開かずの間

 




ACT 3




「本当に・・この家でいいんですか?あまり・・お勧めできる物件ではないんですが・・・」

不自然に口ごもる不動産会社の初老の主人が、壁中をうっそうとした蔦の葉で覆われた不気味な洋館・・・の、同じく蔦で半分以上覆われた大きな格子扉の前で、隣の男を見つめいてる。

濃紺のブレザータイプの学生服に学生カバン・・あまり見慣れないその制服から察して、この辺の学生ではない事が見て取れる。

背格好からして高校生・・?と、初老の主人が興味深げにジロジロとその全身を眺め回している。

それというのも・・その隣の学生服姿の少年の容貌が半端でなく整っていて、男であるはずの主人でさえ一瞬その顔に見とれ・・顔を赤面させたほどなのだ。

しかも、学生らしからぬ大人びた雰囲気と言葉遣い・・。

何かしら他人を圧倒し、服従せずにはいられないような・・そんな独特の存在感を発散させていた。

「・・・以前、おばあ様がこの家を見かけて・・とても気に入ったらしく、一度下見をしてきて欲しいと頼まれたものですから・・」

ジッ・・と、その洋館から視線をそらさず・・主人の方を振り向きもせずに言う少年・・この時まだ14歳の中学生である鳳 巽が、感情のこもら ない声音で答えを返す。

「そうですか・・おばあ様が・・。で・・まことに申し訳ないのですが、私はこれから用事がありまして・・鍵はお渡ししておきますので、どうぞごゆっくり中をご覧になって下さい。二時間位したらまた先ほどの事務所の方に帰っておりますので・・・」

