野良猫
ACT 22(祐介)
「クソ…ッ!!」
吐き棄てた言葉と共に、白い壁を思い切り叩きつけていた
「…真柴、いいかげんにしろ」
妙に冷静な声音でそう言った一条が、診療所の棚から消毒薬やらガーゼやら取り出している
涼介からの電話ですぐさま現場に向かったものの、塚田は逃走、残ったチンピラ二人を締め上げて塚田の潜伏しそうな場所を聞き出し、全てシラミ潰しに当たったが、その行方を掴むことは出来なかった
塚田が涼介を狙うかもしれない…その危惧はあった
だから、伊藤達もいつも以上に警戒し、学校の行き帰りにも若い奴らを張らせていた
だが、急に増強された身辺警護の理由を涼介に詳しく話してはいなかった
光紀との事を話せるわけもなく、変に邪推されない為にも、光紀と知り合った涼介に会いに行くな…とは言えなかったのだ
結果、いつも以上に自由のない毎日に嫌気が差した涼介は、一条の寺にも姿を見せなくなった光紀を探して、張っている若い連中の尾行を頻繁に撒くようになっていたらしい
そこに、つけ込まれた
涼介に持たせている携帯には、GPSを付けてある
不意に姿が見えなくなっても、最終的には見つけ出せるのだが…どうしても誰の見張りもついていない空白の時間が生じる
その間に、偶然光紀とやっこちゃん、涼介が揃ってしまったのだ…不運としか言いようがない
投げ捨てられていた光紀の学生証から見て、塚田に光紀の正体がバレた…と踏んで間違いない
涼介の身代わり…と称して光紀を連れ去ったということだから、計画性があっての事じゃない
けれど、親である新井組からも厄介者扱いされて追われるほどに追い詰められているのだ
どこかへ高飛びして身を隠そうにも資金はなく、匿ってくれるようなツテもないはず…
そうなるように仕向けた俺はもちろんの事、恐らく結託していると思われているのだろう…七里議員に何かしらの要求を突きつけてくると考えるのが自然だ
光紀を無事に帰す気もサラサラないだろう
一刻も早く塚田の居場所を突き止め、光紀を取り返さなければ…!
そんな気持ちが先走って、つい、塚田の行方を探し回った先で荒っぽい行動に出てしまった
それを聞きつけた一条が現れたかと思うと、有無を言わせず俺を車に押し込め、この診療所も兼ねた寺へと連行されて…今に至っている
「…ったく、ほら!そっちの手、見せろ!真柴!」
「え、手?」
なんで手なんて?怪訝そうにそう問い返すと、一条が呆れ顔で俺の右手を掴み上げた
掲げ上げられた手の拳には、大小さまざまな傷がつき、うっ血や出血だらけになっていた
「…っ!?いつの間に…」
「このバカヤロウが!自分の立場も考えずに派手に立ち回りやがって…少しは頭冷やして考えろ!
お前がそうやって必死になってるのを塚田が知ったら、無事に帰ってくるもんも帰って来れなくなるだろうが!」
「あ…っ、」
一条のその言葉に、ハッと我に返った
頭に血が昇っていて、そこまで考えが廻らなかった
俺が焦って派手に立ち回れば、それは塚田にも伝わってしまうはず
俺にとって光紀は特別なんだと、大声で言い廻ってしまったのと同じだ
「ま、やっちまったもんはしょうがねぇが、お前は肝心な事を忘れてやしないか?あの美少年が拉致られたのは塚田の気まぐれであって、もともとは涼介を狙ってのことだろ。
今のお前が一番問題視しなきゃならんのはそっちの方、拉致られかけた事に変わりはねぇんだから、そのおとしまえはつけなきゃならん…違うか?」
「っ!?」
手早く治療を済ませ、仕上げの包帯を巻き上げながら、一条がニヤリ…と不敵な笑みを浮べて続けた
「つまり、お前の知らないところで涼介と知り合いになっていた美少年が、涼介を庇って身代わりに拉致られた…って事にすれば、お前との関係なんぞ関係なく七里議員とも話し合いが出来るし、塚田のバックについてる新井組とも手打ちと称して借りが作れるはずだ。そうすれば新井組も塚田の居場所探しに動くだろう?」
「…一条、お前ホントにヤブ医者にしておくには惜しい奴だな」
