野良猫
ACT 18(祐介)
光紀が深い眠りに堕ちたのを確めてから、光紀の中から自分自身をソッと引き出した
出て行こうとするそれを、まるで引き止めるかのように光紀の中の粘膜が収縮し、俺に最後まで快感を与えてくる
予感はあったけれど、身体の相性は今までに比べられる相手が居ないほど、良かった
普段は”タチ”なのだという事が信じられないほど、光紀は”ネコ”向きな感度の良さをしていた
「…抱くべきじゃなかった」
ガラス張りのシャワールームで身体を穿つ熱いシャワーの水音で誤魔化すように、思わずそんな本音が零れ出た
叶うなら
光紀が壊れてしまうまで、ずっとその身体を揺さぶり、突き上げていたかった
俺の手の中から離れて行ってしまう位なら、いっそこの手で殺してしまいたい…そんな危うい考えが何度も浮かんだ
そんな、今にも溢れそうになる身勝手な感情を押し留めてくれたのが、光紀の呼ぶ『祐介』という声
かつての”涼(すず)”と同じように、俺に感情をコントロールする術を思い出させてくれる、不思議な声
”涼”の代わりなど、誰もなれはしない
欲しいとも思わない
けれど
俺だけを信じて、俺だけを求めてくれるその声を、二度も失うことは…同じ過ちを繰り返す事だけは、絶対にしたくない
光紀を抱かなければ、その声の持つ意味に気づかないで済んだのに
ただ一人に求められ
ただ一人に捕らわれる
本当は、ただそれだけを望んでいたのだという事に
「…なんて、バカなんだ」
思わずガラスの壁に激しく頭を打ち付けた
今頃になって
抱いてしまった後で
そんな事に気がつくなんて
でも
気がついてしまったからこそ、光紀の側には居られない
光紀は、もう二度と夜の街に出てくることはしない
夜の顔を捨て、議員の息子という表舞台で生きていくだろう
そんな光紀に手を出していいはずがない
俺だけのモノになど、出来るはずがない
それに
もう既に伊藤達が塚田を潰す為に動き始めている
後戻りは出来ない
シャワーを終えて出てくると、内線で頼んでおいたスーツと光紀の替えの服が届けられていた
そのスーツに着替えていて、ふと剛に頼んでおいた小奇麗に包装された箱が視界に入った
「…あ、」
すっかりその存在を忘れきっていて、苦笑がもれた
箱の包装を解き、中身を確認してみる
光紀に似合って、付けていてもそんなに違和感がないだろう…と思って指定したアクアマリンを使ったアロマペンダント
細長い華奢なシルエットながらも精巧なカットが施された石、その裏側につけられた特殊な素材に香水が練りこまれていて、体温によって少しずつ香りが揮発してくるのだという
練り込まれているのは、もちろん俺用に作ってもらったオリジナルの香水だ
未練がましい…そう思いはしたが、俺に繋がる何かを光紀に持っていて欲しかった
たとえ、俺が死んだとしても
俺が生きていた証として…
眠っている光紀を起こさないように細心の注意を払いながら、細いシルバーのチェーンをその首に付ける
光紀の明るい栗色の髪と白い肌に、透き通るようなライトブルーの輝きはよく映えた
アクアマリンは別名”人魚の涙”とも言われている
眠りながら声を殺して泣いていた…あの涙
光紀が流す涙を、この石が代わって吸い取ってくれればいい…そんな願いも込めた石の選択だった
『…光紀、』
最後に、声に出さずにその名を心に刻み付けるように呼んだ
その名の後に続けるべき、”サヨウナラ”と言う言葉
それを心の中でさえ、俺はどうしても告げることが出来なかった
次の日の朝、いつものように出社して、各社の新聞に目を通しながらテレビのニュースに聞き入ったが、昨夜の俺の起こしたはずの暴行事件は一切取り上げられていなかった
その代わり、あの血みどろになっていた半地下道で消火器が散布される…という若者によるイタズラ事件が小さな記事になって片隅に載っていた