そう言って、まるで逃げるように早々にその場を立ち去った。

「・・・客に余計な事は一切言わない・・か。まあ、その分こっちの素性もとやかく聞かないから好都合・・だな」

チラ・・と立ち去る主人の背中に視線を流し、先ほどまでの丁寧な口調とは打って変わった呟きをもらす・・。

「それにしても・・随分と遠くから聞こえてたんだな・・・」

再び蔦だらけの格子扉に目を転じた巽が深いため息をもらした。

一週間ほど前・・・巽は14歳の誕生日を迎え、本来なら鳳家の慣習に従い鳳家当主継承式を行って、正式に聖獣‘朱雀’をその身に受け継ぐはずだった。

・・・が、御影 雅人の企みによって、その継承は巽の心に大きな傷跡を残す結果となった。

それ故‘朱雀’は巽の心の奥底に封印され、巽自身もその時の精神的ショックから・・今朝まで病院のベッドの上で昏睡状態だったのだ・・。

もう二度と目覚めたくない・・と思っていたその眠りから巽の意識を呼び戻したのは・・何処からともなく聞こえてくるピアノの音と・・誰かの・・呼び声だった。

懐かしい・・その旋律と・・『待っているわ・・』と言う、儚げな女の声・・。

どうしようもなく惹きつけられるその声に・・巽は・・目を覚ましてしまったのだ。

そして、誰にも気づかれぬよう病院を抜け出し・・その声の主を求めてあてどもなく電車を乗り継ぎ・・この洋館に辿り着いたのだった。

<売り家> と大きな看板が立てられて、管理する不動産業者の連絡先がデカデカと書き連ねてある。

そこを尋ねて行き、今に至っていた。

頑丈な大きな鍵を開け、格子扉をくぐった巽がフッ・・と足を止める。

『・・・おやおや・・今度はまた、毛色の違う奴が呼ばれたものじゃのう・・』

何処からともなく頭の中に響いてくる・・重々しい重厚な声・・・。

「今度・・?ここへ呼ばれてきた奴が他にもいるのか?」

『ほう・・!?お主、この声が聞こえるのか?これはこれは・・人間と話をするのは久しぶりじゃて・・』

腹の底に低く響くような低い笑い声が館中にこだまする。

「・・一目見たときから、曰くつきの館だとは思ったが・・お前は何者だ?この館に憑いた‘家守り’か・・?」

『そうとも言えるし・・そうでないとも言える・・。どうじゃ?しばしこの年寄りと話をせぬか?久しぶりに若い者と話すのも悪くない・・』

「・・オレなんかで良ければいくらでも・・。ただし、中に入ってからの悪戯は願い下げだ」

『ふぉふぉふぉ・・!これはまた油断のならぬ若僧じゃて・・安心するが良い、お主は気に入った・・何もしはせぬ・・』

格子扉から続く石畳を抜け、ステンドグラスの配された重々しいドアをくぐった巽が、懐かしげに目を細める。

「古い装飾だな・・古典的な北欧の造りだ・・」

『・・気に入ったか?そのまま異国の旅は連れて行っても良いがの・・?』

「悪戯はなしだと言わなかったか・・?」

『ふぉふぉ・・年寄りの退屈しのぎじゃよ。じゃが最近はつまらぬ人間ばかりでの・・少しからかっただけで皆腰を抜かして逃げていく・・。まあ、おかげで静かにはなったがな・・』

磨けばかなり質の良さそうなダークブラウンのオーク材がふんだんに使われた重厚な造りの室内は、いたる所に埃がたまり、くもの巣がそこかしこに巣くっている。

「年季の入った埃だな・・一体何年掃除をしてない・・?」

『さて・・人間のやる事は気まぐれでの・・。10年位前に今の所有者に変わった時・・だったかのう・・?この館を売り払おうと躍起になっておったわ・・あまりに騒がしいので年甲斐もなく大掛かりに悪戯してやったら、売るきも失せた様だったぞ・・・?』

「それでさっきの売主の態度だったわけか・・。いくらで買ったか知らないが・・随分なお荷物を背負い込んだもんだな・・」

玄関からまっすぐに伸びたフローリングの廊下を迷いもなく進んだ巽が、その造りとはあまりに場違いな襖(ふすま)に気づき、足を止めた。

「襖・・!?こんな洋館に・・?これを建てた人物は随分な変わり者だったんだな・・?」

『面白い奴じゃったよ・・。最初こそ無理やりこんな所に連れてこられて、どうしてやろうかと思っておったが・・それは大事に・・大切に扱ってくれた・・。声を聞く事も出来ぬくせに、毎日毎晩酒を飲みながら話しかけてきてな・・退屈しなかった・・』

襖を開けて、一歩部屋へ入ると・・そこだけ別空間のように青々とした畳の匂いと清涼な空気・・。

その、片側の壁全体が・・一つの巨大な柱・・だった!

慌てて靴を脱いだ巽が、その柱の前で唖然とした表情で柱を見つめている。

『・・まあ、座ったらどうじゃ・・?若いの・・。話しやすい様にしてやろう・・』

目の前の柱の一部がグニャリ・・と澱み、シワだらけの今にも笑い出しそうな老人の顔が浮かび上がってきた。

スッ・・と手を伸ばしてその柱の一部に触れた巽が、数歩下がってキチッと正座し、背筋を伸ばす。

「・・・杉・・。縄文杉の古精霊ですね・・?随分生意気な口を利きました。オレは鳳 巽と言います。お知りおきを・・」

スッ・・と両手を前に着き、深々と礼をする巽に・・シワだらけの顔が優しい・・なんとも言えない眼差しを向ける。

『毛色も違うが、珍しく礼儀も見知っておるようじゃのお・・。お主、鳳と名乗ったが、あの・・鳳か?』

「・・・半分は・・」

一瞬の間をおいて答える巽に、古精霊がフッ・・と含み笑いをもらす。

『・・お主・・重い運命を託されておるな・・。ここへこうして連れてこられたは・・お主と出会うためかの・・?この館を建てたあ奴と同じ異国の血を半分持ち、‘朱雀’を囲う鳳の血をも受け継ぐ者・・。問うてもよいか?ここへ来たは何故か・・?』

古精霊の眼差しをしっかりと受け止め、巽自身その理由を求めている事を隠さず告げた。

「わかりません・・声が・・聞こえました。『待っている・・』と・・。それと・・」

言葉をきって、視線を落とした巽が・・グッと膝の上に置いていた両手を握り締める。

「・・ピアノの・・音が・・聞こえました。オレの・・両親がよく弾いてくれた・・懐かしい音が・・・」

『ピアノ・・!?・・ああ・・そうか・・そうであったか・・。お主、辛い事があったであろう?ここへ呼ぶ声が聞こえ、導かれる者は皆絶望を抱えた者達ばかりじゃ。皆自ら望んでここへ来る。マリーの呼び声に惹かれての・・』

