野良猫






ACT 20(祐介)








ともすれば見過ごしそうな場所にある、古ぼけた木製のドア
そこに書かれた『ジョーカー』という名のバー
ここが真哉と待ち合わせをした場所だ


…ここへ来るのもずい分と久しぶりだったな


そんな風に思いながら軋む重厚なドアを開けた
古き良き時代のモダンジャズが静かに流れる、シックで落ち着いた雰囲気の店内は以前と何も変わっていない

入った途端、どこか懐かしくホッと落ち着ける…そんな不思議な既視感も


「いらっしゃいませ」


最近では滅多に見かけなくなった一枚板の分厚いカウンターに腰掛けると同時に、中に居たバーテンが静かな笑みと供に”ブラック・レイン”と言う名のカクテルを差し出してきた


「っ、驚いたな。俺の事を覚えてるのか?」


このカクテルは数年前、真哉と一緒に来たときに出された物で、従来のカクテルには無い漆黒の輝きを放つ酒だ
ブラック・サンブーカに白のスパークリングワインを満たしたそれは、映画『ブラック・レイン』からのネーミングだと後で知った時には、正直驚いた

真哉によると、このバーテンはその客に見合った酒を出すらしい…初対面だったにもかかわらず、俺の裏の一面を見抜いていたことになる
そんな経緯があったせいもあり、この酒の事もバーテンもよく覚えていた

確か、名前は米良(めら)だったはずだ


「秋月さんのお連れ様を覚えていなくては、秋月さんに恥をかかせてしまいますから」

「…たいしたもんだ。真哉の奴にはもったいないな…どうだ?俺が店をやる時には鞍替えしないか?」


半分真面目にそう聞くと『秋月さんのお許しが頂ければ喜んで…』と、やんわりと断りを入れられた
まったく、いつの間に真哉の奴、こんな忠犬を手に入れたんだか

秋月の兄弟の一番下の弟で、いつまでも幼いイメージが抜けないが、今では敏腕弁護士でその名を馳せている
その関係から、関西系では一番勢力のある葛西組のトップとも親しく付き合いがあるらしい

俺が今日、真哉を呼び出したのも、その関係を利用する為…だ


「真柴さん、横恋慕は無しにして下さいよ?」


笑いを含んだ声音が背後からかけられて、待ち合わせ時間ピッタリに、ス…ッと横のカウンター席に真哉が座った


「お久しぶりです。相変わらず裏家業もお忙しいようですね」


チラリ…と米良からだされた酒を見やりながら、真哉が意味深な笑みを深めた


「…なるほど。そうやって相手の腹積もりも見てるわけか…本気で誘いたくなるな」

「はは、あまりお勧めはしませんよ?何しろ米良には手強い恋敵がいますからね」

「ああ、ハル君…だっけ?さすがに若い子には勝てないか。あきらめるよ」


そう言った途端、さっきから背中越しに感じていた鋭い視線が嘘の様に消え失せた
後のテーブル席で接客していた、まだ少年と言う形容詞が似合う若い男…ハルと言う名前で米良の恋人からの視線だ

『あの子は時々冗談が通じませんから』と、真哉に耳打ちされ、納得がいった

飼い主の居る忠犬など欲しくは無い

欲しいのは
飼われる事を良しとしない、あの孤高の野良猫だけ…


「…それで、急な呼び出しは何事ですか?他でもない真柴さんの呼び出しだから来ましたが…兄からたまには家に帰れって言う説得を頼まれたんなら、無駄ですよ?」

「相変わらず家嫌いか。せっかくの元華族の威光、毛嫌いせずに利用すればいいものを…。ま、それがお前の良いところでもあるしな。安心しろ、今日はお前の手腕を買って頼みたい事があるんだ」


この真哉は昔から秋月の家を嫌い、高校卒業と同時に海外の大学へ進学し、家には寄り付こうともしないらしい
兄である秋月からも、会った時には顔ぐらい見せろと言っておいてくれ…と溜め息交じりに何度も言われた記憶がある

