ヴォイス






ACT 1









声・・・人や動物が発声器官を使って出す、音


人が生まれてくる時に


”生きている”


その、証しとして、誰もが一番最初におのれの存在を他人に示す、もの

誰もが持つものだから、それだけでは逆に

顔も、性別も、ましてや性格も

全然分からない


なのに


ただ、その声だけが鼓膜を震わせ、記憶に刻み込まれる


周りにあふれる


幾千、幾憶もの声の中で


その、声だけが













「高木(たかぎ)!」


受験シーズンもひと段落着き、後は卒業を待つばかり・・・という高校3年の冬
4時限目の授業が終わり、各々が弁当を抱えてざわつき、ごった返す教室の中


その声に
その声のした場所に
正確に


高木健人(たかぎけんと)が迷う事無く振り返った


「あ、久我(くが)!今、行く」


大急ぎで仕舞いかけの教科書を鞄に突っ込み、高木が机の中から弁当箱を引っ張り出して、その声のした場所へ駆け寄った

窮屈な授業から解放されたばかりの昼休み

久我は、その名を呼んだくせに、廊下の窓から遠い目をして空を見上げていた

教室のドアから、幅にして約4メートル足らず

その向かい側の壁に背を預け、顔を横向けて窓の外を見つめるその身体は、たくさんの生徒であふれた廊下の片隅で、ともすれば埋もれてしまうほど、華奢で小柄だ

身長175センチの高校3年・男子としては平均より少し高めな身長の高木に比べ、久我は160センあるかどうか・・・という微妙なライン

身体は小柄だが、久我は集団の中で人目を引いていた
その髪が金色に染められているからだ

だが

高木が久我を見つけるのは、そんな容姿で、ではない

遠い目をしていた久我の瞳に焦点が戻り、その金髪に似合ったすっきりと整った顔立ちが、正面に・・高木の方へと向けられる


「遅ぇぞ、高木」


その、声

高木が久我の存在を認識するのは、この、声で、だ


「悪い、久我!日直で黒板消しててさ」
「罰としてコーヒー牛乳な」
「は?うそ、ほんの数分じゃん!」
「え?なに?カレーパンも付けてくれんの?高木、太っ腹ー♪」
「っな・・・!」