「マリー・・?」

『この館を作った男の一人娘・・もう・・百年以上前の事じゃ・・事故であの男が急死し、財産目当ての人間どもが押しかけてきた・・。その時マリーはまだ16歳・・。後見人だった男にこの館に半ば幽閉されたも同然の扱いを受け、唯一の希望も打ち砕かれて絶望のうちに病死した哀れな娘・・以来ずっとこの館から抜け出せず、自分と同じ絶望を抱えたものを呼び寄せては・・その願いを叶えてやっておるんじゃよ・・』

「願いを・・叶える・・?」

『マリーはそう思っておる。だが実際はそれは更なる絶望を呼び・・死へと誘うだけの物じゃ・・。大勢の人間がそのために命を落とした。その者達の迷える魂がマリーにとりついて・・マリーにずっと夢を見せ続けておる・・事実を歪めての・・』

「事実を歪める・・?それはどういう事ですか?」

『人間とは悲しい生き物よの・・。それを認めては生きては行けぬ事を、思い込む事で救いを見出す・・。マリーは思い込んで、それを信じきったままの状態で病死してしまったんじゃ・・そのためその思い込みを事実として認識してしまっておる・・。お主、マリーを救ってやってくれぬか?』

「オレが!?オレには・・そんな資格は・・・」

一週間前の出来事が脳裏を駆け抜け・・巽の顔がこれ以上ないほどの苦渋に歪む・・。

『一つの魂を補うには、一つの魂を救うことじゃ・・。若いの、時が経たねば見えぬ事もある。お主の背負う運命はもうすでに廻り始めておる・・お主の知らぬところで確実に・・。その一つがこの出会いじゃ。やってみよ、若いの。例え出来ずとも・・お主は結局望む物を手に入れるのではないか・・?更なる絶望と共にもたらされる死を・・!』

「・・!?」

言葉を失った巽の頭の中に、古精霊が見つめ続けたこの館の真実が流れ込む・・。

「・・!?これは・・!?」

まるで映画でも見ているように・・頭の中を映像が駆け抜けていく。 だが・・その内容は・・あまりにも悲しい事実だった・・。

『それが真実・・本当はマリーも知っておる・・。だがそれを決して見ようとはせぬ。幸せだった頃の夢の時間を永遠に見続けたまま・・・』

その言葉に、巽が思わず声を荒げて問いかける。

「このまま・・夢を見続けてはいけないんですか!?」

それは・・巽の本音でもあった。

あんな事など起きなかったと・・以前のように、何も知らないままの頃に戻った夢を・・何度夢見た事か・・!

『それで誰が救われる・・?夢を見ている間・・その代償として周りのものが代わりに苦しむ。マリーがこの地に留まって待ち続ける者もまた、あの世でマリーを待ち続けておる。永遠に苦しみながら・・な。それでも夢を見続ける事を望むのか・・?』

ハッ・・とすぐ横に置いていた学生カバンを巽が見つめる。

病室のベッドの横に置かれていたそれは・・その日の時間割の教科書と、几帳面な字で綴られた学習内容のノート・・。

毎日、御影 聖治がいつ巽が目覚めても良いように・・毎朝入れ替えて行った物だ・・。

‘早く帰って来い・・!’という、聖治らしい無言のメッセージだと容易に知れた。

夢を見続ける事は・・聖治を苦しめ続ける事でもある。

聖治のその思いを知ったからこそ・・巽はカバンを持って病院を出たのだ・・。

あえて・・持って出る必要などないそのカバンを・・。

・・・だから巽は死ぬ事も、夢を見続ける事も出来ないと・・この時、思い知ってしまった。

「・・この・・カバン、ここに置かせてもらっていいですか・・?」

思いつめた・・決意の表情で巽が古精霊の顔を見つめる。

『それを取りに戻るために行くか・・?面白い・・人間とはまこと興味の尽きぬ生き物よ・・。行くが良い、そこでお主はもう一つの運命を見るじゃろう・・』

深々ともう一度頭を下げた巽が静かに立ち上がり・・カバンを置いたまま部屋を出て行った。

『・・鳳 巽・・。もうやるべき事など何もないと思うておったが・・まだこの年寄りの見守るべき運命の輪が残っておったとはの・・。さて・・無事に戻ってこられるかの・・?』

まるで成り行きを楽しんでいるかのような笑みを残して・・老人の顔がグニャリ・・と歪み、消え去った・・・。









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