「…なるほど、上手く誤魔化したもんだな」
冷笑とともにそんな呟きがもれた
見張り役だった奴の口から、たった一人にやられた事実は伝わっているはず
塚田はのし上がってまだ日が浅く、見栄と虚勢を保っていなければすぐに他の勢力からなめられて終わり
そんな時に、たった一人にあの人数を返り討ちにされたなど…組のメンツにかけても公(おおやけ)には出来ないはずだ
だが、ケガ人が出たことは事実
その治療はどこかで秘密裏に行われているはずで、それを見越して一条に電話をかけた
一条は表向き寺の住職だが、元医者だった経緯を生かし裏では表立った治療が受けられない連中を診ている
そういう裏医者というのは他にも居て、自然と組ごとに掛かる医者というのも決まってくる
一条の話によると、裏医者達はクスリの入手ルートや運び込まれたケガ人の出所とも言うべき裏事情の情報交換やらなにやで、結構お互いに密に連絡を取り合っている…らしい
電話に出た途端の一条の第一声に、思わず苦笑が洩れた
「真柴!昨夜のケガ人騒ぎはやっぱてめぇか!お前、自分がなにやったか分かってんのか!?」
用心して携帯を耳から離しておいて正解だった…と思わせるほどの大音量
「っ、言われなくても分かってる!とりあえずその説明は後だ、奴らどこの医者に掛かってる?」
「分かってるだと!?ったく、後でキッチリ言い訳聞かせてもらうからな!で、昨夜の奴らは松岡のトコだ。足らなくなったクスリを貸してくれって電話があった」
「松岡…ってことは、塚田のバックは新井組か…」
「そうらしいな。塚田はクスリを手広く扱ってたからな…新井組がバックなら頷ける話だ」
新井組は関東系ではかなり大きな組で、バックに医療系大企業・片桐コーポレーションが絡んでいる
その恩恵もあってか、クスリを扱うマーケットではルートの大半を握っているとまで言われていた
俺は組のシマ内でクスリを流すこと禁じている
だから今まで新井組とも特に揉め事が起きることもなかったし、片桐コーポレーションとはリゾート開発で建設を請け負っている経緯があった
表でも裏でも、わざわざ敵対しても何の利益にもならない
ますますやっかいな…!そう思いはしたが、バックが新井だと分かった時点で、俺の中で一つ妙案が浮かんでいた
「…新井なら、葛西か…」
「っ!?おま、葛西って、まさか秋月んトコの末弟の…?」
「ああ、さすがにお前は察しが良いな。久しぶりに真哉に会いたくなった…」
「真柴?お前…なに考えてる?」
「…塚田を潰す」
「なに?!あの美少年は!?」
「…そんな奴は知らない。知事からも塚田を何とかしろと打診があったからな。それだけだ」
「……」
そう言ったら、長い沈黙と供に電話の向こうで落とした一条の深い溜め息が聞こえてきた
「…そうか。まァ、俺は一度診た患者は最後まで診る。お前に関係なくな」
「…ああ」
「それと、お前も無茶するな。俺のトコなんぞに患者として来やがったら、背中に思う存分墨入れてやるからそのつもりでな!」
思わず苦笑が浮かんだ
一条の趣味は刺青彫りなのだ
彫るなら絶対俺にやらせろ!と虎視眈々と俺の背中を狙っていると言っても過言じゃない
「冗談!お前の趣味の餌食になるつもりはサラサラない!」
「おう、その意気だ。でも言っとくがお前にはとっておきのを用意してあるんだからな!チャンスがあったら逃さねぇぞ」
「お前な…!」
言い募ろうとしたのを遮るように、不意に真面目になった一条の鋭い声音が俺の言葉を止めた
「死ぬなよ」
「っ!?」
「あんな想いは二度とゴメンだ」
言葉が出なかった
あの時、涼(すず)の最後を看取ったのは一条だった
「…分かってる」
かろうじてそんな言葉を返して、俺は電話を切った