野良猫
ACT 21(光紀)
「…何かご用ですか?」
警戒心に満ちた声音と眼差しでバカ丁寧にそう言って、前に立つ男と背後に立った二人の男を交互に見据えた
背後に居る男達は、如何にもチンピラ風な出で立ちで…感じる気配からしても大した腕じゃない
二人がかりで来られても、まず負ける気はしない
だけど、こっちの…前に一人で立っている男
こいつは要注意だ
黒いサングラス越しからでも分かる視線の鋭さ、痩せぎすな体から漂う爬虫類並にゾクッとくる冷たい気配
こいつは、かなりヤバイ
頭で考えるより先に総毛だった肌が、それを裏付けている
思わず、リョー君とやっこちゃんの腕を掴んだ指先に力がこもった
「…へ…ぇ?」
俺と真正面から対峙した恰好になった男が、不意に手を伸ばして俺が掛けていたダテ眼鏡を取り払った
とっさに避けようとしたけど、両手が塞がっていたせいで避けきれず、『しまった、こいつは…!』と思ったときにはもう遅かった
その俺の顎を掴んで上向かせた男が、マジマジと俺の顔を覗き込み、ニヤリ…と薄い唇の端を上げた
「誰かと思えば、俺のシマ内で派手に暴れてくれてた美少年君じゃないか…写真で見るより綺麗だねぇ」
心の中で激しく舌打ちした
こいつが、塚田!
こっちは会った事も見たこともないが、塚田は当然俺の顔を写真かなにかで見知っていたはず
誤魔化せる相手とは思えないが、素直に認める必要もない
「っ、なんのことだ?」
しらばっくれてリョー君とやっこちゃんを掴んでいた手を放し、顎を掴んだ塚田の手を振り払った瞬間、
「何しやがる!?やっこを放せ!!」
というリョー君の怒声が聞こえ、ハッとして振り返ると二人組みの内の一人がやっこちゃんを捕まえて、その顔にナイフを押し当てていた
「やっこちゃ…っ」
「騒ぐとそっちのガキの可愛い顔が二目と見られない顔になるぜ?いいのかい?」
言い放たれた塚田の言葉に、俺とリョー君の動きが止まる
ナイフを頬に押し当てられたやっこちゃんが、小さな体を強張らせつつも気丈に塚田を睨み返していた
さすが、あの一条さんと一緒に暮らしているだけの事はある…並の女の子じゃない
ナイフに怯える事も下手に暴れて相手を刺激する事もなく、大人しく状況を伺っている…そんな気がした
その間にもう一人の男が、横に置いてあった俺の学生鞄から入れてあった学生証を見つけ出し、塚田に向かって放り投げた
「…七里光紀…七里?ハッ!なるほどな、どうりで真柴がお前を庇うわけだ…おい、」
学生証を忌々しげに投げ捨てて踏みつけた塚田が、全身から沸々とした怒りのオーラを発散させ、俺の襟首を掴み上げた
「お偉い大臣の孫で議員の息子さんよ、一つ教えちゃくれないか?どんな取り引きして葛西組を取り込みやがった?おかげで俺はトカゲの尻尾切りだ…この落とし前、どうつけてくれんだよ!?ああ!?」
「な…んのことだよ?俺が知るわけないだろ!」
「はっ!いいねぇ、世間知らずのお坊ちゃんは呑気でよぉ!夜遊びした挙句の尻拭いは全部親まかせってか!?
ふざけんなよ…お前のおかげで俺は何もかも失った挙句、疫病神扱いされて新井組からも追われるハメになっちまった!」
その塚田の言葉に、俺は思わず呟いていた
「尻拭い?親まかせ?冗談、俺は何も…」
「甘ったれんなよ、このクソガキ!ヤクザにケンカ売っといて何にも知りませんでした…ってか!?おおかた俺に目を付けられた事を知った真柴がお前の親に忠告でもして、助ける代わりに目障りだった俺の組を潰すよう取り引きでもしやがったんだろうよ!何しろ真柴とお前のとこの親とは、今度の知事選挙絡みでずい分と仲が良いみたいだからなぁ!」
「な…っ!?」
驚愕の表情になった俺を見た塚田の口元に如何にもバカにしたような笑みが浮かび、哀れんだような口調で言った
「はっ!ホントに何も知らねぇのかよ?だいたい、ヤクザが何の見返りもなしに人助けするわけねぇだろ?お前は利用されただけなんだよ。
何しろそのおかげで真柴は当選確実の現知事と結託して、土地開発建設の権利と利益を独り占め出来るんだからな!」
…うそ…だろ?
一瞬、目の前が真っ暗になりかけて…かろうじてそれに耐えた
俺は、そんな事何も知らない
でも、今度の知事選挙で現知事が再選すれば、父親が今度出馬する選挙で有利になる…そんな話は漏れ聞いていた記憶がある
知事選挙で焦点になっているのが土地開発で、それが祖父が推進している空港整備のためのものなのだということも…
そこに祐介の…真柴建設が関わっていたとしても、不思議じゃない
だって、この辺の主要な開発を請け負っているのは真柴建設なのだ
絡んでない…なんて、そんな事絶対にありえない
だけど
じゃあ
祐介とのあれは…全部、俺を利用するために過ぎなかったというのか?
俺を助けたのも、あんな風に優しい声で俺の名前を呼んでくれたのも、全部…?
