王子とボディーガードとマジシャンと。

 

 

 

ACT 1

 

 

「・・・そ・・ら」

かすかに聞こえたその声が、同時に軋んだベッドのスプリングの音に掻き消され、埋もれていく

「・・・北斗?」

柔らかな白いシーツの中にまるで埋もれるように身じろいだ漆黒の黒髪に、無駄のない筋肉で覆われた逞しい褐色の腕が廻され・・そのサラリとした髪の感触を楽しむようにかき上げた

かき上げられた髪の下から現れた乳白色のすべらかな頬に、幾筋かの涙の跡が伝っている

その涙の跡を、髪をかき上げた骨ばった褐色の指先が拭い去る

「また・・宙(そら)の夢を見たのか?」

ギシ・・ッと軋んだ音と共にその腕が黒髪のすぐ側で埋もれるように肘をつき、髪をかき上げられて露わになった耳元に囁きかける

その拍子に黒髪にかかった、目の覚めるような美しい金色の髪

くせのない真っ直ぐな金糸の髪が、拭われた頬の上に滑るように落ちかかる

そのくすぐったい感覚に・・

耳元に囁かれた言葉に・・

涙で濡れていた長い漆黒のまつ毛が揺れた

「・・・ア・・ル?」

ゆっくりと悲しい夢から覚めた黒曜石のような瞳が開かれる

いまだ乾いていない透明なしずくが、その瞳から零れ落ち・・その名を呼ぶために開かれた口元に流れ込む

その涙の塩辛さを知り、再びその瞳が力なく閉じられた

「・・・悪い、また泣いてたんだな・・」

「構わない。お前がそうやって涙を流せるのは心を許している証だからな」

金糸の髪の間から覗くライトブルーの瞳が、滅多に見せない優しい色を浮かべて細まる

肘を上げ、アルが北斗の肩に手をかけてシーツに押し付け、その背中に顔を寄せた

「この傷ごと、お前は俺のものだから・・・」

一瞬、垣間見えたその北斗の背中には見る者を驚かさずにはいられない、無残な古い火傷の傷跡が刻まれていた

その傷跡を愛しむかのように、アルが傷に沿って唇を這わす

途端に北斗の全身に震えが走った

「・・っば・・か、やめろって!アル、お前・・ほんとに物好き・・・っ」

「それはお互い様だろ?」

ク・・ッと喉で笑ったアルの腕や背中にも、大小さまざまな傷跡が刻まれている

思わず背を弓なりに仰け反らせた北斗の顔も、その背に唇を寄せるアルの横顔も、どちらもすこぶるつきの美形顔で・・

まさかその身体にそんな傷跡が刻まれていよう等と、一体誰が予想しえるだろうか

「・・・思い出すな・・この傷に初めて触れたときの事を・・」

アルの唇が移動するにしたがって、そのサラリとした金髪が北斗の背中を撫で付けていく

アル以外に触れさせた事のないその背中は、傷跡のせいで与えられる刺激には敏感で

そのくすぐるように撫で付けていく髪と這う唇の感覚は、北斗の身体にゾクゾクとした言い知れぬ官能を植え付ける

その官能を堪えるように、北斗の細く繊細な指先がシーツを握り締め・・その口がうそぶいた

「そ・・んな事、覚えてるのはお前ぐらい・・だ・・っ!」

「マジシャンは人を騙すのが仕事だが・・今のは上手くない嘘だぞ、北斗」

「よく言う・・っ最初に騙したのはアルの方・・・」

「よく覚えてるじゃないか」

「っ!?」

グイッと北斗の身体を反転させて組み敷いたアルが、朱に染まった北斗の顔を真上から間近に見下ろした

「本当に覚えてるのは俺ぐらいか・・?」

北斗の瞳に映るのは

不敵な笑みを浮かべた間近にあるライトブルーの瞳とそれを彩る金色の髪、そしてそれを一層映えさせるアンバランスな褐色の肌の色

そしてアルの瞳に映るのは

闇夜を映す濡れ羽のように潤んだ漆黒の瞳とそれと同じ色を湛えたしなやかな黒髪、そしてその闇色を一層際立たせる白磁のような乳白色の肌理細やかな肌の色

北斗の細く繊細な指先が、その金糸と褐色の肌の頬に触れた

