野良猫
ACT 4(祐介)
「・・・光紀」
そう、耳元でその名を呼んで耳朶を口に含む
「・・・ぁ・・・っ」
小さく息を詰めた気配
深く合わせた指先に力がこもって、握り返してくる
はっきりって、抱かれる事は嫌がるだろう・・と思っていたから、正直、驚いた
敢えて言わなかったけれど、この香りの成分には、媚薬の効果も含まれていると言っていた
気持ちを穏やかに解放し、素直に官能を追える精神状態になれる・・・と
思春期の不安定な精神治療なんかにも使われているらしい
まさかそれが、こんな場面でその効果を発揮するとは思ってもみなかったけれど
耳朶を食んでいた唇を、うなじへと移動させる
色素の薄い色合いの髪は、根元から柔らかで
それが染めているわけでなく、地毛の色なんだと教えてくれた
左腕の包帯に触れないように細心の注意を払いながら、絡み合せていない方の手で、ゆっくりとその胸元のラインを辿る
時々触れる、小さな傷痕
身体の血のりを拭いた時に初めて知った、その鍛えこまれた体つきと、実戦で鍛え上げてきたんだろうしなやかな筋肉
女かと見間違うほどの端整で繊細な美貌・・・
一見すると不釣合い・・・だとも思えたが、恐らくは、その美貌のせいでその身を守るために、そうならざる得なかったんだろう
誰に縋るわけでもなく
誰に頼るわけでもなく
外敵から己を守る術を身につけた・・・安易に触れられることを良しとしない孤高の野良猫
そんな存在が、今、自分の下で組み敷かれているなんて、なんだか信じられない
初めて光紀を見たのは、半年くらい前
その時も5人を相手にあっという間に蹴散らして、何事も無かったかのように立ち去って行った
どう見ても10代で
服装や雰囲気からいって、堅気の子だと容易に知れた
最初は
ただ単に珍しくキレイな顔の、腕っ節の強い奴
たまたま売られたケンカを買っただけの、二度とお目にかかる事もない奴
そんな風にしか思っていなかった
だけど
それから何度も光紀を見かけるようになった
見かける度、いつも光紀はケンカばかりしていた
まるで
自分自身を痛めつける事でしか、生きている実感を得られないかのように
抜き身の刀のような危うさと、
負けるくらいなら死んだ方がましだと言わんばかりの気位の高さ
ピンッと張り詰めた、細い糸の様だと思った
いつどこで切れてもおかしくない
そんな脆さが垣間見えて
気になって仕方なくなって、いつしかその姿を求めて視線がさすらうようになっていた
そして出くわした、あのケンカ
あのまま放っておいたら、相手と刺し違える様な自殺行為をしかねない・・・と感じて、思わず助け舟を出してしまっていた
ここ数日、塚田のシマ内で派手にケンカを買いまくって、連中に目をつけられている・・・と分かっていながら
助ける事は、塚田の連中とのゴタゴタを一層激化させる・・と分かっていながら
気がついたら、倒れかけた血だらけの光紀を抱きとめていた
とにかく、ケガの手当てをしてやらなくては・・・!
それ以外、何も考える余裕など、なかった
ケガの手当てをしたら、もう二度とこんな世界と関わり合いになるな・・と説教の一つもして帰してやろうと思っていた
なのに
クスリのせいだと分かっていても、覗き込んできた・・・その濡れた瞳
息を呑むような、全身から滲む色気
男をその気にさせるのに十分な、手慣れているとしか思えない雰囲気
その、あまりに手慣れた仕草と言動に、なぜだかムッとした
光紀くらい美形で派手だと、その性癖と”タチ”か”ネコ”かくらいの情報は、噂ですぐに知れる
普段”タチ”なくせに、こんなにあっさりと”ネコ”になる事を受け入れるのか?
相手が誰でも、そうやって誘うのか?
それとも、そういう行為もまた、自分を傷つける為の手段の一つに過ぎないのか?
と、
なぜか苛立つ自分が、そこに居た
その時に、初めて自覚した
叶うなら
それ以上、自分を傷つけないで欲しい
俺以外、他の誰かに抱かれるなんて事、してほしくない
この、孤高の野良猫を飼い慣らしてみたい・・・!
と、
そう思っている自分を
だから
名前を聞かれて、迷うことなく本当の自分の名を言った
そして
光紀がその名を告げた時、その名は嘘じゃないと感じた
だから
「・・・光紀」
もう一度その名を耳の奥に注ぎ込んで、その目を覗き込む
濡れて妖しい輝きを宿すその眼差しが、『・・祐介さん』と、俺を挑むように見上げてきた
口調は生意気だけれど、キチンと俺の事を年上と認識し、さん付けで呼ぶ辺り、育ちの良さが窺える
着ていた服もその辺の安物なんかじゃなかった
おまけに
組み敷かれてはいても、それがどうした?と言わんばかりの表情で、その口元が薄く笑いかけてくる
「抱かれてもいい・・って言ったけど、油断してると形勢逆転するかもよ?」
そう言い放たれて、思わず苦笑が洩れた
どうやら女王様だと思ったのは、間違ってなかったらしい
「・・・そうならないように努力するよ」
そう言って、その生意気な唇を塞いだ
普段は”タチ”なのだと言っていたことを裏付けるように、光紀の方から舌を差し込んできて俺の口腔を犯してくる
さすがに『形勢逆転するかもよ?』と言っていたとおり、その愛撫は手慣れたものだった
けれど、
そんな程度で形勢逆転など、ありえない
主導権を渡す気など、サラサラなかった
胸元を辿っていた指先で、その小さな胸の突起を摘み、こね回す
「・・・んっ!」
途端に光紀の眉間にシワが寄り、口腔を犯す舌先がその動きを止めた
これ以上、好きにさせる気はない・・・!
とばかりに逆にその舌を絡めとり、吸い上げて、引きずり出して甘噛みする
「・・っ、ん・・・っ、・・・ぅ」
息苦しさを抗議するように逃げを打った唇を、構わず深く貪った
温かで柔らかな粘膜の隅々まで、触れ合わなかった場所がないほどに
どちらがどちらの体温か、どこまでが自分の肉体の一部なのかすら分からなくなるほどに
溶け合い、混ざり合うまで
多分
クスリと香りの成分も効いていたせいだろう
最初は少しばかり強張っていた光紀の身体が弛緩して、見上げてくる瞳からも攻撃的な色合いが消え去っていた