開かずの間

 




ACT 7




「いやあああぁぁぁ・・・!!」

大人の体に成長したマリーが絶叫する。

いつの間にか部屋の中はボロボロに崩れ落ちたカーテンやくさった机やイスの無残な残骸・・。

光一つ差さない閉め切られた・・湿った異臭すら漂う本来の、現実の部屋へと変貌していた。

そんな部屋の中にあって、たった一つ異様に白く輝く旧式のピアノ・・。

そのピアノの前に座ってピアノを弾く巽が、カタンッと立ち上がり、マリーの方へ向き直った。

その巽の姿と重なるように・・もう一つの白い影が、巽の姿を・・ゆっくりと、篠宮 蓮の姿へと変えていく・・。

『マリー・・・』

マリーの名を呼ぶその声は・・巽のものではなく、篠宮 蓮のものだ。

「・・!?蓮!?」

弾かれたように顔を上げたマリーが、蓮に駆け寄り・・嬉しそうに笑う。

「待っていたのよ・・!ずっと!必ず戻って来てくれるって信じてた!見て!私・・笑っているわ!約束よ!ピアノを弾いて・・!」

そう言って無邪気に笑うマリーの両手を・・ソッと蓮が摑んで持ち上げた。

その顔は・・悲しげに沈んでいる。

「どうしたの・・?蓮?何でそんなに悲しそうな顔・・・」

『よく見て、マリー・・。君はもう死んでるんだ・・。私も、君のこの腕の中で息絶えた・・。思い出して、マリー・・自分がどうやって死んだのか・・』

蓮の掴んだ部分から・・みるみるうちにマリーの手が骨と皮ばかりにやせ衰え、それが全身に広がっていく・・。

「・・あ・・!い・・や!うそよ・・!私が・・死んだ・・なんて・・!」




蓮が腕の中で息絶えた瞬間から・・・マリーの心も遠くへといってしまった・・。

誰が呼びかけても、何の反応も示さない・・まるで生きた人形のように、ただピアノの前に座って・・何かを待ち続けていた。

いつしか世話をするものも二日おき・・三日おきになっていき、マリーの体は日に日に痩せ衰えていった。

そして・・まるで眠るようにピアノに寄りかかったまま・・その短い生涯を閉じた。

何日かして発見されたその体は、肉は腐り落ち所々骨が露出した見るも無残な姿だった。

肉体は無くなっても・・マリーの魂は死んでしまったことにも気づかずに、大切なあの人がピアノを弾きに帰ってきてくれるのを待っていた・・。

あまりに辛いその出来事を、幼い頃の思い出と重ね合わせ・・いつしか望んだ夢の中で、同じように夢を見続ける事を望む者を呼び寄せ・・共に夢を見る事を唯一の慰めとして・・。

けれどもそれは・・夢を見せられた者を更なる絶望へと追いやり、その命を奪っていった・・。

マリーはそれとは知らず・・ただ夢を見続けていたのだ。

たった一人で待ち続ける事に耐えられなくて・・・。




「夢を見続けなければ・・あなたを・・蓮を恨んでしまいそうで怖かった。私に・・何も言ってくれず、会ってもくれないまま、ただ約束だけして一人で逝ってしまったあなたを・・。私は何もいらなかったのに!ただ一緒に居てくれれば、それだけで・・良かったのに・・!」

痩せ衰え、腐りかけた体のまま・・マリーがさめざめと泣きじゃくる。

『マリー・・私も、言いたい・・伝えたい事が山ほどあるのです。お願いです・・早くこの部屋から出て、私の所に来て下さい。私も・・待っています・・あなたが来てくれるのを、ずっと・・ずっと・・待っています・・』

「・・!?蓮!?」

その声を最後に、蓮の気配は掻き消えて・・巽の姿へと戻っていく。

「あ・・!?今のは・・本当に・・蓮なの?私を待ってくれているの・・?」

もとの巽に戻った巽がマリーを見つめて言った。

「待っています。あなたがこの部屋から解き放たれるのを・・。もう、分かっていますよね?本当のことも・・自分が死んでしまっている事も」

「・・・ええ・・でも、私は・・大勢の人をこの部屋に縛り付けてしまったわ。それに・・この館も、私がいなくなってしまったらどうなってしまうのかしら・・?」

不安げに荒れ果てた部屋を見回すマリーに、巽がため息をもらす。

「待ってくれていると分かっても、心残りがありすぎて・・なかなか抜けられそうにないですか・・?」

「だって・・この館は蓮が命を懸けて守ってくれた物だもの・・ちゃんとした人に住んでもらいたいのよ・・」

「・・・・オレ、ではだめですか・・?どうせこのピアノを動かしたりなんてさせてくれないんでしょう・・?」

マリーが驚いたように、腐り落ちてくぼんだ眼で巽を見返す。

「あなたが・・!?巽っていったわね?本気で言ってるの?」

「残念ながら冗談の言えるような性格ではないんでね・・。それに・・この部屋に縛られてる人達を全て浄化するのは時間がかかる。調伏して消滅させるのではなく、浄化して・・行くべき所へ行かせたいのでしょう?」

