野良猫







ACT 15(光紀)










最初は、幻聴だろう・・・と思った

でも、打ち込まれていた蹴りがピタリと止んで、何かが壁に叩きつけられる音と『なんだぁ?てめぇ!?』という怒声が聞こえてきて、


・・・・・・ウソ・・・本当に!?


と、感じていたはずの胸の痛みが消し飛んだ

だけど、その『光紀』って呼んだ祐介の声以外、祐介の声は一言も聞こえなくて

その代わりに途切れることなく響き渡った、何かが打ち据えられる音、叩き潰される音・・・

何とか身じろいで身体を起こし、何が起こっているのかを見た瞬間、俺は目の前で起こっていることなのに、それを認めることが出来なくて茫然とした


そこに居た祐介は、まるで壊れた機械みたいだった


無表情な顔つきで、襲い掛かってくる奴らを無造作に払いのけ、手にした鉄パイプで容赦なく打ち据える

相手が動かなくなるまで徹底的に、それは止まなかった

悲鳴を上げていようと
血だらけになっていようと
やめてくれと懇願していようと

目を反らしたかったのに、反らす事が出来なかった
身体が震えるのを、止めることができなかった


・・・ッ、何、これ?これが、祐介・・・さん!?


一条さんの、住む世界が違う!・・・と言った意味を、俺はこの時ようやく認識した
俺も人の事言えないほど無茶してきた自覚はあった

けど、祐介の・・・これは違う

完全に切れた、こっちじゃない、あっち側
感情、というものが消え去った、痛みを感じる事のない世界

俺なんかじゃ触れられない
俺なんかに止められるわけがない

わかってた

でも・・・!


・・・・・・止めなきゃ・・だめだ!


なぜだか分からないけど、強く、そう思った
まるで自分じゃない誰か・・・何かに、背中を押されたような気がした

気がついたら、祐介の名を呼び、その身体に腕を廻していた
もう、二度と触れることは叶わないだろう・・・と思っていたその身体を腕の中に感じた途端、怖れや恐さが嬉しさに変わった

ここへ祐介が来てくれた
もう一度、会えた

嬉しくて、祐介の身体を拘束する腕が震えた

もしもこのまま祐介が感情を失ったまま、俺をも殴りつけてきたとしても構わないとさえ思った

祐介にだったら殺されても良い・・・と何の躊躇もなく、そう思った

だから

その祐介の口から『・・・光紀』ともう一度名前を呼ばれ、その独特の温かさを持った呼び方を間近で聞き、嬉しさで胸が震えた

その上『・・・大丈夫か?』と、俺の身体の心配だけじゃなく廻した腕を解かなくていいのか?という俺の中の怖れまでをも見透かした問いかけに、泣きたくなった

こんな事に祐介を巻き込んでいるのは、俺なのに
俺があそこから逃げ出さなければ、祐介にこんな事させずに済んだはずなのに

なのに、祐介は俺の事を心配してくれている
俺の心の中の不安まで・・・!

後はもう、自分で何を口走りどんな行動を取ったのか・・・よく覚えていない

ただ

触れた祐介の唇と、入り込んできた舌先の温かさと荒々しさに、必死で応えた
祐介が俺を求めてくれているのが信じられなくて、ほんとうにそうなら、このままここで犯されても構わない・・・!とさえ思った

でもそんな俺の無謀さを祐介に制されて、横抱きに抱き上げられて本当に驚いた
まるで大事なモノを扱うようなその行為と、『・・・いいから、大人しくしていなさい』という、聞き分けのない子供をあやすような優しい命令形

