野良猫










ACT 32(祐介)








ドスドス…と廊下を戻ってくる一条一人分の足音に眉根を寄せた。


「…一条、光紀は?」

「もう、帰らせた」

「な…!?お前…明日から滅多に会えなくなるって分かってて、そういう事するか?」

「そーだな、お前、絶対朝まで帰さない気だったろう?」

「…悪いか」


そう言って睨み返すと、至極真面目な顔つきの一条の目とぶつかって、思わずつられて顔が引き締まる。


「…なんだ?」

「あいつの望みどおり、刺青は彫ってやるつもりだ」

「なんだと?!おい、ふざけるのも大概に…」

「ふざけてなんかねぇよ」


抑えた低い声音で一喝した一条が、ス…ッとメモリーカードのような物を差し出してきた。


「?これは?」

「…現場にあったビデオのメモリーだ」

「!?」

「あいつがどんな目にあったのか…お前は知っておく必要がある」

「…お前は、見たのか?」

「…知らなきゃ、一緒にあの中毒症状を抑えられやしねぇよ」

「他の奴は?」

「居るとでも思ってるのか?」


憤慨したように言った一条に、『すまん』と素直に謝った。
他の誰にも見られることなくここにそれがあるのは、一条の素早い判断と指示があったからこそ…だろう。


「それを見りゃ、俺が承諾した理由も分かるだろ。あいつが…ここに泊まらなかった理由もな」


そう言った一条が再生用のビデオ機を置いて、部屋を出て行った。
きっちりと、部屋の戸を全て閉め切って…。









数時間後、一条が部屋に現れた時、俺の前には原型を留めないほど破壊されたビデオ機と、メモリーカードの残骸が転がっていた。


「おーおー、このバカ力が。俺だってそこまで出来ねぇぞ。人の家の備品だと思って思い切りぶっ壊しやがって…!後で請求書送りつけてやるから覚悟しとけ」


そんな言葉と共に俺の前に胡坐をかいて座った一条を、俺はジロッと睨みつけた。


「…さっき、光紀を連れ出したのは、傷痕を確認する為か?」

「そうだ」

「どんなにひどくても、消せないほどじゃないだろう?」

「消すと思うか?あいつが」

「っ、」


一条の言葉に、返す言葉を失った。

そうだった。
光紀は、絶対に逃げない。
受けた傷を戒めにして、前へと進む。

強い。
誰よりも、きっと。

だからこそ。

常に側にいてやらなければいけない。
倒れかけた時、支えてやらなければいけない。
安心して眠れる場所を与えてやらなければいけない。

光紀が望み続ける限り。
光紀が俺を殺すまで。

最初から俺に拒否権などなかったんだ。


「一条、光紀と同じもの、俺にも彫れ」

「なに命令口調で言ってやがる、偉そうに。そういう時はお願いするもんだぞ、普通」

「なんだ?土下座でもしろって言うのか?そんなもんでいいならいくらでもするぞ」

「ったく!どこまで偉そうなんだ、お前は!いらねぇよ、そんなもん。気持ち悪い。その代り、同じものは彫らねぇ、彫るのは対の鳳凰。お前が雄であいつが雌。
鳳凰ってのは自らをその炎で焼き、その灰の中から再び生まれ変わる…永遠に。お前、死んでからも離れられねぇぞ?それでも良いか?」

「望むところだ」


ずっと側には居てやれない。
常に支えてやる事も叶わない。
安心して眠れる場所になってやることも難しい。

それでも、あの孤高の野良猫は、俺のものだ。
他の誰にも触れさせやしない。

一目見て、俺のものだと分かるように。

俺以外の奴が触れる事は決して許さない…その印。
俺を殺して良いのは光紀だけだという…その証。

光紀の望みは、俺の望みだ。




その日から、俺は仕事を終えた夜中に。
光紀は夏休みの間に。

彫り上がったその背中を見た時、俺は一条の腕の良さを素直に賞賛した。

背中に負った、影司に刺されたあの傷痕を鳳凰の目に仕立てたそれは、俺が今まで見たどんな刺青よりも優美で、迫力に満ちていた。

早く光紀の背中に彫られた対の鳳凰を見たくて仕方なかったのだが、俺と光紀の立場の差と接点のない日常では、会うことさえままならない。
携帯でのメールのやり取りが関の山だった。

そんな時、偶然あのWホテルの従業員…TAKANOというネームプレートで名前をしっかり覚えていた男と、再会した。

以前から、その型に囚われない自由な発想を気に入って仕事を依頼していた…新進気鋭のフラワーデザイナー・西圭吾(にしけいご)の連れとして。

TAKANOこと高野弘明(たかのひろあき)と西が付き合い始めたのは最近で、高野は西と俺とが仕事で付き合いがあった事も全く知らなかったらしい。

その高野がWホテルからNホテルへ、フロントマネージャーとしてヘッドハンティングされ移動したという。
西のフラワーデザイナーとしての才能は確かだと思っていたが、Nホテルに引き抜かれるなど…連れである高野も俺が名前を覚えただけの事はある、ホテルマンとしてかなり有能なようだ。

Nホテルといえば官僚や著名人がパーティーや披露宴によく使用する、国内でも随一のサービスを誇る老舗のホテルだった。

つまり、光紀の祖父や父親とは馴染みが深いが、俺とは一介の客として以外何の繋がりもないホテル。
俺と光紀が偶然鉢合わせしたとしても、なんらおかしくない場所。

俺はその場で高野に、Nホテルの一室を週末年間予約出来ないか?と持ちかけた。
急な申し出だったにもかかわらず、デラックスダブルという申し分ない部屋を押さえられた…と連絡をもらった時には、人の縁というものに感謝せずにはいられなかった。

おかげで俺と光紀は、いつどこで…というあからさまなメール内容も必要なく、土曜の夜その場所で会う事が出来る。
お互いに行けない時だけ『行けない』という、一言メールでの断りを入れればいい。

光紀にそれをどうやって伝えようかと思っていた矢先、新政党発足に伴う発足祝い立食パーティー(何のことはない、政治資金集めのパーティーだ)が、Nホテルで行われる事になり、俺もその招待を受けた。

そこに名を連ねていた議員の中に、先の衆議院選挙で当選した七里議員の名もあった。
光紀も、議員の息子として挨拶がてら出席する…という。

しかも日時は土曜の夜。

これ以上望むべくもない、願ったりな機会だった。






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