以外ほとんどいない。
綜馬は互いに牽制しあう高野山の僧侶で、公然と友人関係にはなれない事情があったし・・聖治にしたって、鳳家と御影家の呪縛に縛られた上での関係だ・・。
それ故に、妖魔であっても呪や契約で無理やりに縛り、支配下におくなど・・できればしたくなかったのだ。
特に前鬼と後鬼は、父母の死と引き換えに残された唯一の形見ともいえる存在だった。
だから、友達として・・互いに守り、反発もする・・そんな関係を作り上げていきたいと、そう、巽は思っていた。
その結果なのだから巽に反論の余地はなく、またそのおかげで逆にみことに付けたという印を辿ることが出来る可能性も出て来たのだから・・・。
「・・・そうだな。いつかはみことにばれていただろうし・・。他の誰かじゃなく、お前たちが言ってくれたおかげであんな風に「守らせてくれ」と、言えもしたんだろう。・・・それで、その印でみことの居場所が分かるのか?」
冷静さを取り戻した巽が、いつもの怜悧な瞳になって前鬼を見つめ返す。
前鬼もフン・・と口の端を上げ、巽を見据えた。
「分からなくもない・・。ただ、あまりに遠すぎる上、時空を超えなければならないからな。そこへ直に行ってからでなければ居場所を突き止めることは不可能だ。それに・・おそらく見つけたはいいが、みことを連れて一緒にこちらへ帰ってくることが出来ない」
言っている事は否定的なのに、前鬼の表情からは余裕すら伺える。
「・・・?」
怪訝な表情になった巽に、後鬼がクスリと笑って
「ほら、あれ・・」
と、巽の後方にある巨大な岩を指差した。
そこに・・悠然と身を横たえて巽達の様子を伺っている銀色の聖獣・白虎の姿があった。
「白虎・・!?」
みことと主従の契約を交わした白虎もまた、みことと繋がる存在といえる。
「綜馬君が確か言ってましたよね?白虎は「風」の性質。言うなればこの地に吹く風を従えるもの・・。とらえどころのない力の発露の一つであり、同じ目的ならば客神の妖魔である私たちに手を貸すことも出来るはず。
一つの「風」が捉えられれば、後で召喚して呼び戻す事くらい造作もない・・」
緑色の瞳を一層細め、後鬼が巽の耳元で囁く。
巽がその囁きにハッと目を見開いて、白虎に向かって問いかけた。
「白虎!みことを呼び戻すために力を貸してもらえないか!?」
その巽の呼びかけに白虎がゆっくりと起き上がり、白銀の巨体をフワッと虚空に浮かべた。
『客神の力を継ぎし者・・その名に「風」の性質を持つ者よ。残念ながら力は貸せぬ・・。我もまたはるかな昔に交わされた契約に縛られしもの・・一度運命付けられた星の軌道には逆らえぬ』
「なに・・!?」
絶句した巽の背後で、前鬼と後鬼も眉根を寄せる。
『我は、主が今居る千年以上前からこの地に存在し続けるもの。時間を遡れば同じ時間に同じ存在のもつ力が関わる事となり、その力は相殺され現在の私の存在自体が消されかねない』
「では、ほかに方法は?!」
『星の軌道の元、その術は既に整えられている。一つの命を救うには一つの命の代価が必要・・桜の子を救うには同じ代価の桜の子が等価・・・』
「命の代価・・!?桜の子・・!?まさか、咲耶姫!?」
『それが運命付けられた星の軌道。風をその名に潜めるものよ、その軌道を覆したくば自身の力のみでその風を呼ぶがよい。他の何者にも捕らわれぬ己の力のみで・・!』
不意に地面が大きく揺れたかと思うと、白虎の姿が掻き消えた。
「白虎・・!?」
叫んだ巽の視線の先で、先ほどまで白虎が寝そべっていた巨大な岩の表面が大きく波立った!
その岩の波間からヌッ・・と、まるで岩の中から生まれ出るように黒い影と白い影が転がり落ちる。
「っ!?綜馬!?」
その黒い影・・のように見えたものが綜馬であることに気がついた巽が慌てて駆け寄り、その白い影と見えたものを間近に見つめて絶句した。
「・・・よう、ここ・・どこや?」
絶句したまま自分を見下ろす巽に、綜馬が身体を起こしながら聞き返す。
「・・そ・・うま?その、腕の中に居る人は・・!?」
問われた綜馬が、まるで壊れ物のように大事に抱き込んでいた人が確かにそこに居るのを確認し・・・静かな笑みを浮かべた。
「お前なんかより何倍も美人やろ?この人が咲耶姫や・・」
「この人が・・!?」
綜馬の腕に抱えられたまま、ぐったりと気を失っているように見えるその少女は、この世のものとは思えぬほど透き通るように美しい。
あまりにみことと酷似したその容貌は、巽の中の何かを騒がせ始めた。
(な・・んだ?体が・・冷え切っていく・・!?)
急速に冷たくなっていく巽の身体に震えが走る。
「巽!?だめだ!気をしっかり・・・」
言いかけた後鬼と前鬼の姿が巽に近寄る前に掻き消えた。
指環の持ち主である巽の意識がなくなれば、指輪を持つものの力に左右される妖魔・前鬼・後鬼もまたその力を失う。
「巽?」
その異変に気がついた綜馬も巽に呼びかける。
巽は、全身に走る震えを押さえ込もうと、膝を付き必死で両腕を抱え込んでいた。
咲耶を降ろし、巽の側へ行こうとした綜馬の腕を、華奢な白い細い指先が制した。
『・・・よいのです。私は鳳 巽ではなく、柳に会うためにあの異界を出たのですから・・・』
咲耶の声が綜馬の頭の中にこだまする。
その声は・・微かに震えていた。