飼い犬
ACT 21
「あれ?リョー君、お久しぶりー!お勤めごくろーさまー♪」
七里動物病院のドアをくぐった途端、そんな呑気なみっちゃん先生の言葉で出迎えられた
「・・・・・しらじらしい。で?俺の部屋の鍵は?」
不機嫌そうに言い放った真柴が、学校からずっと俺の手を握ったまま離さない手とは反対側の手を、みっちゃん先生に突き出した
「ああ、はい、どーぞ。部屋番号はタグに付けてあるから。で、こっちはジュン君のね」
真柴の不機嫌さなどどこ吹く風・・・といった雰囲気でふんわり笑ったみっちゃん先生が、掲げ上げて持っていた二つの銀色に輝く鍵の内、片方を俺に差し出した
「・・・え?俺?」
「うん、そう。ジュン君の。あ、でもってジュン君の方も引越しお任せパックで、引越し完了済みだからね!」
「は・・・?引越し・・・って?」
「あ、大丈夫。お母さんにも了承済みだから」
「は・・・い!?」
驚きと困惑で、俺は真柴とみっちゃん先生を交互に見つめた
なのに
俺の困惑など無視して二人の会話は進んでいく
「で?場所は?」
「ん?すぐ近くだよ。通り二つ向こうに新しく建ったマンション」
「っ!?ちょ・・待て!それって・・・親父が請け負ってる分譲じゃなかったか!?」
「そーだっけ?」
「そーだっけ・・・って、みっちゃん最初から!?くそ、この裏切り者!」
「・・・やだなぁ・・誰に向かって言ってるか、分かって言ってるのかなぁ?リョー君?」
キラリ・・・と、栗色の瞳にゾクリッと震撼させる何かを滲ませたみっちゃん先生が、笑いながら真柴をねめつける
・・・・・・・・う・・・うわぁ・・・すげぇ、マジで怖い・・!
思わずギュ・・ッと握りしめた真柴の指が、それに応えるように握り返してきてくれた
それだけで
涙が出そうになる
もう二度と、この手を離す事なんて考えられなくなる
「・・・ったく!一体いくらしたんだよ?そのマンション?」
「ふふ・・・そーだねぇ・・獣医なら、30年。真柴建設の役員なら、20年・・・ってとこかなぁ。あ、ジュン君が薬剤師か麻酔医になれたら、二人合わせて10年ちょっと・・・ってとこ?
特別に利息なしの催促なしの出世払い。
これ以上良い好条件なんてなかなかないじゃない♪」
「・・・っの、クソ親父!勝手に・・・!そんなもん破棄だ、破棄!」
「あれ?いいの?今から契約破棄だと頭金返って来ないから、リョー君の貯金ゼロだよ?当然他の所も借りられないから、また実家に逆戻りだねぇ?」
「っ!?き・・きったねぇ!」
「まあまあ、その分いろいろオプション付きに頼んであるから!セキュリティと防音は完璧だし、ペットもオッケー。家具もモデルルーム一式を無料提供♪・・・・なにかご不満でもあるかな?ジュン君?」
「えっ!?」
いきなり俺に話を振ったみっちゃん先生が、ツイ・・・と横にあった、あのケガをした仔犬が入ったゲージを指差した
「あの子、1週間もあれば退院出来るよ。そうなったら、当然、ジュン君が飼うんでしょ?ジュン君が助けた命なんだから、ちゃんと最後まで面倒見なきゃ。
そうでなきゃ、安易に命を拾ってくるんじゃないよ?
