ACT 12

 

 

聖治がリビングから出て行った後、御崎がおもむろに巽に話しかけた

「巽様、聖治様が居られましたので、あえてこの話は避けさせていただきましたが・・・なぜ、朱雀の力を封じたままで眠らせていらっしゃるのです?
今回のように、例え封じていても巽様の中に居る朱雀の力はなくなったりはしません。
巽様がお母様から受け継いだ”オーディンの指環”の力は、その指環を外せば影響を受ける事はないでしょう・・・。
けれど朱雀は違う!あなたが鳳の人間として受け継いだ血の中に存在し、寄り憑くものです。
どうやってもそれから逃げたりできないのですよ?お分かりですね?」

御崎の低く、重い声音が巽の体に降り積もる

「・・・分かってます!だけど、怖いんです。また・・あの、雅人さんのように・・・!」

「お気持ちはよく分かります。ですが、それはもう12年も前の事です。今のあなたはもう立派な大人・・朱雀の力をコントロールできないわけがない!」

巽が顔を両手で覆い、押し殺したような声音で言い返す

「そんな事、どうして言い切れるんです!?」

御崎が深いため息をついて立ち上がった

「すみません・・少し、言い過ぎました。今夜はもうお休みになって下さい。私も美園様と帰らせていただきますので・・・」

うなだれたままの巽に一礼を返し、リビングを後にした御崎が、2階から降りてきた美園と共に車に乗り込んだ

美園を助手席に座らせ、自分も運転席に座った御崎が、再び深いため息を吐く

「・・・巽様は、逃げていらっしゃいます。自分の中に在る全ての物を否定し続ける事で、自分という存在を保っておられる・・・」

静かに呻くような重低音を響かせた闇色の車が、滑るように走り出す

「・・そうね。あの子は信じていたもの、大好きだったもの全てに置いていかれて・・・何も、自分の事すら信じなくなってしまっている。
もし・・・また何かを信じて、好きになって、また置いていかれてしまったら・・・あの子の心は本当に壊れてしまうかもしれない」

美園が流れていく車窓をぼんやりと眺めながら・・・独り言のように御崎に返事を返す

「・・・だから、せめて私だけでもあの子の行く末を見届けてやろうと思っていたわ。
でも・・その役は私じゃないのかもしれない。
あの子を・・みこと君を見ててそう思ったの。あの巽が、初めて何かを守ろうと・・・何かを求めようとしているわ。
自分でも気がつかないうちにね・・・」

「確かに・・・。みこと様はほんの一ヶ月あまりで、頑なだった巽様の心に変化をもたらしました。このまま更に変わっていくとしたら・・・よろしいのでしょうか?
那月さまや雅人さまのようになってしまったら、取り返しが・・・」

言いかけた御崎に、キッ・・と美園が鋭い視線を向ける

「そんな事させないわ!那月は二度とそんな事にならないように、繰り返されてきたものを止めさせる為に、自分を・・全てを犠牲にしたようなものなのよ!?
全てを巽と私に託して・・・!私は那月が見えなかった未来を・・巽を信じてるわ!」

それっきり美園は口を噤み、ただ車窓を眺め続けていた

流れ・・・変わっていく行く末を見定めるように・・・

 

 

 

 

御崎と美園、聖治が帰った後、一人取り残された巽は、その寒々しい部屋の雰囲気に耐えられず、重い足取りでみことの部屋へ向かっていた

ほんの一ヶ月前まで日常的であったはずの雰囲気・・・

自分以外、人の気配がない、重く沈みこんだ空気

ただ聞こえる時計の時を刻む音だけが、時が止まっていない事を告げ

虚しくその時をやり過ごす・・・

それが日常

それが自分に許された唯一の場所・・・

そう、思っていた

 

・・・ところが

今では家の中のどこを見ても、その場所場所で笑ったり、怒ったりしているみことの顔や声が・・・巽の目に、心に焼き付いて離れない

いつの間にか・・・

あの眩しい笑顔を・・・どんなに暗い部屋の中でも自ら光を発しているかのごとく浮かび上がる、白銀に輝くみことの姿を追い求めている自分に気づき、巽は愕然としていた

薄暗いみことの部屋・・・

その部屋の中でも、弱々しいながらも光を放つみことの体が夜光虫のように浮かび上がっていた

巽は、吸い寄せられるようにその光の横に座り、いつもの笑顔も、桜色の唇も・・その輝きと色を失って青白く、少し苦しげな呼吸を繰り返すみことの寝顔を見つめていた

みことの額に手を当てた巽が、さほど熱がない事を確認し・・・少し安心したように強張った顔を緩める

巽は、点滴に繋がれたみことの手を両手で包み、その手の暖かさに・・・途切れることなく伝わる脈拍に・・・ようやく安堵感を覚えつつ、そのまま寝入ってしまった

その浅い眠りの中で・・・

巽は、少し前にあった出来事を夢に見ていた

 

 

 

 

・・・・カシャンッ!!