「・・ったく!百戦錬磨のボディーガードには、どのみち勝ち目なんてない・・か」

艶を含んで潤んだ漆黒の瞳が細まり、マジシャンの指先が金糸の髪を絡めとりながらその首筋を這う

「・・・いいや」

ライトブルーの瞳を一層細め、アルがその漆黒の髪に唇を寄せてゆっくりとうなじに降りていく

「マジシャン・北斗には完敗だ・・・」

あの時と同じ言葉と同じ動き・・

北斗とアルの脳裏に5年前の出会いの日の出来事が、鮮やかに甦っていった

 

 

 

 

 

 

 

「・・・父さん、ここ、なに?凄すぎ・・!!」

12歳、小学6年生の浅倉 七星が、その傍らに立つ父親・・今や押しも押されぬ大スター、世界的マジシャン・北斗となった浅倉 北斗に問いかける

その横に居並んだ、10歳、小学4年生の金髪碧眼・浅倉 麗と、赤茶の髪と瞳によく日に焼けた褐色の肌の浅倉 流

そして七星の手をしっかりと掴んで離さない8歳、小学2年生の七星と同じ漆黒の髪と瞳の浅倉 昴もまた、それぞれに驚きの表情で周囲を見回している

それもそのはず

日本出国の時から既に、専用チャーター機が用意され・・・

飛行場に降り立ってからは専用のリムジンに出迎えられた上、乗車してからは飲み物まで出されながらたどり着いたその先が・・!

砂漠の中のオアシスに燦然と建造された、本物の、アラビアンナイトの夢物語の中に出てくる宮殿そのもの!

産出される石油で巨万の富を所有する大富豪の王族

確かに、そんな話を北斗から聞かされていた4兄弟ではあったが、そのスケールの大きさと豪華さには、ただただ唖然とする以外なかった

「・・ああ。確かに、凄すぎだな・・これは」

ハァ・・ッと浅くため息をついた北斗もまた、実を言えばこの中近東の中でも並ぶ者のいない大富豪のアラブの王族・・ファハド国王所有の私邸に来たのは初めてだったのだ

都市にある近代的な住まいもまた、目を見張るばかりの大豪邸ではあったが・・

こんな砂漠の真ん中のオアシスに、御伽話しに出てくるような大宮殿とさながら小さな町並みまで完備されたその私邸の豪華さと、スケールの大きさには目眩すら感じてしまう

北斗とファハド国王との出会いは、地中海クルージングでの豪華客船内で行われた北斗のマジックショーがきっかけだった

その北斗のマジックの虜になった国王が、北斗のスポンサーを申し出て・・それを北斗が受けて以来の付き合いになる

国王の強力な資金援助により、北斗の公演は一気に世界中にまたがるものになっていき・・

今や押しも押されぬ大スター「マジシャン・北斗」として世界中を公演して廻るほどになっていったのだ

だが、そのおかげで

日本に残してきた北斗の家族・・・

4人の子供達とは離れ離れの生活を余儀なくされる結果になっていた

その事を不憫に思ったファハド国王が、北斗の家族・浅倉家4兄弟を夏休みを使っての家族旅行と称して、その豪華な私邸に招待したのだ

宮殿の門には銃器を掲げた兵士が門番のように仁王立ちしていて・・・

その豪華さに見合った警備の厳重さももまた、安寧とした日本での暮らししか知らない4兄弟にとっては、驚きの連続だった

フカフカの歩くことすら躊躇するような豪華な絨毯の上を案内され、何処まで歩くのか・・と突っ込みたくなるほどの距離を歩いた後、ようやく大きな広間にたどり着いた

その玉座とも言うべき中央の豪華な椅子に、アラブ独特の民族衣装を身に付けた恰幅の良いファハド国王がゆったりと座り

その周りを囲むように、一夫多妻制の許された国ならではの大勢の妻達が、肌を露出することを許さない厳格な掟のもと、黒いベールで全身を覆い、わずかに垣間見えるその瞳の美しさからそれぞれが飛びぬけた美女であろうことを容易に想像させながら、整然と居並んでいる

