ACT 10
後ろの壁に背中から打ち付けられた巽が、御崎を睨み返して叫んだ
「っつ!じゃあ、どうしろっていうんですか!?早くしないとみことが・・・!!」
ツィ・・ッとサングラスを外した御崎が、静かにその瞳の中に巽を捉えて言った
「今のあなたではこの水の中へ入るのは無理です。みこと様は私が連れ戻してまいります・・!」
その、巽も初めて見る御崎の瞳は灰色で、瞼(まぶた)のない・・まばたきをしない魚の目、そのものであった
巽の背筋に冷たい汗が流れ落ちる
その巽に、フ・・ッと笑みを返して、御崎が水の壁に手を置いた
すると
先ほどのみことと同じように波の波紋を描きながら、スル・・ッと水の中へ入り込んでしまった
「っ!?御崎さん!?」
ダンッ・・と、巽の手が水の壁にぶつかる
「なんで?!俺は水の中へ入れない!?」
ガンッ・・と水の壁に額を打ち付けた巽の目の前で、御崎の体が変化していく
体中をびっしりと鱗に覆われた、長い尾びれを持つ半人半魚・・・
その長い尾びれをブン・・ッとひる返して、もの凄いスピードでみことを追いかけていった
部屋の中であったはずの空間は、まるで果てしなく続く海のように・・・闇色の水を湛えていた
その水の中で輝く一点の光があった
うねる水に巻かれたみことの体を取り戻そうと、白銀の獅子”白虎”が見えない何かと格闘している
みことを守護する霊獣”白虎”であったが、いかんせん・・水の中では思うように攻撃できない
その上、相手は目に見えないのだ!
そこへみことを追いかけて来た御崎が”白虎”の存在に目を見張り、水の中でその動きを止めた
(白虎!?なぜこんなところに!?)
近づいてきた御崎に、”白虎”が警戒の声を発して威嚇する
ーーーー「貴様、虎蛟(ここう)か!?」
(「いかにも・・龍族の虎蛟だ。お前はみこと様のなんなのだ!?」)
グウッ・・と白銀の毛を逆立てて、白虎が唸り声を上げる
ーーーー「私は、みことを守護する物だ・・!」
(「ならば!目的は同じ・・水の中では水属性の私に任せろ・・!!」)
そう言い放ち、瞬時に身を翻した御崎が、みことの体をうねる水から引き剥がす
一度奪われたみことを奪い返そうと、うねった水がみことと御崎に絡みつく
その水のうねりを正確に見定めた御崎が、長い尾びれを最大限に生かしてうねる水を薙ぎ払い、みことの手にしっかりと握られていた魚の鱗を奪い取り、深海の底へ向って投げ捨てた・・・!
途端に水のうねりはその鱗を追いかけて、急速に遠ざかっていった
鱗を手放すと同時に、みことの口からゴボッ・・と大量の空気の気泡が立ち上る
それを見た御崎が、猛スピードでみことを抱えて泳ぎだす
一瞬、視線を交わしあった”白虎”に「任せろ・・!」と御崎が頷き返すと、”白虎”がフ・・ッと掻き消えた
闇色から濃い藍色へ・・光の差し込む水の壁へ一気に上昇し、その壁を突き破る
激しく波立った波紋を残して、御崎とみことがずぶ濡れでダンッ・・と床に転がった・・!
水の中から出ると同時に、御崎の体は元の人間の体に戻っていた
「みこと!!御崎さん!!」
巽が二人に駆け寄って、御崎に抱えられたみことの冷たい頬を叩く
「おいっ!!みこと!?目を開けろ!みこと!!」
みことはぐったりとしたまま・・呼吸もなく、ピクりとも動かない
蒼白な表情になった巽に、御崎がムクッと起き上がり。厳しい声音でみことを手渡しながら言った
「まだ大丈夫です!早く気道を確保して人工呼吸を!水を吐き出させないと・・・!」
ハッと我に返った巽が、急いでみことの気道を確保して息を吹き込み、心臓を叩く
幾度か繰り返した時、ゴボッ・・とみことの口から大量の水が吐き出された
「みこと!?大丈夫か!?」
ゴホッゴホッ・・・と咳き込むように苦しげに水を吐き出すみことの背中を、巽がさする
みことがゆっくりと目を開き・・・巽の方を見上げた
「・・・た・・つ・・・み・・さん・・・?」
切れ切れで消え入りそうな声が巽の耳に届いた途端、巽の目から涙が流れ落ちた
「よかった・・・!すまない!俺が居ながら、何も出来なかった・・・!」
その震える巽の声を聞きながら、みことが呆然と巽の腕の中でその顔を見上げていた
(・・・あ・・れ?巽さん・・?泣いてる・・・!?なんで?それに・・僕・・どうして・・・?)