キッチンの方で何かの割れる音が響く

「・・・今度は、何を割ったんだ?」

リビングのソファーで本を読んでいた巽が立ち上がり、カウンター越しに洗い物をしているみことを、ため息混じりに眺める

「う・・・ごめんなさい。お皿です・・・」

まだ泡だらけの手を水で流しながら、みことが泣きそうな表情で巽を振り返る

「・・・ああ、いい。俺が片付けるから、さっさとその洗い物を終わらせろ」

みこと専用の踏み台の横で無残に広がった皿の破片を、屈みこんだ巽が拾い集めていく

「あっ!僕がやります!!ごめんなさい・・・これで3個め、ですよね?」

慌ててエプロンで手を拭きながら、みことが踏み台から降りる

「ほお・・・?記憶力はいいらしいな。確かにこれで3個めだ」

一緒に屈みこんだみことに、巽が意地悪い目つきで視線を送る

「うう・・・ごめんなさい・・・です・・・」

もともと背の高い人間を基準に設計されているらしいこの家の造りは、背の低いみことにとって、確かにちょっと扱いづらくなっている

踏み台を使っても、ちょっとだけ手の届かない所・・・というのが結構あるのだ

まるで主人に叱られた仔犬のように、シュン・・とうなだれたみことの様子に、思わずクス・・ッと低い笑い声を洩らした巽の手元が狂い、皿の破片でピッ・・と指を切ってしまった

「・・・ッつ!!」

思わず顔をしかめた巽が自分の指を見るより早く、みことが血の流れ出る巽の指を掴む

「わッ!?結構深く切れちゃってますよ!今、絆創膏取って来ますから、傷口押さえといてください!!」

慌てて立ち上がろうとするみことの腕を、巽がグイッ・・と引っ張って、引き戻した

「えっ!?」

ビックリ顔のみことに、巽が真面目な顔つきで・・・低く呟いた

「・・・必要ない。ちょうどいい機会だ・・その怪我した所、よく見ていろ」

「へ!?なに言って…」

言いかけたみことの銀色の瞳が大きく見開かれて、固まった

結構大きく裂けていた傷口が・・・

見る見るうちに盛り上がり、傷口が治っていく様をビデオの早回しで見ているかのように、もとの指の状態へと近づいていく

「ええっっ?えーーーッ!?」

思わず巽の指を自分の目の前に持ってきたみことが、流れて残っている指先の血を自分の指先でぬぐい去る

血の下にあったはずの傷跡が、うっすらと赤い線のようにしか残っていなかった!

「た・・巽さん!?これって、どういう・・!?」

目の前で起きたことなのに、まだ信じられない・・という顔つきで銀色の瞳をまん丸にして、みことが巽の指を見つめている

「・・・うちの家系の特殊体質。異常に治癒力が高いんだ。これぐらいの傷ならあっという間に治ってしまう。だから、俺がケガをしても気にせず放っておけばいい。そのうち治るから・・・」

そう言いながら、巽の顔が悲しそうな表情に変わる

それが普通だと思い込んでいた頃・・・

それが普通ではないのだと・・・

初めて知らされた周囲の・・・まるでバケモノを見るかのような目つきが鮮明に巽の脳裏に甦る

(仕方ないよな・・・)

心の中で呟きつつ、巽が顔を上げると・・・

みことが、銀色のガラス玉のような目を大きく見開いて、真っ直ぐに巽を見つめていた

「なに・・言ってるんですか!?怒りますよっ!?いくらケガが治るのが早くったって、ケガして痛いことに変わりないでしょう!?それを・・気にせずほっとけなんて・・・!ケガして痛いのは、体だけじゃなくって、心だって痛いんですから・・・!!」

「・・・ッ!お前・・!?」

今度は巽のほうが驚いて、灰青色の瞳を見開いてみことを見つめる

そんな風に・・・自分の心が傷ついている事に・・

ケガが痛いんじゃなく、心が痛いんだということに、誰が気づいてくれただろうか?

昔から、ケガをする度に気味悪がられ、放っておかれた覚えしかない巽である

どう答えを返していいのか分からなくなるほど困惑し・・絶句した

「・・・あ・・巽さん・・ひょっとして怒らせちゃいました?あの、気に障ったらごめんなさい・・。お皿割った上に、何だか偉そうなこと言っちゃって・・・」

巽の困惑顔を、怒らせてしまった・・と勘違いしたみことがオロオロと謝る

「違う!!」

思わず巽がみことの腕を掴んで、叫んでいた

その何時にない巽の声に、みことの体がビクンッ!と震える

「・・・あ・・すまない。そうじゃない・・違うんだ。俺の・・この体質を目の前で見て、そんな風に言われたのが初めてだったから、ちょっと驚いて・・・」

まだとまどって視線を彷徨わせる巽の様子に、みことがソッ・・とケガの痕跡を残す指先に触れる

「よかった・・怒ったわけじゃないんですね?それじゃあ、約束してください。どんなにちっちゃいケガでも、こうして・・僕に触らせてください。。痛くて冷たくなった心だけでも僕が温めてあげたいから・・・」

包み込むように触れたみことの手から、温かい・・木漏れ日のような波動が巽の中に流れ込んでくる

甦った悲しい、辛い気持ちごとその木漏れ日が包み込み、どこかへ押し流していく・・・

ハッと顔を上げた巽と視線を合わせたみことが、ニコッと笑って触れていた手を解き、ヌッ・・と巽の顔の前に自分の小指をつきたてた

「ハイッ!指きり!」

あっけに取られた巽を尻目に、みことが強引に巽の手を取り、小指同士を絡ませた

「約束ですからね?破ったら、針千本ですよッ!?」

大真面目な顔つきで指切りをするみことに・・・たまらず巽が押し殺した笑い声をもらす

「あーーー!なんでそこで笑うかなあ?僕は真剣に指切りしたのにッ!!」

みことが不満げに巽を上目遣いに睨みつけている

「わ、悪い・・!分かった、約束するよ。どんなケガでも、お前に温めてもらうから・・・」

こみ上げてくる何ともいえない嬉しい笑いに、巽が本当に珍しく笑い声を立てた

その巽の笑顔と笑い声に、みことも目を見開いてその顔を凝視していたが、やがてこの上ない満面の笑顔を巽に返す

何時見ても見飽きる事のない・・・特上の、大輪の花のような笑顔だった・・・・

 

 

 

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