「・・な、麗、なんであんなに女の人がいるんだよ?」

赤茶の大きな瞳を、そのあまり見慣れない衣装と独特の雰囲気に何度もまばたきをしながら、流が隣に居る麗に聞く

「この国は一夫多妻制っていって、一人の男の人が何人もお嫁さんをもらっていい事になってるんだよ。だから!」

10歳ながら、既に大人びて聡明兼備な麗が滞りのない答えを返す

「ふ〜〜ん・・なんか、大変そうだな・・アラブの王様って・・」

それでも興味が尽きないようで・・

流がクルクルと大きな瞳を輝かせて、その周りにある豪華な調度品や護衛の兵士、妻達の召使らしき部屋の壁沿いにひざまずいている使用人へと視線を移していく

その間に、国王と北斗の通過儀礼的なお礼の言葉とその返答の応答がなされ、一人一人の妻達の紹介へと進んでいく

その妻たちの中で、王様のすぐ横に立っていた第一夫人らしき女の黒いベールの影から、ヒョコッと流と同年代くらいの男の子が顔を出し、4兄弟と北斗を興味深げに眺め始めた

その男の子と流の視線が交錯する

視線がぶつかり・・しばし相手を目踏みするように互いの全身を眺め回す

すると

その男の子の口の端が上がり、いかにも下の者を見下すような目つきで流を見返してくるではないか

ムッとした流が、気に入らないとばかりにプイッとその男の子から視線を外し、歳の順に並んでいたせいで流の横に居た昴に何事か囁き、退屈していた昴と共にクスクス・・と小さく笑いあった

その流の様子に、男の子の顔にあからさまに怒りの表情が浮かぶ

それとほぼ同時に、国王の口からその男の子の正体が明かされた

「・・・そしてこれが、ようやく生まれた我が跡継ぎ、ハサン。ハサン、北斗達に挨拶を・・」

国王が、その大きな手でハサンの腕を引っ張り、自分の真横に立たせた

国王と同じく、カーフィアと呼ばれる白い長いベールのような布をヤスマグと呼ばれる黒い輪で頭に固定した、全身白尽くめの民族衣装を身につけた第一王子、ハサン王子がその気の強そうな瞳を真っ直ぐに流に向けた

褐色の肌に黒い大きな精悍な瞳

生まれ持っての生粋の王族の血を感じさせる、その整った容貌

上に立つ者のみが持つことを許された、独特の人を圧倒する雰囲気

それを既にこのハサンは持ち合わせていたと言って過言ではない

「ファハド国王の息子、第一王子、ハサンだ。この名を呼ぶことをお前たちに許可する」

幼いながらも威厳に満ちたその声と王族としての誇りとプライドを誇張する、その物言い

北斗がにこやかな笑顔を浮かべて王子の下にひざまずき、頭を垂れた

「お許しを頂き、ありがとうございます。ハサン王子。子供達はまだこの国の文化や習慣に慣れてはいません。いろいろとお気に触ることもあるかと思いますが・・どうぞ寛大な目でお許しをいただきたく・・」

