ヴォイス
ACT 16
「く・・・が・・・?」
思い切り打ち付けた後頭部の痛みに耐えながら、下敷きにされた高木が、その、今まで見たことのない久我の怒りに満ちた表情を食い入るように見つめている
掴まれた肩を、久我の指先が痛いほどに握りしめてくる
見つめてくる久我のやり切れなさを滲ませた瞳に、高木がただ唖然として目を瞬かせた
「っ、久我?なに?いったいどうし・・」
わけが分からない・・という風に困惑の表情を浮かべた高木に、久我の表情が一瞬歪み、その胸元に額を押し付けて・・・何かを呑み込むかのように、深呼吸する
「・・・っんで、こんな時期に風邪引くんだよ!?これじゃボイス収録できない!」
「・・・へ!?」
「もうちょっとだったのに・・!なんで、待ってくれなかったんだよ・・・!」
「・・・え?」
自分の胸に額を押し付けて言い募る久我の金色の髪を間近に見つめながら、高木が一瞬その語尾に眉根を寄せる
・・・・・・・・待ってくれなかった?
なんだ?
なんか、言ってるニュアンスが・・・
感じた疑問を高木が口にするより早く、久我がゆっくりと身体を起こして高木の上で四つん這い状態になる
「・・・な?さっき、うつしたほうが早く治るって言ったよな?」
身体を起こしても、顔は項垂れたままなので長めの金色の髪がその顔を覆い隠していて、高木からは久我の表情は見えない
囁くように言った久我のその声は、相変わらず風邪のせいで掠れて低くて・・・いつもの久我の声とは大違いだ
「・・・うん?」
「じゃぁさ、もう一回協力して。俺の風邪が早く治るように」
「・・・え?協力・・・って・・・?」
目を瞬いた高木の目に、床の上についていた久我の手があてがわれ、その視界が遮られる
・・・・・・・・えっ!?これって、まさか!?
ハッと、久我がしようとしていることに気がついた高木が、慌ててその腕を伸ばして久我の身体を突っぱねる
「ちょ・・っ!」
「俺の声がこのまま治らなかったら、嫌だろ?」
「そ、そりゃ・・・!」
「だったら、ジッとしてろ・・・!」
「けど、く・・・・っ!」
更に言い募ろうとした抗議の声を、重なった久我の唇が塞いでしまう
高木の視界は久我の手で覆われていて、何も見えない
見えない分、合わさった久我の唇の温かさと柔らかさに神経が集中する
ふわ・・と香ってきた、さっき食べたミカンの香り
侵入してきた舌先から伝わる、ミカンの甘さ
思わず拒もうとして突っぱねたはずの腕が、その甘みにあっけなく力を失う
もともと、それを拒もうという意志のない高木だけに、久我が与えてくれるキスする理由を自分の中の言い訳にして、絡んでくる甘い舌を味わってしまいそうになる
だけど
今の、この、キスは
今までみたいに芝居じゃない
リアンがユリウスにしているわけじゃない
久我が、高木に、仕掛けている、キス
それなのに・・!
久我は高木の視界を塞ぐ
まるで、何かを高木から隠すように
・・・・・・・・なんで!?
どうして、隠すんだ!?
俺に見られちゃマズイ事でもあるのかよ!?
それとも
ホントの相手は俺じゃない・・・!?
ハッとあることに思い至った高木が、グ・・ッと両腕に力を込めて久我の唇を引き剥がす
勢いでバランスを崩しかけた久我が両手を床に着き、高木の目を覆っていた障害物がなくなった
一瞬合わさったはずの久我の目が、慌てたように高木の真っ直ぐな目から反らされる
その、一瞬捉えた久我の目に滲んでいたモノ
どこか陰りのある罪悪感
見られたことに対する後悔
直感で、高木がそれを感じ取る
「・・・誰だよ?」
自分のものとも思えない低い声が、高木の口から流れ出る
「なんのこ・・・っ!?」
視線を反らしたまま、とぼけようとする態度がアリアリの久我を、ガバッ!とばかりに起き上がった高木が、今度は逆に久我の身体をベッドの上に押し付けた
「た・・かぎっ!?」
「誰かって聞いてるんだよ!」
「っ!?」
「俺じゃねぇだろ!?お前がキスしてる相手!芝居の時だってそうだ!ユリウスなんかじゃない!
”ゆーちゃん”とか言うお前の”初恋の人”じゃねぇのかよ!?」
久我の両肩を押さえつけた高木が、込み上げてきた怒りそのままに久我を真上から見下ろして言い募る
ハッとした様に目を見開いた久我の瞳が、それが間違っていない事を高木に確信させた
「・・・そ・・れ、誰に・・・!?」
「藤井から聞いた!小児喘息で入院してたんだって?そん時からずっと好きなんだろ!?そいつの事が!
なに?俺はそいつに似てるか何かか?
俺はそいつの身代わりかよ!?」
言い募る高木の言葉に、徐々に久我の表情が強張っていく
見開いていた瞳に、その表情に、言い知れぬ冷たさが宿っていく
「・・・ああ、そうだよ!俺はずっと”ゆーちゃん”が好きだよ!
ずっとずっと・・・今まで一時だって忘れた事なんてない!」
言い放たれた言葉に、高木が唇を噛み締める
掴んだ久我の両肩を骨が軋むほど握りしめながら、高木が言い放った
「じゃあ、俺はお前の何!?なんで人見知りの激しいお前が、俺に声かけてきたんだよ!?
あれも芝居か!?友達作りの練習のためか!?
のってきた俺に合わせて芝居を続けてただけなのか!?」
藤井と話をした時にはっきりと明確になった、疑問
気がつくと・・・どこか遠くを見ていた久我の視線
ずっと、見て見ない振りで
気がつくことを、問いただす事を、恐れていた、コト
「・・・友達なんかじゃない」
「え・・・?」
「お前は・・・最初から友達なんかじゃなかったよ!」
「な・・・、」
「お前が悪いんだ!何にも気がつかないお前が!お前さえ、気がついてくれれば、俺だって・・・!」
「っ、もう、いい!!」
久我の言葉を遮って叫んだ高木が、掴んでいた肩を解き放って立ち上がる
「どーせ俺は鈍感でバカで、絵を描く位しか何の取り柄もない男だよ!さぞかしからかい甲斐があって面白かっただろ!
もういいよ!気がつかなかった俺が悪いんだからな!」
言い捨てた高木が自分の鞄を掴むと、振り返りもせずにドアを叩き締めて部屋を出て行く
駆け下りるように階段を降りていく足音の後、玄関ドアを荒々しく出て行く音が、ベッドの上で微動だにせず天上を見つめている久我の耳に、こだまする
その、
ジッと天上を見つめていた久我の両目に、みるみるうちに涙が溜まり、ツ・・・・と両頬を流れ落ちていく
不意にガバ・・ッと起き上がった久我が、机の上に置いてあったミカン入りの容器を掴んだかと思うと、思い切り、ドアに向かって投げつけた
ガツン・・ッ!!
鈍い音を立てたそれが、中味を撒き散らしながらドアを少しくぼませただけで、割れることなくゴロゴロ・・・と、久我の足元へと返ってくる
まるで
捨てきれない未練そのままに
「・・っんで、気がつかないんだよ!気がつけよ!高木のオオバカヤロウ・・・!」
項垂れたまま叫んだ久我の指先が、根元が黒くなりかけた金色の髪をグシャリ・・ッと握りしめていた