拾うって言うのはね、そういうことなんだ。
・・・分かってるよね?リョー君も」
「・・・ぁ、」
「っ!!」
繋いだ手を、お互い自然にギュ・・・ッと握りこんでいた
・・・・・・・・そうなんだ
拾う・・てことはそれだけの責任を負う事
拾った命のその先も、まるごと一緒に・・・
「・・・・・・分かったよ」
ボソ・・・ッと低い声音で真柴が呟いたかと思ったら、不意にみっちゃん先生に向かって頭を垂れた
「・・・いろいろ、お世話をお掛けいたしました。ありがとうございます。・・・親父・・には後でちゃんと挨拶に行ってきます。じゃ・・・!」
言うだけ言った真柴が、俺の手を握ったままくるりと反転してドアを出て行く
「え!?あ、ちょ・・っ!?あ、あの、本当にありがとうございました・・・!」
真柴に引きずられるようにしてドアを出て行きながら、俺はかろうじてみっちゃん先生に向かって礼を言った
「どーいたしまして〜。明日からはローン返済の為にしっかり働いてもらうよー♪」
そんなみっちゃん先生の、どう聞いても楽しんでいるとしか思えない声音が掛けられる
「・・・くそ!」
舌打ちと供に真柴の悔しそうな声音が聞こえて、不謹慎ながら思わず笑いが込み上げてきた
だって
どうやったって、どうせあの二人に敵いっこない
「・・ッ、なに笑ってる?」
「ごめ・・、だって・・・っ」
なんだかツボにはまって、笑いが止まらなくなった
すごく、可笑しくて
すごく、嬉しい
「・・・・・っの、後で覚えてろよ」
そんな風に言った真柴の顔にも
照れ隠しのような笑みが浮かんでいた
新築だというそのマンションは、みっちゃん先生の病院から歩いて5分・・くらいの所にあって、すごく豪華ですごく綺麗な建物だった
部屋の中も
モデルルーム一式無料提供・・・と言っていたとおり、カーテンから調理器具、クーラーに照明、ソファーや家具といった調度品に至るまで、全て揃えられていて・・・ビックリした
造りは3LDKで、一部屋づつ俺と真柴の部屋になっていて、その中には俺の荷物が綺麗に片付けられて収まっているし
残りの一部屋が寝室になっていて・・・キングサイズくらいありそうなでっかいベッドまで・・・!
「・・・・・でかっ」
その部屋を覗き込んで、茫然と呟いて
俺は・・・だんだん身体が強張っていくのをどうする事も出来ないで居た
最初は
ただ、真柴と一緒に居られる・・・!
それだけで嬉しくて。
だから、最初の時、真柴の事を『涼介』って名前で呼べた
だけど
この部屋を見て
このベッドを見たら
ただ、一緒に居ればいい・・っていうわけじゃない
それに付随して付いてくる行為・・を突きつけられて
どうしたらいいのか分からなくなる
・・・・・・・・だって、俺は・・・っ、
決して忘れてたわけじゃない
忘れたくたって、忘れるなんて出来やしないんだから
でも
真柴の前では忘れてしまいたかった
そうしないとここに居られない
今だって、逃げ出したいのを必死に堪えてる
強張っていく身体を何とかしたくて、両手で自分の身体を抱き抱えてる
「・・・・・こりゃオプションだな・・・また高そうなものを・・・」
「っ!?ま・・しば!?」
肩がビクンッと跳ねて、抱え込んでいた両腕に、思わず力がこもった
部屋に入ってようやく手を離し、部屋の中をあちこちを点検して廻っていた真柴が、いつの間にか俺の背後に立っていて・・・頭上からそんな言葉を落としてくる
不意を突かれてビックリした風を装ってその顔を見上げたら、なんだか・・少しムッとした用に俺を見据えてきた
「え・・・・?」
「・・・・風呂もすごいぞ。あれは風呂好きなみっちゃんの趣味が入ってるな・・大の男が二人余裕で入れるし、横にペット用の風呂まであった」
「ペット用まで!?」
でもそのムッとした表情も一瞬で・・・
目を見開いて驚いた俺を、真柴がフ・・ッと笑み返して『見てこいよ』と視線で訴えてくる
本当は・・・行きたくない
だけど、真柴の視線と笑みに逆らえるはずがなかった
俺は誘われるままに風呂の中を覗きこんだ
中は真柴が言っていたとおり、すごく広くて、透明なガラスで区切られたブースの一角に、ペット用のお風呂が設置されていた
「うわ・・・ほんとだ、凄い。・・・あれ?これってジャグジー?おまけにテレビまで!」
