ACT 11

 

 

家に帰り着いて・・・

巽の腕の中で眠ったままのみことをベッドに寝かせると同時に、聞き慣れた軽やかな声が巽の耳に届く

「・・・へえ、やっぱりみこと君ここへ来てたんだ。ちょっとビックりだね」

観音像に眼鏡を掛けたような・・柔和な笑顔を浮かべた白衣姿の男が、部屋のドアの所に立っていた

御影 聖治・・・鳳家の専属医師兼、巽の主治医であり、幼なじみである

「聖治!?誰がお前を?」

「美園さんだよ。ひょっとしたら誰かが僕の世話になるかもしれないから・・・て。まさかそれが、みこと君とは思ってもみなかったけどね・・・」

ツカツカ・・とベッドに歩み寄り、みことの体を診察し始めた聖治が、少し考え込むようにみことの顔を見つめながら言った

「水・・・かなり飲んだみたいだね。今のところ熱も出てないみたいだし・・とりあえず、暖かくして2〜3日安静にして様子をみないと何とも言えないな・・。一応、抗生剤入りの点滴だけしておく」

「・・・そう・・か・・」

いつもの巽らしくない、切迫した重苦しい雰囲気に、聖治が眉をひそめる

「どうかしたのか?巽らしくない・・そんなに心配しなくてもすぐに元気になるよ」

巽はベッドのヘッドボードに置いた手を、白くなるほど握り締めて呟いた

「・・・俺は何も出来なかった!みことが・・水の中で溺れるのが分かってて、何も・・助けてやる事が出来なかった・・・!」

苦渋の色を滲ませ、端整な顔を歪めながら・・眠っているみことの顔を見つめている

「そ・・か。でも、みこと君はこうして無事に助かってるだろう?そうやって自分を責めるな。お前が自分を責めてたら、今度はみこと君が辛い思いをするんじゃないのか?」

聖治の鋭い指摘に、ますます巽の顔が険しくなっていく

「そんな怖い顔して睨まれてたら、みこと君だって安眠できないだろう!とりあえず、ここから出て行け!お前が居たって何にもならないんだから・・・!」

そう言い放ち、聖治が無理やり巽を部屋の外へ押し出した

いったん部屋戻って点滴を施すと、まだドアの所で立ち尽くす巽を一階のリビングへと連れて行く

リビングでは、御崎が二人が降りてくるのを待っていたかのように、淹れたてのコーヒーを差し出した

「聖治様、夜分遅くに申し訳ございません。みこと様は大丈夫でしょうか?」

「ええ。しばらく様子は見ないといけませんが・・今のところは大丈夫です。御崎さんの方こそいいんですか?御園さんを放っておいて・・・?」

クス・・と、意味ありげな笑みを浮かべながら、聖治が笑顔でコーヒーを受け取る

「ご心配なく・・美園様ならもうじきこちらへ来られます。それより、巽様そんなに気を張り詰めないで下さい。あの場合仕方のない事でしたし・・・巽様が居たからこそ、迅速な応急処置も取れたんですから・・・」

相変わらず険しい表情でソファーに座り込んだ巽の前にコーヒーを置いた御崎が、いたわる様に声をかけた

「なんで・・仕方のないことなんです!?御崎さん!知っているなら、ちゃんと教えて下さい!!」

巽が苛立ちを隠そうともせず、珍しく声を荒げて御崎に言い募る

御崎は、そんな巽をしばらくサングラス越しに静かに見つめ返していたが、小さく嘆息しながら言った

「・・・あの場合、みこと様はご自分の手にあのうねる水の本体が持っていた体の一部・・・鱗を持っておられました。その鱗の放つ強烈な意識に引きずられて同化してしまっていたのです。ですから、あの水の中へ入ることが出来た。私は、ご覧になったでしょう?もともと水属性・・当然あの水の中に入り込むことも可能でした。ですが・・・」

