開かずの間
ACT 2
フイッ・・と手を伸ばした巽が、楽しげに飛び廻っているマリーの体を捕らえて引き寄せた。
(・・キャ・・ッ!?)
「あんまり余計なことを言わないでくれよ・・マリー・・。オレが自分で話すから・・」
(クスクスクス・・本当に・・?巽は嘘つきじゃないけど、時間がかかるのが悪いとこね。私も待ちくたびれたわ・・)
「痛いとこをつくね・・。でも時間が経たなきゃ越えられないものもあるだろう?」
思わず苦笑を浮かべた巽に、マリーが悲しげな表情になって言った。
(・・なのにまだ、あなたはみことに言えないでいることがあるのね・・)
その言葉に、巽の顔が一瞬、強張る。
(だめよ?ちゃあんと言わなきゃ・・。怖がってちゃ同じことの繰り返し・・。私みたいに・・)
フッ・・と幼いマリーの体に成長したマリーの・・醜く朽ち果てて崩れかけた体が重なる・・。
「マリー・・・」
痛々しい表情になった巽に・・再び元の幼い体に戻ったマリーが、寂しげに呟く。
(分かってるの・・。巽がこの家に来てくれて・・私の声を聞いて、あのピアノを弾いてくれた時から・・。本当はもう・・ここには居られない・・)
「じゃあ・・どうして・・?」
クルンッとワンピースの裾を軽やかにひるがえしたマリーが、白いピアノの上にフワッ・・と腰掛ける。
(約束・・したから・・。あの時、巽は何も願いを持っていなかったから・・だから・・)
言いかけたマリーが、パタパタ・・と掃除機を持って部屋へ戻ってきたみことの方へ飛んで行く。
(願いを・・待ってたのよ・・!)
「願いを・・!?」
(そうよ・・!みこと!お掃除手伝ってあげる!)
怪訝な表情の巽を尻目に、マリーとみことが景気良く掃除機を走らせて行く。
マリーが踊るように家具を跳ね上げて、みことがその下を隅々まで綺麗に掃除機をかけていき・・あっという間に部屋に溜まっていた埃が取り除かれ、家具もピカピカに磨き上げられた。
「ほんとに凄いや!部屋中ピカピカだよ!」
みことの素直な賛辞に、マリーが嬉しそうに言った。
(毎朝、歌を歌ってくれたお礼よ。・・ね、みことの歌で私をあっちの世界に送ってくれない?私の願いを叶えてくれたら、一つ、願いを叶えてあげる)
「・・え・・?送る・・って?」
クス・・ッと笑ったマリーの姿がグニャリ・・と歪む。 幼い体が見る見るうちに成長して・・17〜18歳の美しく成長したマリーに変わった。
「マ・・マリー・・?なの・・?」
ビックリ顔でマリーを見つめるみことの目の前で、その美しい顔が・・体が・・急速に痩せ細り、腐り・・ただれ・・崩れていく・・。
「・・・ひ・・っ!?」
思わず後ずさったみことがよろめいて、壁に背をぶつける。
遂には骨だけになったマリーが、その・・自分の骨だけになった体と、ボロボロになった服を・・ただの穴となった目で、見つめた。
(もう・・知っているの。本当の私はこうやって死んだんだって・・。認めたくなくて・・ずっと・・一番幸せだった頃の思い出の中の自分にすがって・・‘あの人’が、ピアノを弾きに帰ってきてくれるのを、待っていたの・・)
フ・・ッと、再び幼いマリーに戻ったマリーが・・ニコッと笑う。
(驚かせてしまってごめんなさい・・。でも、あれが本当の私なの・・。巽にその事を教えてもらって、本当はあっちの世界に行かなきゃいけなかったんだけど、まだ遣り残した事や・・見届けなきゃいけないものが出来てしまったの。だからこの部屋を開ける時だけ眠りから覚めて、巽がピアノを弾いてくれるのを心待ちにしていたの・・)
突然の出来事に驚いたみことだったが、恐らくは・・決して人に見せたくなかったであろう本当の姿をさらしたマリーに、何か・・理由があるんだろうと直感していた。
「ぼ・・僕の歌で・・マリーを送ってあげられるの?」
(ええ、巽のピアノと一緒になら・・)
「巽さんの・・?」
ポーン・・と、ピアノの調律の音が心地よく部屋に響く。
「・・・良かった・・あまり狂っていない・・」
ポ−ン・・ポーン・・と、何度か音合わせをした巽が、おもむろに顔を上げ・・みこととマリーを振り返る。
「約束を・・果たすよ、マリー。歌ってくれるか・・?みこと?お前の鎮魂歌・・」
「・・はいっ!!」
大きく頷いたみことが、フワッと宙に浮かぶマリーの体を抱きかかえて・・巽の座る白いピアノの横に寄り添うように立った。
(みこと?気持ち悪くないの・・?さっきの、見たでしょう?)
