ACT 44
一番最初にみことと出会った時・・・あの時も確かそうだった。
風に乗り、どこからか運ばれてきたほんの微かな旋律・・・。
それを巽は聞き分けて、その声のする方へ引き寄せられたのだ。
自分とみことを繋ぐもの・・・それがあるとしたら、それはみことの歌う歌声と、それを聞き分ける自分の耳・・。
歌は風に乗り巽の元へ届けられ・・巽をみことを見つけたのだ。
それならば・・・!
巽がハッとしたように灰青色の瞳を見開いて、ようやく呻き声を上げながら起き上がった綜馬の元へ駆け寄った。
「綜馬・・!」
「っ!?巽!?お前、傷は!?走ったりして大丈夫なんか!?」
綜馬はまだ巽の異常に高い治癒能力の事を知らない。
巽が今はそんな事を説明している暇はないとばかりに勢い込んで言い募った。
「これぐらい大したことはないんだ!そんな事より、みことを連れ戻す方法・・見つけたかもしれない!悪いが俺は今からそれを試してくる。後でまた連絡するから・・!」
「へっ!?試すって・・!?」
唖然とする綜馬を尻目に、巽が後鬼を呼んだかと思うとあっという間に綜馬の眼前から掻き消えた・・!
「おい、たつ・・!?ったく!せわしない奴やな!ま、あれだけ元気ならケガもほんまに大したことないみたいやし・・。けど、二度とごめんやで・・!あないな感触!」
スゥッと血の気を引いた顔色で、綜馬が顔を歪ませる。
一歩間違えば巽を殺していたかもしれなかったのだ・・。
例え咲耶を助けるためとはいえ、もう二度と巽に刃を向けることはしたくない!と、綜馬が地面に拳を叩きつけた。
恐らくは・・あの時巽が柳を押さえて表面に出てこなければ、綜馬は咲耶を柳に殺され・・柳を・・ひいては巽を許す事は出来なくなっていただろう。
咲耶に告げられた、「柳を真の闇に帰す・・」という運命付けられた星の軌道どおりに。
だが今、その告げられた星の軌道が・・ほんの少しだがその軌道を反れ、綜馬にとっては大きく変わったのだ。
咲耶は柳に殺されずに済んだ・・・。
みことを呼び戻す術を失い、歴代の高野の僧侶達が築き上げてきた桜の結界をも失ってしまった・・・。
だが。
綜馬は龍刀をその手にした時、信じたのだ・・巽を。
みことを呼び戻す術を失っても、巽ならば・・巽とみことならば、必ず違う呼び戻す術を見つけてくれるはずだと。
そして、桜の結界を壊す事で自らが背負わなければならなくなるであろう運命・・この高野が背負うべきこの地を守るという大役をも受け入れる覚悟を決めたのだ。
ソッと綜馬の指先が左耳につけられたピアスに触れる。
「・・・お前らを受け入れたんも、運命付けられたことの一つやったんかな?命を奪えば、その先を担うのが理(ことわり)・・か。お前らもそれを担ってくれる気か?えらい重い理になりそうやけど、よろしゅう頼むわな・・!」
呟いた綜馬が眩しげに空を見上げ・・咲耶の方へ歩き始めた。
青空を取り戻した空からあたたかな陽射しが降り注ぐ。
その陽射しと緩やかな風が咲耶の長い黒髪を暖め、揺らしている。
まだ慣れないその強い日差しにうつむいたままの咲耶の頭上に影が重なった。
ハッと顔を上げた咲耶が、その影に向かって言い募る。
「あなたは・・自分が何をしたのか分かっているのですか!?一体何のためにこの高野が作られたと思っているのです!?何のために私は・・・!」
大きく見開かれた漆黒の瞳に映る綜馬の顔に笑顔が浮かび、その綜馬の両手が咲耶の顔を包み込んで言葉を紡ぐ咲耶の唇を指先で触れる。
「ほんまに喋ってるし、ほんまにオレを自分の目で見てくれてるんやな・・。黒い髪も黒い目も、よう似合ってる・・。嬉しいなぁ・・」
さっきまでの出来事がまるで何事もなかったかのように、屈託なく目を細めて綜馬が笑う。
「あなたという人は・・!こんなときに何を・・・!」
言いかけた咲耶がハッとしたように視線をそらす。
その言葉を昔、何度も口にしていた・・。
真魚もいつもそうだった。
何があってもその目は今の綜馬と同じく先を見つめ、思いもかけぬ言葉で咲耶を困惑させた・・・。
けれど、その真魚と交わした約束も願いも・・もう叶う術はない。
「・・・どうして・・殺してくれなかったのですか・・?もう帰る場所も・・一人で死ぬ勇気もないというのに・・!」
震える声でそう言った咲耶に、綜馬が屈託なく言い返す。
「それなら心配いらん。その願いは俺がきっちり請け負うたるから・・!」
「どうやって・・!?」
あまりに軽く言い返された咲耶が、眉根を寄せて綜馬を見返すと・・思いがけずそこに真剣な綜馬の瞳があった。
「咲耶の半身を奪って帰る場所をなくしたのは俺やから・・せやから俺が咲耶の帰る場所になる。一人で死ぬ勇気なんか必要ない、俺がずっと側に居るから・・!」
その言葉に咲耶が怒りの表情を露わにした。
「無責任なことを・・!ずっと側に居る事など出来るわけがない・・!」
ずっとそうだったのだ。
いつも咲耶一人が取り残されてきた。
ずっと側に居たいと願っても、それが叶う事などなかったのだから・・!
「俺が逝く時、咲耶も一緒に連れて行く。咲耶が先に逝くなら俺も後を追う。生きてる間も死んだ後もずっと一緒や。俺が必ず咲耶を殺すから・・せやから安心して俺の側に居ったらええ。もう絶対に一人ぼっちにはさせへんから・・・」
「そ・・う・・ま・・!?」
唖然とした咲耶が綜馬の真剣な表情を見つめ返した。
ずっとその言葉を待っていたかのように、咲耶の中にあった虚しさが埋まっていく。
ずっと殺される事を望んでいたはずなのに、いざ「死」を実感した時感じた恐怖。
それは死んだ後も一人なのだということに気が付いたから・・・。
生き続けていても・・死んでしまっても・・結局は取り残されるのだという事に気が付いたのはいつだっただろうか・・・。
「せやからこれからは俺のために生きてくれへん?咲耶のこれからの先を・・俺がもらう。もう咲耶は今まで充分守ってきたんや・・これから先は守られる方にならな損やで?」
そんな言葉を冗談めかして屈託のない笑顔で綜馬が言う。
「あなたは・・どうして・・・!」
あふれた涙で言葉にならなかったその先は・・もう、昔、真魚に言った言葉ではない。
(・・・どうして・・私の欲しい言葉がわかる・・・)
真魚が決して言ってはくれなかった言葉。
ようやく咲耶は真魚がその笑みに託して言った言葉の意味を理解した。
互いに言いたくても言えなかった言葉を、真魚は伝えたかったのだ。
生まれかわって側に行くまで待っていてくれと言ったのは、言えなかった言葉をその魂に刻んで咲耶に伝えるため・・・。
「あーー・・なんや・・また泣かしてもうたな・・。でもこれからは泣かさへんから・・。泣くんは笑いすぎて涙が出たときだけや・・覚悟しといてな」
そう言って、綜馬が嗚咽の止まらない咲耶を抱き寄せ、その艶やかな黒髪を優しくなでつけていた・・・。