ハサンと北斗がこの時交わしていたのはアラビア語で・・

国王と北斗が交わしていたのは英語だった

4兄弟も幼い頃は北斗と共にいろんな国を渡り歩いた経験もあり、英語は既に日本語と変わらないくらい習得している

他にも何ヶ国語かは・・日常会話程度なら困らない、というほどにその子供独特の柔らかい能力で得てきていた

ただ、アラビア語に関しては、初めての国だけに北斗以外誰も、いまだ習得してはいない

「それともう一つお願いがございます。できれば英語で話していただけると・・子供達も王子の言葉を理解できるのですが・・・」

柔らかい物腰で、間近でその北斗の美貌から放たれる笑顔を注がれて・・まず見とれない人間はいない

ハサンもまた、一瞬見とれていたその視線を慌ててそらし、その顔を朱に染める

「・・わ、わかった。では、お前たちに合わせてやる・・!」

そう答えた王子の言葉は英語になっていた

その言葉の意味と、その口調に、流が更にムッとした表情でハサンを睨みつける

(なんだ!?こいつ!!俺と大して変わんない年恰好のくせにえらそうないい方しやがって・・!)

その視線にハサンも気がついたのか・・

睨みつけてくる流の視線に対抗するかのように、ギロリとその王族独特の見下す視線で流をにらみ返していた

 

 

 

「気にいらねーぞ!!あの俺様王子!!」

まるでホテルの超豪華スィートルームか?と、見まごうばかりの部屋を与えられた他の3兄弟がだだっぴろい部屋の中を探検している間・・・流はそんな気も起こらなくて北斗を捕まえて言い募っている

「だいたい、なんで北斗もあんなガキンチョに頭下げたりするんだよ!?」

プンスカと怒り心頭の様子の流に、北斗が苦笑いを返す

「るーいー?ここは日本じゃないんだよ?その国々によって習慣も違えば、守らなきゃいけない規律も違う。それに、ここではあちら側が主人で、こちら側は客だ。客には客の守らなきゃいけないルールと最低限のマナーって物があるだろう?」

「そ、そりゃ・・そうだけど・・。でもさ、ここは公演舞台じゃないじゃんかよ!!客だのなんだの、関係ないじゃんっ!

なおも食って掛かる流に、北斗がその赤茶のくせ毛を優しく撫でつけた

「じゃあ、たった今からここは公演舞台だ。だから流もピエロを演じる気になっていればいい。招待といっても、これは北斗が北斗として受けた仕事の一つだからね」

その答えに、流がハッとして北斗を見つめ返す

「・・・北斗も・・そうなの?ピエロになりきってるの?だから・・・?」

「そうだよ」

笑顔でそう言いきる北斗に、流も笑顔を返す

「わかったよ。じゃ、俺も思い切り楽しむことにする。北斗の仕事だもんね!」

そう答えた流が、七星たちの後を追いかけて奥の部屋へと走っていった

その後姿に、北斗の口からため息が漏れる

本当は子供達の夏休みに合わせて日本へ帰国するつもりだった北斗を引き止めたのは、ハサン国王からの公演依頼だった

流が気に入らないと言った、あのハサン王子の10歳の誕生日が、明後日

そのハサン王子自らの、突然の、たっての依頼だった

その公演準備と次の仕事のために、帰国が出来ない状況に陥ってしまったのだ

子供達と夏休みには帰国すると約束していたから・・と、どうにかして王子の依頼を断ろうと努力はした

けれど

相手は大事なスポンサー・・そしてその大事な息子からのたっての依頼だ

おまけに明後日の10歳の誕生日パーティーで、王位継承権のあるものに贈られる指輪の継承式と言って、王家の儀式の中でも重大な意味合いを持つ儀式が執り行われる事になっていた