「ヤブだけ余計だ!とにかく、一刻も早く助けだしたいなら、使える手は全て使って情報を集めろ。一人で暴れたって何の解決にもならん。それと…」
思案気に眉間に深いシワを寄せた一条が、言いよどんだ様に言葉を切った
「?それと…なんだ?」
「塚田が現れたタイミングが都合よすぎたのが気になってな」
「…組内に塚田と通じてる奴が?」
「ああ、でも…塚田んとこは台頭してきたばかりだったし、噂に聞く範囲じゃそんなS(スパイ)を潜り込ませるほどの器量がある奴とも思えないしな」
「…塚田に情報流して利のある奴なんて居るか?」
「あくまで可能性だが、ないとは言いきれん。用心して動けよ」
「…分かった」
そんな会話が、携帯の呼び出し音で遮られた
かかってきた相手は影司で、知事からいつも使っている料亭にすぐ来るよう電話があった…ということだった
おそらく、塚田から何かしらの要求があったのだろう
やはりな…と、一条と頷き合ってから俺はその一条からの忠告を胸に寺を後にした
馴染みの料亭に着くと、そこに知事は居らず、直に会うのは初めてだったが、写真などでは見知っている光紀の父親、七里邦弘議員が居た
噂で聞く限りでは、大臣である親の七光り…というだけでなく結構なやり手らしい
実際、土地開発での裏取引などは全て知事とその周辺を動かし、何かあった時上に居る自分には一切被害が及ばないように立ち回っている
なにしろ大臣の息子だ…子の不始末は即、親の失脚にも繋がるのだから、その用意周到ぶりは当然だろう
だから、部屋の襖を開け、中に七里議員本人が一人で居たことには、少なからず驚いた
当然知事を通して代理か何かを立てて来るものとばかり思っていたからだ
「お待たせして申し訳ありませんでした。初めてお目にかかります、真柴です」
その驚きで一瞬目を見開きつつも、態度は冷静を装って襖の外である廊下に座して深々と頭を下げた
「そんな所では話も出来ない、どうぞ中の席に…」
聞こえてきた声音には議員特有の威圧感は微塵も感じられない
『では、失礼致します』と後手に襖を閉め、勧められるままに対面の席に座った
初めて面と向かい合い、視線を合わせる
テレビなどで煩雑に見かける父親である大臣と、その面差しがよく似ていた
特に、顔つきは柔和な雰囲気を漂わせながらも、その双眸に宿る油断のならない眼差しが
光紀とはお世辞にも似ているとは言えない無骨な顔つきからして、光紀は母親似で母親はかなりの美人なのだろうと推して知れる
俺の顔や態度をひとしきり観察するかのような視線の後、七里議員がス…ッと欅に漆塗りの光沢が眩しい机の上に一台の携帯を差し出してきた
「これは…?」
「家政婦が見つけた光紀の携帯だ。郵便受けに入っていたそうだ」
視線で許しを得て携帯を開いた途端目に入った待ち受け画面に、思わず軋むほどに携帯を握りしめてしまっていた
そこにあった画像は、両手両足を縛られ口にはガムテープを張られた光紀の姿だった
縛られている片方の腕の袖が、捲り上げた後のように乱れているのに気が付いて、思わず唇を噛み締めた
間違いない、塚田の奴、光紀にクスリを使っている…!
予想していたとはいえ突きつけられた現実に、却って頭の中がクリアになった
塚田が流していたクスリは即効性のある強いクスリだけに、中毒に陥る危険性が高い代物だ
下手に動いて手間取っている暇はない
背景に映っているのはどうやら車の後部座席らしく、居場所の手がかりになりそうなものは写っていなかった
「それが郵便受けに入れられる前に、その携帯から家に電話が掛かってきて、空港建設計画から真柴建設を外せと言ってきたそうだ」
「な…っ、」
「どういう事かね?」
問いかけてきたその表情からは、それまでのどこか柔和な雰囲気が消え去り、感情を押し殺したかのような無表情が浮かんでいる
ただ…見据えてくる双眸だけが、微塵のウソも許さないといわんばかりの威圧感で俺を真っ直ぐに捕らえていた