野良猫(祐介)
ACT 12
「影司、今日は足は要らないから先に帰っていいぞ」
書類の整理をしながら、さりげなく切り出した
影司は妙に勘が良いところがあって、油断できない
「・・・なにか約束でも?」
「ああ。昔馴染みが明日には帰るって言うんで、名残を惜しみに・・・な」
「秋月建設の次男でコスメブランド”AKI”の社長、秋月剛さん・・ですか?」
「・・・ああ」
書類から視線を外さないまま、そっけなく返事を返す
影司にそれと分かるように、剛に携帯ではなく会社宛にも何度か電話をかけてもらった
剛が明日帰るというのも本当なら、会いに行く・・・というのも本当だ
ただ、剛と会うのは名残を惜しむ為ではなかったが
「・・・分かりました。では、お先に失礼致します」
「お疲れさん」
バタン・・・という影司が出て行った音がして、フゥ・・とため息が漏れた
これで一番感づかれそうな最後の関門は突破した・・・といったところか
秋月にももう一度協力してもらって、Wホテルのフロント係には前の出来事で光紀の顔を知っている人間にしてもらった
光紀が来たら、何も言わなくてもスィートルームの鍵を渡してもらう手はずになっている
後は、この残った書類を片付けて剛と待ち合わせの時間までにWホテルのロビーに行って、剛から頼んでおいたものを受け取って光紀に会いに行けばいいだけだ
「お久しぶり♪」
約束の時間より少し遅れてWホテルのフロントに入るやいなや、剛の方から声をかけてきた
その、以前にも増して磨きがかかった美女っぷりに、思わず目を見張った
「ッ!た・・けし!?」
「全く、この男は何度言ったら分かるのかしら!?そんな無粋な名前で呼ばないでって言ってるでしょ!今は、ア・キ!よ、アキ!」
「・・・アキ、化け具合に拍車がかかったな・・・」
本音を洩らした途端、細いピンヒールが革靴の先にのめり込んだ
「ッイ・・・ッ!!」
「究極の美女に向かってなんて言い草よ!相変わらず失礼な男ね!」
憤慨した剛・・・ことアキが、腕組みをして俺を睨み返してくる
自らのブランドのモデルもこなしているだけのことはある180近い長身に、緩くウェーブのかかった腰まである薄茶の髪
もともとの顔の欠片もなく整えられた、作り物の容貌
その顔にプロ顔負けのメイク技術・・・そのままグラビアトップを飾れるほどの美女に仕上がっている
冗談でもなんでもなく、このもと男は、今や完璧な女性だ
しかも自分で言い放ったとおりの、極上の美女
最新鋭の美容外科技術によって創り上げられた豊満な胸、細くくびれた腰、キュッと上がった尻、思わず見惚れる脚線美・・・
そのメリハリの利いた身体と脚線美を、スリットの大きく開いたロングのタイトスカートに胸元の大きく開いたトップス・・・といった出で立ちでこれ見よがしに誇示している
昔のアキの有り様を知ってさえいなければ、眼福以外のなにものでもなかったのだが・・・
不意に俺の腕を絡め取ったアキが、ロビー内にあったカフェに向かう
見た目は絶世の美女なだけに、邪険に振り払うわけにも行かず・・・強引に密着度の高いソファー席に引きずり込まれた
言っておくが、このアキは高校時代レスリングの国体選手だったのだ・・・女性化したとはいえ、その筋力は未だ衰えていない
「・・・アキ、一つ聞いていいか?」
「なーに?」
「なんで、くっ付いてる?」
「気にしないで、単なる嫌がらせだから」
「お前な・・・俺が何をしたって言うんだ?」
「あーら、こんなプレゼントを贈る様な相手が出来たんでしょ?ちょっと悔しいじゃない」
そう言って、アキが綺麗にラッピングされた細長い箱をバッグの中から取り出して、俺の目の前で思わせぶりに振った
「っ!持ってるんなら、さっさと・・・!」
奪い取ろうと手を伸ばしたが、その動きより一瞬アキの動きの方が早かった
素早くアキがその箱を背中に廻し、底意地の悪い悪女のような笑みを浮べた
