野良猫








ACT 13(光紀)









週末、はやる気持ちを抑えて、夜になるのを待った

祐介は仕事が終わってから行く・・・と言っていた
きっと遅い時間になるはずだ

あんまり早い時間に行くのも、何だか如何にも待ってました・・・!という感じがして嫌だったし、正直、『待つ』という行為は好きじゃない

『待つ』ことは、相手に期待していることだから
待った時間が長ければ長いほど、来なかった時の失望が深くなるから

だから

人の出入りが少なくなる遅い時間に、俺はホテルのエントランスの前に立った

ホテルの中に入ってすぐに目に付いた・・・視線を釘付けにする美男美女のカップル
その姿を視界に捉えた瞬間、俺は反射的に柱の影に身を潜めてしまっていた

ロビーのカフェの一角・・・密着度の高いソファー席に居たカップル


「・・・ッ、祐介さん・・・っ!?」


思わずその名を小さく叫んでしまっていた
一緒に居る女は、ちょっとあまりお目にかかれないほどの美女で・・・祐介とのカップリングは文句が付けようがないほど似合っていた

しかも、不意に二人して連れ立ったかと思うと、スィートのある最上階への専用高速エレベーターに乗り込んで行ってしまったのだ

それを見た瞬間感じた、頭から一気に冷水を浴びせられたかのような感覚

期待なんてしていない・・・そう思っていた自分の偽善ぶりを嫌というほど思い知らされた


「・・・ハ、バカだな、俺。そうだよ・・祐介さんは俺がお金を返すって言ったから、だからあんな約束をした。それだけなのに・・・何を期待してたんだ?」


乾いた嘲笑で口元が歪む

俺はフロントに行き、持ってきたあの時の服の代金分の金が入った封筒を差し出した


「すみません、これを今日スィートに予約してる方に渡しておいてくれませんか?」


女と居ると分かっている部屋になど、行きたくなどない
そう思って、フロント係に預けて帰ろうと思ったのだ

だが、そのフロント係はニッコリと微笑んで、差し出した封筒と一緒にスィートの部屋の鍵らしきカードキーを俺の方へ押し返してきた


「真柴様のお連れ様ですね。申し訳ございませんがこれはお預りするわけには参りません。真柴様からのご伝言で、直接お部屋の方へ返しに来るように・・・と承っておりますので」

「え!?いえ、でも、俺・・・!」

「申し訳ございませんが、私どもではそれ以上の事は承りかねます。お部屋のキーも真柴様に直接お返し下さい」


極上のにこやかな笑顔を浮べてそう言い放ったフロント係からは、浮かぶ笑みとは裏腹のこちら側に反論を許さない雰囲気がアリアリと感じられる

こんな場所で揉め事を起こす気なんてサラサラないし、もともと自分の方から返すと言い出したのだ・・・祐介が誰と一緒に居ようと関係なく、直接返すのが筋ってものか・・・

そう思い直すと、小さくため息を吐き出しながらフロント係に軽く会釈を返し、封筒とカードキーを持ってエレベーターに乗り込んだ

一気に加速する独特な浮遊感に、みぞおちを押さえて込み上げてきそうになった吐き気をやり過ごす

本当にバカだと思った

どうして、祐介が会ってくれると期待なんてしてしまっていたんだろう
ただの行きずりで、まともに抱かれてもいやしないのに

それに、祐介には子供も居た

普通に結婚してるって事は、男と寝るのは単なる遊びにしか過ぎないってことだ
なのに、俺がもう一度会いたいなんて・・・そんな意味合いのこもった事を言い出したから、きっと警戒してこんな風に女と一緒に居る所を見せ付けようとしているんだろう