いったん言葉を切った御崎が、フ・・ッと聖治をそのサングラスに写し取る

その視線の気配を察して視線を合わせた聖治が、口の端に薄い笑みを浮かべて先を促すように瞳を閉じてソファーに深くもたれかかった

その聖治の無言の承諾を得て、御崎が言葉を継いだ

「・・・巽様は、あの水に対して何の媒体もお持ちではありませんでした。ですが、それ以前に巽様の体の中には鳳家の守護霊獣である鳳凰・・”朱雀”が存在しています。火と水は相反する物・・いかに巽様であろうとも、何の媒体もなくあの水の中に入り込むことは不可能かと・・・」

その言葉に巽の表情が痛々しいまでに強張っていく

「そんな・・!それじゃあ、俺はあの水の中に入ることは出来ないっていうんですか!?」

「媒体があれば可能かもしれません。ですが、例え入れたとしても、あの水の中で目に見えないうねる水の本体に勝つのは、かなり難しいでしょう・・・」

「また・・朱雀か・・!」

巽が吐き捨てるように呟いて、頭を抱え込んでうなだれる

聖治がそんな巽に一瞬、冷ややかな一瞥を送り・・御崎に笑みを向ける

「・・・何となく、御崎さんはその”目に見えないうねる水”の正体に気づいてる・・っていう気がするんですけど、どうなんです?」

「ある程度は・・。おそらくあれは”海蛇(かだ)”・・巨大な海の蛇です。地中海地方の伝説に出てくる古代の生物・・あの店の大理石はギリシャから運ばれてきた物ですし、まず間違いないかと。問題はあの”水”です。いくら”海蛇”でも、体の一部だけではあれだけの”水”の実体化は難しいはず・・・・」

御崎のサングラス越しの顔も、心なしか青ざめている

「・・・フウン。それじゃあ、その”水”自身にどっから来たのか聞いてみるしかないのかな?」

聖治がどこかしら・・成り行きを楽しむかのように呟く

「・・”水”に聞く?」

巽が、どういう意味だ?と、言わんばかりに聖治に険しい瞳を向けた

「・・・そ。美園さんに聞いた話じゃ、その”水”朝にはすっかりなくなってるんだろう?・・てことは、夜のうちにどっかに引いちゃってるってことになる。なら、その”水”を持ってって、どこへ引いていってるのか確かめればいい」

「そんな簡単なことじゃないだろう!?だいたい、どこにそんな”水”があるっていうんだ!?」

「あるじゃないか」

巽の苛立った様子を気に止める風でもなく、聖治が変わらぬ笑顔を湛えている

「どこに!?」

そんな聖治の笑みを睨み返した巽の、この上なく不機嫌な声音が響く

「みこと君の体の中」

聖治が頬杖をついて、にこやかに巽を見返す

巽は、その聖治の笑みに・・その信じられない言葉に・・声を震わせて聖治に掴みかかった

「おまえっ!!ほんっとにいい性格してるな!あんなみことの状態で何をさせようって言うんだ!?」

「おや・・ずいぶんと他人に関心を示すじゃないか?巽がどう思おうと勝手だけど・・それぐらいしか打つ手がないんなら、やるしかないんじゃない?・・・・ねえ?御崎さん?」

聖治が掴みかかった巽の手を乱暴に振り払って、御崎の方を振り向く

「・・・みこと様の容態次第でしょう。ですがそれ以前に・・巽様、もう少し冷静になって下さい!感情的になられるお気持ちは察しますが、そんな事では到底この怪現象を解決など出来ません・・・!!」