ケラケラ・・と笑いながら、まるで悪びれた風もなく言い放った久我が、グイッと背の高い高木の襟首を掴んで引き寄せ、その耳元で囁いた


「お・ね・が・い!高木君?」


不意に変わった声のトーン

それは、高木が一番弱いトーンの、艶めいた久我の声
その声で、高木が一番感じやすい耳元に、久我がそれと知ってその声を落とす

「っ!!」

思わず目を見開いて真っ赤になって固まった高木を置いて、頭の上で手を組みながら久我が歩き出す

「じゃー俺、先に行ってっから!ちゃんと購買で買ってきてくれよなー」

今度は、いつもの・・・久我の声

中性的で、透き通った、声だけ聞くといつも女と間違われる・・・という、久我の、声

「っ、久我ぁ!汚いぞ!そういう手、使うなって・・・!」

ハッと振り返った高木の視線の先で、頭の上で組んだ手を一瞬外し、ヒラヒラと頭上で振った久我が、振り返りもせずに再び人波に埋もれていく

はぁ・・・っと、ため息を吐いた高木が、「・・・ったく!何で俺は久我の声に弱いんだ・・・!」と、呟きながら購買部へと駆け出して行った







久我と高木は高校3年間、一度として同じクラスになった事がない

そればかりか、県下で唯一の美術学科・・・という事もあって、入学してくる者達の出身地はバラバラで、ほぼ全員が初対面

高木もまた、他の地域から母親の実家で居候をしつつ美大受験のために、この学校へ進学してきた一人だ

同じクラスか同じ部活・・・にでもならなければ、顔も名前も知らずに卒業・・・なんて事もザラ

そんな中

昼休みに流れる校内放送で、高木はその声と出会った
昼休みのBGMとしてポップな音楽をかける間に流れてきた、DJ風な曲の紹介とノリの良い喋り

中性的で、澄み切っていて、まさに鈴が転がるような声音・・・!
耳に心地良く響くその声に、高木は昼食を食べる事さえ忘れて、思わず聞き惚れた

どこの誰かも分からない
中性的で透明感のある声は、男か女かさえ判別不能
どんな顔でどんな性格かも全く分からない

しかも

その声で流れた校内放送は、その一回きり
その後は全く違う声で、それきり、高木はその声を見失った

たった一度聞いただけの、声

その声が、どういうわけか鮮明に耳に残り、どうしても忘れられない記憶になってしまっていた


どうしても、もう一度あの声が聞きたい


いつしかそんな想いを抱くようになった高木がその声を見つけたのは、ある日、部活として入った美術部での部活を終えたときだった


「久我!!聞いてるのか!?」
「・・・・・・・」
「久我っ!!」


帰り際、高木が自転車置き場から出ようとしたとき、ちょうど裏手にあった生徒指導室の方から聞き覚えのある怒声が聞こえてきた


・・・・・あ、この声、生徒指導の浮田だ・・・!


生徒指導の浮田(うきた)・・・頭髪が薄いので、みんなから陰でバーコードとかハゲとかウッキーとか呼ばれている
たしか、校則がゆるい学校にもかかわらず、結構そういう事にうるさくてウザい先生だ・・・と、美術部の先輩達から聞いた記憶があった


「・・・だから、俺は絶対染め直したりしませんから!」


関わり合いになるのはごめんだ・・・とばかりに自転車のペダルを踏み出そうとした高木の足が、ピタッと止まった


・・・・この、声!?


思わず、声のする方へ振り向いた

ちょうど生徒指導室のある建物から、その声の主と浮田が出て来たところだった


「せめてもう少し色を何とかしろって言ってるだけだろう!」
「嫌です!俺、この色、気に入ってるんですから!」
「いくらなんでも派手過ぎだ!」
「俺、派手好きなんです!じゃ、さよーならー!」


薄っぺらい鞄を肩に担ぎ上げた・・・金髪の小柄な男・・・!


・・・・こ、こいつ!?こいつが、あの、声の・・・!?


その派手なビジュアルと、浮田の怒声を気にもかけず、軽くかわす陽気な物言い
中性的で、透き通るような声・・・の実像に、高木は驚きでしばし茫然とその金髪を見つめてしまっていた


「久我!待て!まだ話は・・・!」


そんな浮田の声が聞こえたかと思ったら


「・・・げっ、しつこい・・・っ!」


あの声が、すぐ側で聞こえ・・・た瞬間


「おいっ!早く出せ!!」


ズンッとばかりに荷台が重くなり、その久我と呼ばれた金髪男が、駆け寄ったそのままの勢いで高木の自転車に飛び乗っていた


「えっ!?」
「ばかっ!早く行けって!お前も捕まるぞ!」
「はあっ!?」


何で俺が!?高木がそう言い返す間もなく、すぐ後ろから聞こえた浮田の怒声


「久我ーッ!!」


「っ!?う、うっそだろ!?」


浮田の怒りの表情と迫力に気圧された高木が、思い切りペダルを踏み込んだ


「いっけー!追いつかれるぞー!」


荷台の下にある出っ張りに足をかけた久我が器用に立ち上がり、高木の肩に手をかけて叫んでいる


「ばっ・・!しっかり捕まってろ!振り落とされたって知らねーぞ!」
「オッケー!ぶっ飛ばせー!」


高木の肩口を握り締めた久我の声が・・・ずっと捜し求めていた、その声が、高木の耳元近くで反響する


・・・・うわっ、間違いねぇ!この、声だ!


高木の背筋にゾク・・ッと、何とも言えないものが湧き上がる

そのまま高木は、久我を乗せたまま全速力で夕焼けに染まる校舎と浮田の怒声から逃走したのだ




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