ポンッ!と軽やかな音と供にエレベーターのドアが開く

重い足取りでスィートのドアの前に立って、呼び鈴を鳴らすべきか・・・?と、視線が彷徨う

このドアが開いて、中から祐介が出てくるのは分かってる
その背後に女が居る事も

何だか、たまらなくなった

祐介の口から『本当に来るとは思わなかった』とか、『今日は連れが居るから・・・』とか、そんな風な言葉は聞きたくなんてない

あの日みたいに優しい包み込むような眼差しじゃない、冷たい拒絶を表す瞳も、見たくなんてない

あの夜の事は、全部夢
都合よく脚色した、俺だけが見た勝手な夢


・・・そう思えばいい


俺は持っていたカードキーと封筒をドアの前に置いた

あの仁王像・・・一条さんが言っていた通り、俺と祐介では住む世界が違う
もう二度と、会うべきじゃない

祐介の事は忘れなきゃいけない・・・


「・・・サヨウナラ」


変な、片言風なニュアンスになった
言いたくないのに、言わなきゃいけない言葉・・・

エレベーターの中に乗り、一度だけ、ドアの方へ振り向いた
その時に、初めて俺は、今日ここへ来た理由が分かった気がした


「・・・もう一度、あなたに『光紀』って呼んで欲しかったな」


思わず零れ落ちた小さな呟き
それが本心だった事を裏付けるように震えそうになった唇を、噛み締めた

ただの固有名詞だったその音が、あの夜に、初めて自分の存在を示すたった一つの名前になった気がしたから

初めて、誰かの温もりに包み込まれる心地良さ・・・を知ったから

無機質な乾いた音と供にエレベーターのドアが閉まり、それと同時に俺も心の奥底にそんな陳腐な感情を押し込め、蓋をする

あきらめる事は、小さい頃から慣れっこだ
期待した所で何も与えられない

分かっていたはずなのに
それなのに
どうして、期待なんてしてしまっていたんだろう

祐介は、きっと、誰にでも優しいのだ

あの優しい眼差しを、今も女に向かって注いでいるはずで、あの女は涼介の母親なのかもしれない

優しい父親、優しい母親、その子供・・・

何もかもが俺とは無縁のもの・・・そう思ったら、家に帰るのが嫌になった
帰っても、誰も待ってやしない
待っているのはだだっ広い部屋の、冷たいベッドだけ

自分が存在しているのかどうかすら分からなくなる、あんな部屋になんて・・・!

俺は、エレベーターがロビーに到着するやいなや飛び出すようにしてホテルを出ると、未だ喧騒と虚飾の色で彩られたネオンの輝きの中へ向かって歩いて行った







奴らに見つかるかもしれない・・・そう思いはしたが、それならそれで構うもんか・・・!

そんな自暴自棄な思いが先立って、いつものバーに顔を出していつものようにカウンターに腰掛けた
途端に顔馴染みのバーテンが、ス・・ッと俺に近寄ってきて、小さく囁く


「・・・あんた、すぐ帰った方が良いよ。奥に居る奴、塚田の下っ端であんたが来るのを張ってたみたいだから」

「ふうん・・・」


チラリ・・・とその奥の席に座っている奴を盗み見ると、携帯を操作している
多分、電話で連絡しているんだろう

つまり、俺が出入りしそうな所には誰かしら張ってるってこと
どうやら本気で俺を探しているらしい


「・・・ちょうどいいや、俺、今日は無性に暴れたい気分だから」


そう言ったら、バーテンがあからさまに嫌そうに眉間にシワを寄せた
わざわざ俺にご親切に教えたのは、店の中で暴れられたら困るから早々に出て行ってくれ・・・!と、そういう理由のようだ