御崎のこれまでにない厳しい声音が空気を震撼させる

その御崎に見据えられた巽の脳裏に、あの、灰色でまぶたのない・・魚の瞳が甦り、巽は再び背筋に冷たい物が流れるのを感じながらソファーに沈み込んだ

「・・・すみません。少し・・頭を冷やします・・・」

聖治も少しばつが悪そうに肩をすくめ、視線を落とした

「・・・じゃ、僕はみこと君の容態を見てからいったん帰りますね。御崎さん、後はよろしくお願いします」

そう言って、うなだれたままの巽に一瞥を投げると、リビングを後にした

そのまま軋む階段を上がり、みことの部屋に戻った聖治が点滴の様子を確かめて、みことの脈拍と熱を測る

ゆっくりとではあるが、熱が上がってきつつあった

「・・・巽にああは言ったけど、飲んだ”水”が普通の水じゃないとなると・・これはちょっと厄介な事になりそうだ・・・」

今のところ青ざめてはいるものの、スヤスヤ・・と眠っているみことの顔を聖治がジッ・・と見下ろす

「・・・巽の迅速な応急処置か。溺れた場合の応急処置は・・当然、人工呼吸・・だろうね・・・」

聖治の顔から笑みが消え失せ、少しムッとしたような複雑な表情が浮かんでいる

「だいたい・・巽が赤の他人を側に置くなんて事自体が信じられない!ってのに。おまけにあの取り乱しようじゃあ・・ね。本当に妬けちゃうなあ・・・ねぇ?みこと君?」

深いため息を吐きつつ・・みことの寝顔を見つめていた聖治が、ス・・っと顔を近づけて、みことの唇に軽くキスを落とす

「『・・ほん・・と、何も知らない・・穢れを知らない天使の寝顔・・だね」

自虐的な笑みを浮かべて呟いた聖治の背後から、少しトゲを含んだ女の声が投げかけられた

「あなたにしてはいじらしいじゃない?御影 聖治君?みこと君を通してキスするくらいなら、直接巽から奪えばいいのに・・!」

聖治の肩がピクンッと反応し、振り返りながら冷たい声音で言い放つ

「人が悪いですよ、美園さん?黙って見てるなんて、まるでどこかの意地の悪い姑さんみたいだ」

完全に美園の方を振り返った聖治の顔には、もう、いつもの笑顔が浮かんでいる

「あーら。こんなに若くて美人な女を捕まえてそれはないんじゃない?だいたい・・子供じゃないんだから、素直に愛情表現したらどうなのよ!?好きだから虐めちゃうなんて、小学生レベルだわ!!」

聖治がゆっくりと美園の方へ歩み寄りながら、言い返す

「いいんですよ、僕はひねくれてるんですから。美園さんみたいに自由奔放というより、密やかに思い続ける・・っていう方が性に合ってるんです」

目の前まで来た聖治の肩に手を廻し、美園が至近距離でその眼鏡の奥の瞳を見つめる

「よく言うわね・・。そんな事してるうちに、巽をみこと君に取られたって知らないわよ・・!」

一瞬、聖治の瞳に冷たい光が駆け抜ける

「・・・面白いですね。あの子に鳳と御影にかけられた血の呪縛が解けるものなら解いてもらいたいもんです」

「たいした自信ね・・。じゃ、一ついいこと教えといてあげる。みこと君も巽の未来に大きく関わってるわ。聖治君、あなたと同じようにね・・・!」

その、美園の言葉に、初めて聖治の表情が強張った

「みこと君が!?また・・冗談にしては性質が悪すぎますよ?美園さ・・・」

言いかけて、見つめる美園の瞳に嘘がないことを悟った聖治が、思わず視線をそらして呟く

「・・・それならそれで、見届けさせてもらいますよ。僕なりにね・・・」

視線をそらした聖治の顔を、ツィ・・と自分の方へ向き直させた美園が囁いた

「そんな顔してたら欲求不満溜まりまくるわよ?そのうち私が夜這いでもかけて、その不満食べてあげるから、待ってなさい・・!」

聖治がクスクス・・と笑い声を上げながら、美園から離れる

その顔は・・・もう、いつもの張り付いたような笑顔に戻っていた

「いつでもどうぞ。お待ちしてますよ・・・」

振り向きもせずにそう言うと、白衣の裾をひるがえして部屋を出て行った

 

 

 

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