そんな大事な場での公演依頼である

無下に断ることなど・・到底不可能

北斗側の事情を知った国王が、それならば・・と、歳も近い北斗の子供達を国王がハサンの誕生日パーティーに招待したのだ

あの物言いときつい気性からも察せられるように・・ハサンにはまだ歳の近い友人が居らず、それを気にかけての国王の配慮だろうとも知れた

それでも

おかげで子供達とこうして一緒にいられる時間ができたことは事実

公演が無事に終わり、次の公演依頼地に出発するまでのほんの数日ではあるが、出来れば子供達にも楽しんで欲しい

そう思っての、流への言葉だった

それに・・・

あの幼さで既に王位継承者としての教育と躾、同じ年代の子供達と遊ぶことすら出来ないハサン王子の日常を、北斗は良く知っていた

ピエロを演じるといったのは、王子の誕生日を心から祝い、楽しんでもらうため

出来れば4兄弟にもハサンのことを理解してもらい、友達になってほしかった

北斗は仕事が終わればマジシャンでいなくてすむ

けれど・・ハサン王子は王子としての仮面を脱ぐことが許されない

一生、演じ続けなければならないのだ・・王子としての役割を

それをホンのひと時でも忘れ、子供らしい笑顔を取り戻させてやりたい・・

それが今回受けた、北斗の大事な仕事なのだ

一通り部屋の中の探検を終えた4兄弟が、北斗の座っているソファーの元へ戻ってくる

それを見計らったかのように、北斗がおもむろに立ち上がった

「よし、じゃ、今度は外へ探検に行ってみようか!」

「うんっ!!」

4人が同時に嬉々とした歓声を上げる

「あ、ちょっと待ってて!」

流が言って、スーツケースの置いてある部屋に駈け戻り、何かを抱えて帰ってきた

「お待たせ!」

流が抱えて帰ってきたのは・・・サッカーボール!

