開かずの間

 




ACT 4




和室を出た巽の耳に再びあの『待っているわ・・』という、悲しげな女の声がこだまする。

その・・声のする場所は、その和室の前の突き当たりにあるドアの中だった。

引き寄せられるようにそのドアを開けた途端・・・巽はわが目を疑った。

その部屋の中は、豪華な白を基調とした調度品で彩られ・・天井まである高窓は全て開け放たれて・・真っ白なレースのカーテンが明るい陽射しの中、穏やかなそよ風にその身を躍らせている。

その・・カーテンが一際大きくフワッ・・とひるがえり、その中からヒョコッと小さな・・純白のワンピースを身にまとった幼い女の子が現れた。

「・・・あの人じゃないのね・・・」

呆然として立ち尽くす巽を見上げ、その女の子が悲しげに呟く。

「・・君が・・マリー・・?」

巽の問いかけに、女の子がフフッ・・と笑う。

「・・ええ、そうよ。あなたは・・誰・・?」

「・・・巽・・。どうしてオレを呼んだんだい?」

「た・つ・み・・?違うわ。巽を呼んだんじゃないの。別の人よ・・私に・・ピアノを弾いてくれるって、約束した人・・・」

「ピアノを・・?」

「そう!・・これよ!!」

巽の手を取ったマリーがグイグイと引っ張っていく。

大きな高窓のすぐ側に置かれている・・白い旧式のピアノ・・。

シンプルな作りながら、施された装飾は一目で腕の良い職人の手によるものだと知れる。

「・・・!?この・・ピアノ!!」

マリーに取られていた手を振り解いた巽が、驚愕の表情でそのピアノに触れた。

白く輝くピアノの蓋(ふた)・・開いた時に少し引っかかりのある蝶つがい・・少し黄ばんだよく弾きこまれた鍵盤・・その所々にある小さな傷や癖のある鍵盤の汚れ・・。

「・・うそ・・だ・・!何で・・これが・・ここに!?」

目を見開いてピアノを見つめる巽の声が震えている。

そこにあったそのピアノは・・巽の父が北欧に居た時に使っていた物に間違いなかったのだ・・!

物心つく前から、子守唄代わりに父の弾くピアノの音があった・・。

いつも父の膝に座り、一緒にその鍵盤を叩いていたのだ・・。

そのピアノを見間違うはずもない!

巽が5歳の時、日本へ帰国するためそのピアノは船便で日本へ送られたはずだった。

・・・が、巽たちの乗った飛行機は・・日本の地に着陸する直前、原因不明のトラブルによって大破炎上し・・巽の両親はその時亡くなった。

奇跡的に助かった巽は、事故後一ヶ月ほど昏睡状態で目覚めなかった。 その間に・・船便で送られたはずのピアノは行方不明になり、どんなに探しても見つけられなかったのだ・・。

その・・ピアノが・・今、巽の目の前に・・ある!

「なあに・・?このピアノがどうかしたの・・?」

マリーが巽のただらなぬ様子に、不安げにその袖を引っ張る。

「あ・・!マリー・・この・・ピアノ・・は・・?」

「昔からずっとここにあったわ。だって、あの人が弾いてくれたピアノだもの・・。また弾いてくれるって・・約束したんだもの。だから・・待ってるの。あの人が来てくれるのを・・!」

「ちが・・!ちがうっ!!これは・・オレの父のピアノだ!!マリー!目を覚ませ!ここで待ってたってその人は来ない・・!もう、とっくにその人は死んでる!マリー、君自身も・・もう・・」

「うそつきっ!!」

巽の声を遮って、マリーが叫ぶ。

「あの人は死んでなんかいない!約束したんだから・・!!」

「じゃあ、言ってみろ!一体・・誰と、何の約束をしたんだ!?」

ハッとしたようにマリーが視線を落とし・・うつろに呟く。

「あの人・・よ。泣いてた私をなぐさめてくれて・・ピアノを弾いてくれた・・・」

「その人は・・誰だった!?」

「・・だ・・れ・・!?」

幼いマリーの体が小刻みに震え・・耳をふさぐ。

(君が・・笑っていられるようになったら、また弾いてあげるよ。だから・・泣かないで・・)

(約束・・?何の事だい?君が勝手に思い込んでいただけじゃないか・・)

聞こえてくる・・二つの声・・。

(あれは・・誰だった・・?どちらが・・本当・・?)