「…っ、う…そだ!誰がそんな話信じるかよ!祐介さんは…」
塚田の手を振り払いながら叫んで、思わず口走ってしまったその名前にハッと口を噤んだ
けど、こいつがそれを聞き逃すはずがなかった
「ゆうすけさん…だって?へ…ぇ?」
ニヤリ…と塚田の口元がこれ以上ないほどの歪みをともなって、ゾッとする笑みを浮べた
「腹いせに真柴のガキをめちゃくちゃにしてやろうかと思ってたんだが、気が変わった…。
お前が大人しく俺の所に来れば、真柴のガキには何もしねぇ
。どうする?そのガキの身代わりになるか?」
「ッ!?」
「なに言ってやがんだよ!?お前は真柴組に恨みがあるんだろ!俺が狙いなら俺だけ連れて行けば良いじゃないか!やっことみっちゃんは関係ない!!」
「うるせぇぞ!ガキは黙ってろ!!」
俺の背後で叫んだリョー君に塚田が怒声を響かせると同時に、学生証を放り投げてきた方の男がリョー君の腹に容赦ない足蹴りを食らわせ、呻いたリョー君が土手の斜面に突っ伏した
「やめ…!」
思わず一歩踏み出した俺に『大人しくしねぇと、こっちのガキが傷物だぜ?』と、やっこちゃんを捕らえた男がその白くて柔らかい頬にナイフの先を滑らせて、薄っすらと赤い筋を刻む
やっこちゃんは微動だにせず目を見開いて、『行っちゃダメ!』と、俺に視線で訴えていた
だけど
やっこちゃんを人質に取られている以上、反撃する事も叶わない
俺が行かなければ、リョー君が連れて行かれる
リョー君は俺は関係ない…と言ったけれど、それは逆だ
そもそも、俺が塚田のシマでケンカ売るようなバカな真似をした…それが原因
リョー君には何の関係もない
それに
もしもやっこちゃんやリョー君に何かあったら…一条さんや祐介が悲しむ顔が容易に浮かぶ
けど、俺は…俺に何かあったとしても、誰かが悲しむ顔が全然思い浮かばなかった
だったら、何を迷う?
例え祐介が本当に俺を利用しただけだったとしても、俺にそれを責める資格は無い
自分の家がどんな家系の家で、親の持つ権威や威光がどれほど周囲に影響を与えているか…嫌というほど知っていたはずなのに
それを祐介に当てはめて考えようともしなかった…俺がバカだったのだから
祐介のせいでも、誰のせいでもない
こうなってしまったのは、塚田の言うとおり世間知らずでお坊ちゃんだった…俺自身のせい
思わず込み上げてきた自分自身への嘲笑に、口元が歪んだ
「…俺が行く。だからその子達に手は出すな」
「クク…、けなげだねぇ?自分を利用した奴のガキだってのによぉ?ああ、それとも…」
言いながら俺の肩に手を廻して引き寄せた塚田が、耳元で囁くように言葉を続けた
「…忘れられないほど良かったのかなぁ?」
「ッ!?」
思わず顔を背けてギリ…ッと唇を噛み締めた
俺のその反応を楽しむように、塚田の低い笑い声が耳元でこだまする
塚田に肩を組まれたまま、土手の上に止まっていた車の方へ歩き出した…その後から、まだ苦しげな色を滲ませたリョー君の声が聞こえてきた
「…っ、み…ちゃん…っ!!」
「おらっ、塚田さんが車に行くまでお前は大人しくしてな!」
「っ、クソ!手ぇ離せ!!みっちゃん、なんで行くんだよ!みっちゃんは関係ないだろ!!」
振り返ると、男に地面に押さえ込まれたリョー君が必死に顔を上向けて叫んでいて…俺は堪らず言い募っていた
「そうだよ、関係ないんだ。だから、気にしなくていいよ」
「なっ!?そういう意味じゃないじゃんかよ!」
「言ったろう?ネコが死んだのはリョー君のせいじゃないって。それと一緒だよ、俺もネコだったみたいだ」
「なんだよそれ!?みっちゃんはネコなんかじゃないだろ!それに、一緒にネコみたいな犬探すって、約束したじゃないか!」
「…ネコを信じちゃダメだよ、リョー君」
「ぃやだっ!!」
「リョーく…」
「一緒に捜せって言っただろ!勝手に約束破らせないからな!」
「っ、」
返す言葉が出てこなかった
子供らしい、状況を無視したこの上ない身勝手なワガママ…
子供のくせに、あきれるほど傲慢な命令形…
なのになぜか憎めない
なぜか、その言葉が心に響く
人を惹きつける意志の強さ、一度信じた人間を絶対に裏切らないだろう…その気性
どんな大人になっていくんだろう?と、その先が見たくて堪らなくなってくる
こういうのが、カリスマ性ってやつなんだろうか?
「お喋りはその辺にして、とっとと行きな!そのガキもいいかげん黙らせろ!」
イラだった塚田の言葉に、リョー君を押さえ込んでいた男がリョー君の顔を地面に押し付けて口を封じてしまう
塚田に急かされて車に乗り込もうとした時、背後から聞こえた車のエンジン音に振り返ると、二人が居る場所めがけて黒塗りの車が突っ込んできたところだった
「チッ!真柴組か!」
そんな塚田の声と同時に首筋をしたたかに打ち付けられて、目の前が真っ暗になった
そのまま車の中に押し込まれて、意識がなくなる直前
「…みっちゃん!!」
ずっと遠くで…
祐介と同じ響きを持つ声が、俺を呼んだ気がした
祐介と同じ、手の届かない…すごく遠い…声、だった