それを見た途端、七星があきれた顔で言い放った

「流!お前・・あれほど置いてこいって言ったのに!いつの間に荷物の中に忍び込ませたんだ!?」

その七星に、昴が可愛らしく「はーい」と、手を上げる

「えへへ〜、流に頼まれたから、僕の荷物の中に入れてあげたの!」

にこにこと答える昴に、麗が聞く

「昴、流に何をもらった?おおかた一昨日のおやつあたりか・・・?」

「麗ってばよく分かったね!そうなの、イチゴのショートケーキマルマルもらったんだ!」

「・・・つまり、サッカーボールが入ったスペース分、昴の持ってこられるおやつが減ったってこと・・・」

「わっ!?わーー!余計なこと言うなよなっ!麗!!」

麗の言葉に、流が慌ててその口を塞いだものの、時すでに遅く

昴がハッとした顔つきになって流に詰め寄る

「そういえばそうだ!流、僕のおやつ分、今度返してもらうからね!」

「ほんっとに!食い意地の張った小猿だな・・!」

「小猿じゃないもんっ!流のばか!!」

今にもじゃれつき・・もとい、突進していきそうな勢いの昴の首根っこをヒョイとつまみあげた北斗が、そのままドアを開け放つ

「せっかくサッカーボールがあるんだ。サッカーの出来そうな場所を探そうか!」

「探すーーー!!」

叫んだ昴が北斗の手を逃れ、大理石の廊下を駆け出していく

他の3人もその昴の後を追いかけて駆け出して行った

同じくその後を追って歩き出した北斗が、廊下の途中でその足を止めた

「・・・お役目ご苦労様です。ハサン王子は中庭ですか?」

北斗が問いかけたのは、その廊下の中庭に面した側の柱の影

そこに目深にカーフィアを被り、身を潜めるようにして中庭を見つめている男が居た

「・・・ああ」

短く返された低い声音

いつも目深にカーフィアを被り、つかず離れずハサン王子を見守っているボディーガード

北斗も顔すら見たことはなかったが、国王が最も信頼を置いているボディーガードだという話は聞いたことがある

返されたその低い声音に軽い会釈を返し、北斗が中庭の方へと歩いていった

真ん中に噴水のある中庭は、建物のほぼ中央に位置していてかなり大きく、どの部屋からもすぐにその庭に出ることが出来る

そしてそのあちこちに銃器をカーフィアの裾の中に隠し持った兵士が立っていて・・・明後日に行われる儀式の重大性を物語っていた

その庭の片隅で、4兄弟がボール遊びに興じている姿を、柱の影からハサン王子が見つめていた

「・・・王子?」

いきなりかけられた北斗の声に、ハサンが驚いて振り返る

そのハサンの眼前に突き出された北斗の指先がぱっと開かれ、その手の中に何もないことを誇示したかと思うと、次の瞬間その手の中から鳩が飛び出して青空へ羽ばたいていく

「う・・わっ!すごいっ!何処に隠してたんだ!?」

つまらなそうにしていた横顔が一転し、ワクワクとした顔つきになったハサンが、北斗の手を取り、シゲシゲと眺め回している

「それは企業秘密です」

おどけた仕草で一礼を返した北斗が、ハサンに手を差し伸べる

「王子、ここに手を重ねてください」

「?ここに?」

伸ばされた北斗の手の上に自分の手を重ね・・ハサンの顔が期待に膨らんでその黒い瞳が輝いている

「今、王子が一番望むものをお出ししますよ・・!」

そう言った北斗のもう片方の手が、何処からともなくハンカチを取り出し、その重ねられた手の上にかけられる

「望むもの・・!?」

ハサンが呟き終わるかどうか・・という間に、そのハンカチが北斗の手ごとフワリとどけられる

途端に

ズシッ・・とした重みが加わり、その手の中にサッカーボールが出現した・・!

「ええっ!?」

驚き過ぎて固まったハサンの元へ、そのサッカーボールの所有者である流が駆け寄ってくる

「北斗!ボール取るなよな・・!!」

ブツブツとぼやきながら北斗に近寄り、柱の影に居たハサンを見た流が顔を硬くし驚きの声を上げた

「・・っ!?お・・まえ!?」

ハサンの方も流が近くに来た途端、そのワクワク顔を一変させ表情が硬くなる

そのハサンの後で、北斗がにこにこと笑っていた

ハア・・ッと息をついた流が、突然ハサンの手からボールを奪ったかと思うと、その腕を掴んで歩き出す

「っ!?な、何をする?!無礼者!!」

いきなりの流の行動に心底驚いたハサンが慌てたように言い募り、引っ張る力に抗おうと足を突っ張る

けれどそんなハサンのささやかな抵抗を物ともせずに、流がずんずんと3兄弟の居る方へハサンを引っ張っていく

「無礼者で悪かったね!俺はサッカーがしたいの。まさか・・サッカー知らないなんて言わないよな?」

流が挑発的な視線と言葉をハサンに投げる

「し、知っている!それくらいのこと・・!!」

「じゃ、問題ねーじゃん。一緒にやろうぜ、サッカー!あ、それとも俺とやる自信ない?俺、言っとくけど上手いから!」

「なっ!?誰が自信がないだと!?」

売り言葉に買い言葉・・・

気がつけばハサンは4兄弟に混じってサッカーに興じ始めていた

七星と麗、流とハサンがそれぞれ組んでボールを奪い合い、昴がそんな二組を横から応援している

普段は静かで子供の声など滅多に聞く事もないであろう宮殿内に、5人分の元気の良い子供の声がこだまする

日本語、英語、アラビア語・・様々な言葉が飛び交いながら・・久々にハサン王子が楽しげな笑い声をあげるのを、護衛の兵士たちが目を丸くして見つめていた

 

 

 

 

その夜

長旅の疲れと遊び疲れが出たのだろう・・・

食べきれないほどのご馳走を食べ、北斗たちの部屋へハサンも一緒になってやってきて北斗の披露するカードマジックに夢中になっているうちに・・いつの間にか5人ともウツラウツラ・・とそれぞれにソファーやクッションに寄りかかりながら夢の中へ入り込みつつあった