何の躊躇もなく自分を胸に抱きかかえるみことに、マリーが驚いたようにその真近にある顔を見つめている。
「どうして・・?どっちもマリーだよ?体は・・ただの入れ物でしょう?中にある魂は、ここに居るマリーだもん。気持ち悪いなんて思わないよ!」
その、みことの言葉に・・ハッとしたように巽が目を見開いて、みことを見つめた。
(・・本当に・・いい人ね・・みこと・・)
呟いたマリーが、みことを見つめている巽に悪戯っぽく微笑みかける。
「・・!?マリー・・お前・・!」
マリーの意図を察した巽が絶句して・・あきれたように苦笑を返す。
(私が聞く最後のピアノだもの・・。迷いのない気持ちで弾いて・・!)
「・・そうだな!」
真剣な表情になった巽が、鍵盤の上に指を滑らせた。
流れ出る音に合わせて・・みことが歌い始める。
その歌声と共に・・胸に抱きかかえていたマリーの体が、暖かな輝きを放ち始めていた。
(・・みこと、願い事は・・なに?)
みことは、歌い続けたままその心の声に答えた。
(マリーの幸せ・・。‘あの人’に会えるように・・)
マリーが驚いたように目を見開く
(どうして!?自分の願いはないの?今まで・・皆・・自分の事しか願わなかったわ・・!)
(あのね・・マリー・・本当の願い・・っていうのは、他人に叶えてもらう事じゃないと思うよ?自分で、叶えるんだ!だからマリーも心から願って。‘あの人’に会いたい・・って。)
(願ったわ・・!ずっと・・願ってた!だけど、あの人は来なかった・・!だから私は・・!)
(大丈夫!あきらめなければ・・もう一度、会えるよ!マリーが生まれかわって、外の世界に抜け出せれば・・!)
(外の・・世界・・?)
(そうだよ。ここに居たんじゃだめなんだ。自分から探しにいかなきゃ!ただ待ってたって・・本当に自分が望む物はやってこない!止まっちゃ駄目だよ、マリー。生まれ変わって、生きて、前に進まなきゃ!)
(・・みこと!?)
(さあ・・!行って!マリー!)
みことが抱き抱えていたマリーの体を、ソッ・・と手放す・・。
サラサラ・・・と、まるで輝く砂の様に、その体が空気に溶けていこうとしたその時・・!
その体を押し留めるように・・無数の人の手が現れてマリーの腕に足に絡みつく。
(・・・ダメ・・私一人では行けない。私の呼び声に引き込まれて・・たくさんの人が死んでしまった・・。この人達を置いてはいけない・・)
(そんな!!)
更に歌う声に力を込めて・・みことが巽を見返した。
巽もまた、そのみことの思いに応えるようにピアノを弾く指に力を込める。
(皆・・皆、自分の願いをあきらめないで・・!大丈夫、きっと願いは叶うから!あきらめちゃだめだよ・・!)
ギュッ・・と胸の前で両手を握り締めたみことの耳に・・巽の弾くピアノの音に重なるように、もう一つのピアノの旋律が聞こえてきた。
(・・・え・・!?)
驚いて見返した巽の横に、もう一つの白い影が現れて・・巽の弾く音に合わせてピアノを弾きはじめる。
巽も驚いたようにその影を見つめ・・そして・・例えようもない優しい笑みをその口元に浮かべた・・。
(巽・・さん・・?笑ってる・・?)
奏でられる旋律に、力強くて・・優しい・・力が加わる。
そして・・歌うみことの声にも、優しい声が重なった・・。
(・・だ・・れ・・?)
暖かい・・白い指がみことの肩を包み込むように抱く・・。
振り返ろうとしたみことの頭を制するように・・白い影がみことの耳元にその顔を寄せた。
『・・願いは・・きっと、叶うから・・』
切なくなるほどに優しい・・女の声がはっきりと、そう告げる。
その・・言葉に勇気づけられたように・・みこと自身、一体自分の体の何処にそんな力があったのか!?と思ってしまうほどの、熱い、黄金色の光を放っていた・・!
その光を受けて・・マリーを捕らえていた無数の人の手が、マリーの体と同じようにサラサラ・・と輝く砂の様に空気に溶け込んでいく・・。
(ありがとう・・みこと!あなたのおかげで巽との約束が果たせたわ。これは私からの最後のプレゼントよ、受け取って!)
パア・・ッと、マリーの体が輝いて・・みことの視界が真っ白になった・・。
・・・・何処からともなく聞こえてくるピアノの音と・・ヴァイオリンの音。
ハッと目を開けたみことの前に、白いピアノを楽しげに弾く・・親子と思しき男と幼い子供・・そしてそのすぐ側で、その様子を目を細めて見つめながらヴァイオリンを弾く綺麗な女の人・・。
(・・・似てる!あの・・ちっちゃい子・・巽さん、そっくり!!)