まだ霞がかかったようにはっきりしない意識の中で、みことは初めて見る巽の泣き顔を、ぼんやり見つめていた
「巽様!早くみこと様を車の中へ!そのままにしておいたら肺炎を起こしかねません。着替えさせて暖かくしないと・・!」
御崎が先に階段を駆け上がる
巽がみことを抱きかかえて車の中へ入ると同時に、車は急発進した
みことの濡れた服を着替えさせ、巽が震えているみことに必死に呼びかけ続けていた
みことは時折薄っすら目を開けるものの・・・意識は朦朧としたまま、ぐったりとしている
「みこと!しっかりしろ!!目を開けろ!頼む!聞こえてるか!?」
みことの頭が微かに上下して、頷き返す
薄っすらと目を開けたみことが、巽の腕を弱々しく握り返し・・・震える声で言った
「た・・つみさん、へん・・です・・。体の中に・・なんか・・居る。冷たい・・物が・・体中グルグル・・回って・・る・・・」
「冷たい物!?飲んだ水か!?」
巽がみことの体を温めるように抱きかかえ、背中をさする
「・・た・・ぶん・・でも・・きもち・・わる・・・」
みことの声が途切れ途切れになっていく
「みことっ!おい、しっかりしろ!!」
その巽の声に反応することなく、みことはぐったりと巽の胸の中に体を預け・・・眠ったかのように見えた
「・・・おい?みこと?眠ったのか・・?」
巽の胸の中で安心しきった子供のように寄りかかり、微かに規則正しい寝息をたて始めたみことの顔を覗き込んだ巽が、その体を守るように両手でしっかりと抱え込む
「・・・よかった。お前、ちゃんと生きてるよな?」
腕の中のみことの暖かな体温と、規則正しく繰り返される寝息を再び確認し、自分がどれだけこの温もりを失う事を恐れていたのか・・・初めて巽が気づかされていた
この一ヶ月の間に・・・
一緒に生活し、側に居るのが当たり前になっていた
それ以前に一人で暮らしていた事が考えられないほどに
いつの間にか、みことの存在が自然になっていた
そこに居る事が当たり前で、居なくなるなんて考えられないほどに
そのみことが目の前で、自分の手の届かない所へ落ちていき・・・はるか彼方へ連れ去られるのを見た時
(・・・あの時、何も考えられなかった。壁を壊してしまったら、その水がどうなるか・・・分かってた。だけど、どうなろうと構わない・・・!そう、本気で思ったんだ・・・)
巽にとって、ここまで理性を失ったのは初めてのことだった
なぜ、ここまで自分が動揺したのか?巽自身、まだ理解出来ていない
ただ、今の巽にはっきりと言える事は
(・・・みこと、お前が俺を置いて遠くへ行くのが許せなかった!お前に置いて行かれる事に、耐えられなかったんだ・・・!)
その、あまりに身勝手な考えに・・・巽の体に震えが走る
幼い頃、父と母を亡くした事故の記憶が
何度も夢で繰り返される炎の記憶が
巽の脳裏を掠めていく
「・・・もう置いていかれるのは、たくさんだ・・・!!」
血を吐くような低い声音で呟いた巽の両手に、思わず力がこもる
その息苦しさに身じろいだみことに、ハッと巽が力を緩め、眠り続けるみことのまだ湿った銀色の髪に唇を寄せる
「・・・頼むから俺を、置いていかないでくれ・・・!」
消え入るような巽の声が、銀糸の髪を揺らしていた
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