・・・が

その5人の中で唯一、七星だけが眠い目をこすりながら起き上がる

「ん〜〜〜・・麗、流、昴ー!寝るんならベッドに行かなきゃダメだぞ・・!」

きっと一番気疲れして、眠たいのは自分だろうに・・・七星はいつでも自分を後回しにする

その性格と面倒見の良さは、七星の母親・・宙(そら)譲りだ

そんな七星を見つめる北斗の瞳が、微妙に揺らぐ

傍らで寝入ってしまっている昴の肩に掛けた七星の手を、北斗が掴んでソッと止めさせた

「七星、いいよ起こさなくて。後で運んでおくから・・それより、七星に見せたかったものがあるんだ。おいで」

唇に指を押し当て、「他の子供達には内緒だぞ?」と囁いて北斗が七星をルーフテラスへと連れ出す

砂漠独特の気候のせいで、昼間のうだるような暑さとは裏腹に、夜間は肌寒ささえ覚えるほどで・・

けれどそのおかげで空気は乾燥し、頭上に広がる満天の星空が放つ煌く宝石のごときその輝きは、日本で見るそれとは似て非なるもの・・!

「う・・わ・・っ!!何、この星!?いつもの倍以上の星が光ってるよ!!父さん!!」

北斗と共にテラスに出た途端、北斗の見せたいものがなんであるかを理解した七星が、そのテラスの端の手すりまで駆け寄って驚きの歓声を上げた

日本に居る時も、七星は兄弟に隠れて部屋の窓からよく星を見上げていた

その切り取られた四角い小さな宇宙・・それが七星に許された唯一の星空だったから

その理由を最も知る者・・

いや、その原因を作り上げてしまったその張本人・・北斗もまたその星空を見上げる

七星、麗、流、昴・・この4人ともに、ある事情で母親が全員違う

けれど家族として一緒に暮らしている都合上、それぞれの母親の事に関して一切触れない・・というのがいつの間にか暗黙の了解になっていた

だから・・

北斗もまた子供達が一緒に居る前では、決してその名前を口にしたりはしなかった

ただ、七星一人になった時だけを除いて

普段は決して見られない、七星の子供特有のキラキラした瞳が・・降る様な星空を見上げている

七星もまた、この星空を見上げて歓声を上げたり、こんな風に瞳を輝かせるのは北斗と二人きりだからだ

北斗と七星・・その名前は北斗七星からちなんで付けられている

そしてその七星の名前をつけた、七星の母親・・宙(そら)は、星が大好きだった

まだ北斗が有名になる前、マジックショーをしながら各地を点々としていた頃は、よくこんな風に3人で星空を見上げて宙が話す星の話を聞いていた

なけなしのお金をはたいて買ったもらった天体望遠鏡が、その頃の七星の宝物だった

お金もなく、先に何の保証もない、貧しい生活だったけれど、あの頃が一番幸せだったのかもしれないと北斗は思っていた

なにより、宙がいつも北斗の側に居てくれた

北斗を影ながら支え、いつもその穏やかな笑みを絶やさなかった・・かけがえのない存在

その、何にも替え難かった大切な存在を、一瞬にして奪い去った悪夢のような事故

北斗自身も大怪我を負い、その精神的ショックから一時的に情緒不安定な錯乱状態に陥っていた時期があった

あの時の事が・・その星空を見上げる七星の瞳の輝きに、忘れられない罪悪感となって北斗の胸に突き上げてくる

幼いながらに宙にそっくりな性格を受け継いだ七星が、北斗の代わりに兄弟の面倒を見、北斗が世界的に有名なマジシャンになっていくのを支え続けてくれた

七星の、歳に似合わず大人びている所も、自分でも気がつかないまま感情を殺してしまっているその性格も・・全ては自分のせいなのだと北斗にも充分過ぎるほどに分かっている

分かっていながら何も出来ない自分に・・そのもどかしさに北斗が唇を噛み締める

「・・・七星、ごめん・・」

「え・・?」