今まで一度だってそんな風に扱われたことも、そんな言葉を掛けられたこともなかった

驚きの方が先立って一瞬、身じろいだけれど、その言葉と抱き込まれて直に触れ合う温かな体温と、あの・・・祐介の体から香る良い香り

なぜだかこの香りと祐介の体温に包まれると、力が抜ける
張り詰めていた神経が一気に和らいで、その温もりに身を埋めてしまう

思えば、一番最初に出合った時からそうだった

名前も正体も知らない、得体の知れない男だったのに
祐介の、この場所だけが、唯一夢も見ず眠れた場所だった

なぜだか安心できる・・・柔らかな場所

緊張と落胆と自暴自棄と恐怖と喜悦・・・一度に押し寄せたそれらの感情に、神経が休息を求めていたんだと思う

最初に出合った時と同じように、俺はいつの間にか意識を沈ませていた・・・











「・・・っ痛、」


引き攣れた様な鋭い痛みに、ハッと沈んでいた意識が呼び戻された


「あ、すまない。シャツに血がこびりついててね・・・」


目の前にあった祐介の顔にビックリすると同時に、一気に目が覚めた


「っ、え?あ・・・な・・に?」

「とりあえず血のりと泥汚れを落とそうかと思ったんだけど、シャツに付いた血が固まってて・・」


言われて気がつけば、そこはあのスィートルームのバスルームで、既に張られたお湯から上がる湯気で大理石張りの浴室全体が心地良く暖まっていた

普通の一部屋くらいはゆうにあるその浴室の中で、俺は祐介の腕の中に抱きこまれたまま、思案気に眉根を寄せた祐介に顔を覗き込まれている

既に祐介によって開けられたらしきシャツのボタンは、胸元近くまで開いていて、だけどその下にあった傷痕が乾いた血のりでシャツに癒着していて、引き攣れた痛みの源になっていた


「・・・しょうがないな」


不意にそう呟いた祐介が、再び俺の身体を横抱きに抱き上げて、浴室内の一角にあったガラス張りのシャワーブースの中に入った

打ち据えられた鈍痛や傷の痛みあったけど、祐介がすぐに来てくれたこともあって、そう大したことはない
その程度の傷だったからこそ、部分的にシャツと傷口が癒着して固まったのだ


「ゆ・・うすけ・・さん?」

「・・・ちょっと沁みるかもしれないけど」


そんな言葉と供に俺をシャワーの下に立たせたかと思うと、頭上からシャワーの温水が降り注いだ


「ぅわ・・・っ!?」

「さすがに出始めの湯は冷たいな・・・!」


一瞬冷たかったその水を浴び、ビクンと跳ねた俺の身体を祐介が胸に抱きこんだせいで、祐介の身体もシャワーの降り注ぐ範囲内に入り、ずぶ濡れになっていく

コートと上着は浴室に入る前に脱いでいたらしく、祐介はシャツとスラックスだけになっていた

背中に降り注ぐ水は冷たかったけど、抱きしめられた祐介の胸の中は温かで、その温もりと寄せた耳から聞こえる祐介の心臓の音が心地良くて・・・俺の腕は自然に祐介の背に廻り、その背にしがみ付いていた

あっという間に水は温水に変わったけれど、俺も祐介も振り注ぐシャワーの雨の中、ずぶ濡れになりながら、まるで動く事を忘れたかのように抱き合っていた

そこに祐介が居ることを
この腕に自分が抱き寄せられている事を
降り注ぐ雨よりも温かな、その温もりを

手放したくなかった

だって

俺も、祐介も、もう分かりすぎるほど分かっていたから


もう、こんな風に会えるのはこれで最後だと


祐介があんな風に塚田に手を出した以上、その原因である俺が祐介の側に居ていいはずがない

これ以上・・・祐介に迷惑をかけちゃいけない
これ以上・・・祐介を好きになっちゃいけない

分かってる

でも

だからこそ


「・・・ちゃんと忘れるから」

「・・・え?」

「ゴメンナサイ・・俺、ちゃんと忘れるから、だから」

「みつ・・・」


言いかけた祐介の唇を塞いだ

そんなのできっこない
忘れられるはずない
大ウソツキだ

でも、忘れなきゃいけない
忘れた振りをしなくちゃいけない

それが今の俺に出来る唯一の事なら
それが祐介の為なら、そうしてみせる

だからお願い
それが出来るだけの夢を見させて

この先もずっとその夢しか思い出せないように
身体中にその夢の痕を刻み込む為に


『抱いて』


その言葉を、合わさった祐介の瞳の中に注ぎ込んだ




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