マリーの中のもう一人のマリーが問いかけてくる。

幼いマリーの体が揺らぎ・・ゆっくりと成長を始めた。

途端・・!そのマリーの周辺からどこからともなくたくさんの人間の手・・が現れて、その成長を押し留めるようにマリーの体を覆いつくす。

「こいつら・・!?呼び寄せられて死んだ奴らか!?」

キッ・・と、真剣な表情に一変した巽が、胸の前にかざした両手に霊気を集中させていく。

「・・失せろ!!」

両手の中に作り上げた黄金色の光の玉を、その無数の手に向かって巽が放つ!

その光に触れた手という手が一瞬のうちに塵のごとく消し飛んでいく。 ・・が、後から後から際限もなく湧き出る手が・・巽に向かって襲い掛かる!

「くそ・・っ!マリーが自覚しないと・・こいつらもキリがない・・!!」

黄金色の光を自分の周りにシールドのように広げ、襲ってくる手を遮りながらマリーの方へ近づこうとする巽の耳に、一番聞きたくて・・けれど・・一番恐れていた声が・・届く。

『・・巽君・・また・・僕を殺すのかい・・?』

ハッと見開いた視線の先に・・あの・・いつも絶やさぬ優しい笑顔を浮かべた・・御影 雅人が立っていた。

「雅人・・さん・・!?」

自分の心の均衡を崩し、仲間に引きずり込もうとする・・その手が見せる企みだと・・分かってはいた。

・・・・けれど・・・!

『僕は君に殺されてなどいない・・さあ、そこから出ておいで。そんな悪い夢の中に居ちゃいけない・・』

優しい声が・・あの出来事は夢だと・・現実の事ではないのだと、残酷な優しい笑顔で告げる。

自分の方に向かって差し出された雅人の手に・・巽は・・抗う事が出来なかった・・。

その手を取った途端、無数の手が巽の体を捕らえ、覆いつくした・・。





 

自分の額を優しくなでる、暖かい・・優しくて繊細な指先・・・。

その感触に・・フッ・・と巽が目を覚ます。

「・・目が覚めたかい?巽には、まだ少し難しい話だったかな・・?」

暖かい・・炎揺らぐ暖炉の前で、ゆったりとソファーに身を沈め、自分を膝枕してくれている父親・・の、黒曜石のような瞳が巽の顔を覗きこむ。

その・・優しいけれど・・何処か物悲しい笑みを見つめる巽は・・まだ4歳の幼い子供だ・・。

「あ・・?お・・とう・・さん?あれ?今、何か・・夢を見てたのに・・変だな・・思い出せないや・・」

眠そうに目をこすりながら起き上がった巽が、甘えるように再び父親の膝の上に座り直す。

「・・ね、さっきのお話の続きして!ほら、もっと前のページ!」

巽が眠ってしまった間に読み進んでしまったらしい・・父親の持つ分厚い本のページを、パラパラと勢いよくめくり直していく。

「・・・ここっ!この鬼の話!」

幼い指が指差した場所には、古い日本の伝承の話・・。

強い霊力を持った修験者によって捕らえられ、改心してその修験者に仕えたという・・日本において、初めて式神(能力者がその力を持って従え、自在に使いこなしたという妖魔や鬼、神など)と呼ばれる存在となった鬼・・‘前鬼’と‘後鬼’の話が書かれていた。

「・・これは・・そうだね・・、日本で始めて人間と友達になった鬼の話しだよ・・」

「本当に友達になれるの?鬼って、こっちで言う‘トロル’とか‘ドワーフ’とか・・怖い生き物の事なんでしょう?」

初めて見る日本の様々な伝承上の怪物や鬼、妖怪の絵や話に・・・ワクワクと好奇心いっぱいの瞳を輝かせた巽が父親の顔を見上げる。

「きっと、なれるよ。父さんには残念ながら・・鬼を式神として使えるような力はなかったから・・。巽くらいのときから思っていたよ。もし、そんな力があって・・そんな存在に出会えたら、絶対名前は‘前鬼’と‘後鬼’にしよう・・てね」