振り返った七星と同じ目線に、七星の背後で膝まづいた北斗の漆黒の瞳があった

「望遠鏡・・滅茶苦茶に壊して悪かった・・。宙の写真・・全部燃やしてしまった事も・・・それに・・」

言いながら、北斗の瞳の色が見る見るうちに闇の中へと落ち込んでいく

「・・っ!もういいったら!!」

叫んだ七星が北斗の顔を、その小さな腕で抱き抱える

「あの時の父さんは、母さんが死んじゃったせいでおかしかったんだ!だから、謝ったりしなくていいんだ・・!」

その七星の小さな腕にギュッと力がこもる

北斗の瞳を二度と闇の中へ落とすまいとするかのように、七星が必死に言い募った

「もう怖い夢、見てない?父さん強がりで泣けない性格だから・・だから、泣いていいよ?」

その小さな胸にすがることが、七星を一層子供という存在から遠ざけていく事になる・・・

それでも、今の北斗には他にすがるものがなかった

「・・ご・・めん、七星。お前の前でしか・・泣けないから・・!」

そう言ってすがってくる父親の存在が、ある意味、七星の心の支えでもあった

 

 

北斗が事故で、宙(そら)を失った時

その時に北斗の側にいて、その北斗の感情の爆発を受け止めていたのが・・七星だった

その当時、七星はまだ、たったの5歳

そんな子供にどうしてそんな重荷が背負えたのか・・七星自身にも分からない

ただ言えるのは

北斗と宙、二人で各国を旅しながらマジックショーの公演を続けるうちに仲間も得て、マジシャン・北斗としてチームを作り共同生活をするうちに七星が生まれた

そんな定住しない不安定な日常の中で育った七星は、いつの間にか手のかからない、なんでも器用にこなすあまり子供らしくない子供に育っていったという事

そして

北斗がどんなに宙の事を愛していたかということを誰よりも一番理解していたのもまた、そんな二人をずっと見続けてきた七星だったのだ

だから、必死に北斗の支えになった

北斗に宙が大好きだった北斗のマジックを続けてもらうために

 

 

七星の小さな肩にその顔を押し付け、声も無く泣いていた北斗が大きく息をつく

「・・・父さん、母さんが言ってたじゃない。泣きたくなったら星を見るんだって。そしたら一人じゃないって分かるって」

「そうだった・・な。上を見ないと宙に会えない。宙はいつもこの星の中に居るんだったな」

「うん。だから僕、父さんと離れてても平気だよ。麗も流も昴も側に居るし、夜の宇宙(そら)にはいつも母さんが居て父さんの星、北斗七星がいるもん。だけど父さんには誰も側に居ないから・・・だから僕の前でだけ、泣いていいよ。・・・だから、泣きたくなったら会いに来てね?」

そう言った七星に、北斗が涙をぬぐい去り、笑顔になって顔を上げた

「ほんとに、だんだん七星は宙に似てくるね」

「でも、顔は父さんそっくりだろ?」

「うん。父さんの小さい頃そのまんまだ」

砂漠の夜空は、二人だけの秘密を覆い隠す輝きに満ちていて・・二人で密やかに笑いあう

そんな静かな時間を引き裂くように

『・・ヒュゥッ!』

という何かが鋭く空気を切り裂く音

続いてすぐに

『ガシャンッ!!』

と、ガラスの割れる音が響いたかと思うと、あっという間にモクモクと白い煙があたりに充満した

「っな・・に!?父さん!?」

驚いて目を見開いた七星の瞳から、大量の涙が溢れ出る

「痛っ!!なに?この煙!?目が開けられないよ・・!!」

その七星の言葉に、ハッと目を細めた北斗が部屋の中の異変に気がつき叫んだ

「七星、催涙弾だ!そこでじっとしてろ!」

「父さん!?」

七星の涙で霞んだ視界の中で、北斗の後姿が部屋の中へ飛び込んで行った

 

 

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