「珍しいわよね、祐介がこんな贈り物するだなんて」
「お前な、仮にも先輩だぞ?呼び捨てにするなって言ってるだろ」
「あら!昔こっぴどく振ってくれたんだから、これぐらい許容範囲でしょ!?この姿になっても誘ってもくれないし!ほんっと、冷たいんだから!」
「あのな、今からでも強姦未遂で訴えられたいか?、押し倒されるのはごめんだと言ってるだろう」
「だってしょうがないでしょ!?良い男見たら押し倒したくなっちゃうんだから!」
「ったく!だったら余計に女になんかなるなよ」
「なに言ってるの!男のままだったら誰が抱いてくれたって言うの!?」
「・・・ごもっとも」
思わず苦笑が浮かぶ
何しろ男だったときのアキは、厳つい男らしい顔に逞しい体躯・・・なのに真性のネコで襲い受けな性質だったのだ
押し倒されてその上でアキを抱こうという男は俺を含め、まず、居なかった
「まぁ、それはおいといて。ねぇ、どんな子なの?」
瞳を輝かせたアキが、聞くまでこれは渡さないわよ・・!という勢いで俺の顔を覗き込んでくる
全く、女の身体になると精神構造も女寄りになるらしい
これ以上何だかんだと詮索されるのは勘弁して欲しかった
「・・・野良猫だ」
「・・・は?野良猫?」
「そう、俺なんかじゃ手なずけられない孤高の野良猫」
「なに?それ?」
「・・・飼えないって事だよ」
自分に対する戒めのように、そう言い切った
けれど妙に女のように敏くなったアキは、その言葉の中に込めた俺の想いを嗅ぎ取ってしまったようだ
「・・うそ。まさか・・・本気?」
「なんだよ本気って?俺が誰も側に置かないことぐらい知ってるだろ?」
「ええ、知ってるわよ。涼(すず)さんの二の舞は踏ませたくないんでしょ?」
「っ、剛!!」
思わず本気でドスの効いた声音と冷えた視線でアキを睨みつけていた
一瞬でアキの表情も強張って、蒼ざめる
俺だってこんな声や視線、親しい人間に向けたくなどない
だが不意討ちしたのはアキの方だ・・・俺に非はない
「・・・そう・・・そうなんだ」
しばらくの気まずい沈黙の後、視線を落としたままそんな呟きを落としたアキが、俺の手にラッピングされた箱を押し付けてきた
「・・・その子に会うこと、誰にも知られてないんでしょうね?」
「?なんだ?お前まで・・・?」
「・・・までってことは、一条さん?いやだ・・・ほんとに本気なんだ」
「おい、なんなんだ?それ?」
アキの呟きの意味が分からなくて眉根を寄せた俺を一瞥したアキが、あきれたように大袈裟に肩でため息を付く
「・・・しょうがないわね。偽装工作に加担してあげるわ。ほら、行くわよ!」
「え?ちょ、アキ・・・!?」
再び強引に俺の腕を取ったアキが、その腕力に物を言わせて俺と一緒に最上階のスィートに直結する専用エレベーターに乗り込んだ
「おい、アキ!?」
「なによ?ありがたく思いなさい。これであなたがスィートで一緒に泊まるのは私ってコトになるでしょ?ああ、安心して、ここの従業員とは顧客関係で顔見知り多いし、何度かイベント開いてるから従業員専用通路も熟知してるしね」
そう言っている間に到着した最上階でエレベーターを降りたアキが、『じゃあね』と身をひるがえして以前光紀を運んだ従業員専用エレベーターへと向かう
「おい・・っ、」
思わず後を追った俺に、アキが振り返って追うことを牽制するように言い放った
「もう少し自分の魅力ってモノを自覚しなさいね、おバカさん!そうでないと今度こそ強姦してあげるから覚悟してなさい!」
不機嫌そうに睨みつけられ、訳が分からないままアキは従業員専用エレベーターの中へと消えた
「・・・何を自覚しろって?訳の分からん奴だな・・・」
ため息を吐き出しながらも、俺はアキからもらった箱をソッとポケットにしまい込み、光紀が来てくれる事を祈りつつ、スィートのドアを押し開けていた