小さな手で一生懸命ピアノを弾く・・大きな男の手の後を追いかけて弾く子供は・・間違いようもなく、幼い頃の巽・・だ!
(う・・わぁっ!かわいいっ!!あんな風に笑ってる巽さん、初めて見た・・!)
父親らしき男の膝の上に座って、その顔を見上げて嬉しそうに笑っている巽は・・誰もが視線をそらせなくなるほど可愛らしい・・天使そのもの。
いや、それ以上の・・較べるべき物がないほどの愛らしさを全身から放っている。
(あ・・じゃ、あの人が・・巽さんのお父さんで、お母さん・・!?)
巽を膝の上に乗せた父親・・は、巽や美園とよく似た顔立ちに、何処か・・悲しい、そして優しい瞳で巽を見つめている。
そのすぐ横で寄り添うようにしてヴァイオリンを弾いている母親・・は、柔らかい金色の髪に巽と同じ灰青色の瞳をした、優しい・・凛とした強さを感じさせる異国の美しい顔立ちをしている。
不意にピアノの音とヴァイオリンの音が・・止んだ。
(え・・っ!?)
目を瞬いたみことの目の前に、いつの間にか・・巽の母親が幼い巽を胸に抱きかかえて・・立っていた。
巽と同じ灰青色の瞳で、ジッ・・とみことを見つめている。
『・・・あ・・!』
喋ろうとしたみことの体は・・なぜか全く言う事を聞かなかった。
ただ呆然と立ちつくすみことに・・その母親が話しかける。
『・・巽を・・お願い・・!』
あの・・みことの耳元で囁いた、切なくなるほどの優しい声・・。
その母親の後に現れた父親が、お互いに顔を見合わせ・・寄り添って、胸が苦しくなるほど優しい微笑を交し合っている。
スッ・・と伸ばされた母親の両手が、抱きかかえていた・・眠っている幼い巽をみことに差し出す。
途端に自由になった体で・・その巽を受け取ったみことが、幸せそうに笑みを浮かべたまま眠る巽を見つめた。
(か・・可愛い・・!本当に・・ちっちゃい頃の巽さんだ!)
思わずギュッと抱きしめたみことの腕の中で身じろぎした巽が・・パッと、目を開ける。
その・・吸い込まれるような灰青色の水晶を思わせる瞳と、みことの銀水晶のような瞳の視線が重なった・・。
「・・・・・れっ!?」
パッと、思い切りよく目を開けたみことの目の前に、大人になった巽の・・切れ長になった灰青色の瞳があった。
「・・巽さん・・?いつの間に・・大きくなったんです・・?」
「はぁ・・?」
みことの意味不明な呟きに・・巽が慌てたようにみことの額に手を当てる。
「なにを言ってる・・?まさか熱でも出たんじゃ・・!?大丈夫か!?」
「え・・!?ね、熱なんてないですよ!だいじょう・・ぶ・・!?」
額に当てられた巽の手をどけようと・・手を持ち上げようとしたみことだったが、全身がまるで鉛のように重く・・思う様に体が動かせない。
「・・・え・・!?ぼ・・僕・・どうしちゃったんですか!?」
気がつけば・・みことはあの「開かずの間」のソファーの上に寝かせられていて、体の上には丁寧に薄い羽毛布団までかけられている。「力の使いすぎ・・体力の限界を超えて浄化をやったから、疲労しすぎて倒れたんだよ。覚えてないのか・・?」
心配そうにみことの顔を覗きこむ巽に・・みことが呆然と呟き返す。
「力の使いすぎ・・?あ・・!マリーは?あの・・たくさんの人の手は・・!?」
「行くべき所へ行ったよ。全く・・無茶をする。あれだけの量の魂をいっぺんに浄化するなんて・・!2〜3日は大人しく寝てろよ?みこと・・」
口調は少し怒った言い方だが・・みことの比較的元気そうな声に、巽が安心したようにソファーへ深々と体を埋める。
「だって・・マリーが皆一緒にって・・・!」
「だからと言って自分の体のことも考えずにやるべき事じゃないだろう?毎日少しづつ練習もかねて浄化させていけばいい事だ。・・・と、言いたいところなんだが」
フッと、言葉を切った巽が、みことの頭をフワッと優しく撫で付ける。
「ありがとう・・。オレではマリーを送ってやれなかった・・。お前ならきっと自分の事を願うことなく、マリーのための願いを持ってくれると思っていた。純粋に相手の事を思う願いがあるって事をマリーに気づかせてくれた・・。オレは・・何の願いも持てなかったから・・」
「そんな事ない・・!きっと、巽さんにも願い事あったはずです!自分で気づいていないだけで・・。ね、聞いていいですか?マリーとの約束って、何だったんです?」
少し長くなるぞ・・?と、前置きして・・マリーとの、というよりも杉ジイやこの家との出会いを・・巽が話し始めた。
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