逃げ出しそうになる身体を叱咤するように、俺はワザと明るくその機能と設備に意識を向けた
広いバスタブの中を覗き込んだら、側面になにやら出っ張りがついていて、壁にはそのコントローラーも付いた小さなテレビまで付いていた
「・・・試してみるか?」
そう言った真柴が、そのコントローラーを操作してバスタブに湯を溜めていく
その水音に、初めて真柴の部屋で
本当の意味で真柴に抱かれた日の事が鮮明に脳裏に甦ってきて・・・
堪らなくなった
「・・・っぁ、真柴、俺、お湯が溜まるまで他のとこ・・・」
慌ててそう言って、その場を離れようとした途端、
すぐ横に居た真柴に腕を取られたと思ったら、壁に思い切り押し付けられていた
「っ、ま・・しば!?」
「・・・っんで、俺が目の前にいるのに・・俺の名前を呼ばない!?」
「え・・・!?」
「なんで、俺から逃げようとする!?」
目の前にある真柴の顔が・・・怒ってた
初めて見る・・・怒った顔
もっと、怖くて
もっと、恐ろしい・・・ものだと思ってたのに
違ってた
全然・・・怖くなんかない
そんなもんじゃなくて
真柴に
そんな顔をさせてしまった事が、堪らなく悲しくて
そうさせたのが自分だって事が、許せない
「ッ、俺、全部・・・見た。何で、俺の前では呼ばないくせに・・・居ない所で・・・!」
「あ・・・・っ」
一気に、足に震えが来た
真柴が一体何のことを言ってるのか・・・はっきり分かる
あの
田島の奴が送りつけた・・・ビデオ
一番
確めたくて、確めたくなかった・・・こと
「さっき・・『おかえり』って言った時、名前で呼んだだろ?なのに・・・なんで・・・!?」
「・・・っ!」
不意に真柴が俺の首筋に顔を埋めてきて、反射的に身体に震えが走ってそれを全身が拒絶した
「っやだ・・・っ!真柴、だめ・・・っ」
必死で身体をよじって逃げようとしたら
「なんでっ!?」
身体が震撼するくらいの大声で
しかも、俺に対する怒りじゃなく
真柴自身に対する怒りだって・・・わかる
憤りそのままの声で
ちゃんと理由を答えろ・・・って
真柴が問う
真っ直ぐに俺を見つめる真柴の視線には
俺を責めてる色合いは微塵もなくて
ずっと
ずっと・・・
我慢してた涙が・・・零れ落ちた
「・・・っだ・・・って、俺、もう、キレイじゃない・・・!
さっきは真柴に会えて、嬉しくて、それだけでいっぱいで!
でも、ここに来て、真柴の側に居るっていうのはただそれだけじゃない・・・って、そう、思ったら・・・やっぱ、俺、だめだ・・・!俺、汚いよ・・・!もう、真柴に抱かれる資格なんて・・・!」
「ッ、汚いとか、言うなっ!!」
叫ぶと同時に、真柴が壁に思い切り拳をぶつけてきて、俺はビクンッと身体を震わせた
「・・・だ・・・って、見た・・・だろ?俺が・・・」
「ああ、見たさ!全部!!お前が・・・どんな目にあったのか、誰がお前に何をしたのか!
お前が・・・どんな声で俺の名前を呼んでたか・・・!全部!!
だから、汚いとか、言うな・・・っ!
頼むから・・・言わないでくれ・・・!」
「・・・ま・・しば・・?」
今にも泣き出しそうな真柴の顔が・・・涙でぼやけた視界に映ってる
「お前が・・・見てたのは、全部、俺だろう?俺以外の奴に、お前・・・抱かれてたのかよ!?」
「ッ、ち・・が、違う!俺、真柴以外、誰にも・・・!」
・・・・・・・・そうだ、俺が見て、感じてたのは・・・
全部、真柴で
幻でも・・俺にとっては、本物で・・・!
「だったら!どこが汚いんだよ!?お前は、どこも変わってない。初めてお前を見かけたときのままの、キレイな髪で、キレイな身体で・・・この世に二人と居ない、俺だけのものだろう?」
「っ!!」
真柴が、そんな風に言ってくれて
真柴が、そんな風に思ってくれてる
それは、信じられないくらい嬉しいこと
だけど
「・・・心は、そう・・だけど、でも、やっぱ、身体は・・・っ」
そう
現実は・・・そうじゃない
その事が、こんなにも、痛くて
そう思いたい心を、拒絶する
「・・・っじゃあ、俺が、全部確めて、それをお前に分からせてやる・・!」
バスタブに注がれていた湯がいつの間にかいっぱいになっていて、水音さえしなくなった風呂場の中で、真柴の怒りに満ちた声が反響する
壁を叩きつけたままだった真柴の手が引き戻されて、俺のシャツのボタンを引き千切りそうな勢いで外し始めた