どうやら真哉の家嫌いには、なにやら事情が絡んでいるらしいのだが、俺もその正確な理由は知らなかった


「俺の手腕?」

「ああ。ちょっと厄介事が起きてな…新井組とやりあわなきゃならないハメになりそうなんだが、出来ればそれを回避したい」

「…葛西、ですか?」


ハァ…ッと、大きなため息と供に真哉がそう言った

昔から頭の切れる奴で、そういう所が気に入って小さい頃から可愛がり、真哉もよく懐いてくれていたのだが…

さすがに敏腕弁護士だけはある
その言葉だけで俺の考えをある程度読んだらしい


「さすがに話が早いな。お前のそういう所、好きだぞ?真哉」

「タチ同士だと分かってても、真柴さんにそう言われると…ちょっとグラッときちゃうから困るんだよなぁ」

「タチ同士…か、俺はお前の本質はネコ気質だと思ってるんだがな」

「あれ?それじゃぁさっきの言葉は本気の口説き文句ですか?うわ、どうしようかな」


クスクス…と屈託なく真哉が笑う
まったく、油断も隙もあったもんじゃない
いつの間にやら話がすり替えられている


「…真哉、」

「…はいはい、分かってます。葛西でしょ?でも俺、葛西に借りを作るのは嫌なんですよね」

「心配するな、借りにはさせん。交渉だ」

「交渉?」

「関東進出に力を入れてるS銀行は知ってるな?」

「ええ、大阪に本店がある銀行でしたね。それが?」

「最近そこと、うちの会社と付き合いが長い地元の相互銀行とが合併することになったんだが…その事で相談を持ちかけられてるんだ」

「相談…?どんな?」

「もともと資本のでかいS銀行だ… 地元の相銀との合併を機に一気に関東に支店を増やしたいらしい。だが…」

「相銀は今、どこも地元のヤクザに蝕まれて抜き差しなら無い状況…立て直しを計るにはその連中と切れる事が必須条件。なるほど、その関東系ヤクザを一掃する手助けを葛西組に…と、そういうわけですか」

「…さすが。話が早いな」

「ですが、それで葛西を動かすには…」


真哉が思案気に眉根を寄せた

確かに関東を基盤にする相銀を取り込めれば、葛西の関東進出の大きな足がかりになる
だがそれは、地元ヤクザを一掃出来れば…という仮定のもとで…だ
逆に返り討ちにあう可能性もある…真哉が慎重になるのも当然だった

だが、俺がそれを想定せずに話を持ちかけるはずもない

その事に思い至ったのだろう…
訝しげな表情になった真哉が、俺を真っ直ぐに見つめ返してきた


「…真柴さん、その相談”どこ”から持ちかけられたんですか?」


思わず口元に笑みが浮かんだ
真哉なら気がつくだろう…そう思ってこの話を持ちかけたのだから


「…”上”だよ」

「”上”?…ったく、国がヤクザに介入を頼むなんて、世も末ですね。銀行なら大蔵省ってとこですか?」

「さあね…俺は知らんよ。けど、まあ、資金の確保はもちろんの事、一介のヤクザが金融関係のトップに堂々と会える…って言うのは確かだな」

「ああ、ハイハイ分かりましたよ。そうですよね、そんな事公に出来るわけない。それじゃ、そのままを葛西に伝えますよ。上手く行けば葛西のバックについてる飯沼代議士も中央省庁の閣僚入りも可能だ…ってね。で、その仲介の見返りは何を?」

「うちの組には手を出さないことと、新井組の末端に塚田組ってのが居る。そいつを潰して欲しい」

「…分かりました。じゃ、話がついたら連絡します」

「ああ、頼んだぞ」






そんな会話を交わした数日後には、俺の仲介を通してS銀行と地元相銀の合併が正式に発表された

葛西とは極秘の裏取引になるだけに、直接のコンタクトは避け、全て真哉を通して話を付けた
手を回したのが俺だとばれないように塚田を潰す確約も得、直接手を下す必要もなくなった

それからしばらくして、塚田の下っ端から端を発した葛西とのイザコザにより、塚田はそれまで確立していたクスリのルートをことごとく葛西に潰され、急速にその勢いを削ぎ取られていった

上納金の上がりが悪くなった上、葛西との騒動で度々クスリのルート追求のために摘発され始めた末端など、バックについている新井組からすればガン細胞…いつ上に飛び火してくるかも分からない疫病神だ

そうなってくれば、いつ切り捨てられ縁を切られても不思議じゃない

見切りをつけた組員も散々し、組としての存続も危うくなっていた

これで光紀に火の粉が降りかかる事も無いだろう…そう思い始めていた矢先、携帯が珍しい着信音を響かせた
そのメロディは、一人息子である涼介からのものだった

仕事が忙しくて、なかなか構ってやる事が出来ず、伊東や組の連中に任せっきり…だ

滅多にかかってくる事のない相手からの電話に、一抹の不安と嬉しさを感じながら電話に出た


「涼介か?どうし…」

「みっちゃんを助けて!!」


俺の声を遮るようにして、涼介の今にも泣き出してしまいそうな声が響き渡る

みっちゃん…?と、一瞬誰の事か分からなかったその名前が、伊藤から聞いていた、偶然光紀と知り合った涼介が呼ぶ光紀の名前だと思い当たって、血の気が引いた


「っ、光紀がどうかしたのか!?」

「また母さんみたいに死んじゃうの?俺、もう嫌だよ!」

「!!」


そこまで言って限界のように、涼介がしゃくり上げる様にして泣き始めた
俺は焦る気持ちを必死で抑え、何とか言葉を続けた


「涼介、そこに伊藤は居るな!?代われ!」

「…っ、うん」


伊藤の声が聞こえる前に、俺は社長室のドアを蹴破る勢いで飛び出していた




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