「そんな嫌そうな顔しなくても出てくよ。営業妨害しちゃ悪いもんね」

「ああ、揉め事はお断りだからな。けど、マジですぐに帰れよ、塚田は真性のサドだって噂だぜ」

「へぇ、俺、マゾだよ?」


席を立ちながら軽口で返したら、『ふざけんな、マジな話だ・・・!』と、不意に腕を掴まれてドスの効いた低い潜めた声音で言い放たれた


「帰れよ、いいな!」


念を押すように言って腕が解かれると、もう俺の事など眼中にないように他の客の所へ行ってしまった


なに?こいつ?俺がどうなろうと知ったこっちゃないくせに


要はさっさと出てけって事か・・・言われなくても・・・!と、ますます鬱屈の溜まった気分で店を出た

すると、さっき電話を掛けていたらしき奴が俺の後を追って付いてくる

尾行する気ならもっと気を使えよな!と、苦笑がもれるほどのあからさまな尾行
それでも気づかない振りで歩いていたら、案の定、周囲をそれらしき人間達で囲まれた

不意に背中に押し当てられた、硬質な刃物の感触と供に『ちょっと来な・・・!』と囁かれ、滅多に人が通らない線路下の半地下通路に引きずり込まれた

もう終電は過ぎた時間だろうに、貨物列車らしき長い車体が規則的な音と供に通路全体に振動を響かせながら頭上を通り過ぎて行く

通路にたった一つある街灯が切れかけて点滅し、相手の顔が何とか判別できるかどうか・・・?という暗がり
連れ込まれながら人数を数えてみると、全部で6人
一人が通路の入り口付近で残り、見張り役よろしく立った

ダンッ!と通路の壁に胸倉を掴んで叩き付けられた俺の目の前には、総勢5人・・・と言う勘定だ


「よう、こないだはよくもやってくれたな・・・!」


そう言われて初めて俺を壁に叩き付けた奴の顔を見ると、あの時俺の腕を切りつけて来た奴だった


「・・・なんだ、こないだのイモムシ野郎か」


挑発するように言ってやると、お定まりに毛を逆立てて殴りかかってきた

その飛んできた拳を目の前で両腕を交差させてブロックし、一瞬止まったそいつの腕を取って捻り上げ、その下に身体を沈ませた

腕を捻り上げたまま下に沈めば、その流れのままに相手の身体は背中から地面に叩き付けられる


「グ・・・ッ!」


くぐもった呻き声と供にそいつの身体が地面に沈んだのが合図のように、残り4人が一斉に俺に襲い掛かってきた

どうやら前回の教訓が効いているらしく、鉄パイプやらナイフやら・・・それぞれに武器を持っている

さすがに分が悪いな・・・!と思いはしたが、今更だ

それに

自分の事を大事にしろ・・!と言った祐介を忘れなきゃいけない
この身体がどれだけ傷つこうが、死のうが、正直もうどうでも良いとさえ思えた

まるで祐介へのあてつけだ

でも、俺がもし、ここで死んだら、会う予定だった俺を・・・祐介は少しは気に掛けてくれるだろうか・・・?なんて、笑える考えがよぎったことは否定しない

最初のナイフは余裕でかわし、次に打ち込まれた鉄パイプを紙一重で避けた
背後から来た二つ目のナイフが頬のすぐ横を過ぎ、風圧がピリッとした痛みと熱さを与えていく

次に真横から来た鉄パイプを飛び退って避けようとした瞬間、地面に叩き付けた野郎が俺の足首を捕まえてそれを出来なくした


「ッ、グゥ・・・ッ!!」


逃げ切れず、鉄パイプが背中に叩き込まれた

一瞬、息が止まる

仰け反って、膝を付いた足にもすかさず鉄パイプが打ち込まれ、堪らず身体が地面に倒れこむ

その横でようやく身体を起こしたあの野郎が『いい気になってんじゃねぇぞ!』と言いながら俺の腹部に容赦のない蹴りを入れ、反動で横向きになった俺の背中に、腹に、5人分の蹴りが勝ち誇った嘲笑と供に打ち込まれる

痛み・・・は確かにあった

だけど

さっきの・・・祐介が女と一緒に居るのを見た時感じた痛みに比べれば、全然大した痛みじゃない

身体に受けた傷の痛みは、いつか消える
死んだとしても、もう痛みを感じる事もないだろう

だけど

心に受けた傷の痛みは、一生消えない
死んだとしても、その痛みだけは消えないような・・そんな気がした


・・・・は、それじゃ、死んだって意味ないじゃん


そんな事を考えていた時


「・・・っ、光紀!!」


線路下の通路いっぱいに響き渡る大声で

祐介の声が、俺の名を呼んだ




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