それを聞いたマリーが・・クスクス・・と笑いながら、元の幼い頃のマリーの姿へと変わっていく。

「!?マリー!?もう、夢の中には・・・」

「大丈夫。もう夢は見ないわ。この姿の方が巽も気が楽でしょう?しばらくは一緒に居るんだから・・」

「え・・!?」

「住んでくれるんでしょう?この館に・・。住まわせてあげるわ!でも、その代わりに一つ約束してくれる?」

「約束・・!?」

フワッ・・と舞い上がったマリーが、ピアノの上にちょこんと座り、足をぶらつかせる。

「・・このピアノ・・昔、蓮が弾いてくれた物とそっくりなの。だからここへ呼び寄せてしまったんだけど・・この持ち主も悲しい心の持ち主だったのね・・。この人達もあなたに弾いて欲しいみたい・・だから、このピアノで皆を浄化してくれない・・?」

その、マリーの提示した約束に・・巽の表情が曇る。

「それは・・時間がかかるよ・・マリー・・・。浄化しようと思ったら、それだけの思いを込めて引かないと無理だから・・。今のオレでは、ピアノを弾くだけでも苦痛に感じて・・とても浄化なんて・・」

ピアノを弾けば、幸せだった頃のことを嫌でも思い出してしまう・・。

それは・・今の巽にとって、苦痛以外の何ものでもない・・。

「ゆっくりでいいの・・。私も・・この部屋の中で少しずつ私が縛り付けてしまった人達の話を聞いて、少しでも心の重荷を軽くしてあげたいから・・。だから、巽も辛くても約束して。その代わり、巽の願いを叶えてあげるから・・!今度は夢じゃなく、ちゃんと・・!」

「願い・・?」

途端に巽の表情に戸惑いが走る。

「ええ。そう、願い事!一つ言って!そうすれば私も心残りがなくなって、蓮の所に行けるから・・!」

口元を手で覆った巽が、少し・・考え込むように眉間にシワを寄せ、ため息混じりに言った。

「・・ごめん・・マリー・・。オレには願う事が何もない・・」

「うそ・・っ!!本当に!?何にもないの?」

信じられない・・!といった顔つきでマリーが目を見開く。

「オレは・・願いを持ってはいけない人間だから・・願えば・・それは確実に失われるから・・・」

ゆっくりと首筋に手を這わせた巽が、その首にかけられた母の形見・・オーディンの指輪が納められた銀色のロケットを服の上から握り締める・・。

「・・巽!?あなた・・それに耐えられるの?何の願いも持たずに、生きていけるの!?」

唇を噛み締めた巽が、低く・・呟く。

「それが、オレのした事に対する償いなら・・オレはそれに耐えなきゃいけない。もう、逃げたりしない。認めなければ他の誰かがそれを背負わされる・・。こんな思いをするのは、オレ一人でたくさんだ・・!」

苦渋に歪む巽の表情を・・痛々しそうに見つめたマリーが静かな決意を秘めて言った。

「決めたわ。私、あなたが願いを持つまでここに居る。あなたみたいな人放っておいたら・・それこそ気になって、ますますここから離れない・・!」

「それはダメだよ、マリー!そんな事言ってたら永遠に向こうの世界へ行けなくなる・・!蓮が待っているのに・・」

「大丈夫・・!いつかきっと願いがやって来るって、この人達も言ってるもの・・!」

そう言って、マリーがジ・・ッとピアノを見つめる。

「父さんと・・母さん・・が!?」

「約束ね!!巽!」

そう言い残して・・掻き消えるようにマリーが消えた。

「あっ・・!おい!!マリー!!オレはまだ・・・」

言いかけた巽が・・マリーの気配が無い事に気づき、今日何度目かの深いため息をもらす・・。

「・・・・とりあえずカバン持って、聖治に謝んなきゃな・・。あいつ、今頃怒った顔でオレの帰るの待ってるだろうから・・」

病室で・・空っぽのベッドを睨みつけている聖治の姿が・・ありありと巽の脳裏に浮かぶ。

再び杉爺のしわくちゃな笑顔に見送られた巽が、カバンを肩に担ぎ上げ・・これから長い付き合いとなるその館を後にした・・・。









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