「・・そっか・・お父さんにはあんまり見えないんだよね・・妖精とか、精霊とか・・」

自分が普通の人とは違うのだ‥という事を認識し始めていた巽に、とまどいの表情が浮かぶ・・。

「巽は・・他の人と違う力がある。父さんにも巽の力とは違う・・別の力がある。その事で、たくさん嫌な思いも寂しい思いもすると思う・・。だけど・・その力で他の人を救う事も出来るんだよ?巽には、それは覚えていて欲しい。そのためにも、鬼と友達になれるような・・そんな人になって欲しい・・。まだ・・こんな話は難しいかな・・?」

その・・真剣な父親の表情に・・巽がニコッと微笑み返す。

「僕も友達になりたい!僕がお父さんの代わりにその名前付けていい?‘前鬼’と‘後鬼’ってつけるんだ!」

「うん・・いいね。巽なら、きっと出来るよ・・」

巽の笑顔に安心したように笑い返す父の顔の横から、父とは対照的な黄金色の髪と、灰青色の瞳を持つ母の・・眩しい笑顔が現れる。

「巽なら・・きっと出来るわね。どんなに辛い事があっても、私も、那月も、巽の事をいつでも思っているから・・それは忘れないでね・・」

スッ・・と父の肩越しに顔を寄せた母が、巽の額に軽くキスを落とす。

その・・くすぐったい幸せな感触を全身で感じながら見つめ返した母の・・真近にある自分と同じ灰青色の瞳・・・。

その・・瞳の中に・・ゾッとするほど冷たかったあの時の・・あの男の顔が・・映っている!!

「う・・わああぁぁぁ・・っ!!」

弾かれたように父の膝から転げ落ちた巽の体が、たちまち14歳の少年の姿に変わる。

「・・・あの・・女と同じ灰青色の瞳・・だ!何で・・君が生き残ったんだ!?君が・・代わりに死ねば良かったのに・・!!」

あの時と同じ・・冷たい声が降り注ぐ・・!

巽にとって一番幸せだった父と母との思い出が・・それを許さない・・と、そんな物など認めない・・と、雅人の冷たい瞳が無言で告げている。

再び伸びてきた無数の手が・・巽の首を幾重にも取り巻いて・・締め上げていく。

「その力が人を救うだと・・!?お前はその力で何をした!?見ろ・・!お前の力がやったんだ・・!!」

巽の目の前にあった雅人の顔が・・体が・・あの時と同じように炎に包まれて・・ボロッ・・と崩れ去っていく。

声すら上げる事が出来ず・・だんだんと暗くなっていく視界・・。

前よりも・・更に深い絶望感が巽の心を打ち砕こうとした時・・あの・・重々しい重厚な声がこだました・・!

『知っておるか・・?若いの・・?人の死とは肉体の死ではない・・。心の死じゃよ・・。体は滅びても他の者の思い出の中に・・その記憶の中にある限りその心は生き続ける。お主、父と母を本当の意味で死なすつもりか・・?』

(・・心の・・死・・!?)

朦朧とした意識の中・・巽の耳に・・あの、懐かしいピアノの旋律が聞こえ・・母の声が届く。

『巽なら出来るわ・・。どんなに辛い事があっても、私も那月も巽の事をいつでも思っているから・・それは忘れないでね・・』

カッ・・!と目を見開いた巽の体から黄金色の光が放たれて・・取り巻いていた無数の手が、ザア・・ッ!と塵のように消し飛んでいく。

「・・ふざけるな・・!人の・・心の中に・・ズカズカ入り込んできやがって!お前らなんかと同じになってたまるか!いい加減目を覚ませ!マリー!!オレが、そいつの代わりに約束を果たしてやる!お前の気のすむまでピアノを弾いてやるよ!」

叫んだ巽がピアノの前に座り、スッと目を閉じる。

(いるんだろう・・?マリーの閉ざされた思い出の中に・・。オレの体を貸してやる!マリーのために弾いてやれ!真実を思い出させてやれ!!)

巽の体に・・フワッ・・と白い影が重なって・・巽の指が・・巽の知らない